第380話

 迷宮都市であるとは言っても、ギルドにいる人の多い時間、少ない時間というのはそう変わらない。

 何しろダンジョンの中にいるモンスターも普通のモンスターのように夜になれば凶暴性を増すのだから、わざわざ好んで凶暴性が高くなっているモンスターと戦いたいと思う者が少ないのは当然だった。

 もっとも夜にしか姿を現さないモンスターや、あるいはダンジョンの中でも夜にしか採取することが出来ない鉱石、植物といったものもあるので、夜のダンジョンに冒険者の姿が全く無いのかと言われればそれは否なのだが。

 中にはダンジョンの攻略や素材の採取ではなく、純粋に戦闘そのものを楽しむ戦闘狂もいる。そのような者にしてみれば、敵の凶暴性が増す夜のダンジョンというのは、ある意味で楽園と言えるかもしれない。

 とにかく多少の例外はあれども、日中のギルドというのはギルムであろうとエグジルであろうと冒険者の数が少ないというのは事実だった。

 レイとエレーナがギルドに入って来た時も昼を少し過ぎたそんな時間帯であったが故に、周囲から受ける好奇の視線は最低限度となっていた。


「まさかセトが寝てるとは思わなかったな」

「それを言うなら、イエロもだ。私の使い魔だというのに、主よりもセトと共に眠ることを優先するとは……」

「ま、普通の使い魔ならそんなことは無いんだろうけど」


 そんな風に言葉を交わしながらギルドの中に入ってきた2人へと、ギルドの中にいた冒険者やギルド職員達の視線が一身に浴びせられる。

 1人はローブを着ている魔法使い、あるいは魔法使い見習いと思しき10代半ばの少年。こちらは別にいい。着ているローブは多少豪華そうに見えるが、ただそれだけだ。背もそれ程大きくなくエグジルの街ではよく見かける……と言う程に多くはないが、それでもそれなりの数がいる駆け出しの魔法使いか何かだろうと判断出来たのだから。

 この時不幸だったのは、魔法使いを始めとして相手の魔力を感じ取れる能力を持った者がギルドに1人も残っていなかったことだろう。そのような能力を持っている者はそれ程多くなく、更に今の時間はダンジョンへと潜っていたのだ。それ故に、2人の姿を見た者はレイを隣にいるエレーナのお付きか何かであるとしか思えなかった。

 そして、隣にいる人物。黄金の髪と鎧の上からでも分かる程に豊かな曲線を描く女らしい身体。凛とした意志の強さを感じさせつつも、嫌でも見る者の視線を釘付けにするほどの美貌。

 エレーナの放つ圧倒的な存在感に、ギルドの中は数秒程静まり返る。

 だが、エレーナにしろレイにしろ、このような態度を取られるのは既に慣れている為か全く気にした様子も無く受付へと向かう。


「済まない。私達は今日エグジルに着いたのだが、ダンジョンに入る為の手続きをして欲しい」

「……あ、は、はい!」


 エレーナの姿を間近で見て、思わず見惚れていた受付嬢だったがすぐに我に返る。この辺は迷宮都市にあるギルドの受付嬢ならではなのだろう。


「その、では身分証をお願いします。……そちらの方もでしょうか?」


 チラリ、とレイの方へと視線を向けて来る受付嬢。


「ああ、俺も頼む。これが俺のギルドカードだ」


 そう告げ、ドラゴンローブの中でミスティリングからギルドカードを取り出すレイ。

 カウンターの上に置かれたギルドカード。受付嬢の視線はそれでもまだエレーナに向けられており、カウンターの上に置かれたカードを何気なく手に取ると、そのままレイの素性を確認する為に視線を向ける。

 受付嬢の気持ちとしては、レイの素性よりもエレーナの素性を知りたかったというのが正直なところなのだろう。だからこそ、レイのギルドカードに目を通したのだが、ギルドランクを見た瞬間にその動きは止まる。


「……え? ランクB?」


 呟かれたのは小声。本来であれば、周囲の雑音に紛れて消える程度の小さな声だった。

 だが、今はギルドの中にいる者達の視線がエレーナに集まっており、それ故に静まり返っている。つまり、受付嬢が呟いたような小さな声でも、カウンターの近くにいる冒険者には十分聞こえたのだ。

 ギルド全体に聞こえた訳では無い。そもそもエグジルのギルドは迷宮都市のギルドという関係上、ギルムのギルドよりも格段に大きい。これは、ギルムが辺境にあって並の初心者では街の周辺に出没するモンスターですらも討伐するのが難しいからだ。

 ゴブリンのような初心者でも問題無く倒せるモンスターもいるが、辺境であるが故に低ランクでは手に負えないようなモンスターも普通に街道近くに姿を現す。

 その為、基本的にギルムにいる初心者の冒険者というのはギルムで生まれ育った者が殆どであり、街の外から来る低ランク冒険者というのはそれ程多くない。

 そんなギルムに比べると、迷宮都市であるエグジルはダンジョンの上層部のような浅い階層には基本的には低ランクモンスターしか出ないし、逆に深い階層に潜っていけば高ランクモンスターも存在する。つまり初心者が多くなる分、ギルドも相応の広さが必要になるのだ。更に言えば、エグジルのギルドは珍しく酒場が併設されていない。これもまた、迷宮都市である為に多くの冒険者が街にいるからこそなのだろう。

 そんな広さをもったギルドだけに、受付嬢の言葉がギルド内部全てに響き渡るといったことはなかったが……


「ランクB?」

「え? あのガキがか?」

「嘘だろ? どう見ても見習い魔法使いだろ?」

「ギルドの方で何かミスったとか、そういう理由なんじゃないのか? 俺でさえまだランクDだってのに、あんなガキがランクBとか絶対に有り得ない」

「……っ!?」


 そんな風に、カウンターの側にいた冒険者達の話から次第にギルドの中にいる者達へとレイがランクBであることが広がっていく中……たまたま寝坊して訓練をする為にギルドに立ち寄った、ランクC冒険者の男が息を呑む。

 その男は際だって腕が立つと言った意味では有名ではないが、それでも15年近くも冒険者として過ごしているということもあって面倒見のいいベテランとして知られていた。そんな人物が息を呑み、更には見て分かる程に驚愕の表情を浮かべたのだから周囲からの注目を集めるのは当然だった。


「ネブロスさん、一体どうしたんですか?」


 ベテランの冒険者、ネブロスの様子がおかしいのに気が付いた冒険者の1人が心配そうに声を掛ける。

 話し掛けたのは10代後半の男であり、これまで幾度となくネブロスの世話になってきた。ある意味で師匠と弟子の関係と呼んでも良かったのかもしれない。そんな関係であったからこそ心配そうに尋ねたのだが、ネブロスは何でも無いと首を横に振る。


「気にするな、ちょっと思いついたことがあっただけだ」

「でも、そんな……あ、もしかしてあの自称ランクBに何かされたとかですか? もしよければ俺がガツンと言ってきますけど。どうせあんなガキがランクBなんて何かの間違いなんだろうし、強気で問い詰めれば……」

「止めろっ!」


 思わず出た大声。もしそんなことをすれば、どんな目に遭うのか分かりきっているからだ。そう、それこそネブロスが初めてレイという存在を知った時と同じように……


「ネブロスさん?」

「……あいつがランクBだってのは俺も知らなかったが、それ程の実力を持っているのは事実だ。それは俺がこの目で直接確認している」

「直接確認って……あいつらをこのエグジルで見たのは今日が初めてですよ? いや、あっちのガキは知らないけど、あれだけの美人を連れていれば嫌でも噂になるでしょうし」


 何を言ってるんですか? と、ネブロスが冗談でも言っているのかと思いつつ尋ねる男だったが、それに返ってきたのはこれ以上無い程に真剣なネブロスの視線だ。


「いいか、俺が春にベスティア帝国との戦争に参加したのは知ってるな?」

「え、ええ。勿論。俺も参加したかったけど、ランクの問題で無理で悔しい思いを……まさか。あのガキはその戦争に参加を?」


 話の途中でネブロスが何を言いたいのかを理解したのだろう。驚愕の視線をレイへと向ける男。

 ベスティア帝国の戦争は、ランクE以下の者はギルドから傭兵としての戦争参加を禁止されていた。男自身、当時はもう少しでランクDへのランクアップ試験を受けられるところまでにはなっていたが、時期の問題でランクアップ試験を受けることが出来ず、結局戦争には参加出来なかったのだ。つまり視線の先にいる見習い魔法使い……贔屓目に見てもようやく独り立ちしたばかりの魔法使いにしか見えない、あの子供が当時最低でもランクD以上だったということになる。

 つまり、先程ギルドの受付嬢が口にしたランクBというのもギルドのミスでランクB扱いになっている可能性も出て来るのだ。

 そう思った男だったが、現実は容易にそれを裏切る。


「戦争に参加したかどうか? 違う、そんな単純な話じゃねえ。奴は……奴が……深紅、だ」


 ざわり。

 周囲でネブロスと男の話を聞いていた他の冒険者達が、深紅という名前を聞いた途端にざわめく。

 たった1人で敵の先陣部隊に対して壊滅に近い被害を与えた冒険者。大空の死神とも呼ばれるランクAモンスターのグリフォンを従えている、最も新しい英雄とすら呼べる人物。表沙汰にはなっていないが、戦争に参加した冒険者や騎士、兵士の間ではその人物の力により戦争の勝敗が決定づけられたと、まことしやかに噂される人物。それこそが深紅という異名を持つ人物なのだ。

 深紅、という言葉を聞き、エレーナ目当てにレイへと絡もうとしていた数人の冒険者が思わず動きを止める。

 尚、この時ギルドの中にいる者達の視線がレイに集まっており、エレーナが姫将軍であると気が付いている者が誰もいないのは、幾ら姫将軍という異名が周辺諸国に鳴り響いていても実際にその姿を目にした者がいなかったこと。そしてもし姫将軍の顔を知っている者がいたとしても、まさか公爵令嬢でもある姫将軍がこんな場所にいる筈が無いという思い込みがあったことが原因だろう。


「深紅って……あんなガキがですか!?」

「ああ。俺は直接あいつが魔法を使うところを見ている。……凄かったぞ。正直、あれ程の巨大な炎の竜巻なんて生まれて初めて見た。しかもその竜巻の中に空中から樽を投げ入れて、その樽が破壊されると金属片で余計に殺傷力を増すというおまけ付きだ。他にも身の丈を超える程に柄の長い大鎌で敵を撫で斬りにしたりな」

「……」


 冗談で告げている目ではない。ネブロスが見て来た真実を話している。

 長年……という程では無いにしろ、ネブロスから冒険者のイロハを教わってきただけに、男にはそれが分かった。

 つまり……


「本物の、深紅」


 呟き、ゴクリと思わず唾を飲み込む。

 それは、ネブロスの話を聞いていた周囲の男達も同様だった。

 深紅、という単語が先程の受付嬢が放ったランクBという言葉と同様に広がって行き、今やギルドの中にいる冒険者の視線は一身にレイへと向かっている。

 そんな視線を受けつつも、レイは気にした様子も無く受付嬢へと声を掛ける。


「ランクBだと何か問題が?」

「い、いえ。全く問題ありません。すぐに準備致します。……そちらの女性の方は……」


 チラリ、とエレーナへと視線を向け恐る恐る尋ねる。

 もしかして、この美形過ぎる女もまたレイ同様に常識外れの存在なのかと。

 そのような予備知識があったからこそ、渡された書類を見ても声を出さずに済んだのだ。

 そこに書かれている、エレーナ・ケレベルという名前を見ても。


「っ!? ……わ、分かりました。問題ありません。すぐに用意しますので少々お待ち下さい」


 息を呑み、さすがにレイの時と同様に騒ぎ立てる訳にいかないと判断した受付嬢は急いで手続きを済ませていく。

 周囲にいる冒険者達の視線はレイへと集中しているおかげか、受付嬢の様子に気が付く者は殆どいなかった。

 そして数分後、用意された2枚のカードと、手の平よりも若干大きい程度の水晶球のようなものがカウンターの上へと置かれる。


「この水晶の上に右手を置き、左手でこちらのダンジョンカードを持ちながら軽く魔力を流して下さい。そうすれば手続きは完了します。……一応確認させて頂きますが、魔力を流すことは出来ますよね?」


 受付嬢の言葉に無言で頷く2人。

 マジックアイテムを使うのにも大小の違いはあれども、魔力を流すという行為は必要になる。それは例えばレイがデスサイズを使うという行為だったり、エレーナが連接剣を使うという行為であり……同時に、日常生活に使うような種火を作り出すマジックアイテムを使う時も同様だった。

 ただ、中には体質の影響で日常生活に使うようなマジックアイテムですら使えないような者もいるので受付嬢が尋ねたのだが、それはあくまでも念の為でしかなかった。

 何しろ、自分の目の前に立っているのは深紅と姫将軍なのだから。

 そして事実、ダンジョンカードの登録は特に何の問題も無いままに完了するのだった。

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