第378話

 エレーナとレイが街道で襲撃を掛けて来た盗賊を逆に殲滅してから数日。それ以降は特に騒動が起きるでもなく無事街道を進み続け、やがて馬車の中からでも遠くに巨大な街……否、その名の通り都市の外観が見えてくる。

 レイが拠点にしているギルムも人口10万以上を誇る規模を持つ街だが、今馬車の窓から見えている迷宮都市の規模はギルムの数倍程もあるように見えていた。


「あれが……迷宮都市か」

「うむ。迷宮都市はミレアーナ王国にも幾つかあるから、正確には迷宮都市エグジルと呼ぶべきだろうな。人の出入りが非常に激しいので正確な人口は不明だが、それでも20万、30万はいると言われている」

「……随分と多いな」

「人数だけで言えば確かにな」


 レイの言葉に、エグジルの姿を見ながらエレーナは首を振る。


「人数だけ? 最低でもギルムの倍はいると思えば、冒険者の質だって相当高いんじゃないのか?」

「そうでもない。迷宮都市にあるダンジョンは安全な階層だと相当に弱いモンスターしかいないらしい。だからこそ冒険者になったばかりの者であっても、ある程度の安全が確保出来るらしい。……逆に言えば、それを目当てにして来ている冒険者の数も相当数いる。純粋に冒険者の質で考えれば、辺境にあるギルムと比べると圧倒的に劣っていると言われている。例えば同ランク同士の冒険者同士で模擬戦でもやれば、勝つのはほぼ間違い無くギルムの冒険者だろう」

「……なるほど」


 エレーナの言葉に頷くレイ。

 尚、ある意味で仲睦まじくしているレイとエレーナだったが、馬車の外では周囲に他の馬車や旅人は全く存在していなかった。

 ウォーホース自体の迫力も勿論だが、やはり最大の原因はグリフォンであるセトだろう。

 大人しく馬車の隣を歩いているセトだったが、それでも自分を見て脅えた表情をされるのは寂しいらしく、しょんぼりとした雰囲気を発しながら馬車と共に街道を歩き続ける。

 その様子は、盗賊と戦った時に30人近くもの盗賊を一方的に蹴散らしたモンスターとはとても思えないものだった。

 ギルムの数倍はあろうかという人口を誇る迷宮都市のエグジルである以上、当然そこに出入りする商人や冒険者、あるいは移住を希望する者も多い。だが、それらを目的としている者達も、当然の如くセトから距離を取っているのだ。


「グルルゥ」


 寂しそうに喉を鳴らすセト。

 そんなセトの声に気が付いた訳でも無いだろうが、レイはエレーナとの話を一旦中断して窓を開けてセトへと声を掛ける。


「セト、迷宮都市……エグジルまでもう少しだから頑張ってくれ。何、セトの性格を知れば、きっとギルムの住民と同じく皆怖がらないで可愛がってくれるさ」

「グルゥ」


 レイの言葉に、セトは多少元気を取り戻して喉を鳴らす。

 そのままレイ達の乗っている馬車は、周囲の馬車から距離を開けられながらも街道を進み続け、30分程でようやく目的地であったエグジルへと到着した。

 正門には街へ入る手続きをしている者と、その順番待ちの列が出来ている。


「お嬢様、どうしますか? 貴族としての特権を使えば優先的に手続きを受けることが出来ますが」

「そう……だな」


 どうするかを考えながら、窓から周囲の様子を見る。

 かなりの人数が手続きの順番待ちとして並んでいるというのに、エレーナやレイの乗っている馬車の周囲には一切他の馬車の姿は見えない。

 理由は言うまでも無く、馬車の近くにいるセトだ。

 周囲から畏怖や恐怖、恐れ。そしてほんの少しの好奇の視線で眺められているセト。

 好奇の視線の理由としては、少し前に馬車から飛び出してセトの背に着地したイエロの存在があるだろう。

 イエロは馬車の中にあるソファの上で眠ったり、あるいは遊んでいたりしたのだが、友達であるセトが周囲の馬車から恐れられている視線を向けられているのに気が付いたのか、友達を慰める為に馬車を飛び出したのだ。

 その様子を眺め、数秒。やがて決めたのかエレーナはツーファルへと声を掛ける。


「このままここにいては周囲の者達が脅えるだけだ。それなら、少しでも早く街の中に入ってセトに従魔の首飾りを掛けてやった方がいいだろう。グリフォンである以上怖がられるのはしょうがないが、少なくても従魔の首飾りが掛けられていれば今より怖がられることはないだろうしな」


 本来であれば、エレーナとしても貴族の特権を使うのはあまり好きではない。いや、任務として必要であるのなら使うのに躊躇するようなことは無いが、今回はあくまでも個人の用事、プライベートなのだ。それ故に公爵家の肩書きを使うのは本意ではなかったのだが、今のこの状況を考えるとさっさとエグジルの中に入ってしまった方がいいと判断する。


「悪いな、助かる」


 レイとしても、それが分かっているが故に短く感謝の言葉を口に出す。


「気にする必要は無い。このままだと、下手をすれば混乱で色々と不味い事態が起きていたかもしれないからな」


 自分達の馬車をさり気なく観察しており、何かがあればすぐにでも行動を起こそうとしている警備兵へとツーファルが声を掛け、身分証の類を見せる。

 それを見せられた警備兵達は殆どが胡乱そうな眼差しを向けていたのだが、その中でも数人が表情を強張らせて自分達の隊長の下へと走って行く。

 そして数分と経たずに40代程の男がやって来て、セトを気にしながらも数分程のやり取りの後で馬車の扉がノックされた。


「失礼します、お嬢様、レイ様。この場の責任者でもあるバレート様がレイ様のギルドカードを見せて欲しいと」

「ああ、分かった。レイ」


 エレーナの言葉に頷き、扉を開けて表へと出るレイ。

 警備隊の分隊長でしかないバレートにしてみればケレベル公爵家と揉めるような事が出来る筈も無いので、エレーナを街の中に無条件で入れるのはある意味でしょうが無いと判断した。……勿論姫将軍として名高いエレーナ・ケレベルがやってきたのを思えば、上司に報告しない訳にはいかないだろうが。

 そして、御者の男と会話をしてケレベル公爵家に所属しない者が馬車の中に乗っていると聞き、それを知った以上は職業業務上身分を確認しない訳にもいかなかった。

 姫将軍と共にいて、グリフォンを従えている者。エグジルに所属する冒険者とそれなりに仲がいいバレートは、それだけで半ば冒険者の身元を予想出来ていた。

 ……だからこそ馬車の扉が開き、そこから現れた冒険者の姿を見て驚きに目を大きく見開くことになる。


 曰く、グリフォンを従えている者。

 曰く、その炎の魔法はベスティア帝国軍の先陣部隊を燃やし尽くしてたった1人で莫大な被害を与えた。

 曰く、巨大な鎌を持っており、文字通り死神の如く容易に敵の命を刈り取る。

 曰く、その膂力は人とは思えない程である。

 曰く、その炎の魔法と圧倒的な戦闘力から付けられた異名が深紅。


 ベスティア帝国との戦争から戻って来た冒険者から聞かされた、そんな幾つもの話。

 最初は冗談だろうと、誇張された噂だろうと聞き流していたのだが、実際にその目で見た者が多く存在していて異口同音に言われては信じない訳にもいかなかった。

 その異名持ちがどんな人物かと思っていたら、馬車の中から姿を現したのが10代半ばの少年だったのだから呆気に取られるのも無理は無いだろう。


「えー……あー……ああ、その、悪いがギルドカードを見せて貰えるか?」

「分かった、これだ」


 何とか我に返った男に差し出したギルドカード。そこに示されている内容を見て、バレートは再び目を見開くことになる。

 そこに表記されているランクがBだったのだから。


「ランク、B!?」


 小さく、しかし確実に周囲に響いたその声が周囲にいた警備兵に驚愕をもたらす。

 いや、この驚愕はバレートと比べても尚大きかっただろう。何しろ、バレートは見かけから疑ってはいたが、それでもレイが深紅の異名を持つ冒険者である可能性を理解していたからだ。

 それを知らない一般の警備兵達は、揃って驚愕の視線をレイへと向ける。

 そんな視線を受けながらも、既に慣れたとばかりにバレートが恐る恐る返してきたギルドカードを受け取るレイ。


「これで構わないか?」

「あ、ああ。通っても構わない」

「……その前に、従魔の首飾りを頼む」

「そ、そうだな。おい、従魔の首飾りを」

「はい!」


 我に返ったバレートが部下に声を掛け、その部下はレイへと従魔の首飾りを渡す。

 従魔の首飾りを首に掛けられたセトは、喉を鳴らしながらレイへと顔を擦りつけた。

 その様子を見てバレートは、セトの背に乗っている小さな竜に気が付く。


「……竜?」

「ああ、それはお嬢様の使い魔ですな。イエロの分も一応従魔の首飾りをお願いします」


 ケレベル公爵領にいる時はともかく、ここは迷宮都市なのだ。そうなれば当然使い魔に対しても従魔の首飾りが必要になる。

 ツーファルの言葉に、小型の従魔用――猫や鳥――の従魔の首飾りを用意してツーファルへと手渡す。

 これで全ての手続きが終わったと判断したツーファルは、バレートへと向かって尋ねる。


「では、もう中に入ってもよろしいですか?」

「構わない。ただし、貴族としての特権を使用した以上は上の者に知らせることになるが……」

「問題ありません。特に後ろ暗いところがある訳ではありませんので。では、失礼します。お手数をお掛けしました」


 優雅に一礼し、御者席へと戻るツーファル。

 レイもまた、セトの頭を撫で、ついでにイエロの背中を撫でてから馬車の中に戻る。

 そして順番待ちをしていた列から離れ、レイ達はエグジルの中へと入っていくのだった。


「……警備隊の分隊長になってから随分と経つが……ここまで驚いたのは久しぶりだな」


 呆然と呟くバレートに、レイに従魔の首飾りを渡した警備兵が苦笑を浮かべながら同意する。


「狂獣の件以来ですか?」

「あの時と違って死人が出てないんだから、随分マシだと思うけどな。……さて、とにかく騒動の種は去った。俺は上に今の件を報告してくるから、お前達は仕事に戻れ」

「了解しました」


 急いで列の先頭に戻る部下を見ながら、バレートは溜息を吐く。


「余計な騒動が起きなきゃいいんだけど……」


 何となく無駄だろうな、と思いつつ呟きながら。






「……これは、確かに前に調べた通りだな……」


 馬車の窓から外の様子を眺めつつ、頷くレイ。

 その視線の向いている先はエグジルを覆う防壁だ。

 ……ただし、その防壁は外の敵を防ぐ為の防壁ではなく、どちらかと言えばエグジルの中へと脅威を閉じ込めるような、そんな作りになっている。

 それも当然だろう。事実、この防壁は何か不慮の事態があってダンジョンからモンスターが溢れてきた時、エグジルの外へとモンスターを出さない為に用意された防壁……あるいは一種の檻なのだから。

 そもそも、このエグジルという迷宮都市はギルムのように辺境にある訳ではない。

 勿論、ゴブリンのようなどこにでもいるモンスターは存在しているし、たまにはオークのようなモンスターも姿を現すこともある。そして辺境では無いが故に、盗賊の数は多い。

 だが、それでもやはり迷宮都市でもあるエグジルの中で最大の脅威といえばダンジョンにいるモンスターなのだ。

 地下に潜っていくタイプのダンジョンであり、上の階層にはそれ程強力なモンスターは存在しないが、過去には下層でランクAモンスターが姿を現したこともあったという。もしそのような強力極まりないモンスターがダンジョンの外に出てきた時、街の外に災厄ともいえる強さを持つモンスターを解き放たせない為の防壁だった。

 ギルムで事前に調べたり聞いたりはしていたが、実際にレイが自分の目で見るとかなりの衝撃を受ける。

 馬車の窓から半ば唖然とした表情を浮かべながら外を眺めていたレイに、エレーナは小さく笑みを浮かべる。

 普段からドラゴンローブのフードを被っているというのもあるのだが、レイ自身が驚きの表情をするというのが中々無い出来事だったからだ。


(レイの驚きの顔を直接見ることが出来たと考えると、結構幸運だったな)


 内心でそんな風に考えながらも、それを表情に出さないようにしてエレーナは口を開く。


「この迷宮都市エグジルは半ば自治都市に近い扱いとなっているのは知ってるな?」

「ああ。俺がギルムで集めた情報によると、一応貴族が治めているということになってはいるが……それは殆ど名目だけらしいな」

「そうだ。本来なら国がそのようなことを認める筈も無いのだが、迷宮都市というのは色々と事情があってな。このエグジルだけではない。ミレアーナ王国内にある幾つかの迷宮都市に関しても、基本的には自治都市に近い扱いとなっている。……もっとも国に税金は納めているし、ベスティア帝国との戦争の時のように、いざとなれば戦力を送ったりもしてくるがな。そして、迷宮都市エグジルを実質的に治めているのが4つ……いや、今は既に3つの家になる」


 馬車が表通りを進む中、エレーナの説明が続くのだった。

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