第375話

 1台の馬車が街道を進んでいる。

 その馬車を引っ張っているのは通常の馬と比べて2周りは身体の大きなウォーホース2頭であり、馬車を引く速度も通常の馬とは比べものにならない程速かった。

 更には、そんな馬車の横をグリフォンであるセトが併んで歩きながら周囲の様子を確認している。

 そんな様子を見ながら初老の御者でもあるツーファルはウォーホースが疲れ過ぎず、かと言って移動速度を落とさないように上手くコントロールしていた。

 同時にセトもまた気配を隠さずに周囲を警戒しているので、余程頭の悪いモンスターや盗賊以外に襲撃される心配は無かった。

 ウォーホースにしてもこれまで何度となく行動を共にしたセトが相手なので、多少の緊張はあれど恐怖に暴れるようなことは無い。

 この辺り、ウォーホースとしての生まれやその後の環境も影響しているのだろう。


「ふむ、そろそろ日が暮れそうですな」


 沈みつつある夕日を眺め、ツーファルが呟く。

 そもそも村を出発したのが夕日が出ている時間帯だったのだ。出発してから1時間程しか経っていないにも関わらず、そろそろ野営の準備を始めた方がいい頃合いだった。

 もっとも、出発して1時間程度とは言ってもマジックアイテムでもある馬車であり、それを引っ張っているのはケレベル公爵領の中でも上から数えた方が早い程に優秀なウォーホースだ。ウォーホースの体調や街道の状態、天気といった様々な要素が関わってくるが、その速度は通常の商人が使うような馬車の3倍から5倍程度の速度は出せる。また、エレーナもそれを知っているからこそ夕方に近かったにも関わらず村からの出立を決めたのだ。

 それでも、さすがに明かりの類が無いまま夜を徹して街道を進むというのは難しかった。

 勿論早馬のような伝令が必要な時は、月明かりや星明かりを頼りにして街道を進むのはそう珍しくもない。だが今回の迷宮都市への移動に関しては、夜を徹して移動する程の必要性は無いのでそこまで無理をする必要は無い。

 馬の疲れに関してはマジックアイテムの馬車の効果でかなり軽減できるが、それでも完全に疲れを無くすることは不可能なのだから。

 それらのことを考え、ツーファルは馬車の中へと声を掛ける。


「お嬢様、そろそろ野営の準備をしたいと思いますが」

「そうだな、大分日も暮れてきた。この馬車やレイのマジックテントがあれば明かりには困らないだろうが、確かに野営の準備に取り掛かった方がいいだろうな。ツーファル、どこか野営に丁度いい場所を見つけたら馬車を止めてくれ」


 中からそんな風に告げるエレーナだったが……馬車の中では多少酷いことになっていた。

 そもそもエレーナの立場はあくまでも公爵令嬢であり、同時に姫将軍という異名を持つ武人だ。当然ながら料理やお茶を淹れるということは殆どやったことがない。つまり……


「ほら、俺が代わるよ」

「だが……いや、すまん」


 無念そうに溜息を吐き、持っていたお茶を淹れる為の器具をレイに渡すエレーナ。

 せめてもの救いと言えば、その無念そうな表情を浮かべたエレーナの表情はいつもと違った美しさを持っていたということだろうか。

 そんな風に考えつつ、レイは受け取った器具でお茶を淹れていく。

 レイにとっても鍋で沸騰したお湯で適当にお茶を淹れるのはともかく、専用の器具でお茶を淹れるというのは殆ど初めての経験だ。だが、それでもこれまで食堂で何度か見ているし、日本にいた頃に緑茶を淹れた経験はある。それを思えば、同じ飲む専門でもエレーナよりはまだマシだった。

 ……もっとも、それはあくまでもエレーナに比べればマシというだけであって、決して美味いといえるものではなかったのだが。


「うん、美味いぞ」


 だが、そんなお茶をエレーナは小さく笑みを浮かべながら口へと運ぶ。

 いつもは凛とした雰囲気を放っているエレーナだが、嬉しそうに笑みを浮かべるその様子は姫将軍と言うよりも年頃の娘でしかなかった。

 そんなエレーナの様子に、微かに頬を赤く染めながらもレイは視線を逸らして照れ隠しに口を開く。


「いつもアーラの淹れているお茶を飲んでいるんだから、美味い筈が無いだろ。お世辞は言わなくてもいいぞ」

「確かにいつも淹れてくれるアーラのお茶は美味いが、それでもこれはレイが私の為にわざわざ淹れてくれたお茶だろう? そんなお茶が美味しくない筈がない」

「……そうか」


 そんなエレーナの言葉に、レイは短くそれだけを返す。

 エレーナもまた、自分が口にした言葉の内容に気が付いたのだろう。頬を薄らと赤く染めて落ち着かないようにレイから視線を逸らす。

 もしこの場に第3者がいれば、あまりの空間に身もだえしたくなるような空気の中……まるでそれを助けるかのように、2人は馬車の速度が落ちていくのに気が付く。

 空間魔法により馬車の内部がかなり広く空間を拡張されていても馬車の動きをきちんと感じることが出来るのは、マジックアイテムであるが故だろう。


「お嬢様、レイ様、街道の脇に林があります。あそこで夜を過ごしてはどうでしょう?」

「そうだな、それがいいだろう。任せる」

「はい、かしこまりました」


 ツーファルの言葉にエレーナが返事をしたことにより、ようやく馬車の中に広がっていた何とも言えない雰囲気は払拭されることになる。

 その後は馬車を林の近くに止め、夕食の準備が開始された。

 とは言っても、レイのミスティリングの中に入っている料理を出し、後は折角だからと酒場の店主に貰ったソーセージを焚き火で炙っただけだったが。


「これは、さすがに美味いな。自慢するだけのことはある」


 軽く焦げ目の付いたソーセージを一口食べ、感心したように呟くエレーナ。

 レイとツーファルもまた同様、ソーセージを一口食べて感心したような表情を浮かべていた。

 特にレイの表情は変化が大きい。何故なら、レイは朝食にも店主の男に出されたソーセージを食べていたからだ。だが、外見は同じソーセージに見えても、その味は全く違っていた。


(これは……なるほど。あの男のせめてもの心づくし、か)


 恐らくは作ったソーセージの中でも極上品を渡したのだろう。かつての自分達の上司に少しでも快適な旅をして貰おうと思って。

 酒場の店主の、ある意味で不器用な優しさに笑みを浮かべたレイは、その心づくしのソーセージを味わって食べる。

 その後も焼きたてのパンに切れ目を入れて挟んで作った簡易のホットドッグにして、長時間煮込んだスープやエモシオンで購入した魚を塩焼きにして野営の食事とは思え無い程に豪華な食事を済ませるのだった。


「いや、レイ様がアイテムボックスをお持ちだったのは驚きですが、野営でこれ程豪華な食事が出来ると言うのも驚きですな」


 感心したように告げるツーファルだったが、レイはまだその驚きを終わらせるつもりは無い。

 ミスティリングから取り出した流水の短剣を使い、隣でレイが炎の魔法を使って表面だけを焼いて中は半分程生になるように調理したバイコーンのブロック肉を食べているセトの分と併せて、3つのコップと1つの鍋に水を入れてそれぞれに手渡していく。

 そして……


「水が……これ程美味いとは……」


 エレーナはソーセージを食べた時に劣らずに驚愕を口にし、ツーファルにいたっては言葉も出ない程の驚愕を表情に表していた。

 そんな2人を見ながら、レイも自分のコップを口へと運ぶ。

 さすがに幾度も飲んでいると、幾ら美味い水でも慣れは出て来る。それ故2人程に驚愕を表情には出さないが、それでもやはり美味いものは美味いのだろう。レイも満足そうな表情を浮かべている。

 セトもまた、バイコーンの肉を食いきった後は鍋にクチバシを突っ込んで天上の甘露とでも呼ぶべき水を美味そうに飲み干していた。

 やがて衝撃的ともいえる水の美味しさから復帰したエレーナとツーファルの2人に水が何なのかと聞かれ、マジックアイテムで生み出した水であると説明した後は、奇妙に納得の表情を浮かべながらベスティア戦争後のお互いのことを話し合う。


「エモシオンを封鎖したと言われているレムレースを倒したのはレイだったのか。……いや、レイの実力を考えれば不思議なことではないか。私も以前エモシオンで雷神の斧と共にクラーケンと戦ったことがあったが……」

「ああ、そう言えば初めて会った時に言ってたな」

「うむ。あの時はクラーケンが港まで上がってきたのでどうにかなったのだがな。噂ではレムレースは海底にいたままで決して水上には出てこなかったとか。どうやって倒したのだ?」


 エレーナの言葉に、チラリと周囲を見回す。

 少し前までは共にレイの話を聞いていたツーファルだったが、今は馬車の中でエレーナが寝る為の準備を整えるべくこの場にはいない。

 ここにいるのはレイとエレーナ、そしてレイのソファ代わりになっているセトとその背でぐっすりと眠っているイエロの2人と2匹のみだ。そしてエレーナは自分とセトの真実を知っている数少ない人物であり、信頼に値する。それ故に、レイはレムレースをどうやって地上に引き寄せたのかを口にする。


「ダンジョンで会ったグリムを覚えているか?」

「グリム? それは確かリッチの名前だったと思うが」

「そうだ。で、ダンジョンから脱出する時に見たように、俺は都合良くグリムと連絡を取る手段を持っている。そしてグリムはダンジョンから脱出する時に体験したように空間魔法を使える訳だ。つまり……」


 そこまで言えば、エレーナにも理解出来たのだろう。納得したように頷く。


「なるほど。確かにあれ程のリッチであれば噂に聞くレムレース程のモンスターを強制的に空間転移させるのも可能な訳か」

「そうなるな。で、地上に出た以上は誰でも攻撃が出来るから、後は臨時でパーティを組んだ相手と一緒になって倒した。……さすがに体長30mもあるとは思わなかったけどな」

「うむ、その辺の話も聞いている。何でも、ランクB以上は確実にあるがランクAには届かない……というところだそうだな。今でもギルドではランクをどうするかで議論をしていると聞く」


 まだ決まってなかったのか……そう思いつつ、ミスティリングからギルドカードを取り出すレイ。


「で、春の戦争とレムレースの討伐の功績が認められてランクアップ試験に挑戦、無事ランクBに昇格した訳だ」

「……戦闘力はともかく、よく礼儀に関して合格を貰えたな」

「そっちは正直微妙な感じでな。もし貴族から依頼を受けることになって、向こうがその辺を気にするようならギルドから補佐役を送るそうだ」


 そんなレイの説明に、思わずエレーナは苦笑を浮かべる。

 エレーナ自身はレイの言葉使いを気にしないが、プライドだけが高い貴族というのはどこにでもいる。それを思えばギルドの判断は正しかったのだろうと。何しろ、戦力だけを考えるとランクAでもおかしくない程の実力を持っているのだから。

 そう思っていたエレーナだからこそ、次の瞬間にレイの口から出た言葉に驚くことになる。


「そう言えば、ランクアップ試験の前に面白い貴族と友達になったぞ」

「友達? 私が言うのも何だが、また珍しい貴族もいたものだな」


 この時点で、驚いたとはいってもレイの口から出た友達の貴族というのはあくまでも男だと思っていた。だが、その友達になったという貴族の名前を聞いて、再度驚きの表情を浮かべることになる。


「マルカ・クエントっていう、まだ10歳にもならない子供だよ。クエント公爵家の跡継ぎだって話だけど、知ってるか?」

「マルカ・クエントだと? 勿論知っている。まだ幼いながらも高い魔法の素養を持っているらしいな。その、なんだ。武の面で私が有名だが、マルカ嬢は魔法の才能と利発さで有名だな。幾つもの属性の魔法を使いこなし、将来的には大魔法使いになるのではと言われている。それに……クエント公爵家はこのミレアーナ王国の中でも最大派閥である国王派の重要人物だしな。客観的な立場で見るのなら、私の父上やダスカー殿よりも上の地位にいると言ってもいいだろう」

「ふーん、どうやら俺が予想していたよりもかなり大物だったみたいだな。本人は無邪気な性格で、セトがお気に入りの子供にしか見えなかったけど」


 呟き、自分の背中の上で眠っているイエロを起こさないようにそっと顔を向けてくるセトの顔を撫でながら、マルカがセトにじゃれついている様子を思い出すレイ。

 傍から見れば、ごく普通の子供にしか見えなかった。それこそ、ギルムでセトにじゃれついてくる住民の子供の姿とそう変わりは無いように思えたのだ。


「ふふっ、マルカ嬢は知る人ぞ知るといったところだが、レイのように思う者は少ないだろうな」


 貴族を貴族とも思わない。それだけを聞けば貴族派の象徴としてのエレーナにしてみれば決して許せないような出来事だが、恋する乙女の特権と言うべきか、そんなレイの態度はエレーナにとって掛け替えのないものに思えるのだった。

 こうして、2人の夜は就寝の用意が整ったとツーファルが馬車から出て来るまでゆっくりと過ぎていく。

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