第376話

 街道を進んでいたレイ達。数日の旅を経て、エレーナはツーファルからの助言を貰いお茶を淹れられるようになっていた。

 今日も今日とて、馬車の中ではレイの為にとお茶を用意したエレーナがソファで寛いでいるレイへとお茶の入ったカップを差し出す。


「レイ、今日のお茶はそれなりに頑張ってみたから試してみてくれ」


 呟きながらも金色の髪に覆われた顔が薄らと赤く染まっているのは、このやり取りで恋人同士というよりも一瞬だが夫婦という単語がエレーナの脳裏を過ぎったからか。

 勿論エレーナにしても、自分が貴族の……それも、貴族派の中心人物であるケレベル公爵家の1人娘であることは忘れていない。いずれはレイとの関係ももっとしっかりと考えなければいけなくなるのだろうが、今だけは……と苦い思いを心の底に沈める。

 もっとも、ケレベル公爵本人は愛する娘であるエレーナがレイとくっつくのは反対どころか諸手を挙げて賛成していた。レイの実力を考えれば、貴族派に引き込みたいと考えるのはある種当然であったのだから。

 レイが何の能力も無い平民であったのなら、ケレベル公爵にしても絶対に愛娘の恋を応援できなかっただろう。だが、この世界はレイが元いた世界と違って、戦いにおいて質が量を覆す。それだけにレイという存在は、ケレベル公爵にとって愛娘の恋を応援できるという意味でもこれ以上ない人材だった。

 だがエレーナ本人はそれを知らされていない為、どうやってレイとの関係を父親に認めさせるかといったことで日々悩まされる日々を送っている。


「お茶か、じゃあお茶菓子としてクッキーでも……」


 読んでいたモンスター辞典を閉じてミスティリングからお茶菓子を取り出そうとした、その時……


「お嬢様、レイ様、街道の前方でどこかの商隊が盗賊に追われているようです!」


 御者台にいるツーファルが、馬車の中にいた2人へと声を掛けてくる。

 その言葉を聞いたエレーナの行動は早かった。

 既にケレベル公爵領を出ているとは言っても、まだ近隣と言ってもいい位置であり、この地を治めるのも貴族派の貴族だ。それが無くても、エレーナの性格上盗賊に襲われている人物を見捨てるような真似は出来なかった。


「ツーファル、その商隊はどちらに逃げている?」

「こちらに向かって来ております」

「盗賊の人数は?」

「20人はいないかと。ただし全員馬に乗っています」

「分かった。すぐに援護に向かえ。その程度の人数なら特に問題無いだろう。レイ、お前はどうする?」

「勿論出るさ。俺にとっても盗賊はいいお客さんだからな」


 素早くツーファルへと指示を出しながら尋ねてくるエレーナに、レイは口元に笑みを浮かべて答える。

 レイにとって盗賊とは、ある意味でカモともいえる存在だったからだ。

 盗賊の貯め込んでいるお宝は基本的に討伐した冒険者の物になるし、周辺の住民にしても盗賊に襲われる心配は無くなる。

 レイは面倒くさがってやらないが、盗賊を捕らえて奴隷として売り払うというのも普通の冒険者には良い稼ぎになるだろう。

 もっとも、それは少人数で盗賊を討伐出来る実力があってこそ可能なことだ。盗賊の中にはレイが以前戦い、今はダスカーの配下として活動している草原の狼のように腕の立つ者もいるし、あるいは100人を超える数の盗賊が存在する盗賊団というのも、珍しいが決していない訳では無い。


「はぁ、全く……いや、ここの盗賊を倒してくれるというのなら、私としては文句など無いがな」


 レイの考えを半ばまで悟ったのだろう。エレーナは溜息を吐きながらもしょうがない奴だとばかりに苦笑を浮かべ、自らの相棒でもある連接剣をいつでも抜けるようにして戦闘準備を整える。

 この辺は惚れた弱みというものなのだろうと考えつつ。

 凛々しい表情を浮かべるエレーナに一瞬見惚れそうになったレイだったが、すぐに小さく首を振って馬車の外へと声を掛ける。


「セト、お前は馬車の後ろを進んでくれ。さすがに盗賊がセトの姿を見たら一目散に逃げ出しかねないしな。で、俺達と盗賊が戦闘になったらすぐに向こうの背後に回り込んでくれ。挟み撃ちだ」

「グルゥッ!」


 レイの呼び掛けに、任せろ! と喉を鳴らすセト。

 簡単ではあるが、挟み撃ちを行うと打ち合わせが完了した、その時……


「エレーナ様、レイ様、そろそろ馬車と擦れ違いになりますので、戦闘の準備をお願いします」


 街道の脇に馬車を止めたツーファルが声を掛けると同時に、数台の馬車で作られた商隊がどんどんと距離を縮めて来る。

 商隊の最後尾の馬車には護衛が乗っているのだろう。必死に矢を放って盗賊を狙ってはいるが、盗賊も負けてはいない。木で出来た簡単な盾で矢を防ぎながら馬車との距離を縮めていく。

 勿論木の盾で守れるのは盗賊だけであり、馬は守れない。実際、数頭の馬は矢を受け、背に乗せている盗賊諸共地面へと倒れ込んでいる。

 それでも、10頭以上の馬が走りながら商隊へと狙いを定めていた。


「どうやら思ったよりも大所帯の盗賊らしいな」


 馬車の中から一連のやり取りを眺めていたレイが呟くと、エレーナもまた同様に頷く。


「確かに馬をあれ程の数用意出来ると考えると、盗賊の数もあの者達が全てではあるまい。恐らく馬に乗っている者達で商隊の動きを止め、そこに後続から歩兵が追いついてくるのだろう。だからこそ、あの商隊も必死になって逃げに掛かっているのだろうな」


 エレーナとレイが、ある意味で暢気に会話をしている間にも盗賊に追われている商隊の馬車は急速に近付いてくる。


「逃げろ、盗賊だ! お前達もそこにいれば巻き込まれるぞ!」


 先頭の馬車を操っている御者が大声で叫ぶ。

 その叫びを聞きつつ、扉を開けていたレイとエレーナは思わず感心した表情でそれぞれ小さく驚く。

 自分達が助かるだけなら、街道で擦れ違ったような相手にわざわざ声を掛けたりしないからだ。いや、寧ろ背後から追って来る盗賊を押しつける格好の相手と判断する者もいるだろう。だが、商隊の御者はそんな真似をせずにわざわざ声を掛けて来たのだ。


「レイ」

「ああ、分かっている」


 その行為に好感を持ったエレーナの言葉に、レイもまた頷く。


「おいっ! 盗賊だ盗賊! とにかく逃げろ!」


 御者が再び大きく叫ぶが、レイは逆にそんな御者へと叫び返す。


「盗賊は俺達に任せろ! お前達はこのまま駆け抜けていけ!」

「相手は多い! ……ええいっ、くそっ! もう間に合わねえ! いいか、危なくなったらすぐに逃げろよ!」


 喋っている間にも急速に商隊の馬車は近付いていき、今からレイ達が馬車を動かしても盗賊達からは逃げられないと判断したのだろう。横を通り抜け様に大きく叫びながら擦れ違い、去って行く。

 そのまま1台、2台と馬車が通り過ぎ、やがて最後尾の馬車がレイ達の目の前を通り過ぎる。

 馬車のすぐ後ろまで迫っていた盗賊だったが、街道の脇に止まっている馬車を見て思わず視線を向け、同時に腰の鞘からいつでも連接剣を抜けるように構えているエレーナへと目を止める。

 その反応は強烈だった。本来であれば馬車が1台しかないレイ達と商品を大量に持っている商隊の馬車、どちらを襲った方が利益が出るのかは明確だっただろう。だが、エレーナの美貌はそれを見た盗賊の損得勘定を容易に覆す。


「止まれ、止まれぇぇえぇぇぇえぇっ!」


 盗賊の先頭を走っていた男の声で後に続く者も全てが手綱を引き、馬を止める。勿論すぐに馬が止まれる筈も無く、10m程進んでようやくレイ達の方に振り向くことに成功した。

 その時になると既に盗賊は全員がエレーナの姿を見ており、その美貌に思わず息を呑んで他のものは何も目に入らなくなる。

 ……そう。馬車の後ろから飛び上がり、後ろへと回り込んでいたセトの姿すらも。


「おいおいおいおい、まさかここでこんな上玉に会えるとはな。これ程の女、王都でだって滅多に見ないぜ? それに連れている馬もウォーホースで極上品と来ている。商隊を逃がしたのはちょっと残念だったが、この女とウォーホースが手に入ると考えれば安いものだな」


 獣欲にギラついた目でエレーナへと視線を向ける男。これまで幾度となく男に言い寄られてきたエレーナは、その視線が何を意味しているのかを知っている。それ故、不快そうに眉を顰めて口を開く。


「残念だが、私は貴様等のような盗賊如きを相手にする程酔狂ではない。大人しく投降するのなら怪我をさせずに済むが?」

「はっはっは、馬鹿を言うなよ。この人数差を理解しているのか? しかも、こっちにはまだ仲間が嫌って程いるんだぜ? それこそ、姉ちゃんが大人しく捕まるってんなら痛い目に遭わせなくてすむぞ」

「へへっ、お頭。あれだけの女、俺達にも回して下さいよ?」


 先頭の男に、別の男が声を掛ける。

 その会話を聞き、不愉快な思いを抱きながらもエレーナは自分に声を掛けて来た男が盗賊の頭なのだと理解する。


「レイ、奴等を1人たりとも逃がすなよ」

「分かってる……よっ!」


 エレーナの言葉が切っ掛けだった。先制の1撃とばかりにミスティリングから取り出した槍を投擲するレイ。

 人外の膂力により放たれた槍は空気を斬り裂きながら鋭く飛び、頭と呼ばれた男の頭部を爆散させる。


「……え? あれ?」


 先程自分達にもエレーナを回して欲しいと言っていた男は、頭目のすぐ側にいたが故に顔中に肉片や骨片、あるいは血、脳みそといった部位がへばり付く。

 何が起きたのかを理解していないようにそっと顔を撫で、その手が真っ赤に染まっているのを見て思わず声を上げそうになり……


「げふっ!」


 その瞬間、エレーナの手により抜き放たれた連接剣が鞭状になって男の首筋をその刃で斬り裂く。

 男が上げたのは、悲鳴ではなく血飛沫。喉を斬り裂かれたおかげで周辺へと派手に吹き上げる血に、思わず傷口を押さえようとした男は、次の瞬間頭部に連接剣の切っ先が突き刺さって呆気なく命の灯火を消す。


「うっ、うわああぁぁっ、化け物だぁっ!」


 レイもエレーナも気が付いていなかったが、たった今死んだ男は盗賊の副頭目だった。トップの2人が問答無用で死んだ為、残っていた盗賊は一種の混乱状態に陥る。

 自分達を率いている頭目と副頭目をあっさりと殺した2人。まともに戦って勝ち目はあるのか?

 そんな風に考えるが、即座に頭の中で却下する。

 勝ち目が無いのなら逃げればいいのだが、今の様子を見る限りでは逃がしてくれるとは思えない。それに頭目と副頭目の2人が死んだ以上、ここにいる誰かが後を継ぐことになるだろうという打算も脳裏を過ぎる。

 そしてすぐに逃げ出さない最大の理由は、やはりエレーナの存在だった。この場にいる全ての盗賊がこれまで生きてきた人生の中で見たことも無い程の美貌。これだけの女を見逃すのは絶対に出来なかった。

 色香に迷い、更にはレイとエレーナの実力を感じ取る程の力量が無かったのも災いしたと言っていいだろう。もっとも、もしこの場で逃げ出そうとしていても……


「グルルゥッ!」


 背後に回り込んだセトがそんな真似は決してさせなかっただろうが。


「ひっ、ひぃっ! グ、グ、グ、グリフォンだぁっ!」


 セトの鳴き声に振り向いた盗賊の中でも、元冒険者の肩書きを持っておりある程度モンスターの存在にも詳しかった男が悲鳴を上げる。

 大空の死神とも呼ばれる、ランクAモンスター。実際にその姿を見たことは無くても、姿形は知っていた。

 そして周囲にいた他の盗賊にしても、グリフォンという名前くらいは知っていた。

 先程見たレイとエレーナの戦闘力は、盗賊にとって桁外れの技量であるというのは事実だったが、所詮は同じ人間だという認識がある。だが、グリフォンは違う。生まれて初めてその姿を自分の目で見る、未知の存在。

 その未知の存在に対する恐怖が、エレーナの美貌に目を眩ませて何とかこの場に踏み留まっていた盗賊達の最後の一線を越えさせた。


「に、に、に、逃げろおおおぉぉっ!」


 セトの正体をグリフォンだと見破った元冒険者の男の声が周囲に響き渡ると、それを合図にしたかのようにそれぞれが乗っていた馬をその場から逃げ出そうとして……


「グルルルルルルゥッ!」


 セトのスキルでもある王の威圧により、盗賊の動きが……そして何よりも馬の動きが止まる。

 そうなってしまっては既に男達の抵抗は完全に無意味であり、次から次に連接剣の刃、あるいはレイがミスティリングから取り出したデスサイズの餌食になっていく。

 そして数人のみを残して盗賊が壊滅したところで背後から1台の馬車がやってくる。


「おーいっ、あんたら大丈夫なのか!?」


 恐る恐るといった様子で声を掛けてくるその男は、先程レイ達に逃げろと声を掛けながら擦れ違った御者のものだった。

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