迷宮都市エグジル

第370話

 夏という1年を通して最も暑い季節。それでもまだ初夏と言える時期だけに朝は涼しく、そんな朝の空気の中でレイの姿はギルムの正門前にあった。

 まだ午前6時の鐘が鳴ったばかりということもあり、正門の近くにいる人数はレイと見送りに来ている一行以外はそれ程多くはない。

 それでも既に依頼の関係で街の外に向かったり、あるいは街から出て行く行商人の姿がチラホラとある。

 そんな中、レイ達一行は周辺の者達と比べると非常に目立っていた。

 グリフォンのセトの姿があるだけでも目立つというのに、ギルドの看板受付嬢でもあるレノラとケニー。見た目は完全に悪人顔でしかない鍛冶師のパミドールに、その腕の中で眠そうに目を擦っているクミト。夕暮れの小麦亭からは、朝食の用意や宿の準備が忙しいのかラナのみで夫や息子は来ていない。

 特に珍しいところでは灼熱の風のミレイヌだろうか。レイが迷宮都市に出立するという話をどこから聞きつけたのか見送りにやってきており、セトに抱き付いて別れを惜しんでいた。

 あるいは、もしレイやセトと友誼を結んだマルカがまだギルムにいたら、間違い無くここにいただろう。幸か不幸か、既にマルカは王都へと向かって旅立っていたが。

 そんな中、ケニーが真剣な表情でレイへと向かって口を開く。


「レイ君、迷宮都市に行っても気を付けてね。いい? 女は狼なんだからくれぐれも気を付けるように。……違うわね、女は狼というより狐。そう、女狐! だからくれぐれも気を付けてね」

「はぁ、あんたねぇ……そんなに……いや、やっぱり何でも無いわ」


 そんなに心配なら付いていったら? そう口に出しそうになったレノラだったが、もしそれを告げていたら本気でついて行きかねないと判断したのだろう。最後まで口にすることなく言葉を濁し、レイへと視線を向ける。


「レイさん、ギルムのランクB冒険者として頑張ってきて下さい。迷宮都市だけあってこの辺境で活動するのとは随分違うでしょうが、それでもレイさんの実力があれば困難は打破出来ると信じています。……もっとも、冒険者の方を打破するのは控えめにしてくれるとギルムの者としては助かりますが」


 レノラにしてみれば、ランクBにもなったレイの実力は既に疑うべくもない。それは、ギルムにいる多くの冒険者達にとっても同様だ。

 レイがギルムに来た当初はともかく、今ではレイの実力は知れ渡っており、余程の世間知らずか自信過剰な者でなければレイに絡むようなことはしない。

 尚、レイがギルムに来て最初に絡んだ鷹の爪は、ある意味で勇者的な扱いになっていた。もっとも、本人達はゴブリンの涎というパーティ名が広がっていることに嘆いているが。

 せめてもの救いは、2度に渡ってレイに叩きのめされたバルガスの傲慢な性格がある程度改善し、それなりに自分の実力を弁えるようになったことか。

 だが、それら全てはレイがギルムで有名だからこそだ。レイという存在を知る者が殆どいない迷宮都市に行けば、レイの性格やセトの存在が原因でまず間違い無くトラブルになるだろうというのは、半ばレノラも確信していた。

 もっとも、レイ自身の実力を考えればそのトラブルでどうこうなるとは思っていないのだが。


(それに、迷宮都市にはそれなりにベスティア帝国との戦争で傭兵として雇われた冒険者もいる筈。その人達がレイさんの存在に気が付いて異名持ちであることを広めてくれれば……)


 そうも思うレノラだった。

 また、レノラやケニーを始めとしてレイは誰にも言っていないが、迷宮都市に行くのは何もレイとセトの1人と1匹だけではない。姫将軍として名高いエレーナも共に迷宮都市に向かうのだから、実際にはトラブルを引き寄せることになるのは間違い無いだろう。


「ああ。ギルムの冒険者として、侮られないように頑張ってくるよ」


 レイの言葉に、レノラは思わず溜息を吐く。

 一瞬、迷宮都市のギルド職員に憐憫の情を抱いてしまったのは間違いではないのだろう。

 そんなレノラの横で、ラナが大きめのバスケットをレイへと渡す。


「レイさん、これはお弁当です。多めに作りましたから、悪くならないうちに食べて下さい。……そうは言っても、アイテムボックスを持っているレイさんには心配いりませんね」

「いや、ありがたい。夕暮れの小麦亭の料理は美味いからな。十分に味わって食べさせて貰うよ」

「またギルムに戻って来たら、いつでも宿の方へどうぞ。レイさんなら大歓迎ですから」


 ラナの心遣いに感謝を込めて小さく頭を下げる。

 次に前に出て来たのは、パミドールだ。

 周辺でパミドールのことを全く知らない商人の1人が思わず後退るのを見て、思わず笑みを浮かべるレイ。

 近くにはセトもいるというのに、グリフォンよりもパミドールに驚いているのはセトの存在が周知されたというべきか、あるいはパミドールの顔がそれだけ悪人顔だと言うべきか。


「……セト、またね。レイさんも、ばいばい」


 そんなパミドールの腕の中、眠そうに目を擦りながらも手を振るクミト。


「ああ。冬前には戻って来るから土産を楽しみにしててくれ」

「うん、楽しみにしてる……ね……」


 最後まで言葉に出来ずに、クミトはパミドールの腕の中で眠りに落ちる。

 レイの出発時間の関係上いつもより早起きすることになったのだが、ここまでが限界だったらしい。

 そんな息子を笑みを浮かべながら眺めるパミドール。

 本人としては愛する子供に向かって笑みを浮かべているつもりなのだろうが、傍から見るとどんな風に見えるのかは、周囲にいる他の見送りの者達が思わず数歩後退った事が証明していた。


「じゃ、いつまでもここで見送りを受けていてもしょうがないし、そろそろ行くよ」

「ああ、冬まで元気でな」


 パミドールの悪人面が、それでも親しみを感じさせる笑みを浮かべ。


「レイ君、くれぐれも女狐には気を付けてね。レイ君はとっても魅力的なんだから」


 ケニーが真剣な表情でレイに忠告し。


「レイさん、お気を付けて。ギルド経由ででも、レイさんの活躍が聞こえて来るのを楽しみにしています」


 レノラがいつものように生真面目そうな表情でそう告げ。


「いってらっしゃい。またギルムに来たら、うちの宿を贔屓にして下さいね」


 ラナが励ますように笑みを浮かべ。


「セトちゃん、セトちゃん、セトちゃん……あーん、セトちゃんと冬まで会えないなんて寂しすぎるよ。こうなったら、私も一緒に迷宮都市に行こうかな」


 セトに抱き付いたまま、ミレイヌが名残惜しげにシルクの如き毛並の背を撫でる。


「グルゥ」


 そんなミレイヌにそっと頬を擦りつけてから離れるセト。


「無茶を言うな、無茶を。そもそもセトに2人は乗れないって前にも何度か言ってるだろ」

「何よ、それなら私がレイの代わりに迷宮都市に行くわ。それでいいでしょ?」

「だから無茶を言うなと……」


 思わず溜息を吐いたレイだったが、やがて視界に見覚えのある人物が姿を現して思わず安堵の息を吐く。


「全く、こんなことだろうと思いましたよ。ミレイヌ、レイさんの見送りに行くのはいいとしても、絶対に迷惑を掛けないようにすると約束したでしょう」


 そう言いながら近づいて来た男は、40代程の中年の男だった。手には杖を持ち、ローブを着ている。灼熱の風に所属する魔法使いであり、ある意味ではミレイヌの外付け良心とも言われている魔法使いのスルニンだ。


「レイさん、ご迷惑をお掛けしてしまったようですね」

「気にしないでもいいさ。ミレイヌのセト好きは理解しているつもりだからな」

「すいません、これで引き取っていきますので。……それよりも、迷宮都市というのはこの辺境とはまた違っていると聞きます。どうぞ、気を付けて下さい」

「ああ、その辺の情報は良く聞いてるから多少は慎重に行くつもりだよ」

「ああああああああああ、セトちゃん、元気でね。変な物を食べちゃ駄目だよ」


 レイとスルニンが話している中、まだ離れたくないとばかりにセトに抱き付いているミレイヌだったが、やがて強引に引き離されることになる。


(……魔法使いの割には、結構力あるよな)


 そんな風に思いつつ、見送りの者達へと一瞥して口を開く。


「じゃあ、行ってくる」

「グルルルゥ!」


 レイの声にセトも続いて鳴き、1人と1匹はそのまま正門を出て行く。

 本来であればこの場でセトの背に乗って飛んでいきたいレイだったが、何しろ以前ランガから街の付近でセトに離着陸はしないようにと頼まれている為、しょうがなくだ。


『行ってらっしゃい!』


 背後からのそんな声を聞きつつ、レイとセトは少し離れた場所まで移動し、周囲に人がいないことを確認してからレイは改めてセトの背へと跨がる。


「じゃ、行くか。まず向かうのはアネシス……の手前にある小さな村だったな。確か騎士を引退して酒場を開いている奴がいるから、そっちから連絡を取って欲しいとか何とか」

「グルルゥ?」


 レイの言葉に喉を鳴らすセト。

 アネシスまでの正確な地図は無いが、それでも街道に沿って進みながら情報を集めていけばいずれは到着するだろうとレイは判断する。


(地図があればエモシオンに行った時のように大幅に移動時間を短縮できたんだろうが、さすがにプライベートな内容に地図を貸して欲しいとまでは言えないしな)


 内心で呟き、跨がっているセトの背をそっと撫でる。


「ま、あくまでも待ち合わせは初夏ってくらいだったし……少しくらい遅れてもいいよな?」

「グルルゥ?」


 大丈夫? と自分の背に跨がっているレイの声を聞きながら首を傾げるセト。

 だが、レイとしてはあまり問題には感じていなかった。

 何しろ、セトの翼があるのだ。多少遠回りになったとしても、普通に馬車で街道を進むよりは圧倒的に早く移動出来ると確信していた為だ。


「とは言っても、あまりに遅くなりすぎると連接剣が飛んで来かねないしな。多少は急いだ方がいいか」


 数秒前に言っていた内容をあっさりと変え、飛んでいるセトに少し急ぐように頼むのだった。

 そんなレイの頼みにも、セトは喉を鳴らして翼を羽ばたかせる。

 空を飛んでいる為に速度はそれ程実感出来ないが、地上の景色は見る間に過ぎ去っていく。

 まだ朝も早い時間である為か街道を進んでいる旅人や冒険者といった者達は殆どいない。ギルムからレイより先に出た者達もいたが、そのような人物達はセトが既に追い越している。

 見えるのは、地上に広がる緑の絨毯とその絨毯に一筋の線となって通っている街道。

 たまにゴブリンやファングウルフのようなモンスターが見えることもあるが、セトが数回翼を羽ばたかせるとすぐに視界から消え去っていく。


「……以前よりも速くなっているような気がするな」


 セトの速度に、思わず呟くレイ。

 乗っている方としてはそれ程感覚的に変わらないのだが、地上の景色が過ぎ去っていく速度は間違い無く以前よりも上がっている。


「グルルゥ?」


 そう? と小首を傾げるセトは、自覚が無いのだろう。

 とにもかくにも、こうしてレイはギルムを旅立つ。

 その後は、ギルムの最も近くにあるアブエロを通り過ぎ、そのままサブルスタも通り過ぎる。

 途中でマジックテントを使って一泊し、サブルスタから少し離れたとはいっても盗賊の多い場所らしく夜に襲撃されたのだが、殺気を隠すということも出来ない、数だけを頼った盗賊だった為にレイとセトによりあっさりと返り討ちに。

 その後は当然の権利として盗賊を尋問してアジトの位置を吐かせ、逆にそのアジトを襲撃してお宝を奪うのだった。

 また、ある時は辺境ではないというのにゴブリンに襲われている商隊を発見してそれを助け、次の街までの半日程を臨時の護衛としてその商隊と共に移動。……その途中でこのまま街道を進んでもケレベル公爵領には着かないと知らされて街道を途中で間違ったことを知り、街まで護衛してから慌ててセトと共に来た道を戻ったりもした。

 あるいはケレベル公爵領に向かっている途中の山道で綺麗な湖があるのを発見し、セトと共に水浴びをして夏の暑さをやり過ごしつつ魚を獲っていると数mにも及ぶ体長を持つ巨大なナマズに襲撃され、水中という戦場に苦戦しつつも何とか倒すことには成功するが、魔石を期待して解体してみたらモンスターではなく普通の魚、いわゆる湖の主であることが判明してがっかりする。

 だが、非常に綺麗な湖だったのでナマズは泥臭さが殆ど無く、塩を使ってぬめりをとった後は串焼きやスープにして非常に美味しく食べたりもしていた。

 そんなこんなで、色々と寄り道をしたり道に迷いながらもケレベル公爵領にある目的の村へと到着したのは、レイとセトがギルムを旅立ってから2週間程経ってからのことだった。

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