第369話

 領主の館で開かれたガーデンパーティから数日。幸いあの日以来は特に貴族の催し物に誘われることもなく、レイは迷宮都市へと向かう為に出立の準備を進めていた。


「パミドール、安い槍はもう無いのか?」


 レイのそんな問い掛けに、見るからに悪人面なスキンヘッドの男は溜息を吐いて口を開く。


「あのな。客としてくるのは嬉しいが、安い槍ばかり欲しがってもある訳がないだろ。ここは鍛冶屋だぞ? そういうのが欲しいなら、まず俺のところみたいな鍛冶屋じゃなくて武器屋に行け」

「武器屋、なぁ」


 パミドールの言葉に、小さく溜息を吐くレイ。

 このギルムの武器屋は、以前その殆どがアゾット商会という場所の傘下にあった。あるいは支配下といってもいいだろう。

 そして、当時そのアゾット商会の会頭と揉め事を起こしたレイに対して武器を売らないように指示され、それを守ってレイに武器を売らなかったという事実がある。

 その問題は既に解決したのだが、問題解決後にその情報が街中に広がり、レイはともかくセトを可愛がっている者達からの強い突き上げがあった。

 何しろ、当時既にギルムでも人懐っこいグリフォンとして有名だったセトだ。そんなセトを……正確に言えば、セトの主人に対して理不尽な行為をしたと知った者達の行動は素早く、武器屋は一時的にギルムの中で非常に肩身の狭い思いをすることになっていたのだ。

 もっともアゾット商会の後を継いだ――より正確には奪った――ガラハトにより、既にその騒動については完全に鎮火している。しかしギルムの武器屋では未だに腫れ物を扱うように接してくる為、レイとしてはギルムの武器屋には足を運びにくくなっていた。

 また、レイの知っている限り鍛冶師のパミドールが作る武器の性能がかなり高いというのも武器屋から足が遠のいている理由の1つだろう。

 思わず溜息を吐いたレイの様子を見ながら、パミドールは笑みを浮かべる。

 悪人顔である為に、どこからどう見ても山賊や海賊が獲物を見つけた獰猛な笑顔にしか思えないのだが。


「ま、俺としちゃレイが来てくれるのは歓迎するけどな」

「……俺じゃなくて、セトが目当てだろう?」


 パミドールの言葉に、視線を店の外へと向ける。

 そこでは、10歳程の少年がセトを撫でながら遊んで貰っているところだった。

 少年の名前はクミト。顔は全く似ていないが、パミドールの1人息子である。


「何度見てもパミドールの子供とは思えないな」

「抜かせ。……まぁ正直な話、俺に似ないで良かったとは思ってるよ。何しろ、この顔付きだからな」


 苦笑を浮かべてそう告げるパミドール。

 自分でも迫力のある顔だと理解しているのだろう。


「せめてスキンヘッドをやめればいいんじゃないか? お前の場合、それがより一層の迫力を与えているんだし。冒険者としてある程度知能のあるモンスターや盗賊といった奴等を威圧するならともかく、お前はただの鍛冶師だろ?」

「ああ、まあな」


 レイの言葉に頷くパミドール。

 この男は、元々王都でもそれなりに有名な鍛冶師だった。だが、王都で貴族相手に碌に使われもしないお飾りの武器を打つよりも、辺境で活動している冒険者や住民の力になりたいと考えてギルムに来たのだ。

 今でこそそれなりに客の姿はあるものの、ギルムに来た当時はその悪人顔で恐がられて敬遠されていたりもした。

 それでも顔に見合わずコツコツと仕事を積み重ね、やがて周囲の信頼を実力で勝ち取っていったのである。

 レイが巻き込まれたアゾット商会での騒動でも、レイに武器を売らないようにとする命令に公然と逆らっていた。

 もっとも、家族のことを思って積極的な協力も出来なかったのだが。

 その縁でレイもパミドールを信頼するようになり、ある意味ではレイの行きつけの鍛冶師となっている。

 そんなパミドールは、レイの言葉に小さく肩を竦めて口を開く。


「俺が鍛冶師の修行を始めた当初、ちょっとしたミスで髪に火が燃え移ってな。結構酷い火傷を負ったんだよ。幸い、俺が師事した鍛冶師は腕のいい回復魔法を使う魔法使いと懇意にしていたから火傷の痕は殆ど残っていないが。それ以来髪を伸ばさなくなってな。今はもう癖のようなものだ」


 小さく肩を竦めるパミドール。


「それよりも槍以外に何か武器を使うつもりは無いのか? お前程の腕があれば、それこそ剣だって斧だって使いこなせるだろ?」

「そう言われてもな。基本的に俺が使う武器はデスサイズで、槍に関しては遠距離攻撃する時の投擲として使うだけだし」

「お前の持っている大鎌は確かに規格外といってもいい程の性能を備えているが、それでも長柄の武器であるのは変わりないだろ? 懐に入られたらどうするんだよ?」


 顔に似合わず心配そうに尋ねてくるパミドールに、左腰の鞘からミスリルナイフを抜いてドラゴンローブから切っ先を軽く出す。


「こういう手段もある。……何しろ、見ての通りこのナイフはミスリルで出来ているからな。俺の魔力を流せば、その辺の武器よりも余程強力なんだよ」

「……はぁ。ま、しょうがねえ。ほら、これでも持っていけ」


 その言葉と共に放り投げられたのは、ナイフや短剣よりも長く、長剣よりは短い刃物。いわゆるダガーと呼ばれる種類の武器だった。

 無骨な鞘に収まったダガーを手に、パミドールへと尋ねる。


「これは?」

「お前、ランクBになったんだろう? ランクアップ試験合格の祝いだよ。それにこれから迷宮都市に行くって言ってただろ。ダンジョンの中では色々と特殊なモンスターが出て来るって話だからな。素材の剥ぎ取りに関しても、お前がいつも使っているナイフだけだと色々と無理があるかもしれないからな。持っていけ」

「……いいのか?」

「祝いだって言っただろ。俺の顔を潰さずに大人しく貰っておけ」


 レイの言葉に視線を逸らしながら告げるパミドール。

 恐らくは照れているのだろうが、傍から見ると山賊が興味無い相手の生死はどうでもいいといったように視線を逸らしているようにしか見えなかった。

 だがパミドールとの付き合いもそれなりに長くなってきたレイにはその真意が伝わり、受け取ったダガーを鞘から抜く。

 刀身の長さは30cm程。肉厚の刃が光を反射して、斬れ味の鋭さを現していた。

 鞘にも柄にも、あるいは刃にも彫り細工のような飾りは一切無く、まさに実戦や素材の剥ぎ取りといった用途に使う実用一辺倒の刃物。

 マジックアイテムの類ではないが、それでも普通の武器として考えれば銀貨数枚。いや、鍛冶師としてのパミドールの腕を考えれば、その価値は金貨にすら届くかもしれない。


「ありがたく貰っておくよ」

「ふんっ、お前は確かにランクBになったのかもしれない。だが、迷宮都市ってのは普通の冒険者とは色々と違うところも多いらしい。精々気を付けて動くんだな。まぁ、純粋に戦闘力だけならお前やセトなら全く問題無いだろうけど、迷宮都市と言われているだけあってダンジョンはかなり広いって話だ。モンスターも相応に強力なものがいるだろう」


(悪人顔でツンデレされてもな)


 内心で思わず呟くレイだったが、それでも口には出さずに小さく礼を告げる。


「忠告はありがたく貰っておくよ。ま、迷宮都市に行くと言っても1月……いや、2月程度か? 少なくても冬までには戻って来るから、土産を楽しみにしててくれ」

「土産か。この前貰った魚は美味かったな」


 土産という言葉に、パミドールはレイからエモシオン土産として貰った魚の干物を思い出す。

 匂いは生臭かったのだが、焼いて食べた時に酒がこれ程進む料理は珍しいと思ったものだ。

 あの土産をまた食えるのなら悪くは無い。そう思ったパミドールだったが、今度レイが向かうのはあくまでも迷宮都市であり港街ではないと気が付くのは、レイが店を後にしてから1時間程経った後のことだった。






「ここに来るのは珍しいわね。そうそう、ちょっと遅くなったけどランクアップ試験の合格おめでとう」


 ギルドマスターの執務室、そこでレイはマリーナから艶然とした微笑を送られていた。

 今日のマリーナの服装は、白いパーティドレス。

 普通白と言えば清楚なイメージを抱かせるものだが、マリーナが着ると色気を強調するような姿に見えるのがレイには不思議だった。


「まぁ、何とかな。正直限定とは言ってもランクBになれるとは思わなかったよ」

「ふふっ、レイの合否については色々と揉めたそうよ? 実際、戦闘力は文句無しなのに、礼儀の面でのマイナス要素が大きかったらしいわね」

「……だろうな」


 自分が礼儀に疎いと理解しているレイは、短く頷く。


「で、今日はどうしたの? まさかランクアップしたからその報告に顔を見せてくれたとか? 勿論、それならそれで歓迎するけどね。もし何なら、今夜はお祝いに一晩一緒に過ごす?」


 チラリと、誘う仕草でレイへと流し目を向けるマリーナ。

 執務机に座って書類を整理しているという体勢であるのに……いや、寧ろそのような仕事中の体勢だからこそか、レイを誘うマリーナは、その豊満な肉体や露出度の高いドレスもあって、最上級の娼婦もかくやと言わんばかりにレイの雄を刺激してきた。

 そんなマリーナの様子に一瞬息を呑んだレイだったが、脳裏にエレーナの姿が過ぎり我に返ると首を大きく横に振ってマリーナからの誘惑を断ち切る。


「そうじゃなくてだな、数日中に迷宮都市に出向くことにしたとだけ言っておこうと思って」

「あら、別にランクBでもギルドマスターに出掛ける先を報告するような義務は無いのよ?」

「確かにギルドマスターに報告する義務はないかもしれないが、世話になっている恩人には違うだろ」

「……そう」


 何気なく呟かれたレイの言葉に、一瞬黙り込んで頷くマリーナ。


「教えてくれてありがとう。それで、いつくらいに戻って来る予定なの?」


 まるで何かを誤魔化すように言葉を紡ぐのだが、さすがに年の功と言うべきかそれをレイに悟られるような真似はしなかった。


「いつ、とまでは分からないが、冬までには戻って来るつもりでいるよ」


 パミドールの時と同じ答えを返すレイに、マリーナは小さく頷く。


「そう、分かったわ。じゃあ気をつけて行ってきてね」

「ああ。土産を楽しみにしててくれ」

「干物はもう勘弁よ?」


 そう告げるマリーナに軽く手を振り、レイは執務室を出て行く。

 その背中を見送ったマリーナは、そっと頬へと手を伸ばす。

 ダークエルフの特徴として褐色の肌をしていたが故にレイには気が付かれなかったが、その頬は薄らと赤く染まっている。


「……もう、馬鹿なんだから」


 ポツリと呟いたその表情は、レイがいた時に浮かべていた妖艶なものではなかった。






 マリーナの執務室から出てレノラとケニーにも暫く留守にすると伝えたレイは、2人から心配そうな視線を向けられながらも冬までには絶対に帰ってくると約束させられてギルドを送り出された。

 ケニーはギルド職員の義務としてレイと共に迷宮都市まで出向くと言っていたのだが、すかさずレノラの書類アタックが後頭部に決まって強制的に沈黙させられていたが。

 それは既にレイに取っても見慣れたいつものことと判断し、特に何をするでもなくギルドを出て来たのだ。

 そんなレイの背後ではケニーがゾンビの如く不死身性を発揮して、見送りに行くと口にしていた。


「グルルゥ」


 そんなレイの横を歩いているセトの鳴き声に、何を尋ねているのかを悟ったレイは小さく頷く。


「そうだな、挨拶するべき所には大体挨拶したし。……満腹亭はちょっと慌ただしかったけどな」


 客で一杯だった為に、食事をして支払いの時にハスタにちょっと声を掛けただけで終わってしまったことを思い、苦笑を浮かべる。


「後は……こっちだな」


 視線の先に見えてきた夕暮れの小麦亭を見ながら呟くレイ。

 これまで1年以上に渡り定宿にしてきた宿屋だ。別に2度と戻ってこない訳では無いが、それでもどこか名残惜しいものを感じさせる。

 ギルムの中でも高級な宿に入るだけあって、値段も相応のものだ。だがレイにしてみれば決して払えない金額ではないし、何よりその値段分だけの価値がある宿屋でもある。

 部屋は広く、ベッドはいつも綺麗に整えられていて、食事も美味い。宿の中も色々とマジックアイテムが充実しており、快適に過ごすことが出来ていた。

 そんな風に考えながら宿の前でセトと別れ、中へと入っていくレイ。


「レイさん、お帰りなさい。……昨日聞いたように、明日チェックアウトでよろしいんですよね?」


 カウンターの中にいたラナの言葉に、小さく頷くレイ。


「ああ。明日から暫く留守にするからな。具体的にどのくらい長期間留守になるかは分からないが、それでも長ければ冬になるまで掛かるかもしれない。さすがにその期間部屋をキープしておくのは色々と不味いから、チェックアウトは予定通り明日で頼む」

「はい、分かりました。1年以上に渡って夕暮れの小麦亭をご利用いただき、ありがとうございました」


 恰幅の良い身体で一礼してくるラナに、笑みを浮かべて首を振るレイ。


「迷宮都市から戻って来たら、また部屋を借りるよ。何しろ、この宿は過ごしやすいからな」

「ありがとうございます。頂いている料金のお釣りについては、明日チェックアウト時に精算しますので。……今日は、これまでのご利用して下さった感謝の意味も込めて多少食事を豪華にさせて貰いますね」

「それはありがたいな」


 笑みを浮かべて部屋へと戻るレイ。

 その日の夕食に出された食事は確かに豪華で、レイの腹を幸福で満たすのだった。

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