第355話
ギルドの会議室でランクアップ試験の内容を聞いた翌日、まだ午前9時の鐘が鳴るには多少の余裕がある中、レイとセトは街の大通りを歩いて正門へと向かっていた。
いつもと違い、その手には串焼きやサンドイッチといった歩きながら食べられる料理は無い。ランクアップ試験当日ということで多少は真面目になっているというのもあるが、最大の理由は時間帯の問題だろう。朝食の時間帯はとっくに過ぎており、かと言って午前9時よりも前なので午前中から開く屋台の類もそれ程多くはまだやっていないというのもあった。
これが9時過ぎになれば屋台もある程度開くのだろうが。
勿論全ての屋台がやっていない訳では無い。幾らかの屋台はもう店開きをしているが、それでもさすがにレイとセトは大事な日ということもあり……そして何よりも、食べるのに夢中になって約束の時間に間に合わなくなるのを恐れて、たまに屋台の店主に声を掛けられても断りの言葉を入れながら正門へと向かっていたのだ。
そんな風にして正門の前に移動したレイが見たのは……
「正気か、これは?」
煌びやか……というよりも、どちらかと言えば悪趣味と言ってもいい程に飾り付けられた馬車だった。その外観には金や銀で派手に飾り付けられており、所々には宝石や魔石のような物も備え付けられている。
見る者が見れば豪華な、とか煌びやかな、といった感想が出て来るのだろうが、レイの目から見た感想は……
「悪趣味だな」
これだけであった。
実際、ギルドで依頼を受けて外へと向かう冒険者や、あるいは商人、旅人といった者達が大勢正門を出入りしているが、その殆ど全ての者が目の前にある馬車を目に止めては驚き、唖然とし、最終的には苦笑を浮かべながら去って行くのだ。
それも無理は無いと判断したレイだったが、丁度タイミング良くその馬車から姿を現した男を見て、思わず溜息を吐く。
茶髪の気怠そうな目をしたその男は、昨日ギルドの会議室で会った人物だったからだ。
オルキデ・ダフニ。今回のバイコーン討伐の依頼、あるいはランクアップ試験にレイ達と同行する人物だ。
そのオルキデが馬車から出て来たのは偶然……という訳では無く、レイがやって来たからこそであり、それ故にレイへと声を掛けることになる。
そう、周囲を歩いている者達の好奇心に満ちた視線を浴びながら。
「えっと、確かレイだったよな。まぁ少し早いが1番乗りって訳じゃ無いし、丁度いい時間か?」
「俺よりも前に誰かが?」
「ん? あー、ああ。もっとも、折角馬車の中に誘ったっていうのにあっさりと断って来たけどな」
アルニヒトとは違い、レイの言葉使いに対して特に何かを思うことも無いらしい。ただひたすら面倒臭そうに告げながら、オルキデは視線を少し離れた場所にいるオンズへと向ける。
そちらへと視線を向けたレイは、相変わらずの無表情で、まるで木石だとでもいうように佇んでいるオンズの姿に納得したものを感じるのだった。
(確かにオンズのように寡黙な男が、こんな派手な馬車に好んで乗るというのはちょっと考えられないな)
内心でそんな風に思ったレイだったが、オルキデはまるでそんなレイの考えを読み取ったかのように口を開く。
「ま、こんな馬車に乗りたくないってのは分かるんだけどな」
「……なら、何でわざわざこんなに目立つ馬車に?」
周囲を通る者達のほぼ全てが馬車へと向けている呆れた表情を眺めつつ尋ねる。
幸い、レイとオルキデは馬車から少し離れた場所で会話をしているので、今街に入って来た者達から馬車の関係者とは見なされてはいないが、もし自分が悪趣味としか言えない馬車に乗ると考えると思わず眉を顰める。
だが、セトはある意味でレイとは逆なのか、どこか興味深そうな視線を馬車へと向けていた。
「グルゥ」
乗らないの? と小首を傾げて尋ねてくるセトに、思わず苦笑を浮かべるレイ。
あの悪趣味な馬車のどこがセトの琴線に響いたのかは分からないが、レイとしては正直な話勘弁してくれと言いたいところだ。
「ま、こっちはこっちで色々とあるのさ。……それより、お仲間が来たみたいだぞ」
オルキデの視線が向けられた方には、大きめのリュックを背負ったロブレの姿と、小さめのバッグを2つ肩から掛けているシュティーの姿がある。
「こっちはいいから、向こうに行ってきなよ。俺は馬車の中でゆっくりとしてるからさ」
「あ、ああ」
レイの返事を聞くまでもなく、悪趣味な馬車へと戻っていくオルキデ。
その後ろ姿を見送った後、レイは正門へと近づいて来ているロブレとシュティーの方へと向かって近付いていく。
「おう、レイ。早いな。てっきり俺達が1番乗りかと思ったんだが」
「俺よりもっと早いのもいるけどな」
視線をオンズの方へと向け、肩を竦めるレイ。
そんなレイの視線を追ってどこか頷くようなものを感じつつ、ロブレは早速とばかりに背負っていたリュックをレイへと差し出す。
「荷物の運搬に関しては任せてもいいんだよな?」
「ああ。問題無い」
リュックを受け取り、そのままミスティリングの中へと収納する。その途端、ロブレの口からは驚愕の声が漏れ、シュティーも同様に驚きの表情を浮かべていた。
「どうした? 俺がアイテムボックスを持っているってのは知ってた筈だろ?」
「いや、知ってるのと実際にこの目で見るのとでは大違いだよ。すげえな、マジで」
「え、ええ。確かに。えっと、これもお願い出来る?」
「問題無い」
渡されたバッグ2つを同様にミスティリングへと収納し……ふと気が付くとレイ達3人の側にオンズの姿があった。
相変わらず寡黙で特に何を言うでもないが、それでもその視線はじっとレイへと向けられている。
そして、不意に持っていたバッグを差し出す。
「……頼む」
言葉短めに頼んでくるオンズに、レイもまた小さく頷いてそのままミスティリングへと収納するのだった。
「で、預かっておいてなんだがアイテムボックスの中に入っている以上はいざって時には俺がいないと取り出せないが、それでも構わないのか?」
「ああ、問題無い。食料とか夜営用の道具とかが殆どだからな」
「私も同じですね。ポーションとかはこっちに用意してありますし」
腰のポシェットを軽く叩くシュティー。
「……」
オンズは特に何を言うでもなく、無言で頷いている。
「ところで、そろそろ街を出る手続きをしておかないか? 何かあの悪趣味な馬車の近くにいると、こっちまで関係者に思われそうでちょっと嫌なんだけど」
チラリ、とオルキデの乗っている馬車へと視線を向けながら告げるロブレだが、そこに乗っているのが本当の意味で関係者であると教えてもいいものかどうか迷ったレイは、結局はいずれ分かるだろうと判断して特に何を言うでもなく4人揃って正門前にいる警備兵へと近付いていく。
勿論、ロブレが悪趣味と評した馬車をじっと見つめていたセトも一緒にだが。
「グルルゥ?」
もう行くの? と小首を傾げて尋ねてくるセトの背を撫でながら頷くレイ。
セトの背を撫でているレイを、少し羨ましそうに見つめていたシュティーだったが、それでも撫でさせて欲しいと口にしない辺り、まだ触れる勇気を持てないのだろう。
ここにいる全員がランクBへのランクアップ試験を受ける以上、街を出る手続きも特に何がある訳でも無く終わり――尚、ランガは休みでいなかった――街の外へと出る一同。
オルキデは残りのメンバーを待っているのか馬車を動かす様子は無かったので、ロブレの居心地の悪さは少しの間ではあるが解決するのだった。
「お、あの馬車じゃない……か? え? あれ?」
正門で試験官であるレジデンスや、共に行動するという貴族達を待っていた一行。午前9時の鐘がそろそろ鳴るかどうかといった時間になり、数台の馬車がレイ達の下へと向かって来るのを見てロブレが声を上げるが……次の瞬間には訝しげな顔になり、同時に嫌そうな表情を浮かべる。
その視線の先にあるのは3台の馬車。先頭の馬車は普通の、それこそどこにでもあるような馬車でこれがギルドの馬車なのだろう。2台目の馬車は1台目程質素ではないが、機能を優先させたかのような質実剛健といった雰囲気の馬車。そして最後の1台は……門の側にあった非常に悪趣味な物だったのだ。
尚、1台目の馬車はオーク討伐の時に、2台目の馬車はギルドからマルカの屋敷に向かう時に乗った経験があるので、レイにはきちんとどの馬車が誰の馬車なのかの判断はついていた。
「なぁ、おい。もしかしてあの馬車って……」
キラキラというよりはギラギラといった風に悪目立ちしている馬車を目にしたロブレが、嘘であって欲しいと視線を向けて来るが、真実を知っているレイとオンズは無表情で首を横に振る。まるで、諦めろとでもいうかのように。
それを見て心底嫌そうな表情を浮かべているロブレだったが、3台の馬車はそれは全く関係無いとばかりに門の周囲にいる冒険者や商人、あるいは旅行者といった者達からの視線を受けながらレイ達の側で止まる。
そうなれば当然周囲の視線もレイ達に向けられる訳で、ロブレはどこか落ち着かないように、シュティーは恥ずかしそうに下を向きながら周囲の視線が無くなるのを待っていた。
レイは既に悪目立ちするというのはセトやアイテムボックス、デスサイズで慣れていたし、オンズは基本的に寡黙で殆ど表情を動かさないので、堪えた様子は無かったのだが。
「さて、皆揃っているな」
先頭の馬車から降りてきたレジデンスがレイ達を見ながらそう告げ、それと同時に真ん中の馬車からはマルカとコアンが。最後の馬車からはアルニヒトとオルキデが姿を現す。
オルキデが面倒臭そうなのはともかく、アルニヒトが疲れきった顔をしているのは恐らくギラギラと悪趣味に輝く馬車に乗ってバイコーンのいる場所まで移動しなければならない為なのだろう。
(けど、門の前からここまで移動するだけであそこまで疲れているとなると、それこそこれから先どうなることやら)
内心でそんな風に考えている間にも、馬車から降りてきた者達がレジデンスを中心にして集まる。
「まず、試験参加者が4人に対して、馬車が3台。これにどのように分乗するのかを、お前達で話し合って決めるように」
「……その、どの馬車に乗るのかというのもランクアップ試験に関わるんですか?」
「それを言えるとでも? ただ、俺が見るのは行動の全てだと言っておく」
シュティーの質問にレジデンスが答え、同時にレイ、ロブレ、シュティーの3人の表情が微かに歪む。
オンズは相変わらず表情を動かさず、じっとレジデンスの説明を聞いていた。
「とにかく、お前達がどのように分けるか決めるんだな。貴族の方々には悪いですが、黙って見守っていて下さい」
その言葉に、レイは微かに眉を顰める。
(せめて、俺達だけで決めさせて貰えばいいものを。この状態でどの馬車に乗るのかを決めるにしても、相手が見ている状態で決めるというのは色々と面倒だろうに)
「俺はあの悪趣味な馬車は遠慮したいな」
ロブレに自分の乗っている馬車を悪趣味と評されるも、本来なら文句を言ってもおかしくないアルニヒトは口を閉じたままだった。
この辺、自分が乗っている馬車の悪趣味度合を理解しているのだろう。
「馬車の外観はともかく、ロブレとアルニヒトの相性が良くないのは事実だな」
「おい、そこのお前。レイとか言ったな。少しは口の利き方に……」
「アルニヒトさん、今回の件は全てこちらに任せるとのお約束の筈です。申し訳ありませんが、この依頼の最中は冒険者の流儀でやらせて貰うと前もって言っておいた筈ですが?」
「……いいだろう。確かにその条件で今回の件を引き受けたのだからな。ここは退いておく」
不承不承頷いたアルニヒトへと一瞬だけ視線を繰り、レイが再び口を開く。
「で、どうする?」
「……俺はギルドの馬車に乗ろう」
最初に口を開いたのは、意外なことにオンズだった。
「しょうがないわね。なら私があっちの馬車に」
続けてシュティーがアルニヒトが乗っている馬車へと視線を向けながら口を開く。
「おいちょっと待て。シュティーだけをあの悪趣味な馬車に乗せるなんて真似が出来るか。なら俺もそっちに乗るぞ」
「いいの? ロブレとは相性が悪そうだけど」
「構わねえよ。それに、シュティーを1人にしたら変なことをされるかもしれないしな」
ロブレの言葉にアルニヒトはピクリと眉を動かすものの、先程のレジデンスの言葉を覚えているのか、それ以上は何を言うでもなく黙り込む。
その隣にいたオルキデは、まだ朝方で涼しいとは言っても次第に気温が上がってきているこの中で外にいるのは面倒だ、とでもいうようなだらけた表情を浮かべていた。
「となると、レイがそっちの馬車に乗るってことになるけど……それは構わないの?」
「ああ。幸か不幸か、マルカとコアンとは顔見知りだしな」
「む。顔見知りではないぞ。友達じゃ!」
顔見知りという表現が気に食わなかったのかマルカがそう抗議の声を上げるが、すぐに真面目な表情になって言葉を続ける。
「じゃが、安心してくれ。ランクアップ試験についての評価については公平を期させて貰うのでな。いや、友人だからこそ厳しく当たるべきか」
アルニヒトは色々とマルカに言いたいことがありそうだったが、それでもさすがに公爵令嬢に対して何を言える筈もなく、結局馬車の割り当てはギルドの馬車にオンズ、クエント公爵家の馬車にレイ、アルニヒトとオルキデの乗っている馬車にロブレとシュティーと決まるのだった。
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