第356話

「……暇じゃの」


 馬車の中でマルカが呟く。

 その視線の先にいるのは、窓から周囲の様子を眺めているレイの姿だった。

 勿論馬車の周囲でセトが警戒している以上、街道を外れて馬車が進んでいても殆どのモンスターは手を出してくるようなことはない。

 たまに力の差を理解出来ずに襲撃してくるようなモンスターや動物もいるのだが、そのような者達は軒並みセトが振るう前足の一撃によりあっさりと生を終わらせ、セトの胃の中に収まっている。


「暇と言われてもな。そもそも今更聞くのもなんだが、何でわざわざランクアップ試験に公爵令嬢ともあろう者が参加してるんだ? それも、国王派の貴族が中立派のダスカー様が治めるギルムの街で」

「む? まぁ、元々妾とコアンがこの街にきたのはお主がどのような人物であるかを見定めるという目的があってな。父上も出来ればクエント公爵家に引き込んでこいとは言っておったが、それが無理でもどのような人物かの見定めはしてこいと。その一環じゃな」


 レイに相手をして貰えたのが嬉しかったのか、笑みを浮かべながら説明するマルカ。

 その隣に座っているコアンは、主君であるマルカが喜んでいるのが嬉しいのか相変わらずの笑みを口元に浮かべながら2人のやり取りを聞いている。


「それに関しては、一応お前の屋敷に行った時に終わったんじゃないのか?」

「確かにそうじゃが、それでも1度会っただけで全てを見定められる筈が無かろう?」

「……もっとも、お嬢様の場合は折角お友達になれたレイさんやセトとあっさりと別れるというのが寂しいという理由もあるんですけどね」


 何気なく呟かれたコアンの台詞に、照れでマルカの頬が赤く染まっていく。



「コ、コ、コ、コアン! お主いきなり何を!」

「余計なことでしたか?」

「ふ、ふん。まあレイやセトともう少し接していたかったというのは事実じゃ。それに関しては認めるのも吝かではない。じゃが、いいな? 幾ら妾の都合でランクアップ試験に関して強引にねじ込んだとはいえ……いや、だからこそ、妾はレイの基準を他の者よりも厳しくするからな。幾ら妾と友誼があるからといって、融通を利かせて貰えるとは思わぬことじゃ」


 馬車の席に座ったまま胸を張り、指を突きつけてくるマルカ。

 傍から見るとその様子は愛らしいと表現出来るような姿だったのだが、わざわざそれを口にするような者はここにはいない。


「それに、実際問題バイコーンというモンスターは色々と厄介なのは事実です。例えギルムの街が中立派の拠点であっても、ミレアーナ王国に唯一存在する辺境の街であることに代わりはありません。派閥云々というのは無しにしても、辺境でしか取れない素材が滞るようなことになっては色々と問題なのは事実ですしね」

「そうじゃな。このギルムの街はミレアーナ王国の中でも重要拠点の1つと言ってもよい。もっとも、そのような場所だからこそ、何かあった時の為に父様も屋敷を建てたのじゃろうが」

「……なるほど」


 コアンとマルカの説明に、納得したといった表情で頷くレイ。


「何でギルムの街に国王派のクエント公爵家の屋敷があるのかと思ったら、そういう理由か。……ん? 待てよ? なら、なんでケレベル公爵家の屋敷は無いんだ?」


 以前、エレーナがギルムの街にやって来た時のことを思い出して尋ねる。

 あの時、エレーナは領主の館に泊まっていた。貴族街にケレベル公爵の屋敷があれば……あるいは、アーラのように一緒にいた者達の屋敷があれば、そちらへ泊まっただろうと。

 だが、その疑問に対する答えは首を小さく横に振るマルカの姿だけだった。


「貴族派という中で有力者が何人か屋敷を持ってはいるだろうが、別に全員が屋敷を持っていなければいけないという訳でもないしの。情報を集めたりする程度なら、別にケレベル公爵自身の屋敷が無くても、他の貴族派の屋敷で十分だと判断したのじゃろうな。……おお。さすがセトじゃ。また1匹近づいて来た相手を仕留めたぞ」


 レイへと説明をしながら、窓から見えるセトの活躍に喜びの声を上げるマルカ。

 7歳にして貴族としての見識を持ち、同時にセトのように自分の好みに合う相手を見ては無邪気に喜ぶ。

 その二面性に、思わずレイは驚きの表情を浮かべる。


「うーむ、セトは可愛いのう。妾も是非欲しいのじゃが。……レイ、セト以外のグリフォンがいる場所を知らぬか?」

「いや、無理だろうな」


 首を振り、自分の為に用意した設定を思い出しながら口を開く。


「セトは俺が小さい時から一緒に育ってきたからこそ、あそこまで人懐っこくなっているんだ。俺もセト以外のグリフォンは見たことが無いしな。それに、もしセト以外のグリフォンを従魔にしたとしても、セトのように優しい性格になるかどうかは……正直、難しいだろうな」


 そう答えているレイの視線の先で、5匹の狼の集団を相手にしながら鷲爪を振るい、クチバシで突き、あるいは後ろ足で蹴り上げると、狼の集団は瞬く間に全滅し、柔らかい肉の部分がセトの胃に収まることになる。

 その光景だけを見ていた者がいたとしたら、まず確実に人懐っこい、あるいは優しいといった説明に頷くことが出来なかっただろう。

 文字通りに鎧袖一触といってもいいような、戦闘にすらならない程の一方的な蹂躙が行われたのだから。


「むぅ、そうか。妾としてはセトのような従魔が欲しいのじゃがな。……レイが羨ましいのう」


 外の光景とは裏腹に、馬車の中にマルカのしみじみとした呟きが響くのだった。






 一方、最後尾の馬車でもあるアルニヒトとオルキデの乗っている馬車。外見は悪趣味としか評せない程の馬車だが、さすがに中は豪華ではあってもそれ程悪趣味ではないのが乗っている者にしてみれば救いだっただろう。だが、そんな馬車の中は現在ひたすらに沈黙で満ちていた。

 アルニヒトは貴族を敬わないロブレが存在していないかのように無視して窓の外の景色を眺めており、オルキデはそんな状態に首を突っ込んで面倒なことに巻き込まれるのは御免だとばかりに目を瞑って睡眠を楽しんでいる。ロブレも高慢な貴族にしか見えないアルニヒトに対して反意を隠しておらず、決して自分から声を掛けるようなことは無かった。

 そんな中、シュティーのみが何とか間を持たせようとして時々ロブレやアルニヒトへと声を掛けるのだが、それでも一言二言言葉を交わせば再び沈黙に戻ってしまう。


(ちょっとちょっとちょっと。こんな状態でどうしろってのよ!?)

 

 内心で泣き言を口にするシュティーだが、そもそもランクアップ試験に関しては全てのことが評価基準になると言われている以上、自分までもがロブレのように目の前で不機嫌そうにしている貴族の相手をしない訳にはいかない。


(全く、よりにもよってロブレと相性最悪な貴族が来るとは思わなかったわね。……けど、クエント公爵とかとんでもない大物の子供と一緒の馬車に乗るなんて、変に目を付けられたりしたら最悪だし。かといってギルドの用意した馬車に乗ったりしたら、評価でマイナスになりそうだからしょうがないんだけど。それにしても、この重苦しい沈黙は何とかして欲しいわ)


 小さく溜息を吐き、視線を窓の外へと向けるシュティー。その時、丁度タイミング良くセトが狼を相手にしてその前足を振るって狼の頭部を砕いているところだった。


「うわ、モンスターが相手じゃないとは言っても、狼相手にああも圧倒的だなんて」

「そうだな。さすがグリフォンと言うべきか。そもそもランクAモンスターであるのだから、狼如きは相手にもならんだろう」


 その時興が乗ったのか、あるいは沈黙に飽きてきたのか。アルニヒトが口を開く。

 突然の発言に驚きはしたものの、このまま沈黙状態でいるよりはマシだと考えたシュティーは口元に小さな笑みを浮かべながら口を開く。


「そうですよね。それを考えると、レイって凄いとしか言えません」

「それだけではない。奴自身がここまで名前を知られるようになったのは勿論従魔であるグリフォンの存在もあるだろうが、何よりも本人の実力がずば抜けているからだ。そうで無ければ私が……」

「アルニヒト」


 何かを言おうとしたアルニヒトだったが、周囲からは眠っていたと思われたオルキデの言葉に思わず言葉を詰まらせる。


「アルニヒト様?」

「いや、何でも無い。気にするな」

「ふんっ、確かにレイは強いかもしれないが、だからと言って俺達だって負けてないさ。安心しろ、シュティー」


 同ランクの冒険者とはいっても、恋人が他の男を褒めるのが気に食わなかったのだろう。アルニヒトを無視すると決めていたにも関わらず、思わず口を挟むロブレ。

 だが、それに戻って来たのはシュティーの同意するような頷きと同時に、アルニヒトの溜息だった。


「何だおい。何か文句でもあるのか?」

「……いや、お前のような存在が何を言おうとも、威勢だけではな。それは後で十分に理解出来るだろうから、私からはこれ以上何も言わんよ」

「っ!?」


 口先だけの男と言外に告げられ、思わず食って掛かろうとするロブレだったが、その寸前に隣に座っていたシュティーに腕を押さえられ、動きを止められる。


「……」


 我慢してと無言で頼み、さすがに恋人の頼みには従いそのまま深く息を吐いて座席へと座り直すロブレ。

 シュティーも、これ以上会話をしようとしても無駄にロブレとアルニヒトの仲を険悪にするだけだと判断し、その後は特に何を言うでもなく無言のままで過ごすことになる。

 レイが乗っている馬車とは違い、重苦しい沈黙が車内を包む中で馬車は進んで行く。







『……』


 ギルドが用意した馬車。その中に乗っているのはオンズとレジデンスの2人のみ。

 だが、この馬車は移動を始めた時から沈黙に包まれていた。

 オンズは寡黙で意味も無く口を開くことは無く、同様にレジデンスもまたそんなオンズを相手に何かを問い掛けるような真似はしなかった為だ。

 だが、ロブレ達が乗っている馬車のように重い沈黙という訳では無く、どこか自然体の沈黙とでも呼ぶべき沈黙に包まれている車内は、もしシュティーがこの馬車の中にいたとしたら何故同じ沈黙でもここまで違うのかと、泣いてしまいそうな程である。

 そんな沈黙が続く中、やがてレジデンスは窓から外を見上げ、小さく呟く。


「着いた、か」


 バイコーンの群れが見かけられた場所へと馬車が到着する。

 そして、この言葉がレジデンスとオンズが馬車に乗って最初に口にした言葉だった。

 目的地へと到着するも、当然馬車から降りてすぐにバイコーンの姿を見つけられる訳が無く、まずやるべきは標的でもあるバイコーンの群れを見つけることであり、同時にここまでやってきた馬車やそれを操る御者、そして貴族達を守る態勢を整えることだった。

 本来であれば貴族がこのような場所にやって来ることは無いのだが、今回はランクアップ試験という形になっている。それ故、貴族に対する護衛に関しても手を割かなければならなくなる。


「で、そうなると役割分担についてなんだが、どうする? 俺とシュティーが探索に出るか?」


 獣人族である自分達なら、人より鋭い五感を使ってバイコーンを見つけられると告げるロブレ。


「それを言うなら、俺とセトは空の上からバイコーンの群れを探すことが出来るが? それとオンズは盗賊だから偵察に向いているだろうしな」


 この場合、何が不幸だったかと言えば、ランクアップ試験に挑んでいる者全員がそれなり以上の索敵能力を持っていたことだろう。

 獣人特有の鋭い感覚、盗賊としての経験と能力、そしてランクAモンスターでもあるセトの翼と標的を見逃さない視覚。


「こうまで偵察可能な人が集まっていると、誰を出すか迷うわね」

「俺達が行けば手っ取り早いだろ?」


 ここに残って貴族と一緒に過ごすのはごめんだとばかりにロブレが呟くが、シュティーはその意見に首を振る。


「確かに私達の嗅覚や聴覚、視覚は普通の人よりも鋭いわ。けど、この場合は空から周辺を一望出来るセトがいいと思う。幸い、ここは草原でバイコーンが姿を隠せる程の林や森といった場所は殆ど無いしね」

「それは……けど……あ、なら俺とシュティーがセトに乗って偵察すればいいんじゃねえか?」

「却下だ」


 ふと名案を思いついたとでもいうように告げるロブレの言葉を、レイがあっさりと却下する。


「何でだよ!」

「まず第1に、セトが大人2人を乗せては自由に空を飛べない。そして第2に……というかこれが最大の理由だが、セトが俺以外を背中に乗せるのを嫌がるというのもある」

「むっ、そ、それは……」

「無理に乗って空中で振り落とされるとかはごめんだろう?」

「……」


 雲が殆ど無い青空を見上げ、やがて頷く。

 数m程度の高さならまだしも、30mや40m程の高さから落とされたりしたら、幾ら普通の人間よりも身体能力の高い獣人族であっても無事で済むとは到底思えなかったからだ。


「じゃあ、偵察は俺とセトが出るってことで構わないな?」


 念の為に尋ねるレイに、ロブレは渋々、シュティーはあっさりと、オンズは表情を変えずに頷く。


「ってことだ。セト、早速偵察に向かうぞ」

「グルルルゥ」


 近くに生えている草に、狼の血がついた前足を擦りつけていたセトが小さく喉を鳴らしてレイへと近付いていく。


「じゃ、バイコーンの群れを見つけたらすぐに知らせるから、こっちはこっちでいつでも出撃出来る用意を調えておいてくれ」


 そう告げ、セトの背に跨がり数歩の助走を経て、翼を羽ばたかせながら空を駆け上がっていくのだった。

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