ランクアップ試験
第347話
レノラとケニーに帰還の挨拶をし、そのまま話し続けて約20分。まだまだ話し足りないと思っていたケニーだったが、それを遮る者が現れる。
「済みませんが、レイさんを借りてもいいですか?」
話していた3人へとそう声を掛けて来たのは、軽戦士風の男だった。ただ、ギルドで受付嬢として働いているレノラやケニーは見たことの無い相手である。
冒険者の本場と言われているギルムの街のギルドを利用している冒険者の顔全てを覚えている訳では無いが、それでも目の前にいるような存在感のある人物の顔を忘れる程でもない。それ故に、目の前にいる人物が誰なのか分からずに小首を傾げるケニー。
それはレノラも同様だったが、それでも受付嬢として丁寧に対応をするのは、やはりその真面目な性格故だろう。
「おっと、済みません。私はコアンと言って、とある方に仕えている者です。貴方達がレイさんと話している間に準備を整えさせて貰いました」
「……なるほど」
その言葉だけで、コアンと名乗った人物がどのような相手なのかを理解する2人。
何しろ、貴族やその手の者達が現在ギルムの街に集まっているのは有名な話なのだから。それも、2人の前にいるレイを目当てにして。
「ってことだけど、レイ君、どうするの?」
「そうだな、前もって約束していたのは事実だし、ちょっと行ってくるよ」
「……そう? なら気を付けてね。今は大丈夫だけど、少し前までは色々と騒ぎが起きてたんだから」
この人達が原因で、と言外に告げるケニー。
ここまでレイと共にやって来たコアンにしても、自分達と同じ目的でギルムの街にやって来た者達が無茶な騒動を引き起こしていたのは知っていた。それ故にケニーの言葉に反論することは出来なかったが。だが、それでも……
「けれど、騒動を引き起こした者達は既に街から追放されて、今はもう沈静化している筈では?」
せめて自分の主人がそのような者達と同一視されるのは止めて欲しいとばかりに、コアンは口を開く。
それはケニーにしても分かっていたことなのか、それ以上は何を言うでもなく頷くのだった。
実際、街から追放された者の殆どは真っ当な方法でレイを自分の下に引き込もうとは思っていなかった者達であり、それ故にエッグやマリーナが裏で動いて追放されたのだから、現在街に残るのを許されているという時点で2人のお眼鏡に叶った――正確には、レイと交渉する相手として認められた――人物である。
もっとも、それを知らない者達が殆どではあるのだが。
「ま、ギルドに来る前に約束していたからな。俺としては構わない。セトに関しても?」
「ええ、主の方からは出来れば一緒に連れてきて欲しいと言われていますので」
コアンの言葉に、上にいるのは国王派の貴族じゃないのか? と一瞬考えるレイ。
何しろベスティア帝国との戦争で国王派の貴族に呼ばれた時には、セトを一緒に連れていくのは止めて欲しいと使者として来た相手に言われていたのだから。
だが、すぐにあの戦争で駆り出された国王派の貴族達は色々と問題のある者も多かったと思い出す。
(ま、結局は実際に会ってみるしかないだろうな)
内心でそう結論付け、レノラとケニーの方へと向き直る。
「ってことで、俺はそろそろ失礼させて貰う。ギルドマスターが戻ってきたら、俺が帰ってきていたって言っておいて欲しい。また明日にでも顔を出すから」
「むぅ……ねぇ、レイ君。そんなにギルドマスターに会いたい?」
少し不満そうな表情を浮かべるケニーだったが、すぐにその隣にいたレノラが呆れたように口を開く。
「あのねぇ……ギルドマスターからの要請……って言うか、情報でエモシオンの街に向かったんだから、戻って来たら報告するのは当然でしょ。馬鹿なことを言ってないで、仕事をするわよ。今は忙しくない時間帯だって言っても、それなりにやるべきことはあるんだから」
「わかったわよもう……全く。折角レイ君が帰ってきたんだから、2人でゆっくりと過ごしたかったのに」
「はいはい、それは仕事が休みの日にしなさい」
そんな風にいつものやり取りを始める2人を見ながら、帰ってきたんだと強く実感するレイだった。
「さて、じゃあ表に馬車を待たせてあるので行きましょうか」
「ああ」
コアンに先導されるようにしてギルドの外へと出ると、確かにそこには馬車が待っていた。
ただし、その馬車はレイが予想していたような貴族が使う豪華な馬車ではなく、どちらかと言えば質実剛健と表現した方がいいような馬車だ。
勿論使われている材料は高価な素材なのだが。
「……へぇ」
その馬車を見ながら、レイの中でまだ見ぬ貴族に対しての好感度が1つ上がる。
派手に飾り付けられた馬車というのも別に貴族なら悪くは無いのだろうが、レイ自身としてはあまりそういう悪趣味な馬車に乗るのは遠慮したいというのもあった。
……もっとも、レイ本人は、セトを従えていたり、デスサイズを持っていたり、あるいはアイテムボックスを持っていたりと、馬車が云々といったものより遥かに目立っているのだが。
「さ、どうぞ」
自分の手で馬車の扉を開け、レイを案内するコアン。
「セト、行くぞ」
「グルルルゥ」
馬車へと乗り込む前に掛けられた声に、セトが短く鳴いて寝転がっていた場所から立ち上がる。
セトと遊んでいた子供達は残念そうな声を上げるが、それでもセトの1番が誰なのかというのは理解しているのか、小さく手を振ったりしながら去って行くのだった。
ギルドを出発した馬車は、当然の如く貴族街を目指す。
馬車を引っ張っている馬は自分達の隣を歩いているセトに脅えてはいたのだが、それでも暴走するようなことが無いのは御者の腕がいいからなのだろう。
「で、そろそろ誰が俺に会いたがっているのかを教えてくれてもいいと思うんだが?」
「申し訳ありません。主から物事には驚きがあった方がいいと言われてまして」
「驚きねぇ」
確かに驚きというのは相手の印象を強く記憶に残すことになる。だが、それは逆に言えば第一印象が悪い状態で驚かしたりすれば、その悪い印象も強く残るということになる。それを理解した上でレイに自分の正体を知らせないのだとしたら……
(余程自分に自信のある奴ってことか?)
内心でそう首を傾げている間にも馬車は進み、貴族街の入り口へと到着する。
その時に驚いたのは、貴族街の入り口にいる門番役の者達に軽く顔見せをしただけで、特に何を言われるでもなく通されたのだ。
本来であれば多少の問答や身分証の掲示といった手続きが必要になる筈なのだが、そのような行為が一切無かったというのは、この馬車の持ち主が貴族街の中でもかなりの力を持つ人物であるということの証だった。
(中立派の街であるギルムでこれ程の権勢を誇るとなると、やっぱり中立派の貴族か? 国王派や貴族派だとすれば余程の大物ってことになるだろうが……だが、そんな大物がわざわざ辺境まで来るか? 幾ら俺という戦力を取り込みたいにしても、リスクとリターンが見合ってないと思うんだが。あるいは……それら全てをどうにでも出来る程の実力を持った大物貴族? まぁ、確かに顔パスってのを見る限りではそれがありそうだけど)
内心で考えている間にも貴族街に入った馬車は進み続け、やがてその動きが止まる。
「さて、無事到着したようですね。では、どうぞ。主がお待ちですので」
小さく笑みを浮かべながら馬車の扉を開き、レイを案内するコアン。
馬車から降りたレイが見たのは、ある意味で納得しつつも、またある意味では驚きの表情を浮かべるべき光景だった。
貴族街の中でも一等地と言えるだろう場所。周囲に存在する屋敷と比べても一際存在感を発揮しているその屋敷は、明らかに異質な存在であった。既に馬車で屋敷の外門は通り過ぎており、目の前にあるのは屋敷の玄関ホールへと続く巨大な扉のみだ。
「この屋敷が?」
「はい。私の主が中でお待ちです」
もしレイに貴族に対しての詳しい知識があれば、目の前の屋敷が誰の屋敷なのかを理解しただろう。ミレアーナ王国ではそれ程に有名な貴族の屋敷である。即ち国王派の重鎮、クエント公爵家の屋敷だと。
「……一応言っておくが、俺は貴族に対する礼儀作法とかに詳しくない。その辺が気になるんなら、今からでも俺と会わないことを勧めるが?」
ここで変に騒ぎを起こしてダスカーやマリーナへと迷惑を掛けたくない。そんな思いで口に出された言葉だったが、コアンの口から返ってきた言葉はレイにとっては予想外のものだった。
「構いませんよ。私の主は堅苦しいことは好みません。どちらかと言えば……」
轟っ!
コアンが更に何かを言おうとしたその時、不自然な程に強烈な突風が屋敷の方から吹きすさぶ。
「っと、どうやら余計なことを話してないでとっとと連れてこいと言っているみたいですね。……そういう訳ですので、作法とかはそれ程気にしなくても結構です。ただ、相手はやんごとなきお方ですので、無礼な真似はしないようにして下さいね」
「……余程の変わり者らしいな。分かった、そこまで言うのなら行かせて貰おう。セトはどうする? よければ庭辺りで待たせておくが」
チラリ、と視線を屋敷の庭へと向けるレイ。
貴族街にあるにも関わらず、庭はかなりの広さを持っている。それこそ、他の貴族の屋敷が1軒程度は建っていてもおかしくない程に。
元々寒さや暑さをそれ程気にしないセトだ。この庭で好きにしていればいいとでも言えば、寝転がって待っているだろう。
そんな思いで口にしたレイだったが、またもやその予想は外れることになる。
「いえ、そのグリフォン……セトも屋敷の中に入っても構わないと言われております」
「へぇ。随分と豪毅だな」
これまでに無い程予想を尽く外され、それでも尚レイの口元には笑みが浮かんでいた。
先程の突風が魔法によるものであるのは明らかであり、つまりはグリフォンであるセトに襲われたとしても自分やコアンだけでどうにか出来る自信があるのだと分かったからだ。
「さ、どうぞ」
呟き、コアンは自らの手で扉を開いて玄関ホールへと案内する。
その開けられた扉の中へと、セトと共に入ったレイを出迎えたのは……
「うむ、ご苦労じゃったな! 良くやったぞコアン!」
この世界の平均身長よりも小さいレイと比べても、尚小さい。それこそ胸元辺りまでの大きさしか無い10歳にも満たない程度の年齢に見える少女の姿だった。
口には満面の笑みを浮かべ、目を輝かせてレイとセトへと視線を向けている。
「……コアン?」
確認する意味でコアンへと視線を向けるレイだが、当の本人はセトへとゆっくり近付いている少女へと慈しむような視線を送っていた。
「のう、お主。少し撫でさせてはくれぬか?」
「グルゥ」
元々子供好きでもあるセトなだけに、目の前の少女に好奇心で満ちた目を向けられて話し掛けられても、特に拒否するようなこともせずにそっと頭を伸ばして顔へと擦りつける。
「あはっ、あはははは。見よ、コアン。こやつ人懐っこいぞ」
「そうですね。お嬢様に喜んで貰えて何よりですが……クエント家のご息女として自らが招いたレイさんを放っておくのはどうかと思います」
「む、確かにそれはそうじゃな。うむ、お主が深紅と呼ばれておるレイか。妾はマルカ・クエント。次期クエント公爵となる者じゃ。見知りおくがよい」
「……コアン?」
姿を現すのは威厳のある貴族であると思い込んでいたレイ。あるいは目の前にいるのはその貴族の子供か何かだと思っていたのだが……いや、その貴族の子供であるというのは間違ってはいない。だが、同時にレイを味方に引き込もうとしているのも目の前の少女だった。
それ故に、何かの間違いだろう? と言わんばかりのレイの視線に、コアンは小さく笑みを浮かべつつ口を開く。
「マルカ・クエント様。私の主君にして、今回レイさんをお誘いした方で間違いありません」
「うむ! お主がレイじゃな。確かに異名を付けられるだけの魔力を持っておるのは確かなようじゃ。見事!」
セトの頭を撫でながらそう告げてくるマルカの言葉に、小さく目を見開くレイ。
今の言葉は、間違い無く目の前の少女がレイがその身に宿している魔力を感じ取っているということを表している。だが、それでも尚態度が変わらぬ様子を見せているのだ。
これまでにも幾人となくレイの魔力を感じ取る能力を持った者はいた。だが、その殆ど全てがレイの持つ莫大な魔力を感じ取ると少なからずその魔力に恐怖心を抱いたのだ。態度が変わらない者は、それこそ数える程しかいなかった。だと言うのに、今レイの前にいる少女は笑みすら浮かべてレイへと視線を向けているのだ。
(先程の突風を起こした魔法を考えれば、魔力に対して無知ということは無いだろう。となると大物、か?)
セトの頭を撫でているその様子からは、どう見ても普通の子供のようにしか見えない。だが、それでも目の前にいる少女を侮るような真似はしない方がいいだろうと、レイの中で確信のようなものが生まれていた。
「のう、レイ。お主とセト……妾の下に来ぬか? 妾は……より正確に言えばクエント公爵家はお主等の力を欲しているぞ」
セトの頭を撫でながらではあるが、レイへとそう告げてくるマルカの目はとても少女のものとは思えない程の深い色が存在していた。
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