第346話
エモシオンの街を出てから4日程。行きよりも多くの日数が必要だったのは、単純にレイとセトがモンスターを狩ったり、そのモンスターを解体するのに時間が掛かってしまった為だった。
何しろはぐれオークの集団を見つけたということもあり、周辺に被害が出る前にと……より正確にはモンスターの中でもそれ程ランクが高くないのに比較的美味なオークを見逃すのは惜しいとばかりに、レイとセトはオークを倒しては解体していたのだ。
もっとも、はぐれオークの集団だけあって上位種や希少種といった存在は1匹もおらず、全てが普通のオークだったのがレイにとっては不満だったが。
ともかく、そんな風にオークの解体で余計に時間を使いつつも、それでも普通に地上を旅するのと比べると圧倒的な速さでエモシオンの街からギルムの街へと到着したレイ達。ギルムの街の周辺を移動している者達を驚かせないようにと、街道の近くに着地した後は旅人達に混じるようにしてギルムの街の正門へと移動する。
辺境にあるギルムの街に来るだけあって、街道を歩いている者達にしてみてもセトのことを知っている者は少なくないのだろう。その殆どがセトを見て小さく笑みを浮かべ、中には干し肉をセトへと与えているような者もいる。
もっとも、初めてギルムの街に来た……あるいは、レイ達がエモシオンの街に旅立った後にやって来た者達にしてみれば話は別であり、初めて見るだろうランクAモンスターのグリフォンに驚き、殆ど反射的に逃げ出そうとしている者達もいる。そんな者達には、事情を知っている者が大丈夫だと教え、半信半疑の視線をレイ達へと向けているのだった。
そんな色々な視線を受けつつ、レイは正門前へと到着する。
既に夏に突入している時期なので、周囲の気温もぐんぐんと上がっている。それでもそこまで蒸し暑さを感じさせないのは、ギルムの街がどちらかと言えば山の中……より正確には草原の中にあるからだろう。それでも暑いものはやはり暑いので、街へと入る手続きをしている者達は汗を流しながら並んでいる。そんな中で、温度を調節してくれるドラゴンローブを着ているレイは汗の1つすら流さずに行列へと並び、やがて厳つい顎髭を生やしている男の顔を久しぶりに見るのだった。
「やぁ、レイ君。久しぶりですね」
「ああ、そうだな。そう言えば俺がエモシオンの街に向かう時はランガの姿が無かったか」
ギルムの街から旅立った時のことを思い出しつつ、ギルドカードをランガへと渡すレイ。
そのギルドカードを受け取って素早く手続きを行いつつ、ランガは苦笑を浮かべる。
「丁度あの日は休日でしたからね。妻と子と一緒に過ごしてました」
「……何?」
心底予想外の言葉を聞いた。そんな風に驚愕の表情を浮かべてランガへと視線を向けるレイ。
「お前、結婚してたのか?」
「ええ。幼馴染みですが、10年くらい前に」
「……そうか」
どんな物好きな。そう口に出そうとしたレイだったが、ランガの場合は顔は確かに強面だが性格は優しく、部下にも慕われている。更には警備隊の隊長をやっているだけあって稼ぎもいい。
それらの要素を考えると、意外に優良物件であることに気が付く。
「さ、手続き完了です。お帰りなさい、レイ君、セト」
「グルルゥ」
ランガの言葉に嬉しそうに喉を鳴らすセト。
レイはようやく驚きから我に返り、渡されたギルドカードをミスティリングへと収納して従魔の首飾りをセトの首へと掛ける。
「ま、取りあえず暫く遠出はする予定……」
そこまで口にし、後2ヶ月程で迷宮都市へとエレーナと出向く約束をしていたことを思い出す。
「予定はちょっとあるけど、2ヶ月程度はギルムの街で大人しくしている予定だからよろしく頼む」
「ええ。まぁ、レイ君も異名持ちになったんですから色々と忙しいのは分かりますけどね。でも、あまり騒ぎを起こさないで下さいよ?」
騒ぎを起こすと決め付けられているその口調に何かを言い返そうとしたレイだったが、これまで自分がギルムの街で起こしてきた騒ぎの数々を思い出せば、それを口に出来る筈も無い。
「あー、そうだな。なるべく気を付ける」
「はい、そうして下さい。さ、どうぞ。街の人達もセトがいないので寂しがっていましたよ」
「グルルルゥ!」
ランガの言葉に嬉しそうに喉を鳴らし、そのままレイを置いて街中へと入っていくセト。
苦笑を浮かべてその様子を眺めていたレイは、ランガへと軽く挨拶をしてから街中へと入っていく。
その後ろ姿を見送っていたランガは、嬉しそうな表情を浮かべつつ、次の瞬間にはどこか困ったような表情を浮かべて口を開く。
「ああは言ったものの……間違い無く騒動は巻き起こるだろうね」
天然のトラブルメーカー……いや、寧ろトラブル誘因体質とでも呼べるような1人と1匹なのだ。大人しく過ごすということがまず出来そうにないのは、ランガにしても諦めと共に認めるしかなかった。
それでもレイやセトを憎く思わないのは、そのトラブルが結果的に街の為になることも多いと経験上知っているからか。
色々な意味で街中が忙しくなり、結果的に自分達警備隊の出番も増えるだろうと思えば苦笑が浮かんでくるのだった。
「おう、レイ! それにセトも! ちょっと街から出掛けてるって聞いてたけど、戻って来たのか」
「きゃーーっ! セトちゃんだよ、セトちゃん。お母さん、セトちゃんに餌やってもい?」
「そうね、そこのお店でサンドイッチでも買ってきなさい」
「グ、グリフォン!?」
「おいこら、剣を抜くな剣を。見ろ、きちんと従魔の首飾りをしてるだろ。セトは人を襲ったりはしないから安心しろ」
「従魔? グリフォンを? ……はっ! なるほど、ではあの少年が噂に聞く深紅か!」
レイとセトが大通りに姿を見せるや否や、通行人から屋台の商人、はたまた通りすがりの冒険者までもが吸い寄せられるようにして視線を向ける。
レイはともかく、セトに関して言えば人目を引くという意味では他の追随を許さない程の存在感を持っている為、ある意味ではしょうがないのだが。
そんな中、セトの姿を見て驚いていた冒険者と思しき者が1人レイへと近寄ってくる。
……そう、殆どの者達がセトに対して意識を集中している時に、レイへと。
モンスターの皮で作ったと思われるレザーアーマーに、腰には長剣。動きやすさを重視した、典型的な軽戦士の格好をした男だ。
友好的な笑みを浮かべながら口を開く。
「すいませんけど、君が深紅と呼ばれている冒険者で間違い無いでしょうか?」
その呼び掛けに、微かに驚きの表情を浮かべるレイ。自分の見かけが他人にどう映るのかは当然承知しているので、それ故にいきなり丁寧な言葉使いで尋ねられたのが意外だったのだ。
ともあれ、丁寧に話し掛けてきた相手に横柄な対応を取る訳にもいかず、被っていたフードを下ろす。
その瞬間、ドラゴンローブの効果で今まで涼しかった顔に夏特有の熱気が押し寄せてくる。
(なるほど、レザーアーマーとかを着てるのはこの暑さ対策の意味もあるのかもしれないな。この熱気で全身鎧のフルプレートアーマーを着てたりしたら熱中症やら脱水症状とか普通になりそうだし。そして何よりも……強い、な)
近寄って来た相手の強さを半ば本能的に理解しつつ、レイは小さく頷く。
「ああ、確かに深紅と呼ばれるようにはなったな。俺に何か用事が?」
「はい。ベスティア帝国との戦いで他に類を見ない程の戦果を上げた君に私の主君が会ってみたいと仰せでして。幸い、その主君は現在このギルムの街に滞在中ですので、もし良ければ会って貰えませんか?」
主君。そのような言葉が出るということは目の前にいる人物は冒険者ではなく誰か仕えている主がいるのだろう。そう判断したレイだったが、返す言葉は変わらなかった。
「悪いが、今はまずギルドに向かって戻って来たことを報告しておかないといけないんでな。今すぐに行くってのは不可能だ」
賞金首に指定されたレムレースを倒すのは、別にギルドから受けた依頼では無い。だが、それでもレムレースを倒しにエモシオンの街へと旅立つ時にはレノラやケニーといった面々に心配を掛けたのだし、ギルドマスターでもあるマリーナにも挨拶はしておきたい。そう思って口に出した言葉だったのだが、意外なことにレイの前に立っていた人物は小さく笑みを浮かべて頷く。
「レムレースとかいうモンスターを倒しにエモシオンの街に行っていたとか。その辺の話は聞いているので、そちらの報告が終わってからでも構わないけど。……どうでしょう?」
穏やかな口調で告げてくる相手に、微妙に調子を乱されるレイ。だが、目の前の人物が仕えている相手だろう貴族にそこまで譲歩させて断る訳にもいかず、小さく溜息を吐いて頷く。
「分かった。それでいい。ならギルドに行った後ではあるが向かわせて貰う」
「それには及びませんよ。こちらで馬車を用意しますので」
「……分かった」
何故そこまで丁寧な態度に出るのかは分からないが、それでも目の前の人物が好意だけで言っているのではないことはレイにも理解出来た。何しろ、周囲にはレイとセトが帰ってきたことを喜ぶ街の住民達以外にも貴族に仕えているらしい騎士や戦士といった風貌の者達が少なからず存在しているのだ。そしてそのような者達全員が、どこか忌々しそうな目でレイを……否、レイの目の前にいる人物へと視線を向けていたのだから。
そんな視線を向けられている男は、それを十分承知の上で安堵の息を吐く。
目的であるレイと一番初めに接触するということが出来た為だ。
(運が良かったですね)
現在、ギルムの街にはレイを自らの陣営に引き入れようと……それが無理でも、せめて知己を得ておこうとする貴族達、あるいはその貴族の命を受けた者達が大勢集まっている。レイと親しい相手を人質にして強引に引き入れようとするような者達はエッグ率いる草原の狼や、ギルドマスターでもあるマリーナの策謀によって排除されており、残っているのは汚い手段を使わずにレイに接触しようと思っている者達である。それでも街に残っているのが大勢なのは、それだけレイがベスティア帝国との戦争で示した戦果の大きさを示しているのだろう。
偶然とは言っても、そんなレイに他の者達よりも先んじて接触出来た男は、内心で自らの幸運に感謝しつつも言葉を紡ぐ。
「では早速行きましょうか。私もギルドの方にちょっと用事があるから、同行しても構いませんか?」
「あー、そうだな。色々と訳ありみたいだし、構わない。セト、行くぞ」
「グルルルゥ」
近くにいた屋台の店主から、ホットドッグを与えられていたセトが喉を鳴らしながらレイの元へと戻って来る。
そのクチバシに紙で覆われたホットドッグが1つ咥えられているのに気が付いて屋台の方へと視線を向けるレイだが、店主は小さく手を振ってそれに応えていた。どうやらレイの分ということらしい。
レイもその店主に小さく手を上げて感謝を示し、セトから渡されたホットドッグへと噛ぶりつく。
外側がカリッとし、中はシットリとした触感のパンと、茹でられたソーセージ、上から掛けられている酸味の強いソースが見事に調和してレイの舌を楽しませる。
予想外の美味さに驚きつつもあっという間に食べ終わり、レイはセトと話し掛けてきた男を伴いながらギルドへと向かう。
その途中でも街の住民や冒険者、商人、あるいはレイを勧誘に来た者達から声を掛けられつつ、やがてギルドへと到着する。
「レイさんは、随分と街の皆に好かれているんですね」
「俺がというよりも、こいつがだな」
男の言葉に小さく笑みを浮かべてセトの頭を撫でる。
目を細め、レイの手を気持ちよさそうに受け入れるセト。
「じゃ、また後でな」
「グルルゥ」
随分と久しぶりだが、それだけでセトはレイの意図を理解して従魔用の待機スペースへと移動して寝転がる。
「随分と賢いようですが……」
そんな様子を見ていた男が呟くのを聞いたレイは、当然とばかりに頷く。
「そうだな。セトは高ランクモンスターというのもあって、その辺の人間よりは余程賢い。今も見たように、こっちの言葉は普通に通じているしな」
「なるほど。だからこそ人馬一体で戦場を駆け抜けることが出来た訳ですね。人馬一体というのはグリフォンには合わない表現ですけど」
「そうだな。さて、俺は俺で用事を済ませるから、そっちはそっちで用事を済ませてくれ」
「任せて下さい。馬車の用意もすぐにするので、終わったら声を掛けさせて貰います」
そんな声を背中に受けつつ、レイはギルドの中へと入っていく。すると……
「あーっ! レイ君、いつ戻って来たの!?」
早速とばかりにレイの姿を見つけたケニーが、笑みを浮かべながら手を振る。
その隣では、レノラもまた小さく笑みを浮かべてレイの無事を喜びながら頭を下げていた。
ギルドの中にいた冒険者や、酒場にいた者達もまた同様にレイという名前に反射的にギルドの入り口へと視線を向ける。
良くも悪くも、ギルムの街ではレイという存在はそれだけ注目を浴びる存在なのだ。
だが、レイはそんな周囲の視線なんか知ったことではないとばかりに無視し、まっすぐにカウンターの方へと向かう。
「ちょっと遅くなったけど戻って来た。レムレースの討伐は成功したよ」
「そうよね。レイ君がモンスター相手とは言っても賞金首の討伐に失敗する筈は無いと思ってたわ」
「その割には毎日レイさんのことを心配してたようだけど?」
「むぐっ、そ、それはレノラも一緒でしょ? ね、レイ君。港街で変な虫が寄って来なかった?」
「……変な虫? いや、特に虫系のモンスターは……」
ケニーの言葉に何を言ってるのかとばかりに小首を傾げるレイ。それを見たケニーは、大丈夫そうだと安堵の息を吐く。
「それよりも、ギルドマスターはいるか? ちょっと挨拶しておきたいんだが」
「ギルドマスターなら今日はいませんよ。領主の館の方にちょっと出掛けてますから。後でレイさんが戻ってきたというのは知らせておきますね」
「そうか? なら頼む。にしても、そうなるとダスカー様も戻って来てるのか」
「そうらしいわよ? 王都で色々と忙しかったって話だけど……」
小さく肩を竦めながら呟くケニー。
その際に、大きな胸が揺れて他の冒険者達の視線を集めていたが、レイはそれに構わずに言葉を続ける。
「そうか、ならギルドマスターに対する挨拶は後にしておいた方がよさそうだな」
「ね、ね、それでレイ君。エモシオンの街ってどういう場所だったの?」
こうして、レノラとケニーの2人と20分程話をすることになるのだった。
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