第335話

 その日、唐突にもたらされた報告にエモシオンの街を治めている者……より正確には名目上の領主である貴族ではなく、その部下として雇われている者達は驚愕することになる。


「何っ! レムレースが倒されただって!?」


 その部屋の中にいた複数の人物のうち、30代前半の男が真っ先に声を上げる。


「はい、自分が受けた報告ではそうなっています。現場から直接上がってきた報告なので間違い無いかと」


 20代程の男の言葉に、その場にいた10人程の者達の顔に一瞬喜びの色が浮かぶ。だが……


「ん? 待て待て待て。レムレースが倒されたのはいいが、何でそれがレムレースの生息していた海じゃなくて陸地なんだ? いや、レムレースがどんな姿をしているのかは分からなかったから、陸上でも活動出来るモンスターだと言われればそれまでなんだが」


 その言葉に、他の者達も我に返ったように難しい顔をする。

 この場にいるのはエモシオンの街を実質的に動かしている者達であり、そうであるが故に確定した訳でも無い情報を易々と信じる訳にはいかない。何しろ、基本的には海千山千の商人達が無数に集まってくるミレアーナ王国の玄関口とも呼ばれている街だけに、慎重を期するのは当然だった。


「そう言えばそうだな。そもそも、そのモンスターは本当にレムレースなのか? こっちに入っている情報ではこの街からそう離れていない場所にいきなり姿を現したと聞いているが」

「その件については、こちらも現場からの報告になりますが、マジックアイテムを使ってレムレースを強制的に転移させたと」

「……は?」


 余程予想外の言葉だったのだろう。その場にいた者達は揃って間の抜けた顔で報告をしに来た男へと視線を向ける。まるでその男が何を言っているのか分からないとでもいうように。

 男にしても、自分がそんな視線を向けられるのは予想していたのか続けて口を開く。


「あくまでも現場からの報告です。恐らく後でもっと詳しい情報は入ると思いますが」

「……そうか。とにかく、もし本当にレムレースが倒されたのだとしたらこれ以上の朗報は無い。そのレムレースを倒した冒険者、確かあれだろう? グリフォンを従魔にしていて、自分が囮になって船を何隻も出港させていた」

「はい」


 報告に来た男が頷くのを見ながら、その場にいた女の1人が納得したように口を開く。


「なるほど。グリフォンを従えているような冒険者なら、確かにそんな規格外のマジックアイテムを持っていてもおかしくないかもしれないわね。その冒険者、随分と有能そうだけど引き抜けないかしら」

「やめておけ。報告にも上がってきている通り、ギルムの街のギルドマスターから目を掛けられている奴だ。それとこっちに入っている情報によると、ラルクス辺境伯とも親しいらしい。迂闊に手を出してそっち側から手を回されたりしたら洒落にならんぞ」


 女の声に呆れた様に男が答え、それを聞いた女は溜息を吐く。


「でも、それだけの危険を冒す価値は十分以上にあるわよ。遠距離攻撃が得意な魔法を使えて、更には空を自由に飛べるグリフォンを従魔としてるんでしょう? 海賊やら何やらを相手にする時にはこれ以上ない戦力よ」


 その言葉に、そこかしこで同意の声が上がる。

 最近でこそレムレースの影響で海賊はほぼいなくなっていたが、そのレムレースが討伐されたのが本当だとしたら、間違い無く以前のように海賊達も活動を始めるだろうからだ。

 エモシオンの街にしてみれば災厄としか言えなかったレムレースだが、海賊の姿が消えたのは数少ない利益と言えるだろう。

 もっとも、マイナス要素の方が多すぎて誰も感謝する者はいなかったのだが。


「それでもだ。マリーナ・アリアンサのやり手振りを考えると、そのレイとかいう冒険者が自発的にこの街に拠点を移したいというのなら問題は無いだろうが、こっちで動いて……となると確実に拙いことになる」

「……分かったわよ」


 男の言葉に女が不承不承頷き、その隣に座っていた40代程の女が口を開く。


「じゃあ、とにかくレムレースが倒されたのが本当かどうかをギルドに確認して貰うってことで取りあえずはいいわね?」

「そうだな。ギルドの方なら何らかの情報を持っているだろうし、この街からでも見えたあの巨大なモンスターが、本当にレムレースなのかどうかを調べてくれるだろう」

「ちなみに興味本位で聞くんだけど、レムレースって結局どんなモンスターだったんだい?」


 その言葉を部屋の中にいた1人が口に出すと、その場に射た全員の視線が報告に現れた男へと向けられる。

 無言の圧力に負けるようにして口を開く男。


「これはまだ確定情報では無く、あくまでもその場にいた冒険者の予想ですが……恐らくシーサーペントの類ではないかと」

「は? ちょっと待って。シーサーペントってあそこまで巨大じゃなかったと思うけど?」

「はい。ですので、希少種か上位種ではないか、と」

「……なるほど。それなら通常のシーサーペントと違って頭が良かったのも納得出来るか。まぁ、レムレースの詳しい情報については後で冒険者ギルドから回ってくるだろう。今はそれよりもレムレースがいなくなったと仮定して、港に停泊している船をどうにかして出港させる準備を整えなくては。1度に全てが出港するとなると、少なくない混乱が起きるだろうからな」

「確かにそうかもしれませんね。特にレムレースのおかげで中々出港できなくて、これ以上港の使用料をこちらに払いたくないという人も多いでしょうし」


 そんな風に、この場にいる者達は間違い無く忙しくなるこれからの日々を思い、頭を痛めるのだった。

 実際、この翌日からは寝る暇も無い程に忙しくなり、中には疲労で倒れる者も出ることになる。






 既に日が沈みかけ、普段なら街の正門が閉じる準備を始めてもおかしくない時間。そんな時間帯にも関わらず、現在正門前には大量の冒険者達の姿があった。言うまでも無くレムレースの姿を見て飛び出していった者達で、その後レイの提案に乗ってレムレースの解体作業を行い、それが終了して街まで戻って来たのだ。


「ギルドカードを……ああ、確認した。入ってもいいぞ」

「こっちも頼む。急いでくれ!」

「ああ、待て待て。順番だ順番。とにかく列を乱したり割り込んだりした奴は後に回すぞ!」

「ギルドカード……え? あれ? 俺のギルドカードはどこにいった? えっと……」

「応援だ、もっと応援を呼んでこい! 5人程度だと時間が掛かりすぎる! 確か警備隊の本部に何人か暇をしている奴がいた筈だろ!」


 何しろ、冒険者の数が50人を越えており、その多くが馬車や馬といったものを連れているのだから、ミレアーナ王国最大の港街でもあるエモシオンの街の正門前でも迂闊に身動きが出来ない程に混雑していた。勿論警備兵達も必死にギルドカードの確認を始めとした街に入る手続きをこなしているのだが、その人数は中々減らない。

 それでも、普通ならこういう場合には騒ぎ出す冒険者達の多くが上機嫌であり、満足そうに笑みを浮かべているのはレムレース解体の報酬としてレイから約束通りにレムレースの肉を貰い、更には今日これからギルドで行われる宴会がレイの奢りであると言われたからだろう。

 本来であれば宴会の奢りというのは考えていなかったレイだが、エグレットにこういう大型モンスターを倒した場合はその報酬で皆にパーッと奢るのも悪くないと言われた為だった。

 レイとしても、レムレースという巨大モンスターを倒すことに成功して念願の魔石を入手したということもあって気分が良かった為にそれを了承。その為に他の者達よりも一足早く街中へ入る手続きを終え、共に戦った仲間達とギルドへと向かっていた。


「いやぁ、それにしてもレムレースは強かったな。まさか物理攻撃を無効化した上にこっちの武器を腐らせるような液体を皮から出すとは思わなかった」

「……ご自慢のポール・アックスを壊されたってのに、随分と上機嫌ね。あたしとしては、もう2度とあんなモンスターと戦いたくなんかないわ。大体、シーサーペントの類だってのになんであんなに巨大で凶悪で凶暴なのよ」

「ま、まぁまぁ。ミロワールさんも落ち着いて下さいよ。とにかくレムレースは倒したんですから」


 エグレット、ミロワール、ヘンデカがそれぞれ話す声を聞きながらも、レイは街の中を見回しながら道を進む。

 既にレイよりも先に帰還した者達が触れ回ったのだろう。街中全体が賑わっており、近くにいる者達と嬉しそうに話している光景がそこかしこで繰り広げられている。

 それでいてレムレースを倒したレイ達に誰も声を掛けてこないのは、幸か不幸か誰がレムレースを倒したかという情報がまだ殆ど広がっていない為でもあった。だが、それも今正門前で手続きをしている冒険者達が街中に入ってしまえば、遅かれ早かれ知られることになるだろう。


(妙な騒ぎになるのはあまり嬉しく無いなんだけどな。……まぁ、お零れを狙おうとするような奴が近づいて来たら、それ相応の対処をするだけだが)


 そんな風に考えている間にも一行は歩みを進め、やがて目的地でもあるギルドへと到着する。


「セト」

「シェンも」


 レイとヘンデカ2人の問い掛けに、短く鳴きながら従魔用のスペースへと移動していく2匹。

 それを見送り、4人はギルドの中へと入っていく。


「おい、あれ」

「ああ、深紅だ。そうなるとやっぱり……」

「昼前に見たあのモンスターか?」

「あれがレムレースだって噂が流れてるが、なんで海の沖にいる筈のレムレースが陸地に現れるんだよ」

「陸地に移動出来る種類のモンスターだったんじゃないの? ここから見えた限りでもシーサーペント系のモンスターであるのは明らかだったんだし。それなら……」

「けど、ずっと沖にいたのに何で急に陸地に?」


 ギルドの中にいた冒険者、あるいは併設されている酒場で少し早い夕食を取っていた者達がギルドに入って来たレイを見つけて口々に噂話や予想を口にするが、レイはそんな様子に構うことなく真っ直ぐにカウンターへと向かう。エグレットとミロワールはこれまでの経験でそのような視線に慣れているのかこちらも全く気にした様子が無い。ただ1人、ヘンデカだけがどこか落ち着かない表情で周囲を見回していた。


「ほら、落ち着きなさいよ。あんたも今回の件で立派に主役の1人なんだから」

「でもミロワールさん、僕はこういう場はあまり……」


 ミロワールとヘンデカのそんな声を聞きつつ、受付嬢へと声を掛けるレイ。


「レムレースの討伐を完了したんだが、どうすればいい? 一応討伐証明部位と思しき場所は持ってきてるけど、そもそもレムレースの姿自体が見つかってなかった以上は証拠にならないだろうし」

「……ちょ、ちょっとお待ち下さい。すぐに上の者を呼んで参りますので!」


 自分に判断出来る限界を超えていると判断した受付嬢が、慌てたようにそう告げて奥の方へと引っ込んでいく。

 同時に、ギルドの中ではレイの言葉を聞き取った者達が驚愕の声を上げる。


「やっぱり奴等がレムレースを……」

「けど、どうやって証明するんだろうな?」

「さあ? でも、これで街もようやく静かになるわね。外から来た冒険者のせいで、依頼が軒並み取られてたからこれからどうしようかと思ってたけど」


 そんな声を聞きながらも気にした様子も無く待っていたレイだったが、やがてカウンターの奥の方から先程去って行った受付嬢と一緒に40代程の男が姿を現す。


「初めまして、私、当ギルドでギルドマスターの補佐をしているロセウスといいます。何でも、レムレースを討伐なさったと聞きましたが……詳しい話をお聞きしても?」

「ああ、構わない」


 出て来た人物の予想外に丁寧な対応に頷くレイ。これまで会ってきた男のギルド職員の殆どが厳つい容姿をしていた為、かなりの驚きをもって目の前の人物を眺めていた。

 そのままロセウスに案内され、ギルドの2階にある会議室へと案内される。この辺りの構造はどこの街にあるギルドでも大して変わらないのだろう。勿論細かな違いは多々ある。2階にある会議室の数や、その室内の様子といったものも様々である。例えば港街でもあるここのエモシオンの街では会議室の中に珊瑚や貝殻を使った置物が置かれていたり、壁が海を思わせるような色に塗られていたりといったように。

 初めて会議室に入ったヘンデカは興味深そうに周囲を見回し、高ランク冒険者としてこれまで何度も会議室に入った経験のあるエグレットとミロワールは特に表情を変えた様子も無い。レイにしても会議室に入るのは初めてという訳でも無いので、特に何かを思うところは無かった。


「さて、それでレムレースを倒したということですが……その、申し訳ありませんが何か証拠のようなものはありますか? 何しろ、はっきりとレムレースの姿を見た者がいないので、こちらでも些かどう対処したらいいのか迷っている状態でして」

「だろうな。……なら、取りあえずこれを見て欲しい」


 そう言い、レイがミスティリングから取り出して机の上に置いたのは直径30cm程もある巨大な魔石だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る