第308話

「あ、レイさん。ちょっといいですか」


 雨雲が空を覆い、いつ雨が降ってきてもおかしくないその日、レイがギルドへと入ってくるや否や受付にいたレノラから声を掛けられる。

 その隣では、ケニーもまた笑みを浮かべながら手を振っていた。

 周囲で依頼ボードを見ていた冒険者達は微かに眉を顰めたりといった不愉快そうな表情をしている者も多いが、だからといってレイに絡むような者は既にいない。元々ギルムの街の中で有名人であったレイだが、戦争により深紅との異名すらも付けられたのだ。ギルドにいるランクD以上の冒険者が数多く参加していた戦争だけに情報が広まるのも早く、それを知らない者は殆どいない。いるとすれば戦争終了後にギルムの街へとやって来た冒険者だろうが、幸いこの時ギルドの中にその類の新人は存在しなかった。


「指名依頼か?」


 戦争が終わり、ラルクス領軍がギルムの街へと戻って来て半月程。さすがに当初のような忙しさは無くなってはいたものの、それでもギルドが平常運転に戻ったかと言えば、それは否だった。それ故自分に何らかの指名依頼が入ったのかと思って尋ねたのだが、レノラとケニーの2人は笑みを浮かべて首を振る。


「違います。実は、今朝方領主の館から騎士の人が来て今回の件の報酬を置いていったんですよ。それを渡そうと思って」

「……報酬を? ダスカー様から直接受けるって話だったと思うが」


 セレムース平原からの帰還時、王都へと向かう集団と別れる時にダスカーから自分から直接マジックアイテムを渡すから楽しみにしていろと言われたのだ。そう口にするレイだったが、レノラは残念そうに頭を下げる。


「ええ、聞いています。実際私もギルドの上層部からはそう聞かされていましたし。ですが、色々と王都であるようでして……詳しいことは私も知らされていませんので、ギルドマスターから直接聞いて貰えますか? 執務室でレイさんをお待ちしていますから」

「全く、ギルドマスターったらレイ君を自分の部屋に呼び出すなんて何様のつもりなのかしら」


 ギルドマスターという言葉で妖艶なダークエルフの顔を思い出したのか、ケニーが不満そうに口を尖らせる。

 だが、次の瞬間には後頭部にレノラから書類を丸めた一撃を食らってカウンターへと上半身を倒す。


「何様も何も、ギルドマスターよ。少なくても私達受付嬢が文句を言っていい人じゃないわ」

「でも! ……レイ君、ギルドマスターの色仕掛けに引っ掛かっちゃ駄目よ。いい思いなら私が一杯させてあげるんだから!」


 がばり、と倒れ込んでいた上半身を引き起こし、その大きな胸を強調させるようにレイへと言い募るケニー。

 近くでその様子を見ていた冒険者の男達が深い胸の谷間に目を奪われ、その中の数人は仲間の女冒険者に足を踏まれ、脇腹を抓られ、あるいは顔面を持っていた槍の柄で殴りつけられる。


「……もういいわよ、何を言っても無駄だから」


 そんなケニーを見て呆れた様に溜息を吐いたレノラは、カウンターの内部へとレイを招き寄せる。


「じゃ、そういう訳で私はレイさんをギルドマスターの執務室に連れて行くから、後はお願いね」

「はいはい。何でレノラがレイ君の担当なのかしら。私の方がもっと効率的にサポートできるし、ギルドとの関係も深くできるのに。ねぇ?」


 こういう風に、と言わんばかりにレイの腕へと抱き付くケニー。

 その腕に伝わる柔らかい膨らみに一瞬意識が向くが、すぐに抱き付かれていない方の腕を引っ張られてケニーから離れることになる。

 当然、もう片方の手を引いていたのはレノラであり、鋭い視線をケニーへと向けて口を開く。


「あんたがそうやって色仕掛けをするからでしょ。いい? プライベートではともかく、今の私達はあくまでもギルドの職員なの。特定の相手を贔屓するような真似をする人に任せる訳にはいかないでしょ」

「えー、でもこれは贔屓じゃなくて区別よ?」

「はいはい、寝言は寝てから言いなさい」


 レノラの鋭い視線に押され気味のケニーだったが、ふとレイの方へと視線を向けると何かに気が付いたように笑みを浮かべる。


「そうね。じゃあ、レイ君と一晩を過ごした時に寝言を言わせて貰うわ」

「……あんたねぇ。もういいわ。相手をしている時間も惜しいから。とにかくレイさんは私がギルドマスターの執務室に連れていくから、ケニーはここで受付をお願いね」


 そう言うや否や、これ以上ここで話していても埒が明かないとばかりにレイの手を握ってギルドの奥へと進んでいく。

 レイとしても、このままでは全く話が進まないと理解しているので、特に何を言うでもなくレノラに手を引かれるままについていくのだった。

 そしてカウンター内部の階段を上がり、執務室の前に到着して扉をノックしようとしたところで、ようやく自分がレイの手を握っているのに気が付いたのだろう。レノラはどことなく照れたような笑みを浮かべて手を離す。


「あ、すいません。でもいつまでもケニーの相手をしていられないし。で、えっと……ギルドマスター、レイさんをお連れしました」

「入りなさい」


 ノックをして声を掛けた途端に中からそう返事がされ、扉を開けた先にいたのは褐色の肌と銀髪、そして尖った耳を持つ存在だった。マリーナ・アリアンサ。ミレアーナ王国唯一の辺境にあるギルムの街の冒険者ギルドのギルドマスターである。

 以前にレイが会った時に比べると若干大人しい服装ではあるが、それでも胸元が派手に開いているパーティドレスというのは一緒だった。エレーナの美しさを豪華絢爛で凛とした美しさだとするのなら、マリーナは艶と色といった印象だろう。


「あら、レイ。良く来たわね。戦争の件はご苦労様。貴方のおかげでこの街の腕利き冒険者達が命を落とさずに済んだわ」

「俺は俺の仕事をしただけだしな。それにベスティア帝国には色々と思うところもあった」


 無愛想としかとれない口調だが、マリーナはそんなレイの言葉を受けても変わらず艶のある微笑を浮かべたままだ。


「レノラ、ご苦労様。もう下に戻ってもいいわよ。ケニーが妙な暴走をする前に止めてちょうだいね」

「……私は別にケニーのお守りじゃないんですけど」


 マリーナの言葉に若干不満そうな表情を浮かべるレノラだったが、確かにケニーをあのままにしておけばどのような暴走を始めるか予想が出来たのだろう。小さく溜息を吐くとマリーナとレイに向かって一礼してから執務室を出て行く。

 その後ろ姿を見送り、扉が閉まったのを確認してからマリーナは執務机の側にあるソファへとレイを案内する。


「さ、座ってちょうだい」


 普通の男なら、それだけで魅了されてしまうかのような流し目をレイへと送るマリーナだったが、レイは小さく首を横に振って口を開く。


「俺は報酬のマジックアイテムを貰いに来ただけだ。長居するつもりはないんだが?」

「レイがそのつもりでも、私は貴方に対して話しておきたいことがあるのよ。さ、座って」

「……」


 マリーナの言葉に渋々とソファへと座るレイ。

 別にレイ自身はマリーナを嫌っている訳では無い。だが、マリーナと相対していると落ち着かない気分になるのだ。

 勿論レイも異性関係について何も知らない訳では無い。実際にエレーナを魅力的だとは思っているし、キスもしたのだから。だが、異性関係にそれ程慣れていないレイにしてみれば、マリーナの出す色気というのはある意味で過剰ともいえた。そう、下手をしたら知らないうちに手を伸ばしてしまいかねない程には。

 そんなレイの様子に気が付いているのかいないのか。レイ自身の魔力も感じてはいるのだろうが、マリーナ自身は全く気にした様子も無く艶やかな笑みを浮かべて口を開く。


「さて、まず今日ここに呼んだ理由はレノラから聞いているわよね?」

「ああ。ダスカー様からマジックアイテムを預かっているとか」

「ええ。本来なら彼が直接レイに渡そうと思っていたらしいんだけど……」

「まだ王都から戻って来ていないらしいな」

「そうね。私の方に入った連絡によると、今回の戦争で王都での派閥の勢力がそれなりに動くそうよ。その影響で今は下手に動けないらしいわ」


 そうか、と頷くレイ。

 レイにしてみれば、ダスカーというのはある意味で貴族からのちょっかいから庇ってくれる人物であり、その性格についても尊敬とまでは行かずとも好意は持っている。だが、王都での貴族同士のやりとりに自分が出て行けば無意味に混乱させるだけであり、あるいはダスカーを不利にする要素にもなると判断しているので、特に何か行動を起こすつもりも無かった。もっとも、ダスカーから指名依頼という形で頼まれれば話は別なのだが。

 そんなレイの様子を見ていたマリーナは、執務机の横に置いてあった何かの固まりへと手を伸ばして口の中で呪文を唱えると片手で持ち上げる。


「……」


 その様子に思わず目を見開くレイだったが、やがて自分がどのように見られているのか気が付いたのだろう。マリーナは悪戯っぽく笑って口を開く。


「言っておくけど別に私が怪力って訳じゃないわよ? 精霊魔法の力よ。ほら」


 パチンッと指を鳴らすと、マリーナの指先に高さ10cm程の竜巻が姿を現す。


「風の精霊にお願いして手伝って貰ったのよ。……さて、それで話を戻すけどこれがラルクス辺境伯から預かっている物よ」

「……この布の固まりが? 確かそれなりに貴重なマジックアイテムを貰えるって話だったんだが」


 胡散臭げに床に置かれた布の固まりに目を向けるレイだったが、マリーナは笑みを浮かべて口を開く。


「見ただけじゃ分からないかしら? なら、まずはそれに触ってマジックアイテムを使う時のように魔力を流してみなさい。そうすればそれがどれ程価値のある物かが分かるから」


 一瞬マリーナと床に置かれている布の固まりを見比べるが、冗談を言っている訳では無いと分かったのだろう。小さく溜息を吐いてからそっと床に転がっている布の固まりへと手を伸ばし、魔力を流す。その瞬間……


「うおっ!」


 床に転がっていた筈の布の固まりが、魔力を流した瞬間にテントへと姿を変えたのを見て思わず驚きの声を漏らすレイ。


「ふふっ、驚いたようね。でも、驚くのはまだ早いわよ? テントの中に入ってみて?」

「……確かに魔力を流せば一瞬で展開するテントというのは驚いたが、それでもこの大きさだと3人くらいで精一杯じゃ……何?」


 マリーナの声に従い、テントの入り口から顔を突っ込んでみたレイ。外見で判断すると2m程度の大きさを持つ、まるで床の色に合わせたかのような茶色いテントの筈だったのだが、入り口へと顔を突っ込んだレイの目に入ってきたのは、10畳程の大きさの部屋だった。

 そう、テントでは無く部屋なのだ。


「っ!?」


 咄嗟にテントの入り口から顔を抜き、周囲を見回す。そこに広がっているのは確かにギルドマスターであるマリーナの執務室だ。


「……」


 そして再びテントの入り口へと顔を突っ込むと、やはりそこにあるのは10畳程の広さの部屋である。中にはソファにテーブルのような応接セット、そしてベッドが1つ備わっている。


「これは……」


 驚きの声を上げたのは、初めて見たマジックアイテムだからでは無い。つい先日セレムース平原で行われた戦争。その時に何度か同じような物を見ている為だ。例えばダスカーの天幕、あるいはエレーナが使っていた天幕。どちらも今レイの目の前にあるテントの数倍、あるいは数十倍の大きさを持つ天幕だったが、外見と中の広さが違っているという点では同じだ。


「驚いたようね。こう見えても相当に高額なマジックアイテムなのよ。特に街の外、それも辺境で使うことを前提として作られているから色々と便利な機能もついているわ」

「……便利な機能?」

「ええ。今の外見は外から見る限り床の色に合わせた茶色となっているけど、例えば森の中で使えば緑色になるわ。簡単に言えば、周囲の景色に溶け込むような色に自動的に変わるのよ。他にも、ランクD以下のモンスターを寄せ付けないという能力もあるけど……こっちに関してはあまり過信しないようにね。辺境で使うことを考えればランクC以上のモンスターが出て来るのは珍しくもないでしょう?」


 とても笑みを浮かべて口にする内容では無いのだが、マリーナの言葉はある意味で事実だった。

 辺境である以上は街の外に出ればランクC程度のモンスターが姿を現すのはそう珍しくないのだから。


「それと注意事項として聞いて欲しいんだけど、空間魔法を使っているこのタイプのテントはかなり貴重品だということ。……まぁ、セトを連れているレイには言うまでも無いけど、レイの強さを分からないような奴に見せたりしたら奪い取ろうとして襲ってくるような相手もいるかもね。後は……」


 何かを思い出すように小さく目を閉じるマリーナ。その何でも無い仕草その物が色気に満ちているのだが、幸いレイは目の前にあるテントに注意を奪われている為に特に気にした様子は無かった。


「ああ、そうそう。このテントには明かりの機能は付いてるけど、水の機能は付いてないわ」

「……水?」

「ええ。台所の類が無かったでしょう?」

「そう言えば確かに」


 再び顔をテントの入り口から突っ込んで確認するレイ。

 テントの中には、確かに台所は存在していなかった。


(エレーナが使っていた天幕には台所が付いてたんだが)


「ま、これは少し古い型だからしょうがないかもしれないわね。それでも、この類のテントは冒険者としてはあって損は無いわよ」

「だろうな」


 野宿とベッドで眠ったのでは当然疲れの取れ具合が違うし、急な天候の変化に慌てる必要も無い。このテントのありがたさはレイに取っても嬉しい物だった。


(それに水なら流水の短剣があるから困ることはないだろうし)


 ミスティリングの中に入っているマジックアイテムを思いだしながら内心で呟く。


「確かに、このテントはありがたく受け取ろう。ダスカー様が戻ってきたら礼を言いに行かないとな」

「そうね。この類の空間魔法を使って作られたテントはレイの持っているアイテムボックス程ではないけど、それなりに希少価値は高いのよ。ラルクス辺境伯も随分と奮発したわね。……まぁ、それだけレイが活躍したってことなんでしょうけど」

「その甲斐はあったってものだな」


 呟き、テントへと触れてミスティリングへと収納する。

 そんなレイを見ていたマリーナだったが、ソファへ座って足を組み替えながら口を開く。


「ねぇ、レイ。ちょっと港街エモシオンに行ってみる気は無い?」

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