第307話
ミレアーナ王国の王都、カーフィリ。その中心部分にある王城の中で、ダスカーは慣れぬ服装に窮屈そうな表情を浮かべて襟元を広げる。
周囲に見えるのは、これでもかと飾り立てられた広い部屋。否、部屋という言葉ではとても表せない程の広さを持つ1室だ。恐らく男爵や子爵といった低位の貴族の屋敷なら丸々入るだろう広さを持つその部屋には、現在数え切れない程の人が集まっている。その殆どが貴族で、他にも給仕やメイドがその中を歩き回っては貴族にワインの入ったグラスを渡したりしていた。
凱旋式典が終了し、その後のパーティ会場。そんな場ではあるが、至る所で貴族達が固まっては談笑している。ただし、その談笑の裏では貴族としての話術によって静かなる戦争とも呼べるような戦いが繰り広げられているのだ。
(戦争を終えた凱旋式典のパーティでまた戦争とは、つまらない話だ。だがレイの奴を連れてこなかったのは正解だったか)
自分と同じ中立派の貴族と会話をしつつワインを口に運びながら考えていると、ふと自分達に近付いてくる幾つかの人影に気が付き、聞こえないように舌打ちする。
だが、中立派の中心人物としてここで相手から逃げる訳にもいかない。それ故に、ワインと料理を楽しむ振りをしながら話し掛けられるのを待つ。
「これはラルクス辺境伯、今回は戦勝おめでとうございます」
そう声を掛けて来たのは、見るからに肥え太った男だった。ここまで歩いて来ただけだというのに、既にその額には汗が滲んでいた。
外見だけで判断するのなら、その生活の不摂生さもあって50代のようにも見えるのだが、ダスカーの記憶が正しければ目の前の肥え太った男はまだ30代程の筈だった。他にも似たような体格の者が2名付き従っている。
「久しいな、オッターヴォ子爵。それにそちらは確か……」
「ええ、私の不肖の息子ですよ。今回のパーティは息子達の花嫁も探そうと思っておりましてな」
「……そうか。では、俺と話している暇は無いんじゃないか?」
色々と思うところはあるが、貴族にとっての結婚というものがどういうものなのかを知っているダスカーとしては、特に何かを口に出すつもりもない。だが、オッターヴォ子爵に話し掛けられたのだけはいい気分がしなかった。
とは言っても、ダスカーとて辺境伯の地位にいる身。例え目の前にいる子爵が領地内で住民が餓死寸前になる程に税を搾り取っていると知ってはいても、その嫌悪感を表情に出すことは無い。
「何、その前に今回の戦争の英雄についての話をお聞かせ願いたいと思いましてな。それで、噂の冒険者の姿はどこに?」
たっぷりとした顎の肉を揺らしながら尋ねるオッターヴォ子爵に、即座に首を横に振るダスカー。
「残念ながら奴なら王城に……というか、カーフィリに来ていないぞ。真っ直ぐギルムの街へと戻った」
ダスカーがそう口にした瞬間、瞼の肉で半分埋まっているかのようになっているオッターヴォ子爵の目が鋭く輝く。
「ほう? ほうほう。戦争の英雄がこの式典に参加していないと? それは一体どういう理由ですかな? まるで、ラルクス辺境伯が人目に晒したくない、隠しておきたいかのように見えますが……」
その言葉にピクリと頬を動かすダスカーだったが、それよりも前に他の中立派の貴族が口を開く。
「オッターヴォ子爵、辺境伯であるダスカー様に向かって失礼ではないですか。国王派の貴族として、もう少し弁えるべきでしょう」
「ほ? あぁ、確かにそうかもしれませんね。失礼しました」
慇懃……というよりは慇懃無礼な態度で恭しく一礼するオッターヴォ子爵。その際に顔に付いている肉が揺れているのだが、それは滑稽さというよりも気味の悪さを感じさせる。
「ですが、このパーティに参加している他の貴族の方々も噂の冒険者をその目で見たいと思っているのですよ。それが雇い主でもあるラルクス辺境伯の命令で参加していないとなると……なぁ?」
背後に立っている2人の息子へと声を掛けるオッターヴォ子爵。
「そうですな、確かに父上の言う通りよからぬ噂を流すような者が出てこないとも限りません。例えば、ラルクス辺境伯は1軍を退ける程の力を持つ冒険者を懐に抱え込んで何かを企んでいる、とか」
「はっはっは、そんなことはないだろ。確かにレイはそれだけの力を持つかもしれないが、この国にはランクSの冒険者がいる。そんな相手を前に、レイがどうこう出来るとは思えないんだがな。それにそんな噂が流れたりすれば、それこそミレアーナ王国の首都を騒がせた者として噂を流した者が騒乱罪に問われることになるだろう」
レイという冒険者を囲って何を企んでいる? 下手な真似をすれば即座に噂として流して処罰するよう求めるぞ。
レイよりも強いと言われているランクS冒険者を囲っているんだから、文句を言うな。変な噂を流したらその責任はお前にあるとして徹底的に追究するぞ。
そんな内容の貴族特有の遠回しな会話をお互いに交わし――言葉を発したオッターヴォ子爵の息子ではなく本人とだが――形勢が不利と見たのだろう。オッターヴォ子爵は額から流れている汗を懐から取り出したシルクのハンカチで拭きながら笑顔を浮かべて頭を下げる。
「そうですか。噂の冒険者の姿を見ることが出来なかったのは残念ですが、それは次の機会にしましょうか。ちなみにこれは好奇心で尋ねるんですが、何故噂の深紅とかいう冒険者を今回連れてこなかったんですか?」
一度退くにしても、少しでも情報は得ておきたい。そんな思いで出された問いにダスカーは苦笑を浮かべる。
「知っての通り、レイは冒険者であって貴族じゃない。しかもギルムの街に来るまでは山奥の田舎で暮らしていただけに、貴族に対する礼儀作法もなっていないんでな。それを考えると、陛下との謁見で色々とやらかしそうだったから今回は王都に来ないでギルムの街に戻って貰った」
「……なるほど。確かに陛下に対する無礼は許されませんからね。それを考えるとラルクス辺境伯のやり方は正しかったのではないかと思います」
さすがに国王派であるオッターヴォ子爵が国王に対する無礼を働くかもしれない冒険者を連れてこいとは言える筈も無く、やり込められた苛立ちで頬をピクリとさせながらも、頭を下げる。
「色々と失礼なことを口にしましたが、それも全てラルクス辺境伯がいらぬ誤解を受けぬようにとの思いから出た言葉ですので、許して貰えると助かります」
「ああ、勿論だ。俺のことをそこまで心配してくれて嬉しく思う」
「いえいえ、私達は同じミレアーナ王国の貴族であり、陛下を支える柱でもあります。特にラルクス辺境伯は、その名の通りこのミレアーナ王国唯一の辺境を治めており稀少な素材や魔石を国中に提供しているのです。そのような方がいらぬ誤解から処罰を受けるようになっては、国にとっても嬉しく無いですからね。……では、この辺で。息子達の相手を探さないといけませんので」
再び頬の肉を揺らしながら一礼し、息子2人を引き連れダスカーの前から去って行くオッターヴォ子爵。
その後ろ姿を見送っていた中立派の貴族が小さく舌打ちをする。
「ちっ、子爵如きがダスカー様に向かってあのような口を」
「あまり怒るなよ。俺は気にしちゃいないからな。ほら、折角のパーティなんだ。美味い食事に美味い酒。これを楽しまないと損だぜ?」
「……すいません、ダスカー様。我等にもっと力があれば……」
また別の貴族が無念そうに呟き、ダスカーへと頭を下げる。
そんな貴族へと視線を向け、溜息を吐くダスカー。
「だから気にするなって。大体、言われた本人の俺が気にしてないのにお前達が気にしてどうするんだよ。俺達中立派は人数が少なくて影響力が無いってのは前から分かってたことだろ? まぁ、今回はレイのおかげで妙に目立ったが」
「それは……はい。確かにそうではありますけど。でも、だからこそこの機会により影響力を高めるべきでは無いですか?」
「俺はそうは思わないけどな。確かにこれを機会にして影響力を伸ばそうとすればある程度までは伸ばせるだろう。だが、そもそも今回の国王派の目的は何だった? アリウス伯爵は自分の出世の為の戦功を欲してはいたが、基本的には俺達中立派と貴族派の戦力を消耗させて弱らせることだろう? それが出来ずに逆に自分達の戦力が減っているんだから、向こうにしてもピリピリしてるのは間違い無いだろ」
呟き、それが原因で先程のオッターヴォ子爵がやって来たのだろうと続ける。
「ですが、アリウス伯爵を始めとして今回の戦争に参加した貴族達は国王派の本流では無い筈です。なら、そこまで国王派の戦力が減ったとしても気にするでしょうか?」
貴族の1人がそう口に出すが、ダスカーは小さく首を横に振る。
「違うな。例え本流ではないとしても、国王派であることには変わりないんだ。どうあっても国王派、貴族派、中立派というのは違う派閥であって、国王派の連中にしてみれば俺達の戦力がそのままってのは疎ましいことなのさ。……国難の中でこんなことをやってるんだから、大国の名が泣くよな」
「あるいは大国だからこそ、なのかもしれませんね」
そう言われ、違いないと苦笑したダスカーはテーブルの上の王都でしか食べられないような高級食材をふんだんに使った料理へと手を伸ばす。
戦勝パーティというだけあって料理人達もここぞとばかりに腕を振るったのか、どの料理も非常に美味であり、存分に舌鼓を打つ。
その後、国王が姿を現して軽く演説をし、他の派閥の貴族達やあるいは中立派の貴族達との会話を交わすのだが、そのようなやり取りは好まないダスカーとしては、純粋に料理と酒を味わっている時だけが心休まる時間だった。
その人物が姿を現すまでは。
「久しぶりだな、ラルクス辺境伯。楽しんでいるかね?」
ダスカーの前に姿を現したのは、整った容貌をしつつも貴族の……それも、最高位である公爵としての威厳を身に纏っている人物だ。当然ダスカーにしても、目の前にいるのが誰なのかというのは知っていた。いや、ミレアーナ王国の……ひいては近隣諸国でこの男の顔と名前を知らない貴族がいたとしたら、その者は余程の箱入りか物知らずだろう。リベルテ・ケレベル。貴族派を率いている人物にして、姫将軍エレーナの実の父親である。
「ケレベル公爵……今回はお互い大変でしたな」
そんな人物を相手にするだけに、ダスカーの口調もいつもよりは丁寧なものへと変わっている。……あくまでもいつもよりは丁寧だといえる程度でしかないのだが、そんなダスカーの言葉に鷹揚に頷くリベルテ。
「ああ、全くだ。まさか国王派が魔獣兵についての情報を信用すらしないとは思わなかった。それを考えれば、今回の戦争はよく勝てたものだ」
「ええ、貴族派と協力してベスティア帝国軍に対抗したおかげでしょうな」
「そうかね? フィルマに聞いた話では、君が雇った冒険者の活躍が大きかったと聞いているが。うちの娘とも仲がいいようだし、出来れば顔を見ておきたかったんだがな。残念ながら来ていないらしい」
「冒険者だけあって、貴族に対する礼儀がなっていないので」
お互いに笑みを浮かべつつ会話を交わしてはいるが、目は笑っていない。
ダスカーにしてみれば、確かにエレーナとレイが親交があるというのは知っているが、それを理由にしてレイ程の強大な戦力を持つ冒険者を引き抜かれる訳にはいかず、貴族派の中心人物でもあるケレベル公爵のリベルテとしては、それ程の戦力は是非引き込みたい。
もちろんリベルテは自分の派閥の強化を最優先に考えてはいるが、それと同時に愛娘のエレーナのことについても考えていた。
この世界ではたった1人の規格外な存在が数十、数百、数千、あるいは数万の兵力と同等の働きをするというのは珍しい話ではない。実際、今回の戦争でレイが示して見せた働きはランクA冒険者でも出来る者は少ないだろうと言える程のものだったのだから。
「それよりもラルクス辺境伯。今回はうちの派閥の者が迷惑を掛けたようだな。以後はああいう馬鹿は出させないように気を付けるとしよう」
リベルテの言葉を聞き、レイという存在に嫉妬し、夜に呼び出して暗殺しようとした貴族、ルノジスという貴族の顔を脳裏に浮かべるダスカー。
「そうですな。まさか戦争の英雄ともいえるレイを暗殺しようとするとは思いもしませんでしたよ。出来ればああいうことはもう無いようにして貰えると助かります。貴族派を率いているケレベル公爵にしても、ああいう出来事が表沙汰になっては困るでしょう」
心配そうな口調で尋ねるダスカーだが、その意味するところは明白であり、それはリベルテもきちんと理解していた。
故に、口元に笑みを浮かべて頷く。
「確かにラルクス辺境伯の言う通りだ。何かあったら力を貸そう。その際はよろしく頼む」
そう言い、握手を求めて手を差し出すのだった。
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