第299話
ベスティア帝国軍が撤退してから2日、ミレアーナ王国軍の姿は未だにセレムース平原の中にあった。
既に奇襲部隊を始めとしてこの戦争で捕らえられた捕虜はミレアーナ王国軍の陣地に集められており、魔法使いが土の魔法で作りあげた収容所の中へと押し込められている。
勿論、天幕を与えられてそれなりの対応をされている者もいるが、それはあくまでもある程度の身分がある者。即ち身代金と引き替えに解放出来る貴族や、家が裕福な者に限られていた。収容所に押し込められている者達は、この先取り調べで洗い浚い情報を聞き出した後で奴隷商に売られることになる。
本人達もそれを理解しているのか、諦めきったような視線を浮かべている者も多い。
あるいは脱走しようと考えている者もいるのだろうが、周囲を固めている見張りのことを考えると脱走するのは難しいだろう。
そんな一画とは裏腹に、ミレアーナ王国軍の陣地では撤収の準備が進められているのだが、10万人を越える人員が集まっている陣地なだけに、その撤収に関しても一騒動となっている。
「レイ、次はこれを頼む!」
ラルクス領軍の騎士がそう告げて大量の剣や槍といった武器を纏めてレイの前へと置いていく。
雲一つ存在しない空から降り注ぐ春の日差しをその身に浴びつつ、無言で手を伸ばしてミスティリングへと収納するレイ。
体力については他の追随を許さないレイだが、今はその顔にベッタリと疲労が浮かんでいる。
勿論、その顔に浮かんでいるのは肉体的な疲労ではなく、精神的な疲労だ。ある程度行動を共にして慣れてきたとはいっても、レイにとっては殆ど面識もない他人とやり取りをするのは決して楽しいものではなかった。
既にこの戦争に参加した貴族達のうち、何割かはセレムース平原から撤収している。とは言っても、貴族本人はこのまま王都へと向かって戦争に勝利した記念式典へと参加することになるので、率いていた軍は最低限の共を残して貴族の領地へと戻るのだが。
「そう言えば、レイ。お前はどうするんだ?」
目の前に置かれた大量の武具をミスティリングへと収納していると、ふとそんな声が聞こえてくる。
声のした方へ視線を向けると、そこにあったのはルーノの姿だった。実際に戦っている時はレイとの接点は殆ど無かったのだが、戦争が終わった後にレイの前にひょっこりと顔を出し、以前と同様にレイの護衛兼世話役として行動を共にしていたのだ。
とは言ってもこの戦争で深紅という異名を付けられる程の実力を持ち、更には側にはいつでもグリフォンが控えている。そんな状況では幾らレイの見た目がひ弱な魔法使い見習いにしか見えなくても、ちょっかいを掛けるような者はいないだろう。
(現実が見えていない馬鹿じゃない限り、な)
内心で呟き、自分達に向けられている視線を辿るルーノ。その先にいたのは、どこかの騎士らしく揃いのハーフプレートアーマーを身につけている数人組だった。
その騎士達はルーノと視線が合ったのを確認すると不愉快そうに眉を顰め、それでも何をするでもなく去って行く。
だが、それが焼け石に水でしかないというのをルーノは理解していた。どこの派閥の者なのかは分からないが、監視するような視線は他に幾つも存在しているのだから。
「……お前も大変だな」
「そうか?」
ルーノの言葉に、短く返すレイ。
レイにしてみれば自分を監視するような視線には当然気が付いていたが、それよりも見知らぬ者達とやり取りをすることの方が余程精神的な疲労を覚えていた。更には……
「レイ殿! 是非一度我が主君の領地へと来てくれないだろうか。主人も一度レイ殿の話を聞きたいと言っているのだ。……勿論、謝礼はきちんとさせて貰う」
手に何も持たずに現れた1人の騎士が、レイへとそう告げてくる。
「悪いが、今はそのつもりは無いんだ。どうしてもと言うのなら、ダスカー様を通して話を持ってきてくれ」
「いや、その、ですがラルクス辺境伯は色々と忙しいのでは? それ故に手を煩わせないようにとこうして直接話を持ってきたのだが」
「済まないが、今はそういうことをしている余裕が無くてな。断らせて貰う」
「……いいのですかな? 我が主はそれなりの爵位を持つ者で、ここで断れば……」
けんもほろろに断られた騎士が、どこか脅しを滲ませた言葉を口にした、その瞬間。
「グルルルゥ」
レイに寄り掛かられていたセトが、唸り声を上げながら顔を騎士の方へと向ける。
「ひっ、ひぃっ!」
グリフォンに真っ正面から視線を向けられ、その迫力に思わず小さな悲鳴を上げる騎士。そのまま口の中で何かを呟き、まるで逃げるようにレイの前から去って行く。
「ああいう輩の相手をするよりは、この視線の方がまだマシだしな」
そんな騎士の後ろ姿を一瞥すらせず、ルーノへとそう返す。
「……そりゃ確かに大変だよな。まぁ、今回の戦争で目立ち過ぎたんだから、ああいう目に遭うのも無理は無いと思うけど。それを理解した上であんな馬鹿げた真似をしたんだろう?」
魔力その物を見ることが出来る魔眼を持っているルーノだ。それだけにレイが火災旋風のような、魔法と言うよりも自然災害と表現すべき存在を作り出したのをその目で直接見ても『あ、やっぱり』という感想を抱いただけで、他の者の様に狼狽はしなかった。勿論、その規模の大きさに呆れ果ててはいたのだが。
「今回の戦争に関しては色々とあったからな」
幾度となくギルムの街に、そして自分へと出されてきたベスティア帝国の手。今後そのような真似をした時にどの程度の被害が出るのかというのを、向こうに刻み込むという目的もあった。勿論、ダスカーと約束したラルクス家の家宝でもあるマジックアイテムを欲したというのもあるのだが。
実際、その活躍のおかげで家宝とまではいかなくても相応の価値があるマジックアイテムを報酬として貰えることになったのだから、マジックアイテム収集家でもあるレイとしては完全に無駄だった訳でも無かった。
(もっとも、その為に無用に注目を浴びたのも事実だけどな)
ミレアーナ王国に所属している冒険者とはいっても、冒険者である以上国境というのはそれ程特別なものではない。よって、ミレアーナ王国の貴族にしてみれば、今のレイはまだ味方だが、次に戦争が起こった時にも同様に味方であるとは限らないという判断をする者もいる。その結果が、こうして自分へと幾つも向けられている監視の視線なのだろうと、剣が纏めて入れられている木箱をミスティリングへと収納しながら考える。
「色々ってのはどんなのかは知らないが、この戦争でこれ以上ない程に目立ったのは事実だから暫くはうるさいだろうよ。それに……ああいうのも出て来てるしな」
苦笑を浮かべつつ、ルーノが視線の先にいるレイと同年代のように見える若い兵士へと視線を向ける。
その言葉に釣られて視線を向けると、レイと視線の合った若い兵士は興奮で頬を紅潮させ、目を輝かせてレイへと視線を向けている。
そう、まるで英雄にでも会ったかのような視線だ。
目の前で繰り広げられた火災旋風や、グリフォンという存在を従えていることを考えれば、レイを英雄視する者が出て来てもおかしくはない。だが、レイ本人としては勘弁してくれというのが正直な気持ちだった。
好意を寄せられるのは嬉しいのだが、今自分に向けているような視線は嬉しさよりも面倒臭いという気持ちが強く出る。
少し前に会ったエルクはそんなレイの様子を見て、自分の気持ちが少しは分かったかとばかりに豪快な笑い声を上げていた。もっとも、すぐに後頭部へとミンの杖を振り下ろされたのだが。
「ああいうのが広がると、面倒事が増えそうな気がするな。別に俺はそんな立派な人物じゃ無いのに、妙な騒動に巻き込まれそうな……ただでさえ、ギルムの街に来てからは色んな騒動に巻き込まれているってのに」
溜息を吐きながらそっと視線を逸らし、周囲の様子へと目を向ける。
中立派の陣地内でも既に撤収した者は少なくない。残っている者にしてもその殆どが撤収の準備に入っており、恐らく数日中にはこの陣地からミレアーナ王国軍の姿は消え去るだろう。
そんな撤収作業だが、戦争に勝ったという気持ちで笑みを浮かべている者が多く、その中でも行動している者は大きく2つに分かれていた。
1つは必死になって荷物を纏め、馬車へと積み込んでは崩れないように紐で縛り上げて行く者。そしてもう1つは持てる程度の荷物を持って、レイの前へと持ってきている者だ。
当然、後者がダスカー率いるラルクス領軍の者達であり、物資の輸送に関してレイのミスティリングを使う者達。前者はそれ以外の者達だ。
馬車に乗せるにしても重量配分や荷台の空きスペースを考えないといけないのに対して、ミスティリングに関しては全くそんな心配はいらない。単純にレイの前に持ってくればミスティリングに収納してもらえるのだから、その必死さに差が出るのは当然だろう。
「そういえば、お前はこの後どうするんだ?」
兵士達が運んできた、矢が大量に入った木箱を次々にミスティリングの中に収納しているレイに、ルーノが尋ねる。
「この後?」
つい最近も同じフレーズを聞いたなと思いつつ、それでもまさかルーノが自分を臣下に欲しいということを言う訳が無いと判断すると、尋ね返す。
「ああ、この後。当然うちの領主様は撤収時には王都に直行だろう? それにお前が付いていくのかと思ってな」
「……は?」
あまりに予想外の言葉だったのだろう。次々に収納していた矢の収納された箱から一旦手を離してルーノの方へと呆けた視線を送る。
その視線を見て、レイが何も気が付いていなかったのだろうと判断したルーノは溜息を吐きながら口を開く。
「さっきも言ったが、お前はこの戦争で存在感を示した。いや、圧倒的に示しすぎたと言ってもいいだろう。聞いたか? エレーナ・ケレベルの姫将軍、テオレーム・エネルジーの閃光。それらと同じように、お前には深紅という異名が付けられたらしいぜ?」
「深紅、ね。まぁ、話は聞いている」
奇襲部隊が捕虜にした敵本陣にいた兵士達や、あるいはそれ以外でも捕虜になった兵士達は大量にいる。そうなれば、当然そこから漏れ出た噂話の類も入ってくる。そして深紅という異名については、人付き合いがそれ程得意ではないレイの耳にも入ってくる程に広まっていた。
「炎の魔法を好むから深紅ってのも安直な気がするが」
「倒した敵の血も掛けてるって聞いたけどな?」
「後は、俺の髪の毛か?」
深紅という程に鮮やかではないが、それでも赤い髪の毛を視界の端で見ながら呟く。
日本では目立ってしょうがない髪の色だろうが、このエルジィンでは赤や青といった髪の色は普通にいる。金、銀、茶、黒、緑と、それ以外にも多種多様な髪の色をしている者がいるのだから、自分の髪が多少赤いくらいでそこまで目立つ要素では無いというのがレイの判断だった。
「で、俺が王都まで行くかどうかだったが……行く予定は無いな。ダスカー様にも王都に行けば確実に面倒臭いことになるから、王都に行かない方がいいと言われているし」
「けど、それだと領主様が向こうで責められるんじゃないか? お前さんの挙げた手柄は敵の総大将を討ったっていう貴族には及ばなくても、その次くらいには活躍してる訳だし」
そんな、ある意味で当然のルーノの言葉に小さく首を振るレイ。
「冒険者の手柄というのは、基本的に雇い主の手柄になるらしい。勿論冒険者本人が仕官を望む為に目立ちたいというのなら話は別だが、俺は別に仕官をするつもりなんて一切無いしな」
「あー、俺はそこまで言われる程に手柄を挙げたことが無いから分からなかったけど、そういう風になっているのか。けど、それでも総合的な功績で見て次点のお前がいなくてもいいのか? 王都とかの貴族だと、お前を見たいって奴もいると思うけどな。セトを見たいって奴だけでもかなりの数になると思うぞ」
チラリ、とレイのソファと化してうたた寝をしているように見えるセトへと視線を向けるルーノ。
そんなルーノの視線を感じたのだろう。セトは猫のように喉を慣らしつつ、薄く目を開けてルーノへと視線を向ける。
セトという存在を何も知らなければ警戒している視線を向けられていると思うだろうが、この戦争に関する行軍でずっとレイの護衛として側にいたルーノにしてみれば、そんな勘違いをすることは無かった。そのまま喉を鳴らして日向ぼっこを楽しんでいるセトへと手を伸ばして背を撫でる。
「んー、セトの毛並みはさすがだよな。この毛で服とか作ったら高値になるんじゃないのか?」
「そうですね、セトの毛で作った服は確かに高級品になりそうです。もし本当に作るのでしたら、是非エレーナ様に贈って貰いたいのですが」
「おわっ!?」
突然背後から聞こえてきた声に、驚愕の声を上げるルーノ。
慌てて振り向くと、そこには巨大なバトルアックスを背負った女騎士の姿があった。
「あ、あんたは確か……?」
ルーノの脳裏で素早く目の前に立っている女がレイの知り合いだという情報を思い出し、安堵の息を吐く。
一応護衛としてレイに付いている身としては、不審人物を近づける訳にはいかなかったのだ。
そんなルーノの気持ちを理解したのだろう。小さく頭を下げるアーラ。
「失礼、驚かせてしまったようですね。エレーナ様の護衛騎士団団長を務めているアーラといいます。実は、エレーナ様がレイ殿との会談を希望してまして。良ければ一緒に来て貰えないでしょうか?」
アーラの言葉に数秒程考え、すぐに頷く。
幸い、ミスティリングの収納についても一段落したところであるし、多少の休憩は構わないだろうという判断だった。
「分かった、すぐに行く。ルーノ、お前もずっと俺についていて疲れただろうし、自由にしてていいぞ」
「そうか? まあ、お前がそう言うのなら構わないけどよ」
そう言い、ルーノに見送られながらレイはセトを連れてアーラと共に貴族派の陣地へと向かうのだった。
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