第300話

 貴族派の陣地へと赴いたレイとセト、そしてアーラは、陣地へと入った途端に多数の視線を向けられる。

 勿論この貴族派でも撤収する準備は進んでいるのだが、そんな状態でも体長2mを越えるグリフォンのセトは当然目立ち、すぐにそのグリフォンを連れているのがレイだと知られると注目を浴びることになった。


「……まあ、あれだけ目立ってしまった以上はこうなってもしょうがないしな」

「グルルゥ」

「すいません」


 レイの呟きに慰めるようにセトが鳴き、アーラが申し訳なさそうに声を上げる。

 恐らくレイという存在を見て一番ざわめくのはこの貴族派の陣地だろうというのは理解していたが、それでも主人であるエレーナがレイとの会談――アーラの認識では逢瀬――を望んだ以上、呼んでくるという選択肢以外は存在しない。

 中立派の陣地でも勿論注目を浴びていたレイだが、それでもずっと1ヶ所にいて物資をミスティリングへと収納していた為に若干ではあるが向けられている視線も弱まってはいた。それに比べると、突然姿を現した貴族派の陣地では視線を浴びたままアーラと共に進み、やがてエレーナの天幕へと辿り着く。


「どうぞ」

「武器はいいのか?」


 恐らくはアーラの部下だろう騎士が天幕の入り口で警備をしているのに対し、それを気にした様子もなく中へ入るのを促すアーラ。更には、普段なら武器を預かるというのが普通であるのに、全くその様子も無い。

 だが、そんなレイの問いにアーラは苦笑を浮かべてから口を開く。


「そもそもレイ殿がアイテムボックス持ちである以上、ここで持っている武器を預かったとしても大して意味が無いでしょう。どうしてもというのならアイテムボックスを預かる必要がありますが、さすがにそれは拒否するのでは?」


 アーラの、尋ねるというよりは確認を求める問いに無言で頷くレイ。

 エレーナやアーラは信頼しているが、かと言ってその部下まで全てを信頼することは出来ない。元護衛騎士団のヴェルのような存在がいるのだから。


「だから、ですよ。まさかアイテムボックスを預けなければ会談を許しませんなんて言える筈もありませんし。さ、入って下さい」

「そうか、助かる」


 アーラの心遣いに短く礼を言い、セトと共に天幕の中へと入る。

 その時、天幕の近くで護衛をしていた騎士がセトを見て固まっていたが、そんなのはいつものこととばかりに天幕の中へと入り、以前にも見た天幕というよりは1つの部屋と思しき内部の様子に改めて感嘆の息を吐く。


「レイ、よく来てくれた。こっちに来てくれ。……ん? どうした?」

「いや、何でも無い」


 小さく頭を振り、セトと共にソファから立ち上がって出迎えてくれたエレーナへと近付いていく。

 まだ戦場だという意識があるのだろう。その身に纏っているのはいつもの純白に近いハーフプレートアーマーだった。


「キュ!」


 エレーナが座っていたソファからイエロが鳴きながら飛び立ち、セトへと飛んでいく。それを背中でしっかりと受け止めるセト。


「グルルゥ」

「キュキュ!」

「グルゥ?」

「キュ!」


 いつものように種族が違う割には会話の通じている2匹をそのままに、レイはエレーナに案内されてソファへと腰を掛ける。


「アーラ、お茶を」

「はい、すぐに」


 以心伝心とばかりにエレーナの言葉に頷き、お茶の準備がされている簡易的なキッチンへと向かうアーラ。その姿を見送り、エレーナが早速とばかりにレイへと話し掛けてくる。


「レイ、王都には向かわず直接ギルムの街に戻るという話をフィルマから聞いたんだが、事実か?」

「ああ。知っての通り、今の俺はちょっと目立ち過ぎている。このまま王都に行けば勧誘やら何やらで面倒事が起きるのは確実だからな。戦場でなら許されているようなことも、王都まで行ってしまえばそうもいかなくなる。それを考えてダスカー様が気を利かせてくれたんだよ」


 ダスカーにもレイの姿を余り人目に晒したくないという目論見があるのは理解していたレイだったが、それでもその目論見はレイの利益にも直結している為に大人しく受け入れることにした、という風に説明をすると、エレーナも多少残念そうな顔をしながらも同感だとばかりに頷く。


「確かにこの戦争で活躍したレイが王都に行けば、色々な貴族達が……あるいは、王族すらも含めて蠢くだろう。それを考えれば、ダスカー殿の判断は間違ってはいない。だが……やはり、レイとここで別れてしまうというのは惜しいな。折角レイと再会出来たのだから、もう少しゆっくりしたかったというのが私の正直な気持ちだ」


 自分の心の中にある想いを話すのに照れているのか、薄らと頬を赤く染めるエレーナ。元々美しい顔立ちをしているだけに、今のエレーナからは匂い立つような、少女から女へと変わる特有の艶っぽさというべきものが発散されていた。

 一瞬、引き込まれるように向かいに座っているエレーナへと手を伸ばし掛けたレイだが、すぐに首を振って手を押さえる。

 あるいは、ここにいるのがエレーナとレイだけなら手を伸ばしていたかもしれない。しかし、この天幕の中にはアーラの姿もあるのだと思い出したのだ。

 気を落ち着けるように小さく息を吸い、口を開くレイ。


「この戦争が始まる前に、2人で迷宮都市に行くって話をしていただろ? あれはどうなんだ? 俺としてはエレーナがいいのなら口約束だけで済ませる気は無いんだが」


 レイの言葉にピクリと反応し、エレーナはどこか怖ず怖ずとレイへと視線を向ける。


「本当か? 私としては嬉しいが、レイにもやるべきことがあるだろう?」


 そう言い、イエロと遊んでいるセトの方を一瞬だけ見る。

 魔獣術。それがどのようなものであり、どうやってセトが成長するのかを知っているエレーナにしてみれば、自分が戯れで口に出した内容をレイが真剣に考えているとは思っていなかった。それだけに、嬉しさと戸惑いが混じったような視線をセトへと向ける。


「そうですね。戦争が終わったばかりで暫く忙しいでしょうから、すぐに……とはいかないでしょうが、それでも数ヶ月程の後でしたら余裕はあるかと思いますよ」


 アーラが持ってきたお茶のカップを2人の前に置きながら告げる。


「本当か!?」


 その言葉に、顔を輝かせて尋ねるエレーナ。


「ええ。不幸中の幸いというか、ベスティア帝国との戦争は私達の勝利で終わりました。今回は向こうもかなり本気で攻めて来た以上、それを立て直すにもある程度の時間が掛かるのは間違い無いかと。恐らく1年……いえ、2年程度は必要でしょう。特に竜騎士に関しては、レイ殿の活躍でこの戦争に参加していた殆ど全てを倒していますので、竜騎士隊が以前のような戦力を取り戻すには下手をしたら10年単位の時間が必要になるでしょう。もっとも、今も成長している飛竜がいますし、ある程度の戦力を整えるのは難しく無いでしょうが」

「飛竜……か」


 アーラの言葉に、思わず溜息を吐くレイ。

 実は、アーラが言っているように竜騎士の殆ど全てを倒したレイなのだが、その素材や魔石に関しては1つも手に入れることが出来なかったのだ。奇襲成功の報告をアリウス伯爵へと知らせに行っている間に、捕虜の武装解除を済ませた奇襲部隊の者達が本陣の近くで死んでいた飛竜達を解体して自分達で確保してしまった為だ。もちろんレイとしては倒したのは自分なのだから、全てとは言わずとも最低2匹分程の飛竜は要求したかったのだが、基本的に戦場での獲物の確保に関しては戦闘終了後に早い者勝ちとなっているとシミナールに言われ、泣く泣く諦めたのだった。


(飛竜の素材はともかく、魔石は欲しかったな。飛竜は智恵無き下位竜の中でも、更に亜竜と呼ばれる低ランクのモンスターだ。それでも竜は竜。恐らく何らかのスキルをゲット出来たと思うんだが)


 内心で逃した魚の大きさに溜息を吐いたその時、コトリ、コトリ、と2つの何かがテーブルの上に置かれる。

 その何かを置いたのはレイの向かいに座っているエレーナであり、その何かというのはレイにも見慣れていた物だ。


「魔石?」


 思わず呟かれたレイの言葉に、エレーナが笑みを浮かべて頷く。


「うむ。飛竜の取り合いが始まった時、レイはいなかったからな。さすがに素材そのものは確保する余裕は無かったが、シミナール殿に頼んで魔石は2つ確保して貰った。レイが必要と……いや、集めているのはあくまでも魔石だろう?」


 だから、お前の為に貰ったのだ。言外にそう匂わせ、そっと2つの魔石をレイの方へと差し出してくる。

 直径5cm程の魔石。仮にも同じ竜種としては、エレーナが継承の祭壇で持っていたエンシェントドラゴンの魔石と比べるのもおこがましい程に小さな魔石だ。だが、それでも間違い無くそれは飛竜という竜種のモンスターの魔石だった。


「いいのか?」

「グルルゥ?」


 魔石、と聞きつけたのだろう。イエロと会話をしていたセトも首を伸ばしてテーブルの方へと視線を向ける。

 そんなセトを笑みを浮かべて見つめ、エレーナは頷く。


「ああ。お前の為に取っておいたんだ。レイが貰ってくれなければ、どうしようもないからな」

「助かるよ」


 小さく礼を言い、魔石をミスティリングの中へと収納する。

 さすがにアーラがいる前でセトに与えたり、あるいはデスサイズを使う訳にもいかなかった為だ。レイ本人としては、エレーナの前でセトに吸収させるところを見せても良かったのだが。


「……で、何の話をしてたんだったか」


 飛竜の魔石という予想外の品のインパクトに負け、話題を戻そうとするレイ。


「今回の戦争でベスティア帝国もかなりの戦力を消耗しているので、それを回復させるのに数年単位は掛かるだろうという話です。ですので、王都での凱旋式典を終えてケレベル公爵領にあるアネシスに戻ってから色々な戦後処理を終わらせて……そうですね、今から2ヶ月……いえ、少し余裕を見て3ヶ月程すればエレーナ様も自由に動けるようになります。そうなれば、ある程度の期間は自由に出来るのではないかと」

「本当か!?」


 アーラの言葉に、思わず笑みを浮かべて確認するエレーナ。

 エレーナの喜ぶ様子を見るのが嬉しいのだろう。アーラもまた笑みを浮かべながら頷く。


「はい。少し前にメーチェンに確認したところ、そのように言ってました」

「……メーチェン?」


 聞いた覚えの無い名前に首を傾げると、アーラが説明する。


「エレーナ様の護衛騎士団の副団長です。その、正直なところ私は事務とかには詳しくないので、そちら方面を担当して貰ってるので」

「なるほど」


 アーラ自身が書類仕事の類が得意では無いというのは理解していたレイだけに、納得するように頷く。


「そうか、そうか。なら、レイ。3ヶ月後……だとすると、大体初夏といった辺りか。旅をするのにも丁度いい季節だし、迷宮都市に一緒に行ってみるということでいいか?」

「ああ。さっきも言ったように、俺としては全く問題は無い。エレーナが良ければ、こっちはいつでも身体を空けておく」

「……そうか。なら、3ヶ月後にアネシスまで来てくれ」

「エレーナ様、それはちょっとやめた方がいいかと。アネシスはケレベル公爵領の中心でもありますし、そこでレイ殿がエレーナ様と共に行動しているのを見れば、色々と騒ぐ者も出て来ますし」


 貴族派の象徴とも言われ、慕われているエレーナだ。当然男女関係無く憧れている者も多い。また、同様の意味でエレーナを自分のものにしようと狙っている貴族派の貴族は、それこそ数え切れない程にいる。

 何しろ本人が他に類を見ない程の美しさを誇っており、公爵家の令嬢で次期当主は間違い無いと言われているのだ。更には姫将軍という異名を持ち、戦闘に関してはその辺の騎士が纏めて掛かっても手も足も出ない程の腕を持つ。独身の貴族にしてみればこれ以上無い程に魅力的な相手だろう。それ故に、エレーナに他の男が近付くようになると色々と理由を付けて騒ぐのは分かりきっていた。

 主であるエレーナにそのような面倒を掛けさせたくないアーラは、少し考え口を開く。


「そうですね、アネシスの手前には小さいですが村があります。そこには以前護衛騎士団にいたものの、怪我で引退した者が酒場を経営していますので、そこで連絡を取って貰えれば……」

「分かった。覚えておこう」


 頷き、レイは天幕に入って来て結構な時間が経っていることに気が付く。

 勿論もっとエレーナと話をしていたいという気持ちはあるのだが、現在のレイはダスカーに雇われている存在であり、補給物資の収納をそろそろ再開すべき時間になっていた。


「そろそろ仕事を再開しないとな。この戦争で会うのは恐らくこれが最後になるだろうが、会えて良かったよ」

「それは、私もだ」


 呟き、一瞬視線をアーラへと向けるエレーナ。

 その視線の意味を理解したのだろう。アーラはテーブルの上に乗っていたカップを手に取り、下がっていく。

 当然同じ天幕の中ではあるが、それでもある程度の距離があるのでエレーナとレイを2人きりにしてやるという試みは成功していた。

 そんなアーラの後ろ姿を感謝の視線で見送ったエレーナは、ソファから立ち上がってレイの隣へと座る。


「レイ……戦場という場所ではあったが、私はお前に再会出来て嬉しかった」

「あ、ああ。俺もだよ」


 間近でじっと自分へと視線を向けてくるエレーナの瞳に吸い込まれそうになりながらも、言葉を返すレイ。

 年齢で考えればエレーナは今のレイよりも5歳程年上で、精神年齢として考えても2歳程年上となる。そんな年上の艶のある視線を受け、殆ど反射的にレイは手を伸ばし、エレーナの滑らかな頬へと触れる。


「あ……」


 思わず漏れたエレーナの熱の籠もった声を聞きながらも、そっと顔を近づけ……唇を重ねるのだった。

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