第285話

 魔獣兵達を率い、目標でもあるアリウス伯爵へと一直線に向かっていたテオレーム。そんな自分達の前に、敵の最高戦力でもあるエレーナが立ち塞がったのは当然と言うべきだったのだろう。

 その姿は凛々しく、気高く、美しい。自分の後ろを走っている魔獣兵達でさえも思わず見惚れてしまう程なのだ。戦場にあって豪華絢爛に咲き誇るその華は、確かに姫将軍と呼ばれるべきものなのだろう。


(いや。姫将軍の異名通り、戦場にあってこその美しさか)


 己が乗っていた軍馬が走り、戦場の華との距離を急速に縮めていくのを確認しながら内心で呟くテオレーム。

 だが内心の考えを一瞬で消し去り、持っていた剣を振り上げ、エレーナに見惚れている者達へと声を掛ける。


「姫将軍は私が引き受ける! 他の者は私に構わずアリウス伯爵を狙え! シアンス、指揮は任せるぞ」


 本来であれば、将軍ともあろう者が部隊の指揮を投げ出して単独で戦うというのは下策でしかない。だが、姫将軍の異名を取るエレーナを相手に出来る者は自分しかいないというのも事実だった。魔獣兵をエレーナの足止めとしてここに残すという手段も一瞬考えたのだが、テオレームの知っているエレーナであるのなら魔獣兵の10人や20人を相手にするのは決して難しくない。もしエレーナの相手を魔獣兵にさせるというのなら、今率いている50人全てを充ててようやくといったところだろう。そうすれば、アリウス伯爵の相手をするのに手が足りなくなる。そう判断し、自らがエレーナを押さえる為に出ることにしたのだ。

 幸い指揮に関しては、自分の副官でもあるシアンスがいる為に心配いらないだろう。

 そう思って口にした指示だったのだが、テオレームの横を走っているシアンスは躊躇った様子を見せる。


「テオレーム様が姫将軍の相手をするのは仕方ありません。ですがその場合、彼女はどうするのですか」


 シアンスの視線の先にいるのは、エレーナの横で軍馬に跨がり巨大な斧を手に構えているアーラ。

 体力の消耗が激しいこの戦場の中、パワー・アクスの効果で1人だけ疲れた様子を全く見せずに主の隣に控えている。

 

「……アーラか。そういえば彼女はまだ騎士団に残っていたのだったな」


 エレーナの護衛騎士団を裏切って自分達に寝返ったヴェル・セイルズ。その口からキュステ・ブラシンを殺したという情報はもたらされていたのだが、エレーナの股肱の臣ともいえるアーラに関しては仕留め損なったと聞いていた。

 そんなアーラへと視線を向け、一瞬で決断して副官へと告げる。


「魔獣兵達の指揮を執る者がいないというのは拙い。故に、彼女の押さえとして魔獣兵5人を残していけばいい」

「了解しました」


 本来であれば自分が残ってテオレームの横でその身を守って戦いたい。そんな内心の思いを押し殺し、シアンスは素早く背後を走る魔獣兵に指示を出す。


「そこの5人。貴方達はあの巨大なバトルアックスを持っている者の相手をしなさい。ただし、あの女は人間としては桁外れの力を持っているので、まともに戦わないように。私達がアリウス伯爵を討つまで時間稼ぎに徹しなさい」


 有無を言わさぬ命令に、シアンスに指名された魔獣兵5人は頷く。

 人の姿を捨ててまで力を求めて魔獣兵と化しただけに、女1人を相手にして時間稼ぎに徹しろと言われたことに不満はある。だが、それでもテオレームの副官であるシアンスの的確な判断力を知っているだけに、素直に頷いたのだ。

 それぞれの作戦が決まり、お互いの距離も縮まり……やがて2つの部隊は正面からぶつかる。


「はぁっ!」


 気合いの声と共に振るわれた連接剣は、エレーナの魔力を纏って長剣の状態から鞭の状態へと変化し、曲線的な軌道を描きつつ剣の切っ先をテオレームの胴体へと突き立てようと空を走る。

 エレーナにしても、敵部隊を率いているテオレームを止めることが出来るのは自分だけであると認識していた為、奇しくも一騎討ちの形になったのだ。


「させるかっ!」


 複雑な軌道を描きつつ自分へと向かって来る連接剣の切っ先を、剣を振るって弾き、お互いに至近距離で向かい合う。


「相変わらず美しいな、姫将軍。美しい華には棘があると決まっているが」

「ならばその棘を味わってみるか?」


 会話を交わしつつも、お互いの隙を逃さんとばかりに剣を振り下ろし、薙ぎ払い、突く。あるいはそれらの攻撃を弾き、いなし、回避する。

 姫将軍と閃光。2人共が異名を持つ存在であるだけに、更に言えば長年敵対しているミレアーナ王国とベスティア帝国の者だけに、当然これが初対面ではない。これまで幾度となくお互いに刃を交えてきているのだ。それだけに、お互いの手をある程度は読んでおり、それがこの場ではエレーナの有利へと繋がっていた。

 竜言語魔法と多数の魔獣兵を相手に繰り広げた戦いでかなりの体力を消耗してはいるのだが、継承の儀式によって底上げされた身体能力で以前と同等程度の力が発揮出来ていたのだ。その為、テオレームはエレーナの消耗は殆ど無いと判断して行動に慎重さが入り交じり、剣を交えつつも少しずつだがエレーナの体力は回復していく。






「はああああぁぁっ!」


 そんな風に激しい舌戦と剣戟が繰り広げられる中、少し離れた位置ではアーラが雄叫びのような声を上げつつパワー・アクスを横薙ぎに振るう。

 当たれば間違い無くその部分を持って行かれる。……否、砕かれる。魔獣兵にしてそう認識させられるような一撃に、受け止めるようなことはせず5人の魔獣兵は距離を取って回避に専念する。


「シアンス様が5人で当たれと命じる訳だ」


 斧が空気を斬り裂く音を聞きつつ、冷や汗を流す甲殻に覆われた魔獣兵。防御力に自信のある自分であったとしても、今の斧の一撃に耐えられるとは思わなかった。


「けど、5人を相手にするには大振りすぎるな!」


 両腕が熊のものへと変わっている魔獣兵が、攻撃を外したアーラへと向かって距離を縮め……


「罠よ!」


 身体中に蛇の鱗を生やしている女の魔獣兵が咄嗟に叫ぶ。だが、熊の魔獣兵がそれに気が付いた時は既に遅く、斧の石突きの部分が自分の頭部目掛けて突き出されるところだった。


「ぎゃひぃっ!」


 パワー・アクスの石突きの部分が、眼球を貫き脳にまで達する。魔獣兵ならではの生命力で即死にはならなかったが、アーラは握っていた柄の分を強引に回転させて相手の脳を破壊する。さすがにそこまでやられると魔獣兵としても生を保つことは出来ずに、奇妙な悲鳴を上げてその場に崩れ落ちるのだった。


「馬鹿っ、シアンス様が時間稼ぎに徹しろって言ってたじゃない」


 鱗の女魔獣兵の言葉に他の魔獣兵達が頷き、無理をしないように包囲しようとして……


「……え?」

「あれ? 何これ?」


 鋭い爪を生やし、瞬発力の高そうなカモシカのような下半身をしている魔獣兵と、ケンタウロスの下半身にトカゲの上半身を持っている魔獣兵が不意に呟く。

 その光景を見た仲間の魔獣兵も、最初は何が起きているのか理解出来なかった。何故なら、声を上げた2人の胸からは木の根のようなものが生えていたからだ。

 そして木の根の伸びている方へと視線を向けると……そこにいたのは、左肩から魔獣兵に突き刺さっている木の根を生やし、所々焼け爛れている顔に4つの目を持つ存在が歪んだ笑みを浮かべている魔獣兵がそこにいた。


「ケ、ケヒッ。アーラか。ひ、ひ、久しぶりだなあ? 元気にしてたか? こんな場所にいるとは思わなかったから、さ、探したぞ。ケヒッ」


 引き攣った笑みを浮かべたその男。既に以前の面影は殆ど無いが、それが誰なのかはアーラにはすぐに分かった。何しろ、数年間護衛騎士団で共に行動してきた相手なのだから。


「ヴェル! 貴様、よくもおめおめとエレーナ様の前に顔を出せたな!」


 アーラの口から吐き出された怒声に、ヴェルは嬉しそうに引き攣った笑みを浮かべる。


「ケヒッ。元気そうで何よりだ。俺なんか、み、み、見てみろよこの姿。お前達の暗殺に失敗した、せ、せいで、実験の被験体にされてこの様だ。……まぁ、おかげでこんな能力を手に入れたんだけどなあああああああああっ!」


 ヴェルが叫ぶと同時に、木の根が突き刺さった2人の魔獣兵が動き出す。そう、既に目から生命の光が消えているというのに動いているのだ。


「くっ、何をした!」


 トカゲのケンタウロスが放った槍を斧で弾き、返す刃でもう1人の魔獣兵に振るわれた鋭い爪を腕諸共に斬り落とす。

 だが腕を切り落とされたというのに、相手は全く表情を動かさず、残ったもう片方の手から生えている爪を振るう。


「さ、さーてなぁ? まぁ、言えるとしたら、も、もうそいつらは死んでいるってことだ。ケヒッ!」


 味方を殺し、その死体を操るというおぞましい行動をしているにも関わらず、ヴェルの焼け爛れた顔に浮かんでいるのは紛れも無い愉悦の笑みだった。額にある2つの目も合わせて、合計4つの目の全てに悦楽の色が浮かんでいる。

 だが、当然仲間をあっさりと殺された者達がそんなヴェルに対して怒りの視線を向けるのは当然のことだった。


「ちょっとあんた! 何をしてるのよ!」


 まず最初に声を掛けたのは、鱗を生やしている女の魔獣兵だった。木の根を突き刺さった死体を操っているヴェルの肩を強引に掴み、振り向かせ……


「黙れ、黙れ、黙れれれれれっ!」

「ぎゃっ!」


 左肩から新たに伸びた樹の根が鱗の女魔獣兵の目へと突き刺さり、身体中へと張り巡らされる。

 鈍い悲鳴を上げ、一瞬にして命を奪われた鱗の女魔獣兵はそのままフラリ、フラリとした足取りでアーラへと向かって進み出す。


「くそっ、狂人が!」


 唯一その場で生き残った甲虫の魔獣兵が、忌々しそうにヴェルを睨みつけた。

 だが、その怒りをぶつけることは出来ない。そのような真似をすれば、自分もまたヴェルの操り人形にされてしまうのは明らかだったからだ。


「ヴェル!」


 立場は違えど、アーラもまた怒りの声を上げる。

 もちろん魔獣兵は敵であり、このまま戦っていたとしても自分の手で殺していた可能性が高いだろう。だが、ヴェルのように遊び半分で殺し、尚且つその死体を辱めるような真似は絶対に許せなかった。


「ケヒッ、ケヒヒヒヒヒヒィッ」


 そんなアーラを嘲笑い、ヴェルは樹の根で操り人形と化した魔獣兵達を使ってアーラへと攻撃を仕掛ける。

 さすがに生きている時のような動きは望むべくもないのだが、それでも死んでいるからこそ身体の損傷を気にしなくてもいい無茶な動きでアーラと激しい攻防を繰り広げるのだった。






 エレーナとテオレーム、アーラとヴェル。この2つ以外にも当然周辺一帯では激しい戦闘が繰り広げられていた。魔獣兵1人に対し兵士や騎士、あるいは冒険者達が休むことなく波状攻撃を行い、ようやく互角という戦い。そんな中でも特に激戦を繰り広げられているのは当然の如くミレアーナ王国軍の総大将であるアリウス伯爵の周辺だった。


「退くなっ! ここで退けばアリウス様が討たれてしまうぞ! そうなればこの戦争は俺達の負けになる! だから決して退くな!」


 アリウス配下の騎士が叫びつつ、必死に攻め込んで来る魔獣兵を迎え撃つ。

 シアンスという人物の指揮の下、一糸乱れぬ連携をこなしてくる魔獣兵というのは強敵以外の何ものでもなかった。いや、強敵という言葉では言い表せない程に厄介な相手だといってもいいだろう。


「くそっ、やらせるか……やらせるかぁっ!」


 半身すらも隠せるような巨大な金属の盾を持った騎士が、必死に魔獣兵の攻撃を抑え込もうと踏ん張る。2m近い身長と、頑強な身体付きをした騎士。しかし不意に盾をすり抜けるようにして真横へと姿を現した魔獣兵が、腕を振り下ろす。

 カマキリの両腕を持っている魔獣兵の一撃は、騎士の両腕を肘関節の部分で切断する。

 いくら防御力の高いフルプレートメイルを着ているとはいっても、関節部分までもが鎧で防御されている訳では無く、その一撃を防ぐことは騎士の男には不可能だった。


「ぎゃあああああああっ!」


 悲鳴を上げて佇む男の首へと再び振るわれる鎌。すると次の瞬間には首が飛び、騎士の男は両肘と首から先がないままに地面へと倒れ込んで血を吹き出す。だが、すぐに倒れた騎士の穴を埋めるように新たな騎士が前に出る。少しでも時間を稼ぎ、援軍が来るのを待ち受ける為に。

 また、そこから少し離れた場所では、剣を構えた冒険者の男が鋭い爪を持つ魔獣兵を相手に戦いを繰り広げられていた。爪と剣。攻撃範囲の広さで言えば圧倒的に冒険者が有利だったのだが、それでも防御に徹しているのは当然訳があった。

 振るわれた爪の一撃を剣で弾いた次の瞬間。


「うおっ!」


 叫び声を上げながら、後ろへと1歩下がる。するとたった今まで男の首があった空間へと、魔獣兵の鋭い牙が突き立てられていたのだ。そう、一瞬だけだが首が2m程も伸びたのだ。

 その牙がどれだけの鋭さを持っているのかは、男のレザーアーマーが数ヶ所程斬り裂かれているのを見れば一目瞭然だろう。

 1人、また1人と味方が倒れていき、魔獣兵の被害は殆ど無いような絶望に近い戦い。更にはアリウスを守っている陣形に隙が出来たと見ると、シアンスは素早く予備の魔獣兵を投入してその穴を広げていく。そんな状態でどれ程の時間戦っていただろう。実際には10分程度だろうが、ミレアーナ王国軍の者達にしてみれば、それこそ1時間や2時間といった風に感じられる程の長い時間の戦い。

 その場にいる者達の心が折れるかどうかという、その時。


 轟っ!


 空から勢いよく何かが飛び込んできて、周囲にいた魔獣兵5人程を纏めて弾き飛ばす。


「……さて、何とか間に合ったらしいな」


 魔獣兵を弾き飛ばした存在、セトの背から飛び下りたレイがデスサイズを構えながら呟き、その声は不思議と周囲へ響き渡るのだった。

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