第284話

 セレムース平原で行われているミレアーナ王国とベスティア帝国の戦い。その戦況は、戦力の消耗度合という点で考えると先陣部隊が半壊しているベスティア帝国軍の方が受けている損害としては多かった。ベスティア帝国軍側も、転移石と魔獣兵を使った奇襲をミレアーナ王国軍の背後から仕掛けたものの、火災旋風の威力をその目で見た国王派が、手柄を中立派と貴族派だけに取られてたまるかとばかりに戦場へと向かっていた為に、致命的なダメージを受けることがなかったのは幸運だっただろう。

 その後も多少の損害は受けつつ、それでも総合的に見る限り、受けたダメージはベスティア帝国軍の方が圧倒的に大きかった。

 だが……戦争としての有利不利で言えば、戦力に大きな被害は与えていないものの、ミレアーナ王国軍の総大将であるアリウスに奇襲を仕掛けたベスティア帝国軍が圧倒的に有利であると言ってよかった。

 あるいは、もし魔獣兵を率いていたテオレームがベスティア帝国軍の総大将であったのなら、総大将同士が戦っているということで純粋に戦力が受けたダメージを考えてミレアーナ王国軍側が有利であると言っても良かっただろう。だが、テオレームはベスティア帝国でも有数の実力を誇る将軍だといっても、あくまでも数いる将軍の1人でしかない。それ故に総大将が全くの無傷でベスティア帝国軍本陣にいる現状、この戦争はミレアーナ王国軍側が不利であるというのは明確な事実であった。






「……今のは一体?」


 軍馬を落ち着かせながら、テオレームが呟く。

 その隣ではシアンスもまた同様に、乗っていた軍馬を落ち着かせながら周囲を見渡している。

 ほんの数秒前、戦場の中を標的でもあるアリウス伯爵を求めて軍馬で駆けていた2人と、それに付き従う50人程の魔獣兵達が見たのは、唐突に戦場の中に現れた巨大な竜の顔だった。そう、身体は存在しておらず、顔だけが……それも、まるで幻のように現実感はないにも関わらず、圧倒的な畏怖を感じさせるという矛盾した存在が姿を現したかと思うと、鋭い牙の生えた口を開き、そこから放たれた光の一閃が地を走ったのだ。同時にその光の走った場所から数kmは離れた場所にいたテオレーム達にまで届くような爆風が吹き荒れ、本能的に恐怖を感じたテオレームとシアンスの乗っていた軍馬が、瞬時に恐慌状態に陥った。

 幸い、竜の幻影から放たれた光の一閃はその一度だけであった為、軍馬を落ち着かせることには成功したが、魔法を使ってまで品種改良されてきた軍馬がここまでの恐慌状態に陥ったのを見たのは、これまで幾多もの戦場を経験してきたテオレームとシアンスにしても初めてのことだった。 

 更には……


「テオレーム様」


 副官の呟きに、周囲を見回すテオレーム。

 その視界に入ってきたのは、何とか恐怖を堪えている魔獣兵の姿だった。

 いや、恐怖を堪えているのならまだいい。中には地面に踞って文字通りに尻尾を丸めている者すらも存在している。


「これ程の距離が離れているというのに、魔獣兵達をここまで本能的に恐怖させるとはな」


 呟いたテオレームの脳裏を過ぎったのは、当然の如くグリフォンを従魔にしている規格外の存在だった。

 これまで得られた情報に、レイは炎の魔法を好んで使うらしいというものがあったからだ。もちろん炎以外の魔法に関しても使えるというのは理解していた。斬撃を飛ばす風の魔法や、何よりもつい先程まで存在していた災害としかいえない巨大な竜巻をその目にしていたのだから。


(だが違う、か?)


 数秒程考え、首を振る。

 先程放たれたのは光の一撃だ。テオレームがこれまで得た情報には、光の魔法をレイが使ったというものは存在していなかった。

 それでも完全に断定出来ないのは、たった今見たような一撃を放てる存在がそうそう存在しているとは思えなかった為だ。


「テオレーム様、どうしますか? このまま進もうにも……」


 そんなテオレームへとシアンスが声を掛けながら、周囲にいる魔獣兵達へと視線を向ける。

 地面に踞っている者もまだ数名いるが、殆どの者が先程の驚愕からは立ち直っていた。だが、それでも先程の竜の頭の幻影が見えた場所へ進めと命じれば、尻込みするだろう。

 もちろん拒否はしない……否、出来ないだろうが、士気がこれ以上ない程に落ちている状態では魔獣兵最大の特徴でもある戦闘力に期待出来ない。


(士気を高める必要があるか)


 テオレームもまた、周囲の魔獣兵へと視線を向けながら口を開く。


「聞け、お前達は我等ベスティア帝国の中でも最強の存在である。そして、そうである為に自らの身を差し出して人の姿を捨てたのだろう。ならば恐れるな。お前達は我等ベスティア帝国最強の剣なのだから。その強さを今まで幾度となく我等が海という恵みを得る為の道を塞いできた者達へと見せつけろ。そして祖国の為に、恵みの海を手に入れるのだ!」


 この場合、周囲にいた魔獣兵達が自ら進んで人の身を捨てた者達であり、祖国ベスティア帝国に対する忠誠心が厚かったのが幸いした。

 もしこの場にいたのがミレアーナ王国軍の兵士をいたぶっていたような者だとしたら、恐らくは立ち直ることは出来なかっただろう。そして、この戦場にいる以上そのような状態になっている者は少なくない筈だった。


(もちろんある程度時間が経てば復帰するだろうが……今は1分1秒が惜しいからな)


 魔獣兵という人間以上に強力な生物になっても、それ故の欠点もある。予想外ではあったが、今後克服すべき課題が分かったのだから悪いことばかりではないだろう。前向きというには無理矢理だが、そう自分を納得させて視線を先程竜の顔が姿を現した方へと向ける。


「シアンス、どう思う? あの竜の顔が現れた場所にアリウス伯爵がいると思うか?」

「可能性は高いでしょう。恐らくは魔法なのでしょうが、総大将を守る為にこそあのような反則的なものを使ったのだとすれば納得出来ます。……正直、あのような力を使う者がいるような場所へ行くのは自殺行為のような気はしますが」

「だが、この戦争を早期に……こちらの戦力をなるべく消耗させずに終わらせる為には、敵の総大将を討ち取るなり捕縛するなりした方がいい」

「戦力、ですか」


 呟き、自軍のある方へと視線を向けるシアンス。

 少し前まで火災旋風が我が物顔で存在していた場所だ。その威力はどれ程のものか想像出来ないが、それでも自軍に莫大な被害が出ているのは間違い無かった。

 そして、テオレームもまた同様に視線を自軍の方へと向けて頷く。


「だからこそ、だ」

「……あの炎の竜巻を作り出した、レイとかいう魔法使いの仕業とも考えられますが?」

「確かにその可能性はある。だが、私としては恐らく違うと思っているがな」

「何故、と聞いてもよろしいでしょうか?」


 周囲にいる魔獣兵達が聞き耳を立てているのを理解し、会話を続けるシアンス。

 先程のテオレームの檄で士気が戻って来てはいるが、それでもやはり魔獣兵達の目には少ないながらも恐怖心が宿っているのを理解していたからだ。故にその恐怖の源に明確な形を与え、更にはこれから進む場所に天災としかいえないような炎の竜巻を作り出せるような存在がいないと結論づけるのは、少しの時間も惜しい現状でも必要なことだった。


「私はあの炎の竜巻を作り出した者を知っている。そして、その者が使う魔法は基本的に炎だ。もちろん他の属性も使おうと思えば使えるだろうが、それでもあれ程の威力を持った光の属性では決して無い」


 焦りの1つすらも感じさせずに告げられたその言葉に、魔獣兵達の中にあった恐れが徐々にだが消えて行く。

 これで何とかなる。内心で安堵の息を吐いたテオレームとシアンスは、魔獣兵達を率いて竜の幻影が現れた場所へと向かって進んで行く。先程は暴れていた軍馬も既に落ち着いており、魔獣兵達同様に周囲を警戒しながら進んで行き……やがて喧噪が聞こえて来る。


「……ここだ。いいか、目指すのはアリウス伯爵の首のみだ。他の者達には目もくれるな」


 戦場となっている場所の外、テオレームは数本程度生えている木の後ろで後に続く魔獣兵達へと声を掛ける。

 その言葉に頷くシアンスと魔獣兵。


「もちろん私もアリウス伯爵を仕留める為に向かうが、誰が手柄を立てても構わん。私に遠慮する必要が無いというのは理解しているな?」

「テオレーム様、この場にいるものは全て分かっております。全てはテオレーム様のお心のままに」


 繰り返すように告げるテオレームに、シアンスがそう答え、自分達の気持ちも同じだと魔獣兵達が頷く。


「そうだな。では行こう。この戦争を終わらせ、海を手に入れ、あのお方に勝利を捧げる為に。……全軍、私に続け!」


 その言葉と共に軍馬は走り出す。そしてそのすぐ側にはこの状況になっても尚表情を殆ど変えていないシアンスの姿があり、2騎の軍馬の後に50人の魔獣兵が続く。


「敵だっ、ベスティア帝国軍の新手が来たぞ! 全員警戒しろ!」


 目敏くその姿を見つけた騎士の1人が叫ぶが、現状で既に互角……否、ミレアーナ王国軍側が不利な状況になっていただけに、新たに戦場へと突入してきたテオレーム達に対応出来る者はいなかった。

 そもそも、エレーナ達が援軍として駆け付けるまでは圧倒的に不利な状況だったのだ。エレーナ達の援軍、前衛部隊へと向かっていた本隊の先遣部隊、周囲に散らばっていた他の貴族達の部隊。それらが集まってきた結果が今の状況であり、その場にいたミレアーナ王国軍の者達の顔が絶望に染まる。

 敵の数自体はそれ程では無く、どれ程多く見積もっても200前後といったところだ。だが、その200はそれぞれが異形の怪物であり、10人や20人を1人で相手取る程の力を持っていた。兵士が30人がかりで休ませずに波状攻撃を仕掛けてようやく倒せる。そんな強さを持つ者達なのだ。そんな驚異的な力を持つ異形の存在が新たに50人近く現れたとあっては、絶望を浮かべるのも無理は無かった。

 だが……


「慌てるな! まずは戦力を集中して敵の進撃を止めろ! 弓兵部隊、魔法部隊は後方から援護を! アーラ、私が前に出る。供を頼む!」


 エレーナの声が戦場中へと響き渡る。

 1000人以上が入り乱れている戦場ではあるのだが、何故かエレーナの声はその喧噪に紛れることなく響き渡る。

 そしてその声は、絶望へと身を浸しそうになっていた兵士や騎士、冒険者達の気持ちを繋ぎ止めることに成功する。


「そうだ、俺達には姫将軍が付いているんだ!」

「これまで何度もベスティア帝国軍の侵略を跳ね返してきたエレーナ様だ。今回も勝てる!」

「姫将軍、万歳!」

「エレーナ様、エレーナ様、エレーナ様!」


 一言。たった一言で兵士達のどん底にまで落ちていた士気が急激に上がって行く。

 その美貌やカリスマも影響しているだろうが、何よりもこれまで幾度となくベスティア帝国軍を破ってきた実績があるからこその兵士達の熱狂だった。


「……お供します」


 だがそんなエレーナの隣に立つアーラは、エレーナの指示に頷きつつもどこか心配そうに主の横顔を伺う。

 一見いつもと変わらないように見えるエレーナだが、その顔には微かに疲労の色が表れている。まだ習得途中である竜言語魔法の使用や、その後に続く多数の魔獣兵達との切れ目のない戦闘で深い疲労が溜まっていた。

 だが、エレーナがそんな無茶をして戦ってようやく魔獣兵達に対応出来ていたのだ。もしこの場にエレーナと護衛騎士団の姿が無ければ、今頃は既にアリウスの首を取られるなり捕縛されるなりしてこの戦争は終わっていただろう。エレーナの周囲には既に10を越える魔獣兵の死体が転がっており、竜言語魔法で放たれたレーザーブレスも同数以上の魔獣兵を瞬時に消滅させているという状況を考えれば、この戦場はエレーナの力で保っているといってもよかった。

 もちろん他の者達にしても戦力になっていない訳では無い。アーラは自慢の剛力で次々と魔獣兵達の胴体や首、手足といった場所をパワー・アクスで力尽くで斬り飛ばし、固い鱗や甲羅、甲殻といったもので身を守っている魔獣兵達に対しても致命的な一撃を与えている。以前は弱点だった体力に関しても、常時回復効果のあるパワー・アクスのおかげで特に問題にはなっていない。アリウスにしてもグレートソードで魔獣兵達を一刀両断にし、毒の効果が抜けたシミナールもまた素早さを重視した剣術で魔獣兵を相手にやりあっていた。

 それでも……そこまでエレーナ達が活躍しても尚、魔獣兵の質と量を押さえることが出来ずにいた。1人、2人、3人と、櫛の歯が欠けるように倒れていき、それでも何とか己を鼓舞して戦線を支えていたところに、テオレーム達がやって来たのだ。新たに50の魔獣兵を率いて。そして、その魔獣兵達を率いるようにして先頭を突き進む男。魔獣兵を主力としている奇襲部隊の中で数少ない人間。その名をエレーナは知っていた。自分の姫将軍という異名が知れ渡っているのと同様に、その男の異名もまた知れ渡っているのだから。 


「閃光、テオレーム・エネルジー」


 呟き、その名前がミレアーナ王国軍の士気を下げる前にと、近くにいた己の軍馬を呼び寄せ、アーラと共にテオレーム率いる一団の前に立ち塞がる。

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