第280話

 ミレアーナ王国軍、先陣部隊の司令部。そこで多数の伝令に素早く指示を出し終わった中立派、貴族派の責任者でもある2人は改めて視線をレイへと向けてくる。

 そんな中、レイは素早く司令部の中を見回してエレーナの姿が無いことに小さく落胆の溜息を吐いた。

 その溜息と、貴族派へと向けられていたレイの視線で何を……否、誰を捜していたのかすぐに分かったのだろう。フィルマは誰に話すともなく口を開く。


「姫将軍というのは、その場にいるだけで士気を高める効果を持ち、更には戦闘力に関しては言うまでも無い。前線にいてこそ美しく咲く華でな」


 周囲にいた貴族達は困惑に満ちた視線をフィルマへと向ける。この忙しい時に何を言っているのか、と。

 実際、先陣部隊の前線が進軍を再開し、そうなれば自然とこの司令部もまた進軍することになる。周囲はその準備に備えて慌ただしく動き回っているのだ。とは言っても、所詮この司令部にしても突然現れた炎の竜巻に関して相談する為に集まっただけのものであり、その場にいる貴族達がそれぞれ乗馬すればすぐにでも進軍は可能なのだが。


「この椅子を片付け、馬車を用意しろ。食べ物と酒もだ! こんな埃っぽい場所で戦場の風に当たっていては病気になってしまうわ!」


 もっとも、中にはこのように叫んでいる貴族も存在する。

 周囲の貴族達に白い目を向けられているのにも気が付かず、用意した馬車の中へと乗り込んでいく中年の男。その馬車もまた、戦場には不釣り合いな程に煌びやかで、むしろ成金趣味と言いたくなる程の代物だった。


「……とにかく、エレーナ様は前線にいるとだけ言いたかっただけだから、気にするな」


 雰囲気を読まずに騒いだ貴族に、一瞬だけ視線を向けてから再びレイへと視線を向けるフィルマ。

 それだけでレイはフィルマが何を言いたいのかを理解する。自分がエレーナを気にしていたのを見事なまでに見抜かれていたのだと。

 そしてレイの気持ちを見抜いたのは、直接の上司でもあるダスカーもまた同様だった。


「さて、レイ。あれだけの混乱を敵に巻き起こして貰ってこう聞くのもなんだが、魔力に関してはどうだ?」


 そんな質問に、不敵なと表現出来るような笑みを浮かべて頷くレイ。


「まだまだ問題ありません。もう暫くは戦えるでしょう」


 正確に言えば、火災旋風を起こすのに使った魔力はそれ程多くはなかった。とは言っても、それはあくまでもレイの魔力全体から考えた場合であって、普通の魔法使いがあの規模の広範囲殲滅魔法を使おうと思えば10人程度では足りない程の量の魔力を消費しているのだが。


「そうか、なら悪いがまた前線に向かって貰えるか? お前程の戦力をこんな場所で遊ばせておく訳には……」


 ダスカーがそう言った時だ。背後から1騎の騎馬が急いで走ってきているのにレイが気が付く。


「あれは……?」


 レイの言葉で、その場にいた者達も背後から向かって来る騎馬に気が付いたのだろう。そして同時に、背後から向かって来たということの意味を理解して多くの者が眉を顰める。

 だが、向かって来た本人はそんな視線を気にすることも無く、近くまで来て騎馬から降りてダスカーやフィルマの前に跪く。


「アリウス様からのご命令です。理由は不明だが、敵は混乱に陥っている。この機を逃さずに攻撃を開始するようにと。また、本陣もすぐに動くから戦力に関しては心配するなと」

「……へぇ」

「なるほど」


 ダスカーとフィルマがお互いに苦笑を浮かべて顔を合わせて頷く。

 理由は不明と言われた火災旋風については、話を通していなかったのだから知らなくても無理は無いだろう。だが、戦力が足りないからすぐにでも動く。この言葉の意味するところは考えるまでもなかった。


(俺達に先陣を押しつけたのはいいものの、レイの作り出した炎の竜巻で混乱して中立派や貴族派の兵力を消耗させるのは難しいと判断したか。それなら、むざむざと俺達や貴族派に手柄を挙げるより自分達で掻っ攫う方を選んだ訳だ。まぁ、機を見るに敏と言えなくもないが……)


 内心で呟きつつ、フィルマへと視線を向けるダスカー。するとフィルマもまた同様の考えに至ったのか、同じように視線を向けてくる。


『……』


 数秒、お互いに視線を合わせて目と目で会話をし、すぐに無言で合意が為される。


「分かった。アリウス殿にはすぐにこちらも動くと伝えて欲しい。ただ、出来れば本陣には戦いに参加しないで睨みを利かせ、敵本陣の動きを牽制して貰えると助かると伝えてくれ」

「はっ、了解しました。間違い無くアリウス様にその旨、伝えさせて貰います」


 跪いて話を聞いていた伝令が小さく頷くと、そのまま踵を返して騎馬へと飛び乗り去って行く。


「国王派の兵士にしては随分と素早いな」


 ポツリ、と貴族派の貴族の呟く声が周囲へと響く。


「国王派と言っても、その全てが権力闘争に明け暮れている訳では無い。末端の兵士は意外と真面目な者も多い。こちらも動くぞ」


 近付いてきた伝令へと告げたフィルマだったが、そこにレイが口を挟む。


「待って下さい。攻撃をする際は俺の作り出した炎の竜巻に近寄らないようにして下さい。近付くと高温の熱や、あるいは竜巻によって作り出された風の刃、他にもあの中に追加で投入してきた大量の刃で致命的な傷を負う可能性があります」


 レイの言葉に、周囲で聞いていた貴族達が唖然とした表情を浮かべる。

 ここから見えるのは炎の竜巻のみだが、その炎の竜巻がどれ程の威力を持っているのかが今のレイの説明ではっきりと分かったからだ。

 巻き込まれれば、まず命が助かる可能性は無い。そう思える程の、凶悪とすら言ってもいいような存在だった。

 その中で最も早く我に返ったのは、当然の如く騎士団長という役職に就いているフィルマだ。これまで幾多もの戦いを潜り抜けて来ただけに、常識外の存在にもある程度の耐性を持っていた為だ。あるいは、ギルムの街でレイと一戦交えた経験があったことも影響しているのかもしれない。

 数秒程考え、改めて近くの伝令へと声を掛ける。


「今のを聞いたな? 炎の竜巻には近付かないようにして攻撃するようにしろ。回り込んで、敵の横腹に食い付くようにだ」

「そうだな。中立派は敵左翼へ、貴族派は敵右翼へというところでどうだ?」

「そうですな。それで問題は無いかと。……とのことだ。行け! 今は1分1秒を惜しむべき時だ」

「はっ!」


 続いて我に返ったダスカーの言葉に頷き、それをそのまま伝令へと伝えるフィルマ。伝令は短く返事をすると、素早く踵を返して去って行く。

 この伝令兵が先に放たれた伝令兵に追いついたおかげで、エルク達は無駄な被害を出さずに済むことになるのだった。


「……さて、ダスカー殿」

「ああ、分かっている」


 フィルマの呼びかけに、ダスカーが即座に頷き、視線をレイへと向ける。

 その後を追いかけるようにフィルマの視線もレイへと向けられ、自然とその場にいた殆どの者の視線が再度レイへと向けられる。

 一見すると子供のようにしか見えないというのに、あの恐るべき破壊の化身を生み出した人物へと。


「先程も言ったが、今の状況でお前程の戦力を遊ばせておく訳にはいかない。国王派も現状を見て余計な欲を出してきたようだしな。……このまま前線に向かってくれ」

「はい、問題ありません。すぐに向かいます」


 ダスカーの言葉に、何でも無いとでもいう風に軽い様子で頷くレイ。

 その様子に周囲の貴族達が呆気に取られたような視線を向けるが、我に返った時には既にレイは司令部にいる貴族達へと背を向けていた。

 本来ならば礼儀知らずと言われて咎められてもしょうがない行為なのだが、それを言えるような者はこの場にはいない。レイの底知れぬ実力をその目で確認したが故に。

 そんな中でもレイの直接の雇い主であるダスカーと、レイと互角にやり合った経験を持つフィルマは何かを言おうと思えば言えたのだろうが、レイはやるべきことを理解していると知り、特に何を言うでもなく無言でその後ろ姿を見送る。

 そしてレイが立ち去って30秒程。セトの羽ばたく音が聞こえてきた時にダスカーが口を開く。


「ほら、最前線だけに任せるな。俺達も進軍開始だ。うかうかしていると、国王派が動き出して戦場が無茶苦茶になる可能性もあるぞ。そんなことになるよりも前にさっさと俺達で勝負を決めるんだ」


 ダスカーの声で我に返った中立派が、それぞれに進軍の指揮を取るべく散っていく。


「こちらも同様だ。貴族派の名に掛けて国王派にいい場所だけを奪われないようにするぞ」


 貴族派もまた、フィルマの言葉に我に返って中立派に後れをとってたまるかとばかりに散っていった。

 そんな後ろ姿を見ながら、フィルマはダスカーへと視線を向ける。


「あの者、私達の想像以上でしたな」

「全くだ。まさかあそこまで凶悪な魔法を使うとは思ってなかったぞ。伝承にある魔人ってのはああいう魔法を使ったのかもしれないな」


 何となく思わずといった様子で呟いたダスカーだったが、レイがその魔人、即ちゼパイル一門の作り出した魔獣術の後継者であるとは思いもよらない出来事だった。






「撃てぇっ!」


 指揮官の命令に従い、一斉に矢が、あるいは魔法が放たれる。

 ベスティア帝国軍も、ミレアーナ王国軍が2つに別れて挟み込むように近づいて来ているのは理解していたのだが、それでも十分に迎撃態勢を取ることは出来なかった。何しろ、陣営の中央部分には未だに火災旋風が唸りを上げながら存在しているのだ。一旦後退しようにも、志願兵達の混乱が凄まじくそれも出来ず、結局は十分な迎撃態勢を整えることも出来ないままミレアーナ王国軍と刃を交えることになる。

 先制攻撃として、あるいは前衛の者達が距離を詰める為の援護として放たれた無数の矢と魔法は、そんな敵の混乱に乗じて放たれた為に殆ど迎撃されずにベスティア帝国軍へと降り注ぐ。

 咄嗟に盾を構えた者もいたが、それよりは何も出来ずに無防備に攻撃を食らった者の方が圧倒的に多く、更には手を休める暇も無く延々と放たれ続ける矢の雨が降り注ぐ。不幸中の幸いだったのは、弓よりも広範囲に攻撃が可能な魔法が最初の一撃だけだったことか。だが、それにしても降り注ぐ矢の量は止むこと無く続いており、前衛部隊に被害が及ばないように調整された小規模の魔法は幾度となく放たれ、ベスティア軍の戦力を次第に削っていく。

 そして前衛でも一方的な蹂躙といってもいいような様相を見せていた。


「うおおおおおおっ!」


 エルクが振り回す雷神の斧が、ベスティア軍の兵士達を藁人形でも切り捨てるかの如く腕を切断し、頭部を切断し、あるいは胴体を砕いて周囲へ血と肉と骨と内臓をばらまいていく。

 職業としての兵士達はそれなりの防具を配給されているのだが、そんなものは全く役に立たず命を散らしていくのだ。

 いや、それだけではない。プレートアーマーを身につけている騎士達ですら、エルクの剛力と雷神の斧という凶悪極まりないマジックアイテムによって鎧ごと斬り裂かれ、砕かれ、破壊され、放たれた雷に焼かれていく。

 そんなエルクから離れた場所では、灼熱の風の3人もまたお互いに連携し合いながら目の前に立ち塞がるベスティア帝国の冒険者を相手にして戦いを繰り広げていた。


「はっ、まさかあの灼熱の風を相手にすることになるとはな。あの馬鹿げた竜巻といい、つくづく運の無い日だなっ!」


 そんな言葉と共に振り下ろされた剣をミレイヌが身体を半身にして回避し、カウンターとして突きを放つ。


「やらせるかヨ!」


 語尾を上げる独特な声を発し、何らかのモンスターの骨と皮を使って作りあげられたのだろう、身体の半身以上を覆い隠す様な巨大な盾を構え、2mを越える女が男を弾き飛ばすようにして間へと割り込み、ミレイヌの切っ先を受けとめる。


「うわっ、何よその格好。痴女か何か? エクリル!」


 胸の周囲と下半身のみをギリギリ隠すようにして覆っているだけの、鎧どころか服ですらなく、下着にしか見えない服装をした巨大な女の姿に思わず叫ぶミレイヌ。

 だが驚いてばかりもいられずに、剣を受け止めた骨と皮の盾の固さに眉を顰めて仲間へと声を掛け、後ろへと跳躍する。

 そこに追撃を掛けようとした最初の男だったのだが、そうはさせじと後方に位置するエクリルからの空気を斬り裂くような速度で数本の矢が連続して放たれた。


「ったく! 厄日だな!」


 叫びつつも追撃を諦め、鋭く剣を振り相棒の女へと放たれた矢を男は切り捨て、つい数秒前のミレイヌと同様に後方へと大きく飛び退ると、次の瞬間には地面へと幾つもの風の刃が叩き込まれる。

 灼熱の風3人に対して、男と女は2人組だ。それでも互角とまでは言わないが、何とか持ち堪えることは出来ていた。この辺はパニックに陥って右往左往している兵士達とは実力そのものが違うのだろう。

 また、同時に実力派パーティとして名高い灼熱の風を抑え込んでいることからも、実力の程が窺える。

 それでも……だが、それでも。この2人で抑え込んでおけるのは灼熱の風が精一杯であり、本来であればこの場で最も注意すべき最大戦力のエルクには手を出すことが出来ず、好き放題に暴れられていた。

 そして……そこにベスティア帝国軍にとって、更なる絶望が空から降ってくる。


「邪魔だ、退け」


 グリフォンと共に落下してきた男が持っていた巨大な鎌を振るうと、それだけでミレイヌ渾身の突きを受けても傷1つ付かなかった骨と皮の盾は綺麗に斬り裂かれ、盾を持っていた右手首諸共に切り飛ばされて空を飛ぶ。


「ぎゃあああア!」

「ちぃっ、何だ!? 退……うおおぉっ!」


 一撃で強固極まりない盾を破壊され、同時に大鎌を持っていた男と共に降りたったグリフォンの前足を横薙ぎに振るわれ、何とか受け止めるも剣諸共に吹き飛ばされる男。

 自分達が若干とはいえ苦戦していた相手を、まるで子供の手を捻るように倒した1人と1匹。

 それが誰かということは、この場にいる灼熱の風の3人は良く知っていた。


「レイ!」


 予想外の援軍に思わず名前を叫ぶミレイヌ。そんなミレイヌの声は戦場の喧噪の中でも不思議とよく響き、中立派の中でも最前線で戦い続けているギルムの街出身の冒険者達の士気を、これ以上無い程に盛り上げる。

 ベスティア帝国軍にとって予想外の展開を迎えている戦争は、また新たな展開を迎えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る