第262話

 夜、周囲に存在するのは闇と天から降り注ぐ月光。そんな中、月光でその身を照らしながら1人と1匹が空を飛んでいた。

 言うまでも無くレイとセトであり、目指しているのは街道から外れた山の一画である。


「ふう、雲1つ無いいい月夜だな」

「グルルゥ」


 レイの呟きに、後ろを振り向きながら視線を送ってくるセト。

 基本的に行軍中は馬車の中で休憩していたレイとは違い、セトは軍の先頭を冒険者達と進んでいた。

 別にその程度で疲れている訳でも無いし、あるいは時々自らの実力も省みずに襲ってきたゴブリンの様なモンスターに怪我をさせられた訳でも無い。

 それでも……やはりセトにとっては、大好きなレイと行軍中ずっと離れていたというのは寂しいことだった。その為、いつもよりも余計に甘えた声を出しながら、レイに構って欲しいと反応するのだ。

 魔獣術でお互いが魔力により繋がっている為に、何となくそれを理解したレイもまた笑みを浮かべながらセトの首を撫でてやる。


「それにしても、義賊で一般市民にとってはヒーローに近い存在だとは言っても、まさか草原の狼を仲間に引き入れるというのを、ああもあっさりと許可するとは思わなかったな」


 呟きつつ、提案した直後のことを思い出すレイ。

 レイの隣で話を聞いていたルーノは唖然としつつ、まさか草原の狼のような集団と繋がりがあるとは思いもしなかったと驚愕の視線をレイに向け、レイの護衛として付けられた2人の騎士は盗賊団を味方に引き込むなんて真似は感心しないと眉を顰め、あるいはダスカーへと切々と訴え、肝心のダスカー本人は面白そうな顔でレイに話の続きを促した。

 そしてレイは以前護衛の依頼でこの付近を通った時に殺しを好む盗賊団に襲われたこと。それを撃退した後、盗賊団を纏めて片付ける為に共に行動していた冒険者に後を追って貰いアジトを突き止め、そこに襲撃を仕掛けようとしたこと。しかし最終的にはその盗賊団のアジトに到着してみると草原の狼達の手によって壊滅寸前になっていたこと。最終的にはレイがその戦場へと姿を現し、義賊である草原の狼に対して貸しを作るということで見逃したという事情を説明した。

 騎士達は、騎士であるが故に辺境の外で義賊として有名だった草原の狼の存在を知らなかったのか、ルーノにその辺を説明されて感心すればいいのか、あるいは所詮は盗賊と一緒にすればいいのか迷っていたが、ダスカーの判断は違った。

 領主であるが故に草原の狼という存在を知っていたので、その首領であるエッグの義理堅さも情報で知っていた為、瞬時に草原の狼を味方にすることの有用性を悟り、その場でレイに対して草原の狼をラルクス領軍に引き込むように要請したのだ。

 この時命令ではなく要請であったのは、ダスカーが如何にレイを重要視しているかの証だったのだろう。

 その結果レイは昼食の配給や夕食の配給を終え、更には夜営用のテントの類も全員分配り、その他諸々のミスティリングを使う仕事を終えた後でこうしてセトと共に夜の空を飛んでいるのだった。

 もちろん明確に草原の狼がどこにアジトを構えているかというのは分からない。よって……


「グルゥ……」


 翼を羽ばたかせて夜空を飛んでいたセトが、地上にある森の一角を見据えて喉を鳴らず。


「お、見つけたか。さすがにセトだな。いい子だ」

「グルルルゥ」


 レイに褒められ、喉を鳴らして喜ぶセト。

 そんなセトの首を撫でながら、笑みを浮かべて口を開く。


「じゃあ……夜に動き回っている盗賊に挨拶をしに行こうか」

「グルルゥッ!」


 翼で滑空しながら森の中へと突っ込んでいくセト。見る見る地上の森が視界の中に近付いてくるが、レイは恐怖や畏怖、あるいは驚きといった表情を一切見せずに、腕のミスティリングから短剣を取り出す。本来のレイの投擲用の武器と言えば槍なのだが、それだと威力が高すぎる為だ。盗賊退治に来ているのならそれもいいのだが、今回はあくまでも草原の狼をラルクス領軍の戦力に組み込むことが目的である以上、可能な限り殺すという行為は避けたかった。何しろ、そうすれば味方にする戦力が減るのだから。


「……ふっ!」


 滑空して羽ばたく音を消していたセトの上から、素早く短剣を投擲するレイ。春とは言っても夜はまだそれなりに肌寒く、その冷たい空気を斬り裂くようにして飛んだ短剣は……


「うわぁっ!」


 目標としていた相手の太股に僅かな切り傷を付けて地面へと突き刺さる。


「セト」

「グルゥ」


 その小さな呟きだけで全てを了承しているかのように、飛んでいる身体を斜めにしてレイが地上へと降りやすくするセト。

 レイはそのままセトの背から転がり落ちるようにして森の中へと着地する。

 5m以上の落下距離がありつつも、音を殆ど立てないようにして衝撃を殺しながら森へと着地するレイ。

 もちろん森の地面である以上は踏み固められている訳では無いし、衝撃をある程度は殺してくれる軟らかい土や落ち葉といった物もある。だがそれでも、森で暮らしている男に対しても殆ど着地音が聞こえないような身のこなしは、男にしてみればはっきり言って異常としか言いようがなかった。


「誰だ!?」


 投擲された短剣により少しだけ斬り裂かれた右太股を押さえつつ、男は鋭く叫ぶ。

 だが、レイはドラゴンローブを翻しつつもフードを下ろし、特に気にした様子も無く自分を警戒している男へと近付いていく。


「ギルムの街の冒険者、レイだ」

「ちぃっ、冒険者!? 手前、どこで俺達のことを嗅ぎつけやがった!?」


 レイという名前に特に反応もせず、腰からぶら下げていた斧を手に構える男。

 その男の持っている斧は戦闘に使うように作られたバトルアックスの類ではなく、薪を割る為に使うような手斧の1種だった。


「……どうやら違う、か」


 草原の狼のメンバーならレイという名前に反応しない筈が無い。それだけの強烈な印象をエッグを含めた者達に与えたのだから。つまり目の前にいるのは全く関係の無い盗賊なのだろうと判断し、新しくミスティリングから取り出した短剣を手にしながら男へと声を掛ける。


「草原の狼のアジトを知っているか?」

「は? 知るかよそんなの。それにもし知っていたとしても俺に攻撃をしてきたような手前みたいなクソガキに、そうそう教えると思ってるのか?」


 額に青筋を浮かばせつつ、怒鳴りつける男。

 その言葉を聞いたレイは、眉を顰めて手に持っている短剣を投擲する。

 トンッ、そんな軽い音が男の耳に響く。


「……え?」


 一瞬。本当にほんの一瞬のことだった。男の目の前にいた、まだ10代も半ばとしか思えないような小柄な子供の手が翻ったと思った次の瞬間、その手の中にあった短剣が消え、同時に男のすぐ後ろにあった木の幹から短剣の鍔が生えていたのだ。そう、本来であれば生木に刀身の根本まで突き刺すというのは酷く難しい。それこそ男には想像も出来ないような達人か、あるいは桁外れの腕力を持つか。そして……

 男はチラリと視線を短剣が根本まで突き刺さっている木へと視線を向ける。そして次に、魔法使いがよく着ているような特にこれといった特徴も無いローブを。

 レイの着ているドラゴンローブには隠蔽の効果が付与されている為、魔法使いでも何でも無いこの男には本当にただの一般的なローブにしか見えなかった。そして、それが男の不幸でもあっただろう。


(魔法使いの見習いってところか。けど魔法の詠唱をしていた様子は無い。となると……マジックアイテムか。ハッタリを見せつけたつもりだったんだろうが、マジックアイテムを手放したのは致命的だったな)


 この男にしても夜の森を1人で行動しているのを見れば分かる通り、盗賊の中では腕の立つ男であるのは間違い無い。だが、それはあくまでも盗賊の中でのことでしかなく、ギルムの街で活動しているような冒険者にしてみればドングリの背比べ程度の違いしかなかった。

 自分とレイの実力差を感じとり、盗賊らしく逃げ出していればあるいは逃げ切れていた可能性もある。いくら低くても、レイと戦うよりは確実に賢い選択だっただろう。だが男はレイの見た目に騙された。あるいは、セトがこの場に姿を見せずに上空で周囲を警戒していたのも男が自分の危機に気が付かなかった理由の1つだったかもしれない。


「ハッタリなんぞ、俺には効果がねえんだよっ!」


 叫び、レイが行動を起こす前に素早く後方へと跳躍する男。跳躍した隣には、先程レイの投げた短剣が突き刺さっている木が存在している。

 すばやく木の幹に突き刺さっている短剣の柄へと手を伸ばす男。


(勝った! あのガキが俺に勝つ為には、俺よりも早くこのマジックアイテムを手に入れなきゃいけなかった筈だ。だが俺の方が早い!)


 得意満面の勝ち誇った顔をレイへと向け、短剣の柄を掴む。だが……


「……え?」


 ピクリとも動かない短剣に、思わず間の抜けた声が上がる。そして……


「何か勘違いしているようだが、その短剣は別に特別な物じゃない。街で普通に売っている物だ」

「っ!?」


 数mは離れていた筈のレイの声がすぐ近くから聞こえ、反射的に視線を向けると……


「取りあえず、お前は力の差を知れ」


 その言葉と共に腹部に強烈な衝撃を感じ、男の意識は闇に落ちるのだった。


「全く。今までもそうだが、そんなにこの見た目は子供っぽいか?」


 苦笑と共にドラゴンローブに包まれた自分の身体を確認する。

 日本に住んでいた身としては驚く程に小さいとは思えないのだが、それでもこの世界では平均的に皆の身長が高い為にどうしても年齢よりも小さく見られるらしい。それが原因で幾度となくいらないトラブルに出会ってきたのを思い出しつつも、小さく首を振って木の幹に突き刺さっている短剣へと手を伸ばしてあっさりと引き抜く。

 そう。男が全力を込めて引き抜こうとしても少しも動かなかった短剣を、だ。

 もし気絶した男がこの光景を自分の目で見ていたとしたら、レイの持つ膂力に唖然としていただろう。だが、幸か不幸か男は気を失って地面へと倒れていた。


「さて……」


 短剣を手にしたまま、怪我をしない程度に……それでも十分に痛みは感じるような、絶妙の強さで男の太股の辺りを蹴りつける。


「ぐがっ!?」


 その痛みで一瞬にして覚醒する男。何が起きたのか分かっていないのだろう。しきりに周囲の様子を窺っているが、やがてレイが口を開く。


「起きたか?」

「ひぃっ!」


 そしてレイを見たその瞬間、気を失う前のことを思い出したのだろう。つい先程までの態度が何だったのかと言わんばかりに悲鳴を上げて後退ろうとする。だが……


「グルゥ」

「え? ひっ、ひいいいぃぃぃっ!?」


 後退った背中にぶつかったのが何らかの巨大な生き物だと理解し、更には鋭いクチバシのついてる顔で覗き込まれた男は更に悲鳴を上げて背後の存在、即ちセトから距離を取る。


「さて、自分の立場は分かったな?」


 モンスターよりはレイの方がまだマシだと思ったのだろう。レイの後ろに隠れながらひたすらに頷く男。


「じゃあ、改めて聞くぞ? 草原の狼のアジトは知ってるか?」

「そ、その……詳しい場所までは知らないが、大体の場所なら……」

「よし。ならそこまで案内をしろ。そうしたら解放してやる。お前は運がいいぞ? 何しろランクC冒険者の俺が盗賊を見逃すと言ってやってるんだからな」

「……ラ、ランクC!?」

「ああ。一応実力は見せたな? 言っておくが相手の見た目で実力を侮るようなことはしないことだな」

「……」


 レイの言葉に無言で何度も頷く男。


「分かったのならいい。ならさっさと案内を頼もうか」

「あ、ああ。……こっちだ」


 レイの言葉に、これ以上逆らったら自分がどうなるのかを悟ったのだろう。特に目の前にいるのがランクC冒険者ともなれば、盗賊の中で多少腕の立つ自分が無駄に抗っても無駄死にするだけだと判断し、大人しくレイを草原の狼のアジトがあると盗賊達で噂されている場所へと案内していく。先程太股を蹴られたダメージがまだ残っている為か、若干その足取りは重い。


(これであの噂が嘘だったりしたら……俺、死ぬんじゃないか?)


 そんな風に考えつつも森の中をレイやセトと共に進んで行く。

 チラリ、と視線を向けると自分を監視するように見ているセトと目が合い、生きた心地がしないままに1時間程経ち……


「俺が聞いた限りだとこの近くに草原の狼のアジトがある筈だ」


 数個の、高さ5m程もある岩が幾つも重なっている場所の近くへと到着して、ここまで案内してきた男がそう説明する。


「ここがか? まぁ、確かに分かりやすい目印だが……いや、どうやら当たり、か」


 月明かりが降り注ぐ、ある種幻想的ともいえるその光景を眺めながら呟いたレイだったが、すぐに視線を周囲へと向ける。

 急速に近付いてくる幾つもの気配を感じ取ったのだ。


「グルゥ」


 セトもまた同様だったのだろう。喉の奥でレイに同意するように短く鳴く。


「よし、どうやら本当だったらしいな。……もう行っていいぞ。ただし、俺達を相手に攻撃を仕掛けてきたら……分かるな」

「あ、ああ」


 冷たい視線、それこそ自分を路傍の石としか見ていないような視線を向けられ、思わず唾を飲み込みつつ男は頷き……これ以上ここにいるのは百害あって一利なしとばかりに、背を向けて走り去っていくのだった。

 その後ろ姿を見送っていたレイはシン、と静まり返っているように見える森へと視線を向けて口を開く。


「俺はレイ。ギルムの街のランクC冒険者だ。エッグに借りを返して貰いに来たと伝えろ」


 自分達の様子を窺っている者達へとそう声を掛ける。

 この時、レイの中に自分の周囲を囲むようにして潜んでいる者達が草原の狼ではないという考えは無かった。ここを案内した男の自分に対する怯えようや、周囲のいる者達の気配の殺し方がその辺の盗賊と比べると腕そのものが違うと分かっていた為だ。

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