第261話
「レイ、起きろ。そろそろアブエロの街が見えてくるぞ」
「ん? んー……、あぁ……」
声を掛けられ、レイの意識は急速に目覚めていく。
そして開いた目で周囲を見回すと、まず見えてきたのは馬車の中だった。
「……あぁ、そうか」
半ば寝ぼけた目で周囲を見回し、ようやく自分がどこにいるのかを理解したかのように頷く。
馬車の窓からは周囲の光景が動いており、現在レイの乗っている馬車が動いていることを証明していた。
(結局俺は出発してから眠ってたのか)
内心で呟き、大きく伸びをするレイ。
そこまでしてようやく頭の中がすっきりして、自分が何故馬車の中で眠っていたのかを思い出す。
昨日の夜営で5000人分の食事をミスティリングから出し、更には夜営用のテントも同様に準備をしたのだ。その後は食事の入っていた巨大な鍋やらフライパンやらを回収するのにも一苦労だった。
一応水の魔法を使える者達に協力して貰って料理の入っていた巨大な鍋といった物は洗われていたので、回収する時にそれ程の手間ではなかったのだが、それでも5000人分の食事が入っていた鍋の数々だ。当然ミスティリングに収納するにもそれなりの時間が掛かることになる。
この時に幸いだったのは、兵士達がそれぞれ自分の食器は自分で管理するという決まりになっていたことか。もしそうでなければ、レイの疲労は更に深くなっていただろう。
食事以外にも夜営のテントはこれでもかとばかりに小さく畳み、それを更に他の大きな袋に入れ、更にその袋をより大きな袋に……として仕舞い込んでいた為、それらの巨大な袋を10個程出せばそれで何とかなったのだが。
そして肉体的な疲れはともかく補給作業で見知らぬ者達と長時間のやり取りをするという、慣れないことをした精神的な疲れでぐっすりと眠って疲れを癒したのも束の間……朝食の準備として当番兵達に起こされることになる。
考えてみれば当然なのだが、朝食の用意をする者は他の者よりも早く起きなければならない。
昨晩の疲れがまだ完全に抜けていないままに朝食の準備に駆り出され、ようやく終わったかと思えばすぐに出発。
さすがにレイも疲れ果て、ダスカーに言われて馬車の中で休むことになったのだった。
もっとも馬車の中で休んでいるのはレイだけであり、いつもレイと行動を共にしているセトはその感覚の鋭さ故に昨日同様隊列の先頭で他の冒険者達と一緒に周囲を警戒をしている。
これが他の街の冒険者であれば、セトを見て混乱していた可能性もある。だが、そこは既にセトという存在に慣れているギルムの街の冒険者である為、特に騒ぎにもならずにラルクス領軍は街道を進んでいた。
いや、前々からセトに興味のあった他の冒険者にしてみれば、人懐っこいセトに構える分むしろ望むところだったのかもしれない。セトに対してどこに持っていたのか、干し肉や木の実といったものを与えることが出来ていたのだから。
「レイ? どうかしたか?」
「いや、何でも無い。それよりもアブエロの街に到着したって?」
「ああ。とは言っても、街に寄ったりはしないですぐに出発するんだけどな」
ルーノが視線を街道の先に見えてきたアブエロの街に向けながらそう告げる。
そう、本来であればラルクス軍の先頭で周囲を警戒している筈のルーノだったが、警戒に関しては他のメンバーにも偵察が得意な者もおり、更にはセトという存在がいる為、レイが眠っている間の護衛をするように上から……より正確に言えばレイの精神的な疲労度が高いと知ったダスカーの命令により一緒の馬車に乗っていたのだ。
これはもちろんルーノがレイと顔見知りだという理由もあるが、他にもレイが眠っているのを狙ってベスティア帝国が何らかの行動を起こさないとも限らないし、あるいはラルクス領軍の中でもレイの持っている各種マジックアイテムに目が眩んだ者に対する備えという意味もある。
そうである以上、馬車の中にいるのはレイとルーノだけではなく騎士団の者も2名程乗り込んでおり、お互いがお互いを監視し合うようになっていた。
「……ん? アブエロの街の前に軍勢がいるな」
窓から見えてきた光景に、レイは思わず呟く。
レイの視線にはアブエロの街の前に集まっている集団がしっかりと見えていた。その数はラルクス領軍を見物に来た街の住民だというには明らかに多く、甲冑や武器を装備している者も数多い。そう、まるでこのラルクス領軍のように。
そんなレイの疑問は、レイの向かいに座っていた騎士が頷いたことで正しいと証明される。
「アブエロの街もダスカー様と同じ中立派だからな。同じ中立派同士、共に進もうということだろう」
「へぇ、アブエロの街も中立派だったのか。じゃあ、サブルスタの街は?」
「サブルスタの街は貴族派だな。ただし、前もって進軍を共に行いたいと連絡が来ているから、一緒に戦地へと向かう筈だ」
「……違う派閥どうしで行動を共にしても問題は無いのか?」
寝起きの目を覚ます為、去年の夏に買った冷たい果実水をミスティリングから取り出しながら尋ねるレイ。
何も無い空間からいきなり現れた果実水に目を見開きながらも、騎士は小さく頷く。
「ダスカー様にしてみれば、ベスティア帝国のような強国と戦争をするのに派閥に拘って兵力を消耗させるのは馬鹿らしいと思っているだろうし、サブルスタの街から派遣される者達にしても同様だな。量はともかく質という意味でミレアーナ王国屈指の戦力であるラルクス領軍と共に行動するのは兵士達に安心感をもたらすからな。……っと、悪い」
レイは話を聞きながら自分の飲んでいる果実水と同様のものを3つ取り出し、騎士2人とルーノへと手渡していく。
「けど、このアブエロの街までは辺境だからモンスターに襲撃される可能性が少なからずあるのは分かるが……ここからは夜になってもギルム周辺程にモンスターは現れないだろう?」
「それは確かにそうだな。だが、辺境を出るとモンスターの代わりに盗賊達が出没するようになる。もちろん軍隊を相手に盗賊達が迂闊に手を出す可能性は少ないが、中には殺人を楽しむ血に飢えた狂犬のような盗賊達もいるからな。そんな奴等は何を考えているか分からん。もしかしたら自滅を覚悟で突っ込んでくる可能性もある。そんな奴等を相手にするのなら、自分達だけじゃなくて俺達と共にいた方がいいと判断するだろう。特に貴族派の中心人物であるケレベル公爵は役に立つのなら平民でも取り立てるという実力主義だという話だし。……まぁ、サブルスタの街の領主代理はいまいちいい評判を聞かないが」
騎士の言葉を聞いていたルーノが、不意に不思議そうな顔をして首を傾げる。
「貴族派の中心人物なのに、実力があれば平民も取り立てるのか? それだと他の貴族達が納得しないだろう? 文字通り貴い一族で貴族だと自負しているのが貴族派なんだから」
「お家自慢しか脳の無い馬鹿貴族でもケレベル公爵には逆らえない。それこそがケレベル公爵の怖いところなんだろう。だからこそ、ダスカー様もケレベル公爵を警戒している」
「……確かにそれが事実なら、ケレベル公爵というのは凄いな」
騎士の話を感心して頷いているルーノを横に、レイは内心の考えに没頭していた。
(恐らく殺人を楽しむ盗賊ってのは、護衛でこの近くを通ったときに俺達を襲撃してきた奴等だろう。あいつら以外にも似たような奴がいる可能性もあるが……ああいうのが大量にいるとかは……いや、待て。盗賊。そう、盗賊か。アブエロの街を過ぎれば、当然草原の狼の活動範囲に入る筈だ。それならエッグと繋ぎをとることも難しくは無い……か? もし繋ぎを取れれば、以前の借りを返して貰えると思うが。戦争である以上は諜報活動は大事だし、盗賊の中でも腕の立つ集団だけにそっち方面でも期待出来る。最悪、戦闘力だけに期待してもいいしな)
自分が取るべき手段を決めたレイは、騎士へと視線を向けて口を開く。
「悪いが、ラルクス辺境伯とちょっと話がしたい。もしかしたら意外な援軍を引き込むことが出来るかもしれないと言って、連絡を取ってくれないか?」
「ん? 何だ急に。もちろんお前が今回の戦争で重要人物であることは知ってるから、無理じゃないが……今すぐというのは無理だな。ほら見ろ」
騎士の言葉に視線をアブエロの街の方へと向けたレイは、そこでダスカーと豪華なフルプレートメイルを身につけた騎士が笑顔で話しているのを目にする。
「アブエロの街から出る軍の指揮を取るヴィペール子爵だ」
「……もしかしてアブエロの領主か?」
「いや、領主代理の部下で騎士団の副団長か何かだったと思う」
「中立派って言っても意外に人材はいるんだな」
ヴィペール子爵と呼ばれた男を見ながら、フルプレートメイルを着ているにもかかわらず余裕のある身のこなしに思わず呟くレイ。
(こうして見た感じ、20代後半から30代前半ってところか。その年齢で副団長というなら、恐らく次期騎士団長とかになれる実力の持ち主なんだろう)
そんな風に思っていながら見ていると、やがてアブエロの街から出て来た軍勢と合流して街道を進み始める。
これまでも決して早いとは言えない道行きだったが、この合流でさらにその移動速度が落ちたとレイには感じられていた。
補給物資を運ぶ手間がなかった為に、ラルクス領軍の移動速度は普通の軍に比べるとかなり早かったのだが……最初にレイが行動を共にしたのがラルクス領軍だった為、レイの中ではどうしても補給物資を満載した馬車と共に行動するのは鈍く感じられた。
(まぁ、だからといって、これ以上俺の負担を増やす気はないが)
ラルクス領軍だけでも色々と精神的に疲れているのに、さらにアブエロ軍の面倒を見るというのはレイにとっては完全にありえない話だった。もしダスカーがそれを要請しても恐らく断っていた程には。
そしてアブエロ軍と合流し、再び街道を進み始めてから30分程。そろそろ頃合いだろうと判断した騎士の1人が座っていた席から立ち上がる。
「まず俺がダスカー様に連絡をしてくる。ダスカー様のことだ、恐らくすぐに呼び出されると思うから準備はしておけ」
「分かった。頼む」
レイの言葉に頷き、騎士が出て行く。
その騎士を見送り、残ったルーノが不思議そうな顔をしながらレイへと声を掛けてくる。
もう1人の騎士もまた、レイの突然の面会要請に首を傾げていた。
「で、レイ。何だって急にラルクス辺境伯と面会したいなんて言いだしたんだ?」
「ちょっとした伝手があってな。もしかしたらラルクス領軍の陣営をもう少し厚くできるかもしれない」
「……厚く?」
「まぁ、詳しい話は秘密だ。ラルクス辺境伯が許可をしないと何とも言えないしな。……ん? 早いな、もう戻って来たか」
馬車の動いている音の中でも、レイの耳には近付いてくる鎧が擦れる金属音が聞こえてきていた。
そんなレイの言葉にどこか疑わしそうにしていた騎士だったが、すぐに馬車の扉が開いて驚愕の表情を浮かべる。
尚、ルーノは既にレイが通常の人間の枠に嵌らないということをその魔力を見る目で理解している為か特に驚いた様子も無い。
「ダスカー様がお会いになるそうだ。馬車に来てくれ」
「分かった。……この2人は?」
「私も含めてお前の護衛だからな。付き合わせて貰う」
「そうか」
レイとしても、特に異論は無かった為にそのまま3人を引き連れるようにしてダスカーの乗っている馬車へと向かうのだった。
「よく来たな。もう身体の方は大丈夫なのか?」
「はい。幸い肉体的な疲れではなく精神的な疲れだったので、ぐっすり眠ってしまえば問題ありません」
ダスカーへと言葉を返しながら、馬車の中へと視線を走らせるレイ。
レイが乗っていた馬車も乗り心地はそれなりに良かったのだが、この馬車は振動を全く感じさせない程に揺れていなかった。
そんなレイの様子を見て、どこか得意気な笑みを浮かべるダスカー。
「この馬車は辺境にしかいないモンスターの素材を使ったり、同様にそれらを錬金術で加工して作りあげた物で、一種のマジックアイテムだ」
「……ああ、なるほど」
エレーナとダンジョンに行く時に使っていた物と同じような代物か、と納得するレイ。
もっとも、ケレベル公爵程に金銭的な余裕がある訳でも無いラルクス辺境伯なので、そのグレードはかなり下がっているが。
「それで、用件は? 何やら意外な援軍を引き込めるかもしれないとの話だったが」
ラルクス領軍を率いる者としては時間的に余裕がある訳でも無いのだろう。部隊に対する指示、アブエロ軍との調整、情報の収集等々。やるべきことは幾つもあるのだ。
本来であれば雇われの冒険者でしか無いレイとの会話に費やす余裕すらも無いのだが、それでも許可したのはレイの持っているアイテムボックスや従魔のセトといった存在があるだろう。立場としては雇われの冒険者ではあるのだが、補給物資の約半分を個人で運べるというその役割は既にこの遠征軍の中核に近いと言ってもいい。
その為に許可されたダスカーの言葉に、レイは薄い笑みを浮かべつつ口を開く。
「ダスカー様、草原の狼という盗賊団をご存じですか?」
その一言にルーノは唖然とした表情を浮かべ、同時に騎士2人は盗賊団を味方に引き込もうというレイに驚愕の表情を向け、肝心のダスカーは面白そうな笑みを浮かべるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます