第243話

 魔力を流されたことにより鞭の如く伸びた刀身が、騎士の構えている剣を絡め取りながらそのまま引っ張られ、そのまま奪い取る。次の瞬間にはいつの間にか自分の手の中から剣が消えていたことに気が付いた騎士だったが、その時には既に鞭の如く伸びていた筈の相手の剣が再び1本の長剣へと姿を変え、切っ先を眼前へと突きつけられていいた。


「……ぐっ、こ、この……」

「どうした? まだやるのか? それなら私も相手をしてもいいが」

「ま、ま……参り、ました……」


 不承不承と、歯を食いしばりながらそう呟く騎士。同時に2人の戦いを見守っていた周囲の騎士や兵士達から爆発するような歓声が沸き上がる。

 その歓声を聞いていた騎士は、衆目の面前でまともに相手にされることもなくあしらわれたという恥辱で、本来は美形と称されてもおかしくない程に整っている顔が真っ赤に染まっていた。

 そして男は自分へと恥辱を与えた相手を睨みつけようとし……眼前にいる女が放つ存在感に圧倒されて、思わず視線を地面へと下げる。


(これだ。……一体、何があった? 確かに容姿は私の隣にいてもおかしくないくらいに整ってはいる。だが、それは以前から分かっていたことだ。なのに、今はその容姿の他に何か得体の知れない空気が……存在自体の格というものが違って……いや、違う! 私が圧倒されることなどあってはならないのだ! 例え相手が姫将軍といえども!)


 男は自分へと言い聞かせるように内心で呟き、俯き気味だった視線を強引に相手の顔へと向け……次の瞬間、相手の放っている雰囲気そのものに絡め取られて地面へと尻餅をつく。目の前に立っている美麗な相手とまともに視線を合わせた瞬間腰を抜かしてしまい、立っていられなかったのだ。


「では、以降は自己の判断よりもケレベル騎士団の判断に従って貰うが、構わないな?」

「……はい」


 男の口から出された声は既に自分というものをへし折られており、試合開始前に纏っていた高慢な雰囲気は一切残っていない。


「エレーナ様、お疲れ様です」


 アーラが持ってきたタオルを渡すが、試合自体は剣を交えるというよりもエレーナの放った1度の攻撃で勝負がついてしまった為に、汗を掻くどころか息すらも乱れていない。


「うむ。これで彼が原因でいらぬ諍いが起こることはもう無いだろう」

「キュ!」


 どこからともなく飛んできた小さな竜のイエロが、鳴きながらエレーナの肩へと着地した。

 その様子を微笑ましそうに見ていたアーラだったが、少し離れた場所で地面に座り込んでいる男へと煩わしそうな視線を向ける。

 現在、来春には間違い無く起きるだろうベスティア帝国との戦争に備え、ケレベル公爵領には貴族派に属している貴族達が擁する騎士団が集まって練度を高めるべく、激しい合同訓練を行っていた。

 だが貴族派に所属する者の騎士団が増えると、当然の如く自らの身分を笠に着て傲慢な態度を取る者が出て来る。これは、貴族派という派閥である以上はしょうがない出来事だったのだが、もちろんそんな事態をエレーナが座して見ている訳がない。ケレベル公爵騎士団の下働きをしていた者の1人が、自分の進む道を遮ったというだけの理由で剣を抜いた騎士を止めに入ったのだが相手もまた侯爵という地位の貴族の嫡子であり、さらにはその騎士団を率いている騎士団長という身分であった為に、引くことを知らずに論争へと発展する。

 実はこの論争自体は侯爵の嫡子が姫将軍として名高い美貌を持つエレーナを手に入れる為に、自ら仕組んだものであった。それを知ってか知らずか、自分が勝ったらエレーナが妻になる。負けたらケレベル公爵騎士団の指示には絶対服従という条件でエレーナは決闘を受け……1合すらも剣を交えずにあっさりと勝ってしまうという結果となったのだ。


「そんな、何で……この私が……」


 腰を抜かして立てずに、地面を見ながら呟く男。

 もちろんこの男にしても、父親である侯爵の影響も幾らかはあったものの騎士団長という地位に就けるだけの実力は持っている。実際、侯爵の騎士団の中では最高峰の腕を持っているからこそ騎士団長を務めているのだから。だが、この場合は相手が悪かったとしか言いようが無かった。

 エレーナ・ケレベル。元々が姫将軍として周辺一帯に知られた存在であったのだが、継承の儀式を行いエンシェントドラゴンの力を受け継いだ今では、その実力は一流と呼ばれる騎士であっても有象無象の如くに扱える程の実力が備わっているのだから。

 エンシェントドラゴンの身体能力がその身に宿り、魔力もまた同様に引き継いでいる。勿論まだその力の全てを使いこなせている訳では無いが、それでも元からの実力もあって現在のエレーナは他を隔絶した強さをその身に宿している。更にはまだ使える数は非常に少ないが、竜言語魔法という、本来であれば知性ある竜しか使えない魔法すらも習得している。


「貴公の実力も決して低くはない。しかし私の方が上だった。姫将軍という通称は別に私が好んで付けたものではないが、それでもこんな場所で地に伏して良いものではないのでな」

「……くっ」


 エレーナの言葉に返事をするような余裕も無く、そのままエレーナの顔すら見ずにまるで逃げるように訓練場を出て行く男。

 その背を見送り、エレーナは小さく溜息を吐きながら首を振る。


(確かに貴族派の戦力を充実させなければ来春の戦いに勝つのは不可能だろう。だが、このままで本当に大丈夫なのか? 恐らく今度の戦争はこれまで以上に大規模な物になるだろう。それにベスティア帝国には魔獣兵という存在もある。なのにこのような有様では……いや、今の私は貴族派の象徴でもある姫将軍。そんな私が弱気になってどうする。その為にこそ私は継承の儀式を行い、エンシェントドラゴンの力を手に入れたのだから)


「エレーナ様? どうしました?」

「いや、何でも無い」


 心配そうに尋ねる昔からの友人にエレーナは小さく首を振る。昔からの友人だからこそ、見せられない弱さというものがあるのだとばかりに。


(レイ……)


 そしてそんな時に決まって浮かぶのが、真っ赤な髪を持つ少年の顔だった。

 その顔を思い浮かべるだけで、エレーナの胸に温かいものが湧き上がる。

 ケレベル公爵領の情報やレイからの手紙で、ギルムの街に幾度となくベスティア帝国の手が伸びているのは知っていた。エレーナとしては、すぐにでもギルムの街に行きたいという思いもあった。だが今の自分の立場というものを考えると、そんな真似が出来る筈も無く。


「エレーナ様、1時間後に騎士団との模擬戦があります。それまで休憩なさいますか?」


 エレーナの顔を心配そうに見つめながらも、アーラが尋ねる。

 だがエレーナは小さく首を振ってそれを拒否して歩き出す。


「いや、開戦までの時間はもう残り少ない。出来るだけ皆を生きて帰らせたいからな。私に出来るのは戦争で生き残る為の術を教えるのみである以上、少しでもそこに時間を使いたい」

「ですがエレーナ様、肝心のエレーナ様がいざという時に身体を壊してしまってはどうしようもありません!」


 背中にアーラの声を受け、口元に笑みを浮かべるエレーナ。そのまま黄金の髪を靡かせながら振り返り、小さく首を振る。


「心配するな。私を誰だと思っている? あのダンジョンでの出来事を……私が何の力を受け継いだのか。ここではお前が一番知っているだろう?」


 言葉を濁してはいたが、エレーナが何を言いたいのかは一目瞭然だった。

 継承の儀式の件は貴族派の上層部のみが知っていることであり、国王派ですら知らないことだ。

 もっとも、中立派の中心人物でもあるラルクス辺境伯には知られているのだが。

 だが、そんなエレーナの言葉を聞いてもアーラは1歩も退かなかった。


「確かにエレーナ様の力は以前とは比べものにならない程に高くなっていると思います。ですが、それはあくまでも身体が強くなっているのでしかありません。エレーナ様の心は以前と変わらない筈です。それなのに、これまで以上に気を張り詰めては……肉体に悪影響が無くても、心に悪影響が出るのではありませんか?」

「……」


 アーラの言葉に思わず黙り込むエレーナ。

 実際、ここ最近は自らが率いる護衛騎士団の調練に、ケレベル騎士団の訓練相手を務めつつ自分自身の鍛錬を行い、更にはケレベル公爵領に集まってきている他の貴族派の騎士団にも訓練をつけている。

 そして極めつけが先程の侯爵嫡子のように、エレーナの美貌に目が眩んだ者達への対処まで行っているのだ。体力的には大丈夫でも、心労は着実に溜まっていた。

 もっとも、たまに何を勘違いしたのかエレーナへと夜這いを掛けようとするような身の程知らずも存在しており、そんな相手はエレーナのストレス発散相手として色々な意味で悲惨な目に遭っているのだが。

 何しろ貴族派の中心人物であるケレベル公爵の1人娘なのだ。そんな相手を力尽くでどうにかしようと考えた者は、肉体的にはともかく貴族としても色々な意味でケレベル公爵に返しきれない程の借りを作ることになる。それも夜這いをしようとした貴族ではなく、その貴族の家の当主が、だ。


「……そうだな。なら少しお茶でも飲んで休むとするか。アーラ、部屋にお茶と何か甘い物を」


 アーラの視線に負けるようにして、それでもどこか嬉しそうな笑みを浮かべつつ言葉を返すエレーナ。


「はい! すぐにお持ちします!」


 そしてアーラは喜色満面といった笑みを浮かべつつ、マジックアイテムであり、自分の愛用の武器でもあるパワー・アクスを背負ったまま訓練場を出て行く。

 それを見送り、エレーナもまたその背を追うようにゆっくりと訓練場を出て行くのだった。

 そんな背を見送る幾つもの視線、それは現在この訓練場に集まっていた多数の騎士達のものだ。

 エレーナの美貌に見惚れる者、何としても自分の妻に迎えようと決意を新たにする者、下卑た視線で舐めるように優雅な曲線を描く後ろ姿を見つめる者、先程の決闘で見せた圧倒的な武力に対して崇拝すら感じさせる目で見送る者。多種多様な視線がエレーナの背へと群がっていたが、その全てがエレーナという類い希なる美貌と、圧倒的な武力を持つ戦女神とでも表現すべき存在に対して心を奪われているのは事実だった。






 ミレアーナ王国のとある街。冬という季節にも関わらず、街を歩いている者達はコートの類を一切着ていない。

 さすがに半袖という者はいないが、それでも薄めの長袖を着ている者が大半だった。

 ここはミレアーナ王国の中でも南に位置する港町であり、1年を通して温暖な気候を保っている。

 そしてそんな港町を魚の串焼きを食べつつ歩いている男女が1人ずつ。

 1人は巨大なバトルアックスを背負っており、もう1人はローブを被って杖を持っている。見るからに冒険者であり、戦士と魔法使いといった組み合わせだった。


「んー、やっぱり本格的な冬が来る前にこっちに来て正解だったな。ギルムの街じゃ、今頃は雪が積もってるんじゃないか?」

「そうだろうな。正直、私としてはギルムの街に残っていても良かったのだが。魔法書をゆっくりと読むことが出来ただろうし」

「けど、それじゃあ俺やロドスの身体が鈍るだろ。ロドスもようやくランクC冒険者として十分な実力を付けてきたのに、それを鈍らせるのは勿体ない」


 串焼きにされている30cm程もある大きめの魚を、頭ごと噛み砕いていく男。その男はギルムの街では知らぬ者がいない程に有名な冒険者パーティ雷神の斧のリーダーでもあるエルクであり、ローブを被っている女はエルクの妻で雷神の斧を実質的に纏めているミンだ。

 そしてその2人の後ろで両手に大量の荷物を持って後を追いかけているのが、2人の息子でもあるロドス。


「父さん、母さん、もう少しゆっくりしようよ。これだと荷物を持ちすぎて前も見えなくなりそうだ」

「……はぁ、しょうがねえ。ほら、ちょっと貸せ。俺も持ってやるからよ。大体、お前が自分で荷物持ちは任せろって言うから任せたんだろ? 全く、もうちょっと身体を鍛えないと駄目だな」


 ロドスの持っている荷物を半分程手に取るエルク。


「お、俺は父さんみたいに馬鹿力じゃないんだからしょうがないだろ。基本的に速度を重視して身体を鍛えてるんだから」

「んなこと言っても、レイを見てみろよ。あいつだってどちらかと言えば速度重視の戦闘方法だが、かなり力が強いぞ? 下手したら俺よりも……」

「あんな規格外と一緒にしないでくれっ!」


 一緒に討伐依頼を受けた時のことを思い出し、思わずそう叫ぶロドス。

 その瞬間。


「……?」


 不意にエルクが周囲を見回す。それはミンもまた同様で、手に持っていた杖をしっかりと握りしめ……やがて力を抜く。


「気のせいか?」

「いや、俺とお前の2人が視線を感じたんだ。気のせいって訳じゃないだろう。もっとも、ロドスの声に驚いたどこぞの腕利き冒険者がこっちを見たって可能性もあるしな」

「そうだといいんだが、な」


 既に消えた視線を気にするように周囲を見回し、軽く首を振るミン。

 折角のバカンスなのだ。今は楽しむべきだと判断したのだが……エルクとミンの2人は、この時の判断を後日後悔することになる。

 その、どこからともなく向けられていた視線の意味を知って。

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