第213話

 辺境にあるギルムの街。そこでは2週間程前に街でスパイの大量検挙という事態があった為、正門にいる警備兵も雪が降りしきる中真面目に周囲の様子を確認していた。

 既に冬も真っ盛りの時期に突入して今朝は雪が降ったり止んだりを繰り返している為、既に積雪は10cm近くまでになっている。

 さすがにそんな状況では街へとやってくる旅人や商人の類はおらず、既に昼過ぎだというのに今日は誰も街に入ってこないし、街から出て行っていない。そんな状態でも警備隊の隊長でもあるランガから借りた……というよりも押しつけられたマジックアイテムのコートで寒さに耐えながら周囲の警戒をしていた警備兵だったが、そんな警備兵でもその存在に気が付くことは出来なかった。

 何故なら警備兵が見回しているのは地面であり、その存在が進んでいるのは空だったからだ。そして同時に、警備兵が空を見上げたとしてもその存在を見つけるのは困難を極めただろう。何しろ体長20cm程度しかなかったのだから。


「キュウ、キュウ」


 可愛く鳴きながら飛んでいるその存在は、端的に表現するとすれば竜を小さくしてデフォルメしたような姿だった。小さな羽を羽ばたかせ、5cm程度の尻尾を振りながら空中を進んで行く。それ程の小ささだというのに、空を飛ぶ速度が普通に騎馬の類で走るよりも速いのは、もしその存在を見た者がいたとすれば目を疑ったことだろう。


「キュウ!」


 鳴きつつ、視線の先に見えるギルムの街が自然と大きくなっていくのに気が付き、嬉しそうに鳴くドラゴンのような生物。

 それは明らかに普通のモンスター、あるいは自然のドラゴンの姿ではなかった。

 ドラゴンの子供は、その秘めている力と幼い為に小さい戦闘力故に普通は親がある程度成長するまで見守っている。そう、今ギルムの街へと向かって飛んでいるような大きさのドラゴンなら、まず間違い無く親のドラゴンの庇護下に入っている筈なのだ。

 だが、このドラゴンはそのような小ささにも関わらず、通常の幼竜では出せない程の速度で空を飛んで目的地へと向かっていた。その身体にまるで服のように布を巻いて。


「キュウウゥー」


 短く鳴きながら、ようやくギルムの街の上空へと辿り着いたことを喜ぶ幼竜。

 この時に幸運だったのは、スパイの騒動から2週間程経っていた為に街を覆う結界が既に解除されていたことだろう。もっとも、幼竜は魔力を感知する能力がある為、もし結界の類があったとしたら何か別の手段を使って街の中へと入っていただろうが。


「キュウ!」


 普通に街の中へと降りられることに安堵し、幼竜は短く鳴くとギルムの街へと降りていくのだった。

 自分に命じられた仕事をこなすために。






「……なるほど。やっぱり海にはランクの高いモンスターが多いんだな」


 夕暮れの小麦亭。その自室のベッドで横になりながら、レイは前日に本屋から買ってきた『モンスター大全(海編)』と書かれた本を読んでいた。

 地上とは違い、モンスターの天敵がいない、あるいは少ない海のモンスターは、高ランクのものが多い。もちろんモンスター同士で争うということも少なからずあるのだが、それでも冒険者という存在が基本的にいないのは、海という高ランクモンスターが独自の生態系を発展させている重要なファクターの1つだろう。


「そう言えば、雷神の斧が以前にどこぞの港町で強力なモンスター討伐の援軍として派遣されたとか言っていたな。確かエレーナもその時に一緒になったとか」


 呟きながら、雷神の斧3人の顔を思い出す。

 つい半月程前にレイと共にブルーキャタピラーを倒したロドスだったが、雷神の斧の後継者と目される筈の男の活躍はその日に起きた護送馬車襲撃事件で見事なまでに話題を掠われてしまった。ロドスとしては正直微妙な気持ちだっただろう。

 そんな風に考えていたレイだったが、ふと今の話題でどこか気になる部分があったのに気が付く。雷神の斧。海。モンスター。そして……


「……しまった」


 思わず持っていた本を閉じ、そのまま右手で顔を覆う。


(アーラに言われてた、エレーナに手紙を書くという件をすっかり忘れてた)


 バールの街からギルムの街へと戻ってきてから半月以上。街を出る時にアーラに頼まれていた手紙の件を今の今まで完全に忘れていたのだ。


「今から書いて間に合う、か?」


 手紙を書くための紙や、マジックアイテムの一種でもあるインクの切れないペンはミスティリングの中に入っている。

 ペンに関しては以前雑貨屋で興味本位に買ったものであり、紙もまた何かの役に立つだろうと判断して買い溜めておいたものだ。

 つまり、手紙を書こうと思えばすぐにでも書けるのだ。ただ、それを届けるのにどれだけ掛かるのかは不明だが。これがギルムの街に戻ってきてすぐであったのなら、完全に冬になる前に纏めて商品を仕入れておこうと考える商隊や行商人の類がいたのだが、今はそれらも既にギルムの街を去っている。つまり、今から手紙を書いてもいつエレーナに届くのかは全くの未知数。下手をしたらベスティア帝国との開戦後に届くという可能性もある。それはつまり、手紙が届くよりも早くエレーナと再会するということになる訳で……


「だからと言って、ベスティア帝国との戦争に参加しないという選択肢は無いしな」


 これまでに幾度となくベスティア帝国とぶつかってきたレイにしてみれば、ここでこの国がベスティア帝国に負けたりしたら自分の身が危険になるというのは明らかだったし、裏から手を回して自分やその周辺に手を出してくるベスティア帝国が気に食わないというのもある。このギルムの街は、魔の森から出たレイとセトが偶然辿り着いた場所ではあったが、今はもうそれとは関係無しに好きになっている街だ。そして何より……


「戦争となれば、姫将軍と呼ばれているエレーナはまず間違い無く戦場に出る筈だしな」


 エレーナの美貌はレイ自身も見惚れる程だ。もしミレアーナ王国がベスティア帝国に負けたとすれば、これ以上ない程に美しく、そして男好きのするメリハリの利いた身体付き。さらにはこれまで幾度となくベスティア帝国を手こずらせてきた相手だけに、どのような処遇になるのかは考えるまでもないだろう。戦犯として処刑されるのはまだいい方であり、下手をすればこれまでの遺恨の為に兵達に慰み者にされる可能性もあるのだ。あるいは、エンシェントドラゴンの魔石を使って継承の儀式を済ませた存在として、魔獣兵を開発した錬金術師達の実験体か。


「させる訳にはいかないよな」


 脳裏に浮かぶ、エレーナの凛々しい姫将軍としての表情。あるいは頬をほんのりと赤く染めて照れている表情。そして……

 自分の唇へと手を伸ばすレイ。

 一度だけだが自分の唇と重ねられた、その唇。


「って、何を考えてるんだ俺は。そうじゃなくて、今は手紙のことだろう」


 ベッドの上で上半身を起こし、ミスティリングから紙とペンを取り出す。


「取りあえず手紙を書くにしても……さて、どんな内容にすればいいのか」


 元々山奥の田舎で暮らしていたレイだ。手紙を書く機会は殆どある筈も無く、携帯の電波も届きにくい場所に住んでいるのだからメールのやり取りも殆どしていない。何か連絡があるのなら直接話し掛けるというのが当然だったのだ。

 そんな風に手紙の内容を数分程迷っていると、ふと何かを感じて窓の方へと視線を向ける。


「……ドラゴン、か?」


 思わず呟くレイ。何しろ窓の外で羽を羽ばたかせながら自分を円らな瞳でじっと見つめているのは、体長20cm程しかない。その姿形は間違い無くドラゴンなのだが、幾らドラゴンとはいってもここまで小さいと、感じるのは脅威ではなく愛らしさでしかない。


「キュ?」


 やっと気付いて貰えた、とでも言うように小さく鳴くドラゴン。そのまま窓を開けて欲しいのか、紅葉のような手の平を窓へとペタペタと何度もくっつける。


「……?」


 その仕草に戸惑いつつも、さすがにこの大きさの竜では自分に敵対するとは思えなかった為に、疑問に思いつつも窓へと近づいて鍵を開ける。


「キュウ!」


 やっと開けてくれた、とばかりに体長20cm程のそのドラゴンは窓から部屋の中に入り、えいやっとばかりにレイへと羽を羽ばたかせながら飛びついていく。


「っと!?」


 さすがに小さいドラゴンが普通のモンスターだとは思えず、攻撃するのを躊躇いそのまま受け止める。


「キュッ、キュウ!」


 レイに受け止められたのが嬉しかったのか、嬉しそうに鳴きながら顔を擦りつけてくるドラゴン。

 その様子はどこかセトが甘える時に顔を擦る時のものに似ており、若干の違和感を覚えつつもドラゴンの頭を撫で……


「……ん?」


 その身体にピッタリと密着するように布が巻かれているのに気が付く。


「これは……?」

「キュッ!」


 ドラゴンもそれに気が付いたのだろう。短く鳴いて背中をレイへと向ける。


「この布を解けってことか?」

「キュウ!」


 その通り、と何度も頷くドラゴン。

 その様子を見て、改めてレイは目の前のドラゴンが自分の言葉を完璧に理解しているのに気が付く。


(幼竜の状態でここまで頭がいいドラゴンとか、普通にいるのか? あるいは、人の言葉を理解する竜なら当然それはかなりレベルの高い竜の筈。そんな高ランクモンスターだろう竜の子供が、何で俺の所に来るんだ?)


 疑問を覚えつつも、幼竜の胴体を数周されている布を解いていく。すると、その布の中には1通の封筒が存在していた。

 竜、封筒。これらのピースがレイの頭の中で急速に組み合わさる。


「まさかっ!?」


 脳裏を過ぎったその人物は、つい数分前まで考えていた相手だ。そしてそれを証明するかのように、封筒はとある紋章で封蝋されていた。

 そしてレイは当然の如くその紋章には見覚えがあった。竜の顔の上に薔薇と剣が斜めに組み合わさっているその紋章。それは、ダンジョンに行く時に乗ったとある貴族の馬車に刻み込まれていた物だったのだから。つまりは……


「エレーナ、か」

「キュ!」


 正解! とでも言うように短い尾を振る幼竜。

 その様子に思わず頬を緩ませつつも、ミスティリングから取り出したミスリルナイフで封書の封蝋されている部分を切り裂いて、中の手紙を取り出す。

 手紙を取り出した一瞬、ふわりと香ったのは間違い無くエレーナの付けている香水の匂いだった。……その香水にしてもエレーナがギルムの街を出る前、レイと口付けを交わした時に付けていた時だけしか嗅いだことのないものだった。記憶が鮮明なだけに、その香りはレイの脳裏に強く残っていたのだ。

 そんな風に思い出しながら手紙を広げてゆっくりと読んでいくレイ。


『拝啓、レイ殿。

 

 騎士団長を含む上司に提出する書類を書くのは珍しくはないが、こうしてプライベートな知人へと手紙を書くのは初めてだ。その為に色々と不作法があるかもしれないが、その辺は目を瞑ってくれると助かる。

 さて、レイとアーラがバールの街で再会したと聞き、とても驚いた。アーラから話を聞く限りでは魔熱病が流行っていたらしいが、レイは感染していないだろうかと少し心配だ。もっとも、魔熱病はある程度の魔力があれば感染はしないという話だし、そもそもレイがバールの街で感染せずに1週間を過ごしたと聞いてはいるのだが、やはり心配ではある。身体に異常がないといいのだが。

 ともあれ、レイがバールの街からギルムの街へと戻る時にアーラが手紙の話をしたと聞き、私も手紙に興味を持ち、こうして書いてみることにした所存だ。

 話は変わるが、レイとギルムの街で別れた後の話だ。セイルズ子爵家はその大半がケレベル公爵領の騎士団により討ち取られたが、それでもある程度の者達はベスティア帝国に亡命を果たしたらしい。その中にはヴェルの姿は無かったという話だが、まず間違い無く奴もベスティア帝国へと逃れているだろう。奴には必ずこの私が裏切りの代償を払わせて見せる。長い間私達を欺き、キュステの命を弄ぶようにして奪った奴の存在は己が何を為したのか。それを己が身をもって知って貰うことになるだろう。これはヴェルという存在を見抜けなかった私の、エレーナ・ケレベルとしてやらねばならないことなのだから。

 少し重くなってしまったな。話を変えよう。

 継承の祭壇でエンシェントドラゴンの魔石を受け継いだのは覚えていると思うが、現在はその力を使いこなす為の訓練を集中的にしている。身体能力も徐々にだが確実に増しており、魔力もまた同様に増幅していっている。それ等の力を使いこなすのが大変ではあるが、その分やりがいも感じているのは間違い無い。また、竜の魔力を持つ者だけが使える竜言語魔法。これに関してはさすがに資料が少ない為に習得に時間が掛かっているが、少しずつ着実に習得はしていっている。

 この手紙を運んでいったであろう小さな竜に関しても、竜言語魔法を使って私の魔力から作り出した存在だ。一応名前に関してはイエロと名付けた。まだ慣れていない為にこのような小さな竜にしか出来ないが、竜言語魔法に熟達していくとやがてもっと立派な竜を作り出すことも出来るらしい。とは言っても、その竜は本物の生き物ではない。あくまでも私の魔力が疑似的に形作っているもので、疑似的な生物であり、一種の使い魔と言ってもいいだろう。一応現在の私の魔力全てを込めて作り出した存在なので、偶発的にではあるがとある特殊能力を身につけているようだ。後で見せて貰うといい。もっとも、その特殊能力の発現の影響か、攻撃力に関しては皆無と言ってもいい程に低いのだが。この辺は私もまだまだ要修行といったところか。イエロの特殊な能力にしても、殆ど事故に近い偶然で得られたようなものだしな。

 レイの書いた手紙を持たせてくれれば私の所まで運んでくれるので、楽しみにしている。

 さて。長々と書いてしまったが、そろそろ筆を置くとしよう。

 恐らく春になれば会うことになるのだろうが、それまで息災でいて欲しい。


                              エレーナ・ケレベルより、愛を込めて』

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