第180話

 ミレアーナ王国の端。どちらかと言えば中央よりも辺境方面の近くにあるその街は、今確実に滅亡へと向かっていた。

 街の住人はその3割近くが熱病によって倒れて寝込んでいる。残りの住人達は必死に看病をしているが、それはあくまでも気休めにしかならずに病はジワジワとだが確実に広がっている。

 そう、現在この街で流行している病は本来この地域で発症する筈の無い病だった。本来であれば一年中暑く、湿った空気のあるような地域でしか発症しない病。それが何故か現在この街で発生して発症した者が多く現れている。

 この病についての知識がある者もそれなりにいたが、この地域で発症する筈が無いという思い込みから病名が明らかになったのはつい10時間程前だった。そしてその病の特効薬とも言える薬を薬剤師や錬金術師へ依頼しようとして……薬を作る為の素材が足りないことが判明した。

 本来であれば薬剤師や錬金術師が責められるべき事態ではある。だが誰もこの街でその病、通称『魔熱病』が発生するとは思ってもおらず、それを責めることは出来なかった。


「……それで、足りない材料は何だ?」


 バールの街を治めている領主代理であるディアーロゴが苦々しげに目の前にいる初老の男へと尋ねる。

 その人物の名はセイス。バールの街の冒険者ギルドのギルドマスターであり、同時に魔法使いとしても高い実力を持っているディアーロゴの親友であり相棒と言ってもいい存在だ。


「アウラーニ草と呼ばれる、魔力の濃い地域にだけ生えている草を乾燥させた粉末。それが魔熱病を抑える薬を作る為の主要な材料だ」

「……アウラーニ草。魔力の濃い地域だけに生えている草、か。それは具体的にはどの辺になる?」

「そうだな。ここから一番近くだと、恐らく魔の森が近くにあるギルムの街だろう」

「ギルムの街か。……確かギルドマスター同士が連絡を取る為の手段がギルドにはあったな?」

「うむ。儂もそう思っておったが……良いのか? この街の領主は貴族派の人物だ。それが中立派の中心人物でもあるラルクス辺境伯の治める街にあるギルドへと勝手に援助を頼んだとなると、お主にも咎めがいくかもしれんぞ?」


 ギルドマスターがそう呟いた瞬間、ディアーロゴは力を込めてテーブルへと拳を叩き付ける。


「そんな上同士のやり取りなんか知ったことか! 今、現実に病で苦しんでいる者達を救える手段がありながら救わずに見殺しにして、何が領主代理か! 責任は全てこの俺が取る!」

「……分かった。すぐにギルムの街のギルドマスターに連絡を取ろう。だが……」


 そこまで口に出し、言葉を止めるギルドマスター。

 目の前にいる親友が何を言いたいのかはディアーロゴにも分かっていた。このバールの街からミレアーナ王国の辺境でもあるギルムの街。その距離は絶望的なまでに遠いのだ。商隊が順調に移動して半月。旅慣れた冒険者が馬を潰す勢いで走って10日。

 この街の現状を知らせるのはギルドにあるマジックアイテムを使えばすぐにでも可能だが、それからアウラーニ草の粉末を集めてこの街までの旅路にどれだけ掛かるのかを考えれば……


「生き残るのは、良くて4割と言った所か」


 ポツリ、とディアーロゴが苦々しげに呟くその表情には無念さが溢れていた。


「仕方あるまい。今は一刻を争う事態だ。儂は早速ギルムの街へと連絡を取ろう。……まさかこんな形で彼女に借りを作ることになるとはな」

「はっ、その程度の借り、この事態を収めることが出来たら俺が幾らでも代わってやるよ」


 沈鬱な空気を吹き飛ばすように、笑みを浮かべながらディアーロゴが言う。


「そうだな、とにかくこの事態を何とかしないことにはどうにもならんか。では失礼するぞ」

「ああ。俺は何とかこれ以上病気を広げないように領主代理の権限を使って街を封鎖する。この病気を他の街まで広める訳にはいかないからな。食料に関しては備蓄してある分で何とかなるだろう」


 その言葉にセイスは小さく頷き、とても50代の魔法使いには見えない軽やかな身のこなしで執務室を出て行く。

 そんな親友の背を見送り、ディアーロゴはその拳で再び執務机を殴りつけるのだった。






「さて。この魔石をどうするか……だな」


 レイが定宿としている夕暮れの小麦亭。そのベッドに寝転がりながらミスティリングから取り出した2つの魔石へと視線を向ける。

 その2つは、前日にハスタの解体小屋でガメリオンを解体して入手した魔石だ。直径5cm程の魔石は通常種のガメリオンであり、その2倍程の直径10cmの方は希少種の物である。

 通常種と希少種の大きさが3倍程もあるというのに、何故か魔石は2倍程度。そのことに疑問を覚えつつも、そういう物だろうと納得してはいたのだが……その魔石をどう使うかでレイは悩んでいた。

 レイが魔石を使う理由としては、当然魔獣術でセトやデスサイズにスキルを習得させるというものがある。これが通常種のガメリオン2匹分の魔石なら、普通にセトとデスサイズに1つずつ使えばいいのだから迷うことは一切無かっただろう。だが、今レイの前にある魔石のうち片方は希少種の物なのだ。


「ゴブリンの時も通常のゴブリンの魔石ではスキルを習得出来なかったが、希少種の場合はファイアーブレスを習得出来た。つまり通常種と希少種の魔石は違うモンスターとして考えた方がいい訳だ。そうなると……まぁ、無難に考えれば希少種の魔石はセトにやるのがいいのか?」


 ベッドの上でゴロゴロと寝返りを打ちつつも、どうするべきか迷っていたレイ。だが、ピタリとその動きを止めて上半身を起こして視線を扉の方へと向ける。

 その視線は数秒前まで魔石をどうするべきか迷っていた時と比べると鋭さを増している。

 そう、何者かが階段を駆け上がってくる音が聞こえてきたのだ。


(……誰だ? 派手に足音を立ててるとなると襲撃とは思えないが。既に昼過ぎである以上宿に残っている人物は少ない筈)


 チラリと窓の外へと視線を向ける。

 宿の中にいる為に明確な外の気温は分からないが、それでも見るからに寒さを感じさせるような風音が窓を揺らす音が聞こえる。幸い夕暮れの小麦亭は高級な宿である為に暖房用のマジックアイテムが存在している、その為部屋の中にいる限りはそれ程寒くは無いが、それだけに外は一層寒いのだろうというのは容易に想像がついた。

 雪がいつ降ってもおかしくないようなこの季節だが、まだ何とか秋と言ってもいいこの時期だけに冒険者達は冬を越す為の最後の追い込みとも言える時期に入っている。この時期に仕事をして金を稼がなければ、雪の中でモンスターの討伐や何やらをしなければいけなくなる為に皆必死で働いているのだ。

 そんな中、数年近く遊んで暮らせるだけの金を溜め込んでいるレイは、前日のガメリオンとその希少種の解体で入手した魔石を見てどうするか考えていたのだが……


「まぁ、どのみち俺に用事があるのは間違い無いだろうしな」


 溜息と共に呟き、スレイプニルの靴を履いてドラゴンローブを身に纏う。

 この室内では振り回すと被害が出そうなデスサイズはミスティリングから出さず、腰には既に完全に手に馴染んでいるミスリルのナイフを装備して準備は完了。誰が襲い掛かってきてもすぐに迎撃が可能な態勢を整え……

 ガンガンガン!

 ノックと呼ぶには些か強すぎる音に軽く眉を顰めつつ、口を開く。


「誰だ?」

「私です、レノラです!」

「……レノラ?」


 どこか拍子抜けしたように呟いて部屋の扉を開けると、そこにいたのは確かにレイにとっては顔馴染みのギルドの受付嬢だった。

 余程急いで走ってきたのだろう。その荒い呼吸に合わせてポニーテールが揺れている。

 取りあえず、と部屋の中にある水差しからコップに水を注いでレノラへと手渡すレイ。


「あ、ありがとう、ございます」

「で、どうしたんだ? もしかしてガメリオンの素材の買い取りをしたいとかか?」


 レノラが急いで自分の部屋まで走ってくるには弱いが、それ以外に思いつくことが無かった為に尋ねるレイ。

 だがレノラはコップの水を一息に飲み干すと慌てて首を振るう。


「違います。ギルドマスターからレイさんに出頭要請です」

「……ギルドマスター?」


 そう呟くも、レイ自身それなりにギルドには通っているがギルムの街のギルドマスターと顔を合わせたことはなかった。その顔も知らないギルドマスターが、何故自分を呼んでいるのかと言う思いが表情に出たのだろう。飲み終わったコップを部屋の中にあったテーブルの上に置きながら再びレノラが口を開く。


「何やら緊急事態らしくて、至急レイさんをギルドまで連れてこいと。……本当に心当たり無いんですか?」

「ああ。それこそ最近は特に大きな騒ぎは……もしかしてガメリオンの希少種がどうこうって話じゃないよな? それなら呼び出される理由も分からないでもないんだが」


 脳裏を過ぎったのは、8mを越える巨体を持つガメリオン。もしあのガメリオンを殺したことに何らかの意味があったのだとしたら。


「分からないけど、とにかく早く! あぁ、レイさんだけじゃなくてセトも一緒にって言ってましたよ」

「……セトも?」


(となると、ガメリオンの件じゃないだろう。そもそも幾ら希少種だとは言っても、所詮はランクBモンスター相当でしかないんだしな。だが、そうなると俺を呼び出す理由がますます分からなくなるが……)


 理由の分からない呼び出し程怖い物は無い。そう思いつつも、さすがにギルドマスター直々の呼び出しともなれば無視する訳にもいかず、小さく溜息を吐いて座っていたベッドから立ち上がる。


「分かった。セトもだな。すぐに準備する」

「私はレイさんにこの連絡を終えたら、すぐにギルドに戻って来るように言われているのでもう戻りますが、出来るだけ急いで下さいね!」


 余程急いでいるのだろう。素早くそれだけ言うと、レイの返事を聞かずに部屋を出て行くのだった。

 その後ろ姿を見送り、ギルドで何が待っているのか微妙に嫌な予感を覚えつつレイもまたセトの下へと向かう。






「……本当に何が起こったんだ?」

「グルゥ?」


 レノラに言われた通り、セトと共にギルドへとやって来たレイ。だが、そのギルドは外から見ても普通ではない雰囲気を放っていた。

 具体的に言えば、ギルドへ人の出入りが大量に起こっているのだ。本来であれば殆どの冒険者達が依頼を行っている筈のこの時間にも関わらず、だ。

 そんな風に呟くレイの横で、セトもまた喉の奥で鳴きつつ首を傾げる。


「まぁ、いい。取りあえず俺はギルドに行くから、セトはいつものように外で待っててくれ」

「グルルゥ」


 レイの言葉に頷くセト。グリフォンとしての能力やその毛並みで、この程度の寒さは全く気にならないらしく特に文句も無くいつもの場所へと寝転がる。


「セトを連れてくるように念を押してきたってことは、恐らく何らかのトラブルが起こったんだろう。恐らくお前の出番がある筈だから、その時はよろしく頼むな」


 そう言いながらセトの頭を数秒程掻き、頭を擦りつけてくるセトを撫でてからギルドへと向かう。

 そしてギルドの中に入ったレイが見たのは……


「アウラーニ草の粉末はどの程度集まった!?」

「ギルムの街にいる道具屋や錬金術師、あるいは薬剤師の場所を回ってあるだけ買ってきた!」

「待て。この街に何かあった時の為にも、多少の備えはしておかないといけない。送るのは7~8割程にしておくべきだ」

「でも、向こうの街では……」

「大丈夫だ。向こうの住人の数を数えるとこの街にある在庫の7割程度でバールの街の住人には十分行き渡る筈だ」

「取りあえず俺達はアウラーニ草の採取をしてくるから、後詰めで後から何パーティか送ってくれ」

「分かりました。こちらでも至急手の空いている冒険者に緊急依頼としてお願いしますので」


 ギルドの職員や、あるいは冒険者達がまるで何かに憑かれているかのようにギルドの中は騒ぎになっていたのだった。


「……本当に、何が起こったんだ?」


 その様子に、思わず唖然としながら呟くレイ。

 これまででギルドの中が一番騒ぎになっていたのはオークの集落が発見された時のことだったが、今の状況はそれを遥かに超える騒がしさに満ちている。


「あ、レイさん。こっちですこっち!」


 カウンターで忙しく作業をしていたレノラが、レイの姿を見つけて大声を叫ぶ。

 その声を聞いた数人の冒険者やギルド職員がレイへと視線を向けるが、すぐにそれどころではないとばかりに自分の仕事へと戻っていく。


「こっちに来て下さい。すぐにギルドマスターの執務室にお連れしますので」


 カウンターの内部にレイを引っ張り込むレノラ。

 そんなカウンターでは、いつもならレイとレノラが話していると確実に口を出してくるケニーの姿もあったのだが、やはりケニーもレイへと構っている余裕が無いらしく、小さく手を振るだけで自分の仕事へと戻る。


「……何があったんだ?」


 カウンター内部へと入れられ、そのまま奥の方へとレノラに連れて行かれながら尋ねるが、その問いにレノラは小さく首を振る。


「その件についてはギルドマスターにお願いします。ただ、尋常ならざる事態が起こったとだけ」


 そう返しつつ、カウンターの奥にある階段を上っていく。そしてその先にあったのは1つの扉。


(……通常使う会議室とかとは分けられているのか。いや、ギルドマスターの部屋ならそれも当然と言うべきか)


 内心で呟きながら、レノラが扉をノックする様子を眺めているレイ。


「ギルドマスター、レノラです。レイさんをお連れしました」

「ええ、待ってたわ。入って頂戴」


 中から聞こえてきた声に、思わずピクリと反応するレイ。

 何しろ、その声はギルドマスターと言う言葉からは想像も出来ない程に涼やかな女の声だった。そう、まるで鈴の音のように。


「失礼します」


 レイが自分の中でその違和感をすり合わせている間にレノラが扉を開けてレイの入室を促す。

 そして中へと入ったレイを出迎えたのは褐色の肌をした女だった。それもただの女ではない証拠に、その両耳は通常の人間と比べて細長く尖っている。


「ダークエルフ」


 そのレイの呟きが、1階の騒々しさが嘘のように静まり返っているギルドマスターの執務室へと小さく響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る