第179話

 ガメリオンの解体をハスタへと任せて満腹亭へと戻って来たレイ。

 入り口の近くでアルカにうどんの試作品で失敗したスープ――野菜やベーコン、そしてすいとんのようなもの――の入った皿を出され、そのスープからクチバシを使って器用にすいとんを食べながら嬉しそうに喉を鳴らすセト。そして嬉しそうにセトの毛に櫛を通して毛繕いをしているアルカの様子に笑みを浮かべつつ満腹亭の中へと入る。

 さすがに午前10時過ぎともなると昼まではまだまだ時間がある為、先程レイがいた時に店の中にいた客の姿も消えて今は1人の客も存在していない。

 いるのは、テーブルを拭いているエネドラだけだった。


「あ、戻って来たのね」

「ああ。ガメリオンについてはハスタに任せてきたから大丈夫だろう」

「それは良かったわ。じゃあ、早速だけど厨房の方に行って貰える? あの人がうどんを準備しているから。何か少し前にちょっとは進展したみたいよ?」

「へぇ、さすがに早いな。この短時間でそこまで進めるか」


 呟きつつ、ふとテーブルの上を拭いているエネドラの姿を見かけて首を傾げる。

 レイ達が昨日街に帰ってきて食堂にやってきた時はエネドラの他にも数名程ウェイトレスをやっている者達がいたのだが、今はエネドラのみだ。

 それを疑問に思い、尋ねる。


「昨日は他にも人がいなかったか?」

「え? ええ。あの人達は昼から来て貰ってるのよ。何しろ朝は忙しいとは言っても私1人でどうにか出来る程度のお客さんしか来ないから」

「……へぇ。そう言うものか」


 まるでバイトだなと感じつつも、忙しそうに食堂の掃除をしているエネドラの邪魔をしないように厨房へと向かう。


「ふぅ、こんなものか。……ん? ああ、来てくれたか」


 そうして厨房へと入ったレイの目に入ってきたのは、小麦粉を丸めた生地を体重を掛けて捏ねているディショットの姿だった。


「生地にこしを出す為には踏むって教えなかったか? さっき来た時も生地を叩き付けたりしていたようだが、手で捏ねてわざわざ体力的に消耗しなくてもいいと思うが」

「確かに足で踏めばいいとは聞いたが……何しろ、足で踏むとなると汚いだろう? そんな製法で作ってると知られたら誰も食べてくれないからな」

「いや、汚いって……ああ」


 そこまで言って、納得するレイ。

 何しろこのギルムの街には……否、エルジィンにはビニールなんて物は存在しないのだ。そうなるとすぐに思いつくのは紙袋に入れて踏むことだが、それにしたって紙袋では素材の強度的にすぐに破けてしまうだろう。そうすると確かに衛生的に疑問を持たざるを得ないし、それを知った客が注文するとは思えない。


(他に思いつくとすれば、足にうどん踏み専用の毛皮を括り付けるなり、履くなりする方法だが……それでも踏むという行為自体が駄目なんだろうな)


「どうも上手く纏まらなくてな。麺、とか言ったか? あの状態にするのが難しい」

「その辺は経験で補ってくれとしか言えないな。材料はともかく、その配分は覚えていないし」

「だろうな。水分が少なければ生地が纏まらず、水分が多ければベチャリとする。この辺は実際に試してみないとどうしようもない。……だが、この生地はそれなりに自信がある。見てくれ」


 そう言って、ディショットがこれまで纏めていた生地をどんとばかりに調理台の上へと載せる。

 確かにその生地はある種の艶のような物を放っており、レイ自身の記憶にあるようなうどんの生地と比べてみてもそれ程の差は無いように思えた。


「後はこれで伸ばすだけだな」


 満足そうに呟き、取り出したのは麺棒……のようなものだった。

 その麺棒へと視線を向け、どこか違和感を覚えるレイ。じっとその麺棒を眺めていると、その麺棒の先端に穂先が付いているのに気が付く。

 ディショットの持っている麺棒。それは紛れも無く短槍以外の何物でも無かったのだ。


「何で短槍なんだよ」


 予想外と言えば予想外の展開に思わず溜息を吐きながら尋ねるが、当の本人は何でも無いかのように説明する。


「昨日聞いたうどんを作るのに必要な道具を探しててな。鍛冶師のパミドールに麺棒の形状を教えたら渡された」

「またパミドールか」


 ハスタを焚きつけた時や、今回の件。色々と縁のある山賊顔の鍛冶師を思い出しながらも、既に諦め顔で続きの作業を促す。


「30分くらい生地を寝かせたから、次の工程に入ろうと思うが」


(30分程寝かせてから、さらに捏ねてたのか?)


 内心で疑問を覚えつつも、特に問題は無いだろうと判断する。


「ああ、俺に構わずやってくれ。何か口出しするようなことがあったらそうさせて貰うが、俺が出来るのはあくまでもその程度だ。本職の料理人には到底及ばないしな」

「そうしてくれるとこちらとしても助かるな」


 自分の仕事に誇りをもっているからこそ、レイのような素人に口出しされることを嫌う。

 もちろんそれが傲慢と映る時もあるのだが、幸いなことにレイにとっては信念のある職人という印象で受け止められていた。

 もっとも、レイにとっては自分が前の世界で食べていた麺類を食べたいという理由で料理を教えている以上は、ディショットが言うように素人の自分はあくまでもアイディアや助言を行うに留めるのがベストだろうという認識を持っているので、ある程度傲慢な態度に見えたとしても特に何も言わなかっただろうが。


「なら始めよう」


 まるで儀式か何かが始まるかのように宣言し、拳より多少大きいくらいのうどん生地の塊へと短槍の柄の部分を転がして広げていく。

 勿論この短槍にしてもパミドールから渡された時にきちんと洗ってあるし、こうして使う前にもきちんと洗浄済みなので衛生面の心配は無い。

 麺棒代わりの短槍が生地を伸ばしてくのを見ながら、ある程度まで広まったところでレイは口を開く。


「その辺でいいと思う。後は爪先の3分の1程度の太さに切るんだが……」

「分かった。爪先の3分の1だな」

「ああ。……ちょっと待て。生地に小麦粉をまぶしてから折り畳んだ方が切りやすいぞ」

「ん? ああ、分かった。打ち粉か」


 どうやらパンを作る時に使う打ち粉の存在は知っていたらしく、レイの言葉に納得したように頷くと軽く小麦粉をまぶして生地を折り畳んでいく。

 そうして準備が整うと、包丁で大きさを揃えながらうどんを切っていき……さすが本職の料理人と言うべきか、1分と掛からずに生地は全て麺状に切り揃えられたのだった。


「……なるほど、これがうどんか。朝に作ったのとのは随分と違うな」


 ディショットはうどんの出来映えに満足そうに頷くと、早速お湯を沸騰させて茹で始める。

 その後、10分程茹でて水洗いをしてから再び軽くお湯に通して暖めた後、昼用のスープとして用意してあった肉と野菜がたっぷりと入ったスープを掛けて、このエルジィン世界で初めてのうどんが完成する。


「……食ってくれ」


 レイへとスープ皿に盛られたうどんを差し出すディショット。

 この世界に当然箸なんて物は無い為、フォークが添えられている。

 それを受け取りながら思わず尋ねる。


「俺が最初に食べてもいいのか? それこそ、お前が一番最初に味見をしてみるのがいいんじゃないか?」

「いや、この料理のアイディアをくれた人物こそが最初に食べる資格があると思う」


 決して退かないと言う視線を向けられ、それならばと小さく頷くレイ。

 スープの中で泳いでいるうどんへとフォークの先端を軽く絡め、そのまま口へと運ぶ。

 ズルッ、ズルルルルッ。

 麺を啜る音が周囲に響くが、貴族のような存在ならともかく街中にある……それも裏通りにあるような食堂の店主がその程度で文句を言う筈も無い。

 そのまま無言でうどんを食い終わり、スープも全て飲み干す。

 それを黙って見ていたディショットは、やがて痺れを切らしたかのように尋ねる。


「どうだ?」

「そうだな。茹で時間はもう少し短くした方がいいと思うが……その辺は好みの問題だからな。うどんの味自体としては十分に美味いと思う。それとスープは何種類か作った方がいいだろうな。もっとこってりした味付けのスープに、あっさりとした味付けといった具合に。スープが変わるだけで随分とうどんに対する印象も変わってくるだろうし」

「なる程、その辺は参考にさせて貰おう」


 レイの言葉に頷き、自分の分もうどんとスープを盛りつけて食べ始める。

 フォークで器用にうどんを巻き付け、1口ごとに何やら考え、あるいは頷きつつ食べているディショットの様子を見ながらレイは内心で考える。


(うどん、うどんか。箸が無い以上はフォークで食べるしかないんだが。……フォークで食う麺類と言えばパスタか? ただ、パスタの作り方が全く分からないんだよな。エルジィンに来る前に食べてたのは乾燥パスタくらいだったし。小麦粉で作れるんだったか? いや、デュアル何とかって粉を使ってたような気が……ハスタがいるんだからパスタを作ってみるのも洒落が利いてて面白そうではあるんだが)


 そんな風に下らない事を考えつつも、自分の作ったうどんの味にはそれなりに満足したのだろう。小さく笑みを浮かべつつ別の食器にうどんとスープを盛りつけていく。


「少し待っててくれ。エネドラとアルカにも味を聞いてきたい」

「ああ、分かっ……ん? いや、もう1杯作った方がいいな」

「何?」

「自慢の息子のお出ましだ。ガメリオンの肉を持ってきたんだろう」


 レイがそう言うや否や、食堂入り口の方からハスタの声が聞こえて来る。


「父さん、母さん、ガメリオンの肉を持ってきたから運ぶのちょっと手伝って!」

「……ガメリオンの肉か」


 その視線が向いているのは自分が持っているうどんの器。レイが言った、ガメリオンの肉をトッピングとして使うと言う話を思い出しているのだろう。

 そんな風に考えている間にも、一抱え程もある肉を持ってハスタが姿を現す。


「あ、レイさん。うどんの方はどうですか?」

「まぁ、一応は完成と言ってもいいだろうな。ただし、完成とは言っても形になったってだけだが。これからどんな料理に仕上げていくのかは本職の料理人の腕次第だ」

「え? 本当? 父さん凄いね。もううどんを完成させるなんて」

「ほら、これだ。食って味を聞かせてくれ」


 ガメリオンの肉を調理台の上に置き、差し出される椀を受け取ってフォークに絡めレイと同じように音を立てながら啜り込む。


「……あ、美味い。うん、美味いよこれ! これ絶対に流行ると思う。麺って言うんだっけ? 食べやすいし、時間が無い時とかは素早く食べられるよ」


 余程舌にあったのか、小さい椀の中身はすぐになくなる。そして……


「あーっ、お兄ちゃんずるい! アルカも食べる!」


 ハスタよりは小さいが、それでもそれなりの大きさの肉を運んできたアルカが叫ぶ。


「あらあら、それなら私も食べてみたいわ」

「……ほら。感想を聞かせてくれ」


 2杯分のうどんを作り、それぞれに差し出すディショット。

 アルカはそれを嬉しそうに、そしてエネドラは穏やかな笑みを浮かべてその椀を受け取って早速食べ始める。


「取りあえず俺達は肉を持ってくるか。ここにいてもしょうがないしな」

「あ、はい。そうですね。そうしてくれると助かります。魔石とか素材に関しては解体小屋の方に置いてあるので後で確認して下さい」

「ああ」


 頷き、レイとハスタは2人でガメリオンの肉を次々と調理場まで運んでいく。

 それを見た周囲の通行人達が、ガメリオンの肉を食べられる季節になってきたのを実感して早速とばかりに満腹亭で少し早めの昼食を食べるべく客足が増えていく。

 うどんの味見をしていたディショットはそれに気が付き、急いでガメリオンの肉を時間の掛かる煮物ではなく炒め物として調理を始める。

 そんな様子を見ながら全ての肉を運び終わったレイとハスタは荷車を引いて解体小屋まで戻るのだった。






 解体小屋へと戻って来たレイ達を出迎えたのは、当然の如くガメリオンを解体した結果の濃い血の臭いだった。

 その臭いに微かに眉を顰めつつも、ハスタに案内されるままに作業台の方へと移動する。


「これがガメリオンの素材と魔石です」


 作業台の上に乗っていたのは、素材としてギルドが買い取ってくれる毛皮、毒を注入する為の牙、刃と化している左右の耳、討伐証明部位でありながらも素材として買い取って貰える尻尾。そしてレイが何よりも欲していた魔石だった。


「……確かに受け取った」


 ハスタに頷き。次々にミスティリングの中へと入れていくレイ。

 それを見ながら、ミスティリングを羨ましそうにハスタは眺めていた。

 そもそも冒険者になった理由が実家の食堂にモンスターの肉を提供する為であるハスタにとっては、モンスターの死骸を腐らせることなく大量に収納出来るアイテムボックスは喉から手が出る程に欲しい物だ。だがその値段を考えると、どう足掻いても手が出る物では無い。それだけに余計に物欲し気な視線を向けることになる。


「……スタ、ハスタ!」

「え? あ、はい。なんでしょう?」


 レイに声を掛けられ、ようやく我に返るハスタ。

 その様子に何を思っているのか大体予想しつつもレイは視線を解体小屋の地面に向ける。


「希少種の解体もやってしまってもいいのか? あの巨体だけにかなり肉の量があるから、使い切る前に腐ったりしそうだが」

「あ、大丈夫です。この時期にガメリオンの肉を出すとなると旬の物なので瞬く間に売り切れると思いますよ。だから気にしないで解体しちゃいましょう」

「そうか? まぁ、お前がそう言うんならいいが……」


 呟き、ミスティリングからガメリオンの希少種を取り出す。

 こうして、その後はレイとハスタの2人でガメリオンの希少種を解体していくのだった。

 尚、今回のお礼にと約束していた魔石や素材の他にガメリオンの肉を1塊貰えたのは、レイにとってもセトにとっても幸運だったのだろう。





 うどん。その料理は満腹亭を元祖とし、ミレアーナ王国中に。そしてやがては周辺諸国へと。さらにはエルジィン中へと広がって行くことになり、うどんの他にもパスタやラーメン、蕎麦のような様々な麺料理が作られることになる。そしてディショットは後世、『麺料理の礎』と呼ばれるようになるのだが、それはまた別の話。

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