第155話

「さて、この扉を開ければ今回起きた馬鹿げた騒動のクライマックスの始まりだ。準備はいいな?」


 ボルンターの屋敷の2階にあるダンスホール。その大きな扉の前でレイが呟く。


「問題ないわい。早くこの騒動を終わらせてゆっくりと酒でも飲みたいものじゃ」

「俺ももちろんいつでもいいぞ。ったく、こんな馬鹿げた騒動に付き合うことになるとはな」

「……すまんな。身内のゴタゴタに巻き込んでしまって」


 口を尖らせて溜息と共に文句を言うフロンへと、ガラハトが小さく頭を下げる。


「べ、別にお前のせいじゃないだろ。元々はアゾット商会が……いや、ボルンターがレイに対して無茶な要求をしたからであってだな」


 そんなガラハトに向かって、慌てたように言葉を続けるフロン。


「ガラハトさんの護衛は任せてくれ。ただ、その分俺に戦力的には期待しないで欲しいけどな」


 ハルバードを構えながらムルトがそう呟き。


「グルルルゥ」


 人間用の階段であった為に、階段を上がらずにその翼で直接2階まで飛んできたセトがいつでもいいとばかりに喉の奥で鳴く。

 そんな緊張感のない同行者達の様子に苦笑を浮かべつつ、ダンスのホールの扉を大きく開き……次の瞬間、自分に向かって飛んできた何かを察知し、反射的にデスサイズを振るう。

 キンッ、という金属音を響かせ弾かれる短剣。


「うおっ、マジかよ。扉の壁を斬り裂いて俺の短剣を弾きやがった」


 そして聞こえて来る驚愕の声。

 その言葉通りに今の一瞬で振るわれたレイのデスサイズによる一撃は、ダンスホールの扉周辺の壁を斬り裂いて自分へと飛んできた短剣を弾き返したのだった。驚くべきは壁を斬り裂いて振るわれた一撃だというのに振り遅れなかったことか。それはつまり、レイにとって壁を斬り裂くというのは障害物として考えなくてもいい程度の労力でしかないということだ。

 ダンスホールの中で待ち受けていた者達にしてみればレイのその力は予想外だったのかもしれないが、既にレイがどれ程規格外の存在であるのかを理解していたブラッソやフロン。そしてボルンターと対面した時のやり取りを見ていたガラハトやムルトにしてみればさほど驚くべきことでもなかった。その為、特に何を言うでもないままに全員がダンスホールへと入り……


「ひ、ひいいぃっ!」


 その中でレイ達を待ち受けていた人物の1人、ローブに身を包んで魔法発動体であろう杖をその手に持っていた40代程の中年の女がいきなり悲鳴を上げて腰を抜かす。


「……」


 何をやってるんだ、こいつ。仲間達どころかレイ達からもそんな視線を向けられた女魔法使いだったが、その女魔法使いはまるで目の前にいる存在が絶対的捕食者であり、自分が被捕食者であるかのように恐怖で濁った視線をレイへと向けている。


(……ああ)


 その女魔法使いの様子を見て、自分の魔力を感じ取ったのだろうと内心で判断するレイ。


「どうやらあの魔法使いは気にしなくてもいいらしいな。となると、残るのは……」


 すぐに中年の女魔法使いから興味を失い、ダンスホールで待ち受けていた冒険者達へと視線を向けるレイ。

 先程短剣を投げてきた盗賊風の男に、身軽に動けるようにモンスターのレザーアーマーを着た剣士が1人、金属鎧を着ている槍使いが2人、フルプレートアーマーを着てハルバードを持っている重騎士とでも呼ぶべき男が1人。そして弓を持っている弓術士が1人。合計6人が待機していた。


「ブラッソ、フロン、ガラハト。あいつらの中で知ってる奴、注意するべき人物はいるか?」


 デスサイズを構え、相手を牽制しつつ背後にいるブラッソ達へと尋ねるレイ。

 ギルムの街でベテランと言ってもいい程に経験を積んでいるブラッソにフロン。そしてランクBという高ランクで、アゾット商会にいる冒険者とは元同僚でもあるガラハトへと尋ねる。

 まず最初に口を開いたのはフロンだった。


「剣士と槍使い2人は見覚えがある。比較的最近ランクCパーティにランクアップした雪原の狼ってパーティだった筈だ。ランクアップは最近とは言っても、それなりに腕が立つから注意しろ」


 そんなフロンの言葉に続くようにガラハトが口を開く。


「レイに短剣を投げ付けてきた盗賊の男はアゾット商会の盗賊達を仕切っている男だ。名前は確かテンダだったか」

「あの弓使いはレイを探して裏通りに入った時に俺を狙った奴だな。恐らくだが、屋敷の前でレイに攻撃されなかった奴もあいつだと思う」


 ムルトがそう告げ、そこで全員の声が静まる。


「あのフルプレートの男は? 見た感じ、あの中じゃ一番腕が立ちそうだが」


 レイの視線の先にいるのは、ハルバードを持っている重騎士だ。他の者達も身のこなしはそれなりのものだが、その男だけは他の冒険者達と比べても数段腕が上のような雰囲気を放っているようにレイには感じられた。


「……いや、儂は知らん。と言うかフルプレートを着た冒険者なんて珍しいんもんがいたら、すぐに噂になりそうなものじゃがのう」


 何しろ冒険者は依頼の場所までの移動も自力なのだ。そんな中、数十kgもあるようなフルプレートメイルを着ている冒険者がいればまず間違い無く話題になるだろう。だがブラッソやフロンはそんな奇特な冒険者の噂を聞いた覚えが無かった。


(まぁ、身の丈よりも巨大な大鎌を使うような奇特な冒険者もいるんじゃ。フルプレートメイルを着た冒険者がいてもおかしくないとは思うがの)


 そんな風に内心で考えながら、ガラハトへと視線を向けるブラッソ。


「お主に覚えは? 同僚なのじゃから、ああも目立つような輩は噂になりやすいんじゃないのか?」


 そう問いかけられるも、ガラハトは小さく首を振る。


「見覚えがないな。あれ程に目立つ奴なら一目見たら忘れないと思うんだが……そうなると、俺が行方を眩ましたここ何日かで急遽雇われた奴か? ムルト、お前は?」

「いえ、俺も見覚えはないです」

「おいおいおいおい、ここまで来ておきながら内緒話をしてるとかどうなんだよ? こっちは今日1日ずっとここでお前達を待ってたんだぜ? 噂のグリフォン使い、せめて少しは楽しませてくれ……よっ!」


 アゾット商会の盗賊達を束ねているテンダが、そう告げるや否や短剣を両手に1つずつ構えたまま地を蹴り急速に間合いを縮めてくる。


「ちっ、まずあの盗賊を片付ける。お前達は俺が奴を片付けるまで持ち堪えてくれ! セト、お前は弓使いを! ムルトはガラハトの護衛だ。その場で待機してろ!」


 自分に向かって来る盗賊を迎え撃つべくデスサイズを構えながらブラッソとフロン、ムルトの3人とセトへと声を掛け、レイもまたそのままテンダを待ち受けるのではなく前に出る。


「ははっ! そんな長物を使ってるってのに自分から間合いを詰めてくるとはな! 噂通りに面白い奴だ!」


 獰猛な……それでいて非常に楽しそうな笑みを浮かべつつ短剣を構えながら素早く左右にフェイントを掛けながらレイへと短剣を繰り出すテンダ。


(なるほど、こいつがガラハトが隠れ家で言ってた戦闘を好む奴か)


 内心で呟き、テンダとの間合いが詰まり戦闘が開始される。

 右かと思えば左、左かと思えば下、そして下かと思えば上という風に常に意表を突いた場所へと短剣を繰り出してくるのだ。普通の者なら確かにそのフェイントに翻弄されていただろう。だが、今回は相手が悪かった。


「はぁっ!」


 何しろ、レイは長さ2mはあろうかという巨大な大鎌を、まるで枯れ木の枝でも振り回すかのように縦横無尽に振り回しているのだ。多少のフェイントを加えたとしても、レイ自身の膂力と重量を感じさせないというデスサイズのマジックアイテムの効果により容易く先回りをしてくる。


「ちっ、確かに噂通りの化け物だな、これは」


 最初の10秒は手応えのある獲物だと狩人の喜びに笑みを浮かべ、次の10秒は予想外に手強い相手だと認識して遊びの気分を切り替えて本気で攻撃を仕掛け、次の10秒では幾ら攻撃しても自分の短剣が全く命中せず尽く防がれ、回避され、あるいはいなされると言う状況に驚愕を浮かべる。

 レイとしても短剣を武器として戦う相手というのはそれ程機会が無かった為に少しの時間、動きを読む為にテンダの攻撃を回避することに専念していたのだが、やがてそれも終わったのか鋭く息を吐きながらデスサイズを大振りに振るう。


「ふっ!」

「っ!? ちぃっ!」


 これまでの幾度かの攻撃をデスサイズで受け止められ、その武器の強靱さとレイ自身の化け物じみた膂力を理解していたテンダは咄嗟にその場にしゃがみ込む。


(確かにお前の一撃は異常な威力を持っている。だがな、当たらなければどんな一撃も意味は無いんだよ! お前がそのデカブツを空振りしたらその隙をついてお前の足にこの麻痺毒を塗りつけた短剣で……)


 そう。テンダはレイの一撃が自分の頭上を通り過ぎた後の隙を突き、レイの足へと攻撃をするつもりだった。何らかの魔法効果のあるローブで覆われてはいるが、それでもさすがに自分の技量があればローブくらいは切り裂き、足へかすり傷をつけるくらいは出来るだろうと。

 それは確かに間違ってはいない作戦だ。……ただし、相手がレイでなければという但し書きが付くのだが。

 この時点でのテンダのミスは2つ。まず1つめはレイが着ているローブは確かにマジックアイテムではあるが、どれ程の品であるのかを知らなかったこと。数百年を生きた竜の皮を2重に使っており、皮と皮の間には竜の鱗も仕込まれているドラゴンローブは、その辺のフルプレートメイルと比べても圧倒的な防御力を誇っている。もしテンダの狙い通りに短剣をレイの足へと突き刺そうとしても、その切っ先は決してドラゴンローブを貫通することはなかっただろう。

 そして最大のミス。それはレイ自身の身体能力を甘く見ていたことだ。テンダ自身はあくまでもランクC冒険者だ。だが、実力は十分にランクBに達していると自負しているし、実際にランクB冒険者のガラハトと戦っても互角にやり合えるだけの実力はある。それ程の実力があってもランクCに留まっているのは、ひとえにアゾット商会にガラハト以外のランクB冒険者がいると目立つと言われている為だ。特にテンダ自身はアゾット商会の盗賊達を率いる立場にあり、色々と汚い裏の仕事を任されることも多い。その為に下手に目立って注目を集めて欲しくないと要請され、毎月莫大な報酬と引き替えにランクCに留まっていた。

 その自信がテンダの判断を鈍らせた。しゃがみ込んだテンダの上をデスサイズが空気をひしゃげるかのようなブオンッ、という音を立てて通り過ぎ……次の瞬間、麻痺毒に染まった短剣をレイの足目掛けて突き出そうとした時、脇腹に強烈な衝撃を受けてテンダの意識は闇へと沈む。


「狙いは良かったんだが……な」


 レイが行ったことはそう複雑ではない。単純にテンダの頭上をデスサイズが通り過ぎた後、そのままの速度で切り返しただけだ。

 本来であればデスサイズ程の長物を使っている者にとっては絶対に無理な軌道を描いた切り返し。それはデスサイズのマジックアイテムとしての効果である重量軽減で割り箸程度の重さしか感じないレイならではの一撃だった。

 10m以上吹き飛び、そのまま左側の肋骨を纏めてへし折られた衝撃と痛みで気を失ったテンダに一瞬だけ視線を向け、他のメンバーの戦闘を確認する。セトに任せた弓術士の男は既に地面に引きずり倒されており、右前足を背に乗せられて完全に身動きが出来ない状態になっていた。


(さすがに腕の立つ弓術士とは言ってもセトの相手をするのは無理だったか)


 内心で苦笑を浮かべるレイ。

 事実、弓術士の男はダンスホールの広さを十分に活かして縦横無尽に空を飛ぶセトに幾度となく矢を放つも、その殆どを回避され、あるいは鷲爪で弾かれ、中にはクチバシで横から咥えられたりとさんざんな目に遭いながら最終的には弓を引く一瞬の隙を突かれて尻尾で足を掬われ、そのまま倒れた背へと右足を乗せられて身動きが出来ない状態になったのだった。

 次に目を向けたのは、フロンとブラッソの2人。

 こちらは人数的に不利だったが、それでもさすがにベテランのランクCだけあって槍という間合い的に有利な武器を持っている2人と、その2人の前衛を務めている剣士1人相手にほぼ互角にやり合っている。

 剣士2人の剣が空中でぶつかり、雪原の狼の剣士が振るう剣がフロンの剣によって受け流される。そして僅かに身体が泳いだ隙を突こうとしたフロンだが、そうはさせじと槍が突き出される。フロンに対して突き出された槍をブラッソの地揺れの槌がへし折らんと振るわれるが、そのブラッソに対してもう1人の槍使いが大振りの隙を突いて槍を振るう。

 総じて見る限りではほぼ互角の膠着状態という所だった。


(……互角? 待て)


 ふと待ち受けていた敵のメンバーの数を思い出し、再びダンスホールを見回すレイ。

 魔法使いらしき中年の女はレイが発する魔力の巨大さを感じ取り、腰を抜かして何やら意味不明な言葉を口の中で呟いている。


(この女魔法使いは取りあえず問題ないだろう)


 内心で呟き、その女から視線を横にずらすと……


「……」


 黙ってレイの方へと視線を向けていたハルバードの男と目が合った。

 いや。当然顔全体を隠すかのような兜を被っているので目が合ったかどうかは分からない筈なのだが、レイ自身は殆ど本能的に目が合ったと感じていた。

 そして相手の男も周囲を見回し、自分とレイの戦いを邪魔するような人物がいないのを確認すると手に持っていたハルバードを大きく振るう。

 轟っ!

 その風切り音は、レイがデスサイズを振るう時に出す音よりは小さい。だがそれでもとても一介の冒険者に……それも、アゾット商会に雇われているランクC以下の冒険者に出せるような音では無い。


「……」


 そのまま無言でハルバードを構えたままレイの方へと1歩を踏み出し、続いて2歩、3歩とゆっくりとだが、確実にレイとの間合いを詰めてくるのだった。

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