第144話
ムルトからガラハトの生い立ちを聞き、これからのことを話そうとしたムルト。
その時、唐突にレイが皆を黙らせて耳を澄ませると自分達に対しての客が来たと告げる。
「……客?」
そんなレイへと向けてフロンが尋ねるが、その口調はどう考えても歓迎すると言うよりは面倒事が起きたというものだった。
「パミドールの工房であれだけ一方的にお前やセトにやられたのに、まだ懲りてないのか?」
「いや、あの時の奴等とは随分と違うな。どちらかと言えば単なるチンピラに近い。……が」
「が?」
「どうやらムルトを探しているらしいな。大人しく出せとか怒鳴っているよ」
レイの言葉に驚きの表情を浮かべる3人。何しろ2階にあるこの部屋から1階で騒いでいる者達の声が聞こえるというのだからどれ程の聴覚を持っているのかと視線を向けている。
この場合、レイとの付き合いがより長いフロンやブラッソの方が驚きの具合は大きかっただろう。レイとの付き合い自体は殆どないムルトだったが、それでもボルンターの屋敷で行われた暴虐とも言える蹂躙劇を見ているだけに半ば納得してしまったのだ。
「お前、どんだけ耳がいいんだよ」
フロンの言葉に小さく肩を竦めるレイ。
「セトの方が五感は鋭いけどな」
「いや、ランクAモンスターのグリフォンと比べること自体が間違ってるからな」
呆れたようなフロンを横目に、椅子から立ち上がるレイ。
「このままだと宿にも迷惑になるからな。ちょっと行って騒ぎを収めてくる」
「そうか、なら儂も行くとするかのぅ」
レイの言葉に、自分も暴れたいとばかりにワインの瓶を床に置いて立ち上がったブラッソ。だがそんなブラッソにレイは首を左右に振って立ち上がるのを止めた。
「悪いがブラッソとフロンはこの部屋で待っててくれ」
「む? レイ1人で暴れる気か?」
自分も混ぜろとばかりに告げてくるブラッソだが、レイの視線はベッドで上半身を起こしているムルトへと向けられている。
「下の騒動が陽動の可能性も高い。その場合、ムルトを守る者が必要だろう?」
「……それなら儂とフロンが1階に行くというのでも構わんと思うが」
「一応ここは俺が泊まっている宿だからな。俺の件で宿の者達に迷惑を掛けた以上は俺が騒動を治めるのが筋だろう」
「ぬ、そう言われると儂もこれ以上は何も言えんの。分かった。儂とフロンはここに残らせて貰おうかのう。フロン、お主もそれで構わんか?」
「はっ、俺は元々騒動に自分から首を突っ込む気はねえよ」
こうして2人の了解を得、レイはムルトへと視線を向ける。
「と言うことだ。俺はちょっと下に行ってこの騒動を治めてくるからお前は身体を休めてろ。あぁ、腹が減ったんならその料理を食ってもいいぞ」
床に並べられている料理へと視線を向け、その匂いを意識して腹を鳴らしたムルトをその場に残しててレイは部屋を出て行く。
「……取りあえず、その焼いた肉を貰えるか?」
背後にムルトがそう口に出すのを聞きながら。
部屋から出たレイが1階へと向かうと、その途端に怒鳴り声が聞こえて来る。
「おらっ、いいからムルトって奴を出せばいいんだよ! こっちが大人しくしているうちに従った方が身の為だぜ?」
「ですから、うちの客にムルトと言う名前の人はいません。それにもしいたとしても貴方達のような者達に差し出すような真似はしません! どうぞお引き取りを」
夕暮れの小麦亭の女将であるラナが、10人近い若者達へと向かって怯える様子も無くきっぱりと告げていた。
何しろ常日頃から冒険者達や傭兵を相手にした商売をしているのだ。その中では当然食堂で喧嘩になったりすることもあり、宿を経営してから数え切れない程にそんな光景を見てきたラナにしてみれば、10代後半から20代程度のチンピラ同然の若者達が幾ら凄んでも鳥の雛がピーチクパーチク鳴いているのに等しい。
「あぁっ! んだとこら! 俺達に対してそんな風に偉そうな口を利いてただで済むと思ってるのか!?」
男達のリーダー格なのだろう。それなりに目つきの鋭い長髪……と言うよりはだらしなく伸ばした髪の男がラナへと凄む。
「私はこの宿の女将です。当然お客様の安全を守る為の義務があります。これは権利と言ってもいいでしょう」
再びきっぱりと断られ、それがチンピラの男達に残っていた最後の理性を切ったのだろう。あるいは舐められたと思って我慢の限界が来たと言うのもあったのか、リーダー格の隣にいた男が懐からナイフを取り出してそのままラナの顔の前へと突きだして脅そうとした所で……
ぐしゃり。
そんな音が周囲へと響いた。
『……』
チンピラの男達は何が起こったのか理解しておらず、それはミスティリングから取り出した鉄のナイフを投擲しようとしたレイもまた同様だった。いや、レイの場合は何が起きたのかはしっかりと見えていたのだが、自分の問題で起きた出来事に赤の他人が干渉してくるのが意外だった為に意表を突かれたというのが正しいだろう。
皆の視線が音のした方へと集まると、そこにいたのはつい数秒前まではラナへと向かってナイフで斬り付けようとした男の姿があった。ただし、同時にその男の周囲には木の破片が散らばっており男は完全に気を失っている。
(椅子、だったな)
思わず内心で呟くレイ。
そう。チンピラの男がラナへとナイフを突き出そうとしたその瞬間、食堂の方から飛んできた椅子がラナの横を通り過ぎて男へと命中。そのまま男を吹き飛ばして椅子が砕け散ったのだ。
「……お帰り下さい」
自分の真横を椅子が通り過ぎていったというのに、全く驚いていない表情でチンピラへと告げるラナ。その恰幅のいい外見と合わさり、まさに肝っ玉母さんを象徴するかのような雰囲気を醸しだしていた。
「っ! ふ、ふざけるな! ここまで馬鹿にされて大人しく引き下がるとでも思ってんのか!? おい、誰だ今椅子を投げ付けたクソ野郎は! ちょっと出てこい!」
リーダー格の男の声が宿の1階、そしてそのすぐ近くにある食堂へと響き渡る。
このチンピラ達に取って不運だったのは、今日この宿に泊まっているのが有名な行商人でもあるヴェトマンという人物が率いていた商隊であったことだろう。何しろこのヴェトマンの率いている商隊は、護衛の傭兵団も雇わずに辺境を渡り歩いているという一種の武装商人の集団なのだ。端から見れば商人でしかないのだが、その練度は商隊だけで辺境を渡り歩いてモンスターや盗賊の類を撃退しているという者達であり、その辺の傭兵団よりも余程腕の立つ者達が揃っている。そしてそんなヴェトマンがギルムの街で贔屓にしているのがこの夕暮れの小麦亭なのだった。
1ヶ月以上の旅路で他の辺境地域を通ってようやく到着したギルムの街。そして馴染みの宿で無事に目的地に到着した喜びを祝って宴会をしている時にチンピラ達が突然現れ、宿の女将であるラナに対して無茶な要求をし、あげくにはナイフを持ち出したのだ。これで血の気の多い商隊の者達が大人しくしている筈が無い。
「ああ? 悪いが椅子を投げたのは俺だ。さっきからピーチクパーチクやかましいんだよ。こっちはようやくこの街に辿り着いて久しぶりの宴会を楽しんでるんだ。これ以上騒ぐようなら手前等の生皮を剥いで商品にしちまうぞ、こら」
パミドール程ではないにしても、それでも山賊や海賊の類にしか見えない強面の男が食堂から姿を現して1歩踏み出す。
「ユースラばかりにいい格好はさせておけないな。俺もお前達には文句があるぞ。やるなら相手になってやる」
次に出て来たのはにこやかな笑みを浮かべた30代程の男だ。ただし口には笑みを浮かべていても、その目は少しも笑っていない。
そしてそんな仲間達だけにいい所を見せてたまるかとばかりに、次々と商隊の者達が食堂から出てくる。
さらにはヴェトマン率いる商隊以外でこの宿屋に泊まっていた傭兵や冒険者。あるいは食事を目当てに訪れていた者達までもが食堂から姿を現す。
「て、手前等……俺の、俺達の後ろ盾を知っててそんなことを言ってるのか!? 大体お前等商人だろう!? アゾット商会と繋がりのある俺達と揉め事を起こして、このギルムの街で商売出来ると思ってるのか!?」
自分の想像以上の人数が出て来た為だろう。若干及び腰になりながらも、それでも威勢良く言い放つ男。そんな男の様子に、階段の途中で一連の出来事を窺っていたレイが思わず笑い声を漏らす。
「くっくくくく、駄目だ。笑いが……あぁ、済まない。あれだけ威勢良く啖呵を切ってたのに、自分の想像以上の人数が出て来たらいきなり腰が引けて、しかも後ろ盾って……お前等もしかしてチンピラじゃなくて大道芸人か何かか?」
レイのその言葉がツボに嵌ったのだろう。つい数秒前までは血を見なければ収まらないとでも言うような雰囲気で睨み合っていたチンピラと商隊だったのだが、その商隊側の者達が思わず吹き出す。
「ぶはっ、た、確かにな。そこの小僧の言う通りだ。まさに今のお前達はドラゴンの威を借るゴブリンそのものだな」
ユースラ、と呼ばれた男の言葉にチンピラ達が額に青筋を立ててレイを睨みつける。
「何だこのクソガキは。てめぇ、あんまりふざけたことをぬかしてるとその顔を切り刻むぞ!」
「……出来れば、な」
チンピラ達のリーダー格の男の言葉に苦笑を浮かべ、階段の手摺りを越えてフワリと跳ぶ。5mはあろうかという高さから飛び降りたというのに、殆ど音を立てずに1階の床へと着地するレイ。
そんなレイの様子を見ていた商人達は視線を鋭くしてその様子を眺める。今の一連の動きだけで、レイがどれ程の腕を持つのかを武装商人としての経験から本能的に察したのだ。
「おい」
「……ああ。ただものじゃねぇな」
ユースラとその側にいた商人が数秒前まで浮かべていた笑みを消し去り、鋭い視線を交わす。
だがそんな武装商人達と逆の行動をとったのがチンピラ達だった。
レイが飛び降りた時に衝撃を殺して着地した動きを見ても、特に何も感じずに険悪な目付きで睨みつけている。
「……おい、お前。ガキの癖に俺達に意見しようっていうのか? お前みたいなヒョロイ奴が正気か? 今なら謝れば許してやるから、泣いて帰ってママのおっぱいでも吸って寝てろ」
「正直、出来ればそうしたいんだが……折角俺を訪ねてきた客なんだ。俺が出迎えるのが筋ってものだろう」
「お前がムルトか!」
俺を尋ねてきた客。その言葉を聞いたチンピラ達の目に欲望の色が混ざる。
自分達を雇ってまで引っ張ってこいと言われていたムルトという人物が、目の前にいるような子供だとは思ってもみなかったのだろう。楽に金儲けが出来ると言う予想外の幸運に濁った笑みを浮かべる。
そんなチンピラ達へと視線を向け……ミスティリングからいつものようにデスサイズを取り出す。
(本当なら槍とかでもいいんだけど、ボルンターが出した命令のせいで次にいつ補充できるか分からないからな。節約するに越したことはないだろう)
内心で呟き、デスサイズを軽く振るう。
轟っ!
レイにとっては軽く振るった一撃であっても、100kgを越える重さの大鎌が振るわれたのだ。その風圧だけでチンピラ達は後ろへと数歩程よろめき、もっと酷いのは腰を抜かして床に座り込んでいた。
このチンピラ達は、血の気は多いものの冒険者にはなれない……否、危険の高い仕事である冒険者にはならない者達の集まりであり、それ故にギルムの街の冒険者達の間で広まっているレイの噂は知らなかった。ギルムの街でも有名なレイだが、それはグリフォンを引き連れているレイなので、今のように隠蔽の効果があるドラゴンローブを着ている状態ではどこにでもいる普通の駆け出し冒険者にしか見えないだろう。それも、ローブとその体型の為に初心者の魔法使いといった所か。
レイによって振るわれた一撃がどれ程のものだったのか、さすがに理解したチンピラ達の顔が屈辱で赤くなったり恐怖で青くなったりと忙しく変わる。
そんなチンピラ達を見ながら、武装商人達は視線を交わしつつ無言で会話をする。チンピラ達の様にデスサイズの脅威に晒された訳でもないのでレイの様子を冷静に観察することが出来たのだ。例えばレイがデスサイズをどこから取り出したのか。何も無い場所から取り出した。即ちアイテムボックスの類からだ。その取り出したデスサイズを片手で軽々と操っている。勢いよく振られたその風切り音からどれ程の重量を持つのかを予想出来る。
そんな風にレイの様子をじっくりと観察しながらこの騒動がどんな決着を付けるのかの成り行きを酒の肴とばかりに半ば楽しんでいた。
「さて、お前達には2つの道がある。第1の道は俺とこの場で敵対してこのデスサイズの錆になることだ。……あぁ、安心しろ。さすがにお前達相手に刃の錆びにするつもりはないからな。この柄で十分だ」
轟っ!
そこまで告げて再びデスサイズを振るうレイ。その風圧に顔を引き攣らせるチンピラ達。
幾ら刃ではなく柄による一撃だったとしても、その威力がどれ程のものなのかは想像するまでもなかったからだ。
「第2の道。……正直、俺としてはこっちを薦めるがね。騒ぎを起こした謝罪として有り金と持っている武器を全部置いて逃げ帰る。……さぁ、どっちにする? あぁ、そうそう。1つ目を選択した場合でも気絶したお前達から金や武器を没収するのは結局変わらないけどな」
にこやかに笑みを浮かべながら選択を促すレイ。そこまで言われてプライドを傷つけられたチンピラ達だったが、それでもレイに勝てるとは思えない。そんなチンピラ達が結局選んだ道は自分達の力量と、目の前にいる存在の力量差を考えれば当然のものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます