第143話

 部屋の中に漂った料理の匂いが意識の無かったムルトの食欲を刺激したのか、あっさりと目を覚ましたその様子に、早速とばかりにワインの瓶へと手を伸ばしながらブラッソが呆れたように口を開く。


「街中を移動している時もそれなりに店からいい匂いがしてたんじゃがのう」

「いや、そういう問題じゃないだろ」


 コップにワインを注いでいるブラッソを呆れたように眺めながら溜息を吐くフロン。

 そんなフロンの横で、レイはお盆に乗っていた料理を幾つかムルトの方へと持っていく。


「ほら、取りあえず食って体力を回復させろ。幾らポーションで怪我を回復したとは言っても、流れた血や体力なんかは自分で回復させるしかないんだからな」

「あ? あぁ……って、レイ!? あ、そうだ。俺は確かレイを探していて、知り合いからお前達の場所を聞いて……」


 寝起きでボーッとしていたムルトが徐々に意識を取り戻し始め、自分が気を失う前の前後の状況を思い出していく。


「お前は身体中を傷だらけになりながら俺達のいた工房に突っ込んで来たんだよ」

「っ! そうだ! 俺を追って来ていた奴等はどうした!? お前の従魔が何人か倒したのは見たんだが……」

「それなら勝ち目が無いと悟ったのか逃げていったよ。……飯の前に事情を聞いた方が良さそうだな。何があったんだ?」

「その……実はボルンターがお前にやられた後でもマジックアイテムやグリフォンを諦められなかったらしくてな。色々と手を回そうとしてたんだよ」


 レイに渡された水の入ったコップを口へと運びながら呟くムルト。

 そんなムルトの言葉を聞き、内臓と豆の煮込み料理を口に運びながら頷くレイ。


「だろうな。鍛冶師のパミドールから少しは話を聞いた。武器屋に俺との商売をしないように言ってるらしいな。それが武器屋経由で鍛冶師にも回ってきているとか。鍛冶師にしても、自分が折角作った武器を武器屋に買い取って貰わないと商売にはならないからな。その辺が理由で鍛冶師も俺との商売は避けるだろうよ」


 全く問題が無いとばかりに呟くレイ。

 その表情には武器屋との取引が出来ないという悲愴感の類は一切無く、むしろ今自分が食べている内臓と豆の煮込み料理の味の方が重要だと言わんばかりに料理の味を楽しみつつ口へとスプーンを運んでいる。

 内臓特有の噛み応えのある食感。それだけではなく十分に煮込まれている為に食感を楽しみつつもプツリと歯で噛み千切れる各種の内臓。また、共に煮込まれている豆にも内臓の脂が旨味と共に染みこんでおり、一度口へと運ぶとスプーンの動きは止まらず、次々に口へと運ぶ。


「で、お前は結局何で俺を捜していたんだ?」

「……ガラハトさんが……」


 レイの言葉に何か言いにくそうに口籠もったムルトだったが、このままでいてもしょうがないと判断したのだろう。やがて口を開き始める。


「レイがボルンターの提案を断って暴れただろう?」

「ああ」


 さらっと放たれたその言葉に、フロンとブラッソの2人はぎょっとした目でレイへと視線を向ける。

 口にワインを含んでいたブラッソに関しては思わず吹き出しかねない程に驚いたのか、思わずその口を手で押さえていた。

 この2人にしても、領主の館でレイがボルンター相手にマジックアイテムやセトを渡せと強要されたのは聞いていたのだが、まさかそれを断って暴れているとは思ってもいなかったのだ。


(いや、レイの気性を考えるとむしろ当然と考えるべきなんだろうな)


 ワインで咽せて咳をしているブラッソを横目に、一時の混乱から立ち直るとむしろ納得するフロン。

 それでも、普通はギルムの街の武器取引を仕切っていると言われているアゾット商会の会頭を相手にして、そんな真似をするというのは信じられないだろう。むしろ、レイという人物を知っていたとしてもそれだけで納得してしまうフロンもある意味では常識外れの存在と言えるのかもしれない。


「……お前の一撃でガラハトさんは瀕死の重傷を負ったけど、回復魔法やポーションのおかげでなんとか一命は取り留めたんだが」

「いや、あれだけのダメージを受けておきながら無茶をしたんだから、ある意味では自業自得だろう」


 そんな、自分が兄貴分と慕っている人に対してあれだけのことをしておきながらも全く気にした様子のないレイに対して、一瞬額に青筋を立てて怒鳴りつけようとしたムルトだったが、これから自分はそのレイに向かって頼み事をしなければいけないのだと思い直して何とか怒りを静める。


「まぁ、いい。それでだが……ガラハトさんが意識を取り戻してから指示されたのが、アゾット商会に関してだ」

「そのガラハトと言うのは?」


 咽せていた状態から何とか落ち着き、改めてワインの注がれたコップを口に運びながら尋ねるブラッソ。


「アゾット商会のボルンターから呼び出された時に迎えに来た冒険者だな。最初に行った時は門番に追い返されたんだが、その次の日にムルトとそのガラハトという冒険者が俺を迎えに来た。ランクB冒険者らしいが、知らないのか?」

「確かに儂等は冒険者としてはそれなりにベテランだと言っても構わんが、じゃからと言って高ランク冒険者全てを憶えている訳じゃないからのぅ」

「それにしても、アゾット商会に雇われているにしては随分と人のいい性格をしてたから、もっと有名になってもよさそうなもんだけどな」


 そう呟いたレイの言葉に、ベッドの上でムルトが小さく首を振る。


「ボルンターの性格を考えろよ。あいつが自分と半分だけしか血が繋がっていないとは言っても、それでガラハトさんが有名になったり持てはやされたりするのを許すと思うか?」

「……あぁ、なるほど。確かにな。俺が聞いているボルンターという男の噂が半分でも事実なら、そりゃあそうなるか」


 溜息を吐きながらフロンが呆れたように呟き、その意味を理解したレイもまた軽く眉を顰める。

 そんな2人の様子を見ながら、ムルトも同様に小さく溜息を吐く。


「ガラハトさんが何かの手柄を上げても、ボルンターがそれに手を回して自分に忠実な部下にその手柄を横取りさせてるのさ」

「……そんなことをギルドが許すのか?」


 当然と言えば当然のレイの質問に、ムルトは首を左右に振る。


「もちろん普通ならそんなのが罷り通る筈がない。けど、その功績を挙げたガラハトさんが何も言わないからな。本人からの苦情があればギルドも動けたんだろうけど」

「なるほど」


 ボルンターとのやり取りで、自分の前に立ちはだかったガラハトの様子を思い出すレイ。確かにあの時のガラハトは自分の命を差し出してでもボルンターの命を救おうと必死になっていた。


「ギルドの方でもそれを承知しているから、名誉とかはともかくランクアップ試験については公平に行っているらしい。そのおかげでガラハトさんはランクBまで上がったんだが……」

「今度は逆に、それがアゾット商会に唯一雇われているランクB冒険者として名が売れた訳か」


 ガラハトとムルトが自分を迎えに来た時のやり取りを思い出しながら呟く。

 そんなレイの呟きにムルトが再度溜息を吐き、頷く。


「ああ。それがまたボルンターの逆鱗に触れたらしくてな。ランクB冒険者だって言うのに、目立つような仕事じゃなくて雑用の類を押しつけられることになっちまった訳だ。ランクB冒険者がアゾット商会に所属していると言う名前だけをいいように使われてな」


 忌々しそうに吐き捨てるムルト。そんなムルトの様子に、思わずレイは首を傾げる。


「俺がボルンターを殺そうとした時もそうだったが、何でガラハトはそんなにボルンターに対して肩入れ……と言うか、一方的に尽くし続けるんだ? ボルンター本人はあれだけ嫌っているってのに。まさかあの時に言っていた血が繋がっている云々ってだけじゃないんだろう?」

「……」


 レイのその言葉に、口を閉ざすムルト。


「……」


 そんなムルトへと、レイ、フロン、ブラッソの3人もまた黙って視線を送る。

 数分程沈黙が続いただろうか。やがて観念したようにムルトが口を開く。


「あの時、レイも聞いたと思うが……ガラハトさんとボルンターは半分だけ血が繋がっている。ようは、ボルンターの父親が爺になってからお手つきになった母親が産んだのがガラハトさんな訳だ。幾らギルムの街で武器取引を仕切っているアゾット商会の会頭だとしても、身分的には所詮平民であって貴族じゃねぇ。……この街はラルクス辺境伯が治めている為に、そこまで貴族が絶対的な特権的階級って訳でもないが……それでも平民と貴族じゃどうしたって立場が違う。貴族なら妾やら何やらで本妻じゃなくてもそれなりに尊重して貰えるが、平民でそんなことをすれば当然白い目で見られる。……ガラハトさんの場合はさらに悪いことにボルンターの父親がアゾット商会の会頭って立場だったからな。その分のしわ寄せは全部ガラハトさんの母親に向かったらしい。そして同時にそれはその息子でもあるガラハトさんにも向かった。特にアゾット商会に関しては昔から今の様な強引な手法をとっていたらしいからな。その結果恨み辛みが全部ガラハトさん達に向かったと言えば分かりやすいか?」


 そのいかにも生臭い話に思わず顔を顰める3人だったが、やがてブラッソが口を開く。


「じゃが、儂が知ってる中でも貴族ではない……いわゆる平民でも愛人を堂々と持ってる者がおるぞ? お主の話に出て来たような酷い扱いは受けておらぬが」

「だろうな。責められた原因はやっぱりアゾット商会にあるんだよ。強引な取引やら不公平極まりない取引。そんなのを毎回受けている者達にしてみれば、ガラハトさん達親子は格好の憂さ晴らしの対象だったんだろうよ。その結果生まれてからずっと日陰者同然の暮らしを半ば強制させられてきた訳だ。ボルンターの親父も親父で、そういうのが面倒臭くなったのか最終的には毎月の生活費を……それも、本当に親子2人がどうにか暮らしていける程度の生活費を払うだけになったらしいしな」

「……結局何でそんな目に遭ってまで、ガラハトはボルンターに大人しく従っているんだ?」

「これは、ガラハトさんが酔っ払った時に聞いた話なんだが……ガラハトさんの母親が病に倒れた時に、どんな気紛れかは知らないがボルンターが手を尽くして薬を手に入れてやったらしい」


 ムルトのその言葉に、思わずポカンとするレイ達3人。

 そしてたっぷり1分程沈黙してからやがてレイが口を開く。


「……嘘だろ?」


 レイの隣ではブラッソとフロンの2人も同感だとばかりに頷いている。

 そんな3人の様子に、思わず苦笑を浮かべるムルト。


「だろうな。俺もこの話を初めて聞いた時にはそう思ったよ。けど事実らしい。少なくてもガラハトさんがそう信じ込んでいるのは間違い無い」

「病気だったのはガラハトの母親なんだな? ガラハト本人じゃなく」


 もしかしてガラハト本人が病気だった時に熱か何かでそんな幻覚を見たんじゃないかと暗に尋ねたレイだったが、ムルトは当然とばかりに頷く。


「間違い無い。俺もこの話を聞いた時には何度もガラハトさんに確認したからな」

「となると……ボルンターがアゾット商会の会頭になってから性格が変わったとか、そういうオチか?」


 半信半疑という様子で呟いたレイだったが、今度はブラッソがそれを否定する。


「いや、儂はボルンターがアゾット商会の会頭になる前からこのギルムの街で冒険者をやっているが、その時から評判は最悪に近かった」

「なら何であれ程にガラハトを疎んでいる……いや、憎んでいると言ってもいいボルンターがガラハトの手助けをするんだ?」


 ブラッソの言葉に思わず呟いたレイだったが、この場にいる誰もがその当然の疑問に答えることは出来なかった。

 ムルトにしても、この話をガラハトに聞いてから幾度となく考えた疑問ではあったのだが、結局答えを見つけ出せてはいない。

 レイ達が訳が分からないと考えていると、ムルトが小さく首を振り話を進める。


「とにかく、ガラハトさんはその件でボルンターに恩を感じているんだ。それも、ガラハトさんがまだ子供の時のことだっただけに余計に印象強くなっているらしくてな。ガラハトさんの母親も結局は亡くなってしまって、それ以来ガラハトさんにとってボルンターはどんなに駄目な男であっても、自分にとっては唯一血の繋がった兄弟ってことになってしまった訳だ」


 その言葉を聞き、レイの中に一瞬とある想像が湧き上がったのだが……幾ら何でもそれはないだろうと判断して小さく首を振って口を開く。


「子供の頃の体験が強く印象に残り、それが成長してもその人物の行動に影響を与えるってのは珍しい話じゃない」


 幼少時の体験と言うのは、大人になる時に形成される性格に強く影響を与える。レイの元いた世界のように何かがあれば全て幼少時の体験が云々と決め付けるのはやり過ぎだが、それでもその影響は馬鹿に出来ない程に大きい物なのだ。

 そんな風に考えていたレイだったが、パンパンという手を叩く音を聞き我に返る。


「話が思いっきりずれていたが、ガラハトとかいう男に関しては分かった。それでそのガラハトってのがアゾット商会に関しての指示をお前に出したのは分かったが、どんな指示を出したんだ?」


 フロンのその言葉に、ムルトとしても話がずれているのを感じていたのだろう。すぐに再び口を開こうとして……


「待て」


 レイにその声を止められる。


「レイ?」

「どうしたんじゃ?」


 フロンとブラッソの2人に尋ねられるが、レイは目を閉じ耳を澄ませ……


「どうやら下にお客さんが来ているらしい」


 そう告げたのだった。

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