第128話
「あの武器屋の様子がちょっとおかしかったが……まさかな」
小さく呟きながら隣にいるセトと共に正門へと向かって歩いて行くレイ。
「グルゥ?」
どうしたの? とばかりに横を歩きながら小首を傾げてくるセトに、何でも無いとその頭を撫でながら道を進んでいく。
当然その手には串焼きやらサンドイッチやら、いつも通りに幾つもの軽食の類を抱えていた。
そんな風に食べ歩きをしながら道を進んでいたレイだったが、ふと近くの食堂から漂ってきた匂いに引かれて視線を向ける。
「……そうだな、そろそろ秋だし煮込み料理でも買っていくか。セト、ちょっとここで待っててくれ」
「グルルゥ」
レイの言葉にセトが了解とばかりに鳴いた声を聞きつつ、食堂の中へと入っていく。
幸いまだ午前9時の鐘が鳴ってから間もなく、既に朝食のピークは過ぎて昼までには時間がある為か客の姿は数人程度しかいない。
それでも昼食用の仕込みなのだろう。食堂の中には食欲を刺激するようないい匂いが漂っていた。
「いらっしゃい。何にしますか?」
店の中に入ったレイを出迎えたのはレイと殆ど変わらないような年齢に見える、10代半ば程の少女の姿だった。手慣れた様子でレイへと声を掛けてくるその姿は、まさに看板娘と言ってもいいだろう。
そんな看板娘に向かい、小さく首を振るレイ。
「いや、料理を食べに来た訳じゃないんだ」
「は? じゃあ何しにうちの食堂に?」
「実はこの店から、煮込み料理のいい匂いが漂ってきてな。出来ればそれを売って貰いたい。……可能なら鍋ごと」
「……はい?」
あまりと言えばあまりなレイのその注文を聞き、看板娘はローブに包まれたレイの顔を唖然と見返す。
そんな視線を受けながら、懐の布袋から銀貨7枚程を取り出してテーブルの上へと置く。
「鍋の料金も合わせて、このくらいでどうだ?」
「え? え? え? 銀貨……それも7枚!?」
辺境であり、物価が安いギルムの街では一般人が一食で使う料金としては考えられないような金額に看板娘は思わず混乱するが、すぐに我に返り……
「ちょっ、ちょっと待ってて下さい! すぐに父さんを呼んできますから!」
慌てたように呟いた少女は慌てて厨房の奥へと引っ込んでいく。そして1分もしないうちに40代程のガッシリとした肉体を持つ中年の男を引き連れて戻って来る。
「ったく、何だってんだよ。まだ仕込みが終わってる訳じゃねぇんだぞ」
「父さん、いいから来てよ。上客が来てるんだってば!」
小柄な身体であるにも関わらず、それでも自分よりかなり大きい中年の男を引っ張ってくるその様はどこか笑いを誘うような光景だが、本人としては必死なのだろう。
「お、お客さん。お待たせしました。これがうちの料理人ですので」
「これって何だ、これって。……で、お前が客か? 俺に何か用件でもあるのか?」
「ああ。店の外までいい匂いがしてきたからな。出来ればその匂いの料理を鍋ごと買い取りたい。料金に関しては……」
チラリ、と少女の方へと視線を向ける。
「銀貨7枚も払ってくれるって!」
「はぁ!? 銀貨7枚って……いや、確かにそんなに俺の料理を評価してくれるのは嬉しいが。それにしたって鍋ごとというのは量が多すぎるだろう。うちの鍋は相当にでかいし、優に50人分くらいはあるんだぞ? どう考えても食いきれなくて腐らせるのがオチだ。さすがに腐らせると分かってるのに料理を売る訳にはいかねぇよ」
銀貨7枚という金額に驚きながらも、それでも自分の料理を腐らせるような真似は許せないとばかりに断ってくる男。その様子に職人の意地を見て、口元に薄らと好意的な笑みを浮かべるレイ。
「その点は問題無い。俺にはアイテムボックスがあるからな」
そう言いつつ、右手に嵌っているミスティリングを2人へと見せる。
「アイテムボックスって……あぁ! そうだよ、この人ってばグリフォンを連れて噂になってる人じゃない!」
少女がレイの顔を見て驚いたように叫ぶ。その声に、店の中にいた数少ない客もまた珍しそうにレイへと視線を向けていた。
「あ? 噂? 何だそりゃ」
「何よ、父さん知らないの? ……そう言えば父さんは噂とかそう言うのに殆ど興味の無い人だったっけ。けどほら、ちょっとでも聞いたことない? グリフォンを従えたとんでもない新人が現れて、露店の食べ物を大量に買い漁ってるって」
(そっちの噂か)
自分が思っていたのとは違う噂に思わず内心で突っ込む。
だが実際にレイがこのギルムの街に来てから食べ物を売っている露店は、売り上げが数倍になっている所もそれ程珍しくないのだ。何しろ体長2mオーバーのグリフォンと、すこぶる燃費の悪いレイだ。泊まっている夕暮れの小麦亭で出されている食事では到底足りない為に、その分を露店で手軽に買える串焼きやサンドイッチといったもので補っている影響でそういう事態になっている。
あるいはミスティリングの中に入れておけば時間が経過しない為に腐らないという、マジックアイテム特有の効果があるのでいざという時の為に買い貯めしているというのもあるだろう。
「良く分からんが、ようはこの坊主が俺の料理を買っても腐って捨てたりはしないってことか?」
男の言葉に頷くレイ。
「ああ。売って貰えるのなら全部有り難く食べさせて貰う」
「……うーん……そうだな。腐らせないで全部きちんと食べてくれる。そして俺の料理に匂いだけで銀貨7枚分の価値があるといってくれたんだ。そんな客を追い返す訳にはいかねぇか。……よし! 分かった。幸いこの時間なら新しく仕込みをし直せば昼にも十分に間に合うし、予備の鍋もある。いいだろう、坊主に売るよ。付いて来い」
即断即決と言うべきだろう。大きな声でそう告げると、男は早速とばかりにレイを厨房へと連れて行く。
厨房にあったのは、大きい鍋だ。……いや、どちらかと言えば大きいと言うよりは巨大と言った方がいいであろう大きさを誇っている。そしてその鍋の中では大量の肉や野菜が煮込まれている。スープと言うよりはまさに煮込み料理といった方が相応しいだろう料理だ。
「見ての通りこの大きさだ。中身が入ってないならともかく、たっぷりと量が入ってるからな。俺でも持ち上げることが出来ない。けどアイテムボックスを使えば問題ないんだろう?」
「ああ。全く問題無い」
呟き、鍋の取っ手へと手を触れ『収納』と内心で呟くと、次の瞬間には巨大だった筈の鍋は既にどこにも無くなっていた。
「うおー。こりゃすげぇ。アイテムボックスが使われている所なんて初めて見たぜ」
「基本的には希少価値の高いマジックアイテムだしな。ちなみに、あの料理はもうあのまま食べていいのか? それとも仕込み云々と言ってたってことは、もう暫く煮込んだ方がいいのか?」
「そう、だな。もう味は十分に染みこんでいるから普通に食べる分には全く問題ない。けど料理人として言わせて貰えばもう1時間くらい煮込むと最高の食べ頃になる。……あぁ、それとついでにこれも貰っていけ。銀貨7枚だと儲けすぎだからな」
呟き、篭にたっぷりと入ったパンを手渡してくる。その全てが焼きたてであり、ギルムの街のパンにしては珍しくふんわりとした柔らかそうな感じのパンだ。
「悪いな、じゃあ遠慮無く」
鍋と同様にミスティリングへと収納し、軽く数分程話した後に食堂を出る。
「グルルルゥ」
そして店を出た途端に喉を鳴らして近付いてくるセト。レイの身体から香ってきた煮込み料理の匂いが食欲を刺激したのだろう。
そんなセトの様子に苦笑を浮かべ、貰ったばかりの焼きたてのパンを1つ取り出してセトへと与える。
「グルルルルゥ」
その柔らかいパンを頬張りながら満足気に頷くセトと共に正門へと向かって行く。
いつものように正門でランガにギルドカードを渡し、従魔の首飾りを返却して正門前に出るレイとセト。
そんな2人の目に映ったのは、夜営道具一式や食料が入っていると思われるリュックを背負ったブラッソと武器だけを腰に下げているフロンの姿だった。
「遅いぞお前等!」
レイとセトの姿を見て声を上げるフロン。その隣ではブラッソがどことなく呆れたような視線をフロンへと向けている。
「おいおい、約束の時間まではまだ十分にあるじゃろうに」
「それでも俺達を待たせたのは事実だろ。女を待たせるとか男としてはあるまじきことだろ」
「……フロン、別に儂等はデートの待ち合わせをしていた訳じゃないぞ? そもそも貴族や騎士でもない儂等にそんなことを期待する方が間違っておるぞ」
そんな2人の言い合いを聞き、思わず笑みを浮かべつつ口を開く。
「そっちは早かったな。荷物はそれだけか?」
「うむ。何しろ泊まるにしても一泊程度じゃからのう。大仰な荷物は逆に邪魔になるだけじゃ」
「なるほど。じゃあ、その荷物を貸せよ。約束通りと言う訳じゃないが、俺が遅れてきたからな。そのくらいなら持っていくさ」
「む? 別に儂のことは気にしなくても平気じゃぞ? この程度の荷物はいつも持たされておるしな」
言葉通りに、全く問題にしていないのだろう。ブラッソは平気な顔で背負っているリュックを小さく揺らす。するとその横でフロンが呆れたように口を開く。
「そもそも、一抱え程もある樽酒を入れる時点でおかしいって何で気が付かねぇかな。酒を飲むなとは言わないが、せめて依頼の時くらいは我慢しろよ」
「何を言う! ドワーフにとって酒とは命の水じゃぞ! 例え食料が無くても酒だけは絶対に必要なものなんじゃ」
「ったく、これだからドワーフは……」
半ば諦めの溜息を吐きつつ、手で顔を覆って上を向くフロン。
「あー、ほら。いいから寄こせって。確かにブラッソにとって重くなくても動きの邪魔にはなるだろ」
そう言い、強引にブラッソの背負っている荷物を奪い取る。
「お、おい」
「ちょっと待て。確かにブラッソがその荷物を背負っていれば動きが鈍くなるだろうが、それはレイだって同じだろう? いや、ドワーフのブラッソよりもレイの方が動きの制約が大き……く……」
フロンが最後まで話せなかったのは、レイが受け取ったリュックをさっさとミスティリングの中へと収納したからだ。その行為に目を見開いて驚きの表情を浮かべる2人に、溜息を吐いて口を開く。
「あのなぁ。俺がアイテムボックス持ちだと言うのは、それこそ噂になってた筈だろう?」
呆れたように尋ねたレイだったが、フロンとブラッソは無言で首を横に振る。
「俺が聞いた噂は、あくまでもグリフォンを従えた冒険者ってだけだったぞ」
「儂も同じじゃ。アイテムボックス持ちだというのは今初めて知ったわい」
そんな2人の返答に、思わず首を傾げるレイ。
レイ自身は知らなかったが、アイテムボックスとグリフォンのセトではやはり目立つのは後者だ。その為に自然とレイの噂はグリフォンを従えた新人の凄腕冒険者という風に広まっていったのだ。
もちろんアイテムボックスを持っていると言う噂もあるのだが、そちらは主に冒険者達の間だけで広まっている噂であり、一般人には殆ど広まっていない。その為にレイの噂を街中で聞いた砕きし戦士の2人はアイテムボックスについて知らなかったのだ。
「……まぁ、いいが。それよりもそろそろ出発しないか? いつまでも正門の前でこうしていたってハーピーがどうにか出来る訳でも無し」
「あ、ああ。そうだな。いや、悪い悪い。いきなり伝説級のマジックアイテムを見たからさすがに驚いた」
「全くじゃ。……のう、レイ。今夜でもいいから後学の為に一度そのアイテムボックスを見せてくれんかのう?」
ブラッソの言葉に頷きつつも、一応の念を押すレイ。
「構わないが、このアイテムボックスは俺にしか使えないように調整されているぞ? それでもいいのなら貸してもいいが」
「何? それはレイの魔力をこのアイテムボックスに登録してあるということかの?」
「ああ」
ブラッソの言葉に頷くと、その目に好奇心の光が宿る。
「それはお主がやったのか?」
「いや、このアイテムボックスをくれた師匠だな」
ゼパイルの館でミスティリングを受け取ったときに自動的にそうなったのだから、誰の仕業かと言われればゼパイル一門の錬金術師であるエスタ・ノールの仕業なのだが、さすがにそれを言う訳にはいかないのでそう誤魔化す。
「噂には聞いていたが、お主の師匠というのは相当な凄腕なんじゃな。今の時代にそのような腕の持ち主はそうはおらんぞ。……儂にもそれ程の腕があればのぅ」
どこか羨ましそうな目でミスティリングの嵌っているレイの右手首へと視線を向けるブラッソ。
その様子を見て、レイは以前ギルドでフロンからブラッソは鍛冶師の適性が無かったと聞いた話を思い出す。
(鍛冶師の適性は無くても、本人は鍛冶師に憧れていたって所か)
チラリとフロンへと視線を向けると、そちらでもレイと同様のことを思い出していたのだろう。小さく頷き、声に出さずに口を開いて『頼む』と言ってくる。
「……しょうがない。じゃあ山に着いて夜襲を行うまでに時間があったらな」
「うむ、感謝する。では早速行くとしようか!」
レイの言葉に、嬉々として街道を進み始めるブラッソ。その現金とも言える様子に、思わず苦笑して顔を見合わせたレイとフロンはその後を追うのだった。
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