第121話
「ぐっ……」
朝日に照らされ、ベッドの上で目を開けるレイ。だが身体を起こそうとしたその瞬間、頭に鈍い痛みを感じる。
「俺は一体……いや、いつ寝た?」
呟きながら、頭を抑えつつ周囲を見回す。その視界に入ってきたのは、レイが定宿としている夕暮れの小麦亭にある部屋で間違い無かった。
「何が起こった? 俺は確か昨日、ギルドに行って……」
思い出すように記憶を辿っていくレイ。そしてやがて30代半ばの女戦士であるフロンと、ドワーフのブラッソに出会ったことを思い出す。同時にそれ程得意ではない酒を勧められ、断り切れずに数時間程飲み続けたことも。
「なるほど、酔い潰された訳か。……ギルドの中にある酒場で良かったと言うべきだろうな。これが街中の酒場だったりしたら置き引きやスリの類に遭ってた可能性が高いだろうし」
溜息を吐きながらも、秋晴れを象徴するかのように太陽の光を部屋の中へと照らし出す朝日を忌々しげに睨みつける。
「この頭の痛み、これが二日酔いって奴か。……今日は一日休んでいた方がいいか?」
頭の中でガンガンと自己主張をする痛みに顔を顰めながらも、喉の渇きを癒すべく水差しからコップへと水を注ぎ数杯程飲み干す。
「二日酔いをした時には味噌汁を飲みたくなるって話だが……まぁ、この世界に味噌汁がある訳ないしな」
取りあえず水を飲んで多少落ち着いたのを確認し、いつの間にか脱がされていたドラゴンローブやスレイプニルの靴を身につけ、両腕にミスティリングと吸魔の腕輪がきちんと嵌っているのを確認し……もし運が悪ければそれらのマジックアイテムが盗まれていたということに気が付き思わず肝を冷やす。
「これは……何か対策をしておいた方がいいか」
脳裏に自分が使える炎の魔法でイメージを固めつつ、ミスティリングから魔法発動体のデスサイズを取り出して呪文を唱える。
『炎よ、我が意志に背きて汝に触れる者あれば、その灼熱の業火によりて大いなる後悔を与えよ』
その言葉と共にデスサイズの刃に炎が集まり……次の瞬間に魔法が発動する。
『悔恨の炎』
魔法が発動すると同時に、炎がまるでミスティリングへと染み込むように消えて行く。
呪文にあったようにレイの意志に反して……あるいは前日のように意識のない状態の時にミスティリングを奪おうとした者は、その炎の洗礼を受けることになる一種の防犯効果を持つ魔法だ。……もっとも、その威力は防犯といった生易しいものではないのだが。
その後は適当に身だしなみを済ませてから1階へと降りていく。
恐らく既にピークは過ぎているのだろう。食堂に宿泊客の姿は殆ど見えず、疎らに数人程が遅めの食事を取っている所だった。
そんな様子を見ながら空いている席へと座ると、それを待っていたかのように夕暮れの小麦亭の女将であるラナが姿を現す。
「おはようございます。昨日は酔い潰れてしまったようですが、大丈夫ですか?」
そう言いながら軽い朝食をテーブルの上に並べていくラナ。二日酔いだというのを理解しているのか、水分の多い、さっぱりとした軽い物が多くなっている。
「俺は昨日?」
「ギルドで受付嬢をしているレノラさんとケニーさんの2人が連れてきてくれましたよ。そのままお部屋の方に運んで貰いました」
「……ギルドに行ったら礼を言っておくよ」
「はい、その方がいいでしょうね」
笑みを浮かべて頷き、仕事に戻るラナ。その背を見送り、朝食へと手を伸ばすのだった。
「あ、レイさん。おはようございます。大丈夫ですか?」
ギルドの中に入ってきたレイを見て声を掛けてくるレノラ。その顔は心配そうにレイを見ているが、肝心の本人は特に何でも無いとばかりに頷く。
「朝起きた時は二日酔いで結構きつかったが、朝食を食べている間に大分良くなってきた」
(ゼパイルの技術力に感謝だな)
まさかゼパイルも二日酔いの件で感謝をされるとは思ってもいなかっただろうが、レイ本人としてみればゼパイルに真面目に感謝をしていたのだ。
「それで、昨日は俺を宿まで運んでくれたとか。助かった」
ペコリと頭を下げるレイ。続いてケニーにも……と思って横を見るが、いつもレノラの隣にいる筈の猫型亜人の姿は何処にも見えなかった。
「ケニーは?」
「あぁ、彼女なら今日は午後からです。何でも家の方でちょっと用事があるとかなんとか」
「そうか。なら午後にでも来たらケニーに俺が感謝していたと伝えておいてくれ」
「ええ。分かりました。それで、ですね。実はレイさんに呼び出しが掛かってるんですが……」
どこか申し訳なさそうに口を開くレノラ。それは普段の颯爽として仕事をこなすレノラとしては珍しい態度だった。
「呼び出し? 呼び出されるような覚えはないんだが」
「ええ、それはこちらでも承知してます。ですがギルドにそれなりに運営資金を出していらっしゃる方からの呼び出しですので、私達としましても伝えない訳にはいかなくて……」
「理由とかは?」
「いえ。ギルド側としてはなにも知らされていません。ただ、レイさんを呼び出して欲しいとだけ」
「誰だ、そんな不躾な真似をするのは」
レイの言葉に、微かに眉を顰めて口を開くレノラ。
ただしその顰められた眉は目の前にいるレイに対してではなく、次の瞬間に口から出された存在に対するものだった。
「アゾット商会代表のボルンター様です」
アゾット商会。ボルンター。その2つの名前に聞き覚えがあるかと言われれば、当然あった。何しろその名前を聞いたのはつい昨日の話なのだから。
「この街の武器屋の元締めみたいなことをしている奴と聞いてるが」
「はい、間違いありません。その、色々と噂もある人ですが……ギルドに対して活動資金を援助していたり、ギルムの街に入ってくる武器の類も殆どが何らかの手でアゾット商会の手が及んでいる状態です」
「で、そのアゾット商会のお偉いさんが一介のランクD冒険者である俺に用事がある、と」
「そうらしいです。もちろんこれはあくまでも向こうの一方的な要求であり、ギルドには登録している冒険者にそれを強制する権利は一切ありません。ですのでこの呼び出しに応じるかどうかは、レイさん自身の判断となります」
そうは言いつつも、レノラの表情は呼び出しに応じた方がいいと露骨に示していた。何しろギルムの街でもそれなり以上に権力を持っている人物からの呼び出しなのだ。もし断ったとしたらどういう嫌がらせをされるか分からないというのがレノラの正直な気持ちだった。
そんなレノラの表情から大体の予想が付いたレイは、数秒程考えると小さく頷く。
「確かに何の用があるのかはまだ分からないというのに、無下にする必要もないか。色々と噂はあるが、結局の所は本人に会ってみないと何とも言えないし。分かった、行ってみるが……そのボルンターとかいう商人の家を教えて貰えるか?」
「あ、はい。こちらをどうぞ」
元々レイがギルドにやって来たら話すつもりだったのだろう。すでにレノラの手元にはボルンターの屋敷がどこにあるのかの地図が用意されていた。
その地図に書かれている文字が何度か見たレノラの筆跡だと気が付いたレイはそれを受け取った後に小さく頭を下げる。
「わざわざ悪いな」
「いえ、そんな! そもそも指名依頼とかでもないのにギルドを通して冒険者を自分の家に呼びつけるというのが普通は有り得ないんです。その……気を付けて下さいね。色々と悪い噂の絶えない人ですし」
「ああ、その辺については昨日砕きし戦士の2人から聞いたよ。……そう言えば、あいつ等あの後どうした?」
「どうしたって……レイさんが酔い潰れた後は依頼に向かいましたよ?」
「……あの後で?」
「はい。まぁ、あそこまで依頼前にお酒を飲む人は少ないですが、それでも景気づけに数杯のお酒を飲んでから依頼に向かう人というのはそれなりにいますし」
「……そうか」
既に言葉も無いとばかりに溜息を吐き、気を取り直したように小さく首を振る。
「とにかくこの地図は助かった。じゃあ早速行ってくる」
「はい。お気を付けて。あ、剥ぎ取りの依頼についてはもう少々お待ち下さい」
「分かった」
ペコリと頭を下げ、それでも心配そうにレイを見送るレノラ。
(……ケニーに今回の件は言えないわね)
内心でそう呟く。何しろ最近のケニーは横で見ていても不思議なくらいにレイへとのめり込んでいる。もし評判の良くないアゾット商会の会頭から直々に呼び出されたと聞けば、色々と暴発しかねないのだ。
(まぁ、その気持ちも分からないではないけどね)
確かにアゾット商会はギルドへと多額の寄付をしている。だが、それを盾にして今回のような強引な真似をされては不愉快に感じざるを得ないのだ。それでも結局はある程度の要求なら聞かなければならないのが活動資金を寄付して貰っている身の悲しさではあるのだが。
レイとアゾット商会の間で変なトラブルが起きませんように。レノラは心中でそう祈ることしか出来なかった。
冒険者ギルドを出て、いつものように馬車や騎獣のスペースで待っているはずのセトを迎えに行ったレイが見たもの。それは……
「セトちゃん、今日も可愛いわねぇ。はい、これも食べて」
「グルルルゥ」
セトの頭や背を撫でながら、サンドイッチやら串焼きやらの食べ歩きする為にその辺の露店で売られている食べ物を大量に抱えたミレイヌの姿だった。
「ミレイヌ……お前、最近よくセトに会いに来てるが灼熱の風は解散でもしたのか?」
普段であればセトに構っている時にはレイの存在に気が付くのが遅れるのだが、さすがに今のは聞き逃せなかったのか口を尖らせながらレイの方へと香ばしく焼き上げた肉とチーズ、レタスのような葉野菜が挟まったサンドイッチを投げ付けてくる。
「っと!」
それを握りつぶさないようにキャッチし、ソースが垂れてきたところで齧り付く。
外側が香ばしく焼き上げられているが中の肉はジューシーで、溢れる肉汁とソースが渾然一体となってレイの舌を楽しませた。
「あのね、縁起でもないことを言わないでくれる? 私達はここ最近忙しかったから1週間くらい纏まった休日を取ることにしたのよ。って言うか勝手に食べないでよね。それ人気の一品なんだから」
ジト目を向けてくるミレイヌに構わず、素早くサンドイッチを口の中へと収めていく。
「なら投げるなよな。俺じゃなければ躱して地面に落ちてたか、あるいは握りつぶされてたぞ」
呆れたように呟きつつも、既にサンドイッチは全てがレイの胃の中だ。
「で、そう言うレイはこれから依頼?」
蕩けるような笑顔でセトの背を撫でながら尋ねてくるミレイヌに小さく首を振る。
「どうだろうな。依頼……って訳じゃないんだが、アゾット商会の会頭に呼び出しを食らってな」
「……あんた、何かしたの?」
「いや、特に何も。ただまぁ……最近俺のことが噂になってるらしいからな。それで実際にその目で確認してみたくなったとかそんな感じなんじゃないか?」
「……大丈夫? アゾット商会ってあまり評判良くないわよ?」
「らしいな。昨日俺が知り合った冒険者もそんなことを言ってたよ。……で、セト。どうする? 一緒に行くか?」
サンドイッチを食べていたセトへとレイが声を掛けると、当然、とばかりに立ち上がろうとするセトだったが……
「セトちゃんを連れて行くのはやめておいた方がいいかもよ?」
ミレイヌにそう止められたのだった。
「何でだ? 向こうも俺がセトを連れているって噂は聞いてるだろうし、俺を呼び出すのも恐らくそれが原因だろう?」
「そうね。確かにそれが原因かもしれないけど、セトちゃんをどうにかしよう……って考えの可能性もあるじゃない」
微かに眉を顰めながら告げるミレイヌ。その様子から、ミレイヌとしてもアゾット商会に良い印象を持っていないというのは明白だった。
「グルゥ……」
そんなミレイヌの様子を見て不安になったのか、セトもどこか元気のないように喉の奥で鳴く。
「そこまでするのか? それこそ今のセトはこのギルムの街だとちょっとした有名人だ。いや、人じゃないがな。そんなセトに何かちょっかいを出そうとしたら街の住人達を敵に回すだけだろ?」
「そうね。私もそう思うわ。……でも、そう言うのを平気でやりかねないのがアゾット商会……と言うよりもボルンターなのよ」
小さく溜息を吐きながらも、再び口を開くミレイヌ。
「何年か前に、とある冒険者がアゾット商会と揉め事を起こしたことがあったらしいのよ。発端は確か護衛依頼についての連絡ミスか何かでその冒険者の仲間がモンスターに殺されたとかだったと思うけど。……そしたら、アゾット商会が裏で手を回してその冒険者に武器を売らないように圧力を掛けてね。冒険者にとって武器がどれ程大事な物なのかは分かるでしょう? そしてその手入れが出来なくなった冒険者はすぐに音を上げて……結局この街を出て行ったらしいわ」
「えげつないな」
ミレイヌの言葉に思わず呟くレイ。
冒険者に武器を売らない。それはつまり、冒険者として活動出来なくなるということを意味している。その冒険者が魔法使いの類なら何とかなっただろう。だが武器の損耗が激しい戦士の類であったとするのなら……
「そう言う訳で、あっちに因縁を付けられないようにセトちゃんは連れて行かない方がいいわ」
「……そう、だな。セト、悪いがここでちょっと待っててくれるか?」
「グルルルゥ」
レイの方を心配そうに見つめながらも、頷くセトだった。
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