第111話

「……んー……あー……」


 夕暮れの小麦亭にある一室、そのベッドでレイは呻きながら蠢いていた。

 それも数分程して、朝6時の鐘が街中に響き渡るとのそのそとだが起き上がってくる。


「ふわあぁぁぁ……よく寝たな。と言うか、寝過ぎたな」


 さすがにレイにしても今回のエレーナ護衛という依頼は色々と疲れが溜まっていたのか、昨夜は宿に戻ってきて少し早めの夕食を食べた後はそのままベッドへと直行したのだ。


「取りあえず今日の予定は、エレーナ達の見送りに……と言うか、ミスティリングに収納したモンスターの分配とかしてないから少し早めに行って聞いた方がいいな」


 ふと今回のダンジョンで倒した無数のモンスター達を思い出し、右手首に嵌っているミスティリングへと視線を向ける。


「……よしっ! ちょっと早いけど朝食を済ませたら領主の館に行くか」


 呟き、素早く身支度をして宿の1階にある食堂へと降りていくのだった。






「おや、今日は早いですね」


 1階の食堂に降りてきたレイを出迎えたのは、夕暮れの小麦亭の女将でもあるラナだった。


「ああ。ちょっと用事があってな。朝食を頼む」

「分かりました。好きな席に座って待っていて下さい」


 さすがに朝で忙しいのか短く挨拶だけ交わすとさっさと厨房へと入っていくラナを見送り、言われた通りに適当な席に座って待っているとすぐにラナがやって来てテーブルの上に朝食を並べていく。コッペパンのような黒パン、ハムステーキ、ポテトサラダ、酸味を利かせたスープ、水で割ったワインという在り来たりな物だ。だがその全てに手間が掛かっており、夕暮れの小麦亭がそれなりに高級な宿であるというのをレイに納得させる。

 30分程掛けてゆっくりと朝食を食べ、セトを迎えに厩舎まで行くと……


「セトちゃん、ほらこれこれ。今度はこれを食べてみて」

「グルルゥ」


 何故かそこには見覚えのある女剣士がいて、両手一杯に抱えた料理を次から次にセトへと与えていたのだった。


「……ミレイヌ」


 そう、その女剣士はランクCパーティである灼熱の風のリーダーのミレイヌだ。


「あ、レイ。おはよう」

「……おはよう。それにしても随分と早く俺達が帰ってきたのを嗅ぎつけたな」

「あははは、何言ってるの。セトちゃんと一緒にあんなに目立っておいて話題にならない訳ないじゃない。……にしても惜しかったわね。もうちょっと早く帰って来てれば昨日のうちにセトちゃんに会いに来れたんだけど」

「はぁ、お前も相変わらずだな」

「そりゃそうでしょ。最後にセトちゃんと会ってからまだ1ヶ月も経ってないのよ? そうそう変わる訳ないでしょうに」


 セトの毛並みに抱き付きつつ、レイとの会話を続けるミレイヌ。


「そこはせめて俺と会ってからという風にして欲しかったんだがな」

「あははは。レイが私よりも年齢が上ならそう思ったかもしれないけどね。ほら、私ってばどっちかというと年上が好みだから」


 レイと会話しつつもその顔はセトへと向けられており、笑顔を浮かべながら串焼きや果物、あるいは丼のような食器に並々と盛られた肉のたっぷり入ったスープを差し出していた。


「……俺はセトに餌をやる手間が省けて助かるんだが、お前の金の方は大丈夫なのか?」


 レイがランクアップ試験を受けている間にセトと共に金稼ぎの為に討伐依頼を繰り返していたのを思い出してそう尋ねるが、問題はないとばかりに頷く。


「元々金欠だったのはオークの件で装備を買い換えたからだし、それにしたってセトちゃんのおかげで金欠状態は脱したしね。今は結構悠々自適の生活をしてるわよ」

「なるほどな。あー、セト、どうする? 俺はこれからエレーナ達の見送りに行ってくるが、お前はここでミレイヌと一緒にいるか?」

「グルゥ……グルルルゥ!」


 数秒悩んだセトだったが、すぐに小さく頷いて自分に割り当てられた場所から出て来る。

 ちなみに、ダンジョンに行く前までは厩舎にいた馬やその他の騎獣達もセトにそれなりに慣れていたのだが、暫く留守にしている間にその慣れていた馬や騎獣達の飼い主である傭兵団やらが既に旅立ち、現在は宿の客も殆どが新しい客になっている為に自然と厩舎の中にいる馬や騎獣達も新しい者達に入れ替わている。その為にセトが姿を現すとその殆どがシン、と静まり返る。

 数匹程は前回からの居残り組がおり、それらは我関せずとばかりにゆったりとしていたが。


「くそう、やっぱりまだまだレイには敵わないか」


 セトの行動に羨ましそうにレイへと視線を向ける……否、半ば睨みつけてくるミレイヌ。


「いずれ……いずれセトを私の虜にしてみせるんだからぁっ!」


 と、嘘泣きをしながら厩舎から出て行くのだった。


「……何がしたいんだ、あいつは」


 その様子に呆れながらも、レイはミレイヌには感謝をしていた。何しろオークの集落を討伐に向かった際にも、ミレイヌが率先してセトを可愛がったおかげで討伐隊の面々にもセトが馴染み、同時にこのギルムの街でも広く受け入れられるようになったのだから。


「グルルゥ?」


 どうしたの、とばかりに頭を擦りつけてくるセトの様子に笑みを浮かべつつ1人と1匹は厩舎を出る。向かうのは当初の予定通りに領主の館だ。


「お、レイじゃないか。依頼から戻って来たって聞いたけど本当だったらしいね。どうだい、いつもの奴」

「レイ、お前さんが帰ってきたって聞いたから串焼きを取ってあるぞ。買ってけ買ってけ」

「サンドイッチの新製品が出来たんだけど、良かったらどうだい?」


 セトと共に街中を歩いていると食べ物関係の露店から度々声を掛けられ、セトがそれに興味を示して結局適当に買い漁っていつものように食べ歩きをしながら進むことになる。

 レイは朝食を食べたばかりであり、セトに至ってはミレイヌから色々と差し入れをされていたにも関わらず、まだまだ大丈夫だとばかりにレイの手から渡される食べ物を嬉しそうに頬張っていた。


「グルルルゥ」


 甘辛いタレで味付けされたファングボアの焼き肉をシャキシャキの葉野菜と共に挟んだサンドイッチを食べて嬉しそうに鳴くセト。

 そしてそんなセトの様子を、どこかほんわかしたような表情で眺める露店の店主達。

 その様子に苦笑を浮かべつつも、料理の代金を払っていくレイ。

 そんな、いつもと言えばいつものやり取りをしつつも道を進んでいく1人と1匹であった。

 だが、さすがに領主の館に近くなってくると露店の類も少なくなり、代わりに警備兵の兵士や騎士団の騎士といった者達の姿が目立ってくる。

 そうなると当然……


「そこの者、この先には領主様のお屋敷しか無いが何か用があるのか?」


 そんな風に聞かれることも多くなってくる。

 何と答えようかと迷うが、レイ自身は目の前の兵士に悪感情は抱いていない。むしろ従魔の首飾りを首に掛けられているとは言っても、体長2mを越えるグリフォンを従えている自分にそれ程怯える様子も無く自らの職務を果たそうとするその姿勢には安心感すらあった。何しろラルクス辺境伯のダスカーと言えば中立派の中でも中心人物として知られている大物だ。当然そんな相手は邪魔だとばかりに刺客の類を放つ者もいるだろうし、そういう相手を警戒してしすぎることはないのだから。


「おい、そいつは構わない」


 レイが口を開こうとした時、不意に質問してきた兵士の後ろから別の兵士が姿を現す。


「何でだ?」

「こいつの噂を知らないのか? グリフォンを従えた冒険者。ランクはDと低いがその実力はランクAにも匹敵するって話だ。それを見込んで領主様が指名依頼をしたらしい。大方その関係で来たんだろ?」

「まぁ、間違ってはいないな」

「な?」

「お前がそう言うなら間違いないんだろうが。……行っていいぞ」

「助かる」


 2人の兵士にそう言い、セトと共に領主の館へと向かって進んで行くとやがて要塞のような建物が見えてくる。

 その館の前には門番として兵士がおり、その門へと近付いていくレイとセトへと視線を向けていた。

 既に何度か領主の館にやって来たことのあるレイなので、お互いに顔見知りではあるのだがそれでも油断していないというのは兵士としてのレベルが高い証拠なのだろう。


「領主様に用件か?」


 門の前へと到着するや否や尋ねられるが、小さく首を振るレイ。


「いや、用があるのはエレーナ・ケレベル様にだ。護衛の依頼で決めておかないといけないことをそのままにしておいてな。出立する前に話を通しておきたい」

「分かった、少し待て」


 さすがに門番の前でエレーナ、と呼び捨てにする訳にはいかずに様付けをするレイ。

 片方の門番が屋敷へと向かってから10分程、門番、レイ、セトの誰もがただ黙ってどこか居心地が悪そうにしていた。

 いや、正確に言えば居心地が悪そうにしているのはレイのみであり、門番の男は表情を殆ど動かさずにただその場で沈黙し、セトは暢気に欠伸をしている。


(……俺が変なのか?)


 そんな風に自問自答をしていると、ようやく門の方から先程の門番が戻ってくる。


「エレーナ様がお待ちだ。彼女の案内に従うように」


 門番の視線の先にいたのは、既にすっかりと見慣れたアーラの姿だった。その背にはレイから譲られたパワー・アクスが背負われており、騎士というよりは戦士といった印象を強くしている。


(まぁ、騎士で斧を使うという時点で変わり者だしな)


「分かった。……あぁ、それとセトを厩舎の方に連れて行ってくれないか」


 レイの言葉に、暢気に欠伸をしているセトへと視線を向けて小さく頷く。


「構わないが、噛みついたりはしないな?」

「その辺は大丈夫だ。余程変なちょっかいをだしたりしなければ問題は無い」

「なら任せろ」

「と言う訳だから、暫く待っててくれ」

「グルルゥ」


 セトの頭をコリコリと掻きながら告げるレイに、喉を鳴らして答えるセト。

 最後にやや乱暴に頭を撫でると、屋敷の玄関でレイを待っているアーラの方に近付いていく。


「レイ殿、おはようございます。早いですね、出立予定の9時の鐘までまだ随分とありますよ?」

「いや、エレーナに確認しておきたいことがあったのを忘れていてな」

「エレーナ様に? まぁ、レイ殿なら問題ありませんのでどうぞ。エレーナ様も部屋で待っていますから」


 そうして暫く歩くと豪華な扉のある部屋へと辿り着く。


「……執務室もそうだが、ラルクス辺境伯は扉に凝ってるのか?」


 思わず呟いたレイの言葉に、アーラが苦笑を浮かべる。


「確かにそういう面もあるのでしょうが、ここは身分の高い客を泊める為の部屋なので特別だと思いますよ。……エレーナ様、アーラです。レイ殿をお連れしました」

「うむ、入れ」


 部屋の中からエレーナの声が聞こえ、アーラが扉を開く。

 まず目に入ってきたのは高価そうな調度品の数々だ。天井からはマジックアイテムと思われるシャンデリアのような物がぶら下がっており、部屋の壁は大理石のような光沢のある石を継ぎ目無く収められている。部屋に敷かれている絨毯にしても、踏むと数cmは足が沈み込むような代物であり、その他にも椅子やテーブル、ソファといった全てが高級品であるのはその類の品を見慣れていないレイでも一目で分かった。


「まだ出発まで2時間近くあるが、随分と早く来たな。……まぁ、いい。出発の準備も済ませて暇をしていた所だ。座ってくれ、話を聞こう」


 エレーナに進められるまま、ソファへと腰を下ろす。

 ダスカーの執務室にあった来客用のソファと同じくらい……いや、それよりも柔らかくレイの体重を受け止めて沈み込むその様に思わず驚くと、エレーナが笑みを浮かべる。


「この部屋は重要人物が泊まる為の部屋だからな。このくらいのソファが置かれていてもおかしくはない。恐らくダスカー殿よりも高位の貴族が来た時はここに通されるのだろう」

「貴族の見栄って奴か。まぁ、それはいいとして俺が今日来た理由だが……ダンジョンに辿り着くまでに倒したモンスター。そしてダンジョンで倒したモンスターについて決めてなかったからな」

「む、確かにそう言えばそうだったな。ダンジョンから出た後は色々と忙しくてそれどころではなかったし、そのまま忘れていたな」


 エレーナの説明に確かに、と納得するレイ。

 レイはともかく、エレーナは長年共に行動してきた仲間の裏切りや死亡。それを父親であるケレベル公爵へと手紙で知らせるといった行動の上に、継承の儀式で引き継いだエンシェントドラゴンの力を確認したりしなければならなかったのだ。

 もしこの件で責められるべき人物がいるとすれば、それは恐らく一行の中でもっとも暇であったレイだろう。


「ゴブリンのようなどうでもいいモンスターはともかく、リザードマン、リザードマンジェネラル、ウォーターモンキー、希少種のウォーターモンキー、オーガ、スプリガン、エメラルドウルフといった具合に結構な量と質のモンスターがいるが」

「そう言えばそうですね。レイ殿に言われると、改めて倒してきたモンスターの多さに驚きます。……まぁ、ダンジョンだからこその質と量なんでしょうが」


 エレーナの隣に座ったアーラがしみじみと呟く。

 本来であればエレーナの後ろで護衛をしているのがアーラの取るべき行動なのだが、エレーナ自身がレイに気を許していること。そしてアーラもまた今回の一件でレイに対して親しみを覚えたのか、初対面の時に問答無用で斬りかかった態度が嘘のように柔らかい笑みを浮かべながら言葉を返す。


「そういえばその件があったな。とは言っても、私のやるべきことは決まっているがな」

「エレーナ?」

「今回の件はレイに色々と迷惑を掛けたし、レイという存在がいなければ私は今頃ここでこうしてお茶を飲んでいることは出来なかっただろう。その礼代わりという訳でもないが、アイテムボックスの中に収納したモンスターに関しては全てお前の好きにしてもいい」


 ポツリ、と何でも無いかのようにエレーナの口からその言葉が漏れたのだった。

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