第79話

「これは、また……」


 一面に広がる光景を目に、思わずレイが呟く。

 その隣ではレイと同じく前衛を務めているアーラが、その後ろでは中衛のエレーナとキュステが。そして後衛ではヴェルが驚きに目を見開いて目の前に広がっている光景を眺めている。

 ヴェルの隣にいるセトだけはどこか嬉しそうな鳴き声を上げていたのだが。


「えっと、ここってダンジョンの地下4階で間違い無いわよね?」

「そうだな。お前もたった今階段を下りてきたばかりだろう」


 ふと我に返ったアーラがそう呟き、キュステが肯定する。


「いやいや。アーラが混乱するのも分かるよ。ダンジョンを降りてきていきなり目の前にこんな光景が広がってちゃさすがに驚く」


 いつもは軽い口調を崩さないヴェルだが、さすがに驚いているのだろう。今は半ば呆然とした口調で話している。


「だって……何で……何でダンジョンの中に森があるのよおおぉぉぉっ! しかも太陽らしきものもあるとかどう考えてもおかしいでしょ!」


 そう、レイ達の目の前に広がっているのはどこをどう見ても森以外の何物でもなかった。そしてアーラの言う通り上空には太陽らしき物も見えており、実際に明かりに照らし出されている。


「落ち着けアーラ。ここはダンジョン、何があってもおかしくない場所だ。混乱すればそれが隙となるぞ」


 ポンッ、とアーラの肩に手を置きエレーナが宥めるように声を掛ける。

 その声で我に返ったのだろう。アーラは顔を赤くして小さく頭を下げるのだった。


「さて。アーラではないが、ダンジョンを降りてきていきなり目の前に森が広がっていれば確かに驚きもするが、取りあえずは皆落ち着け。何しろ地下3階までとは違いここからは地図が無い。一直線に階段まで向かえていたこれまでとは違い、地下5階への階段を見つけるのは難しくなるだろう。それ故にまずは深呼吸でもして意識を切り替えるとしようか」


 エレーナの声に従い、皆が大きく深呼吸をする。尚、その際に吸った空気はダンジョンのものというよりは確かに深い森の中にあるような新鮮な空気だった。


「……さて。ここからはより慎重に進むとしよう。隊列を多少弄るぞ。盗賊としてのスキルを十分に発揮して貰う為、レイとヴェルの位置を交換する。レイはセトと共に後方や上から襲い掛かって来るモンスターに注意をしてくれ」

「お、いよいよ俺の本領発揮だな。ダンジョンでの盗賊スキルよりもこういう森の中とかが俺は得意なんだよな。じゃ、レイ。後衛よろしくな」

「任せろ。セトと一緒に行動するのは慣れているから背後から攻撃を受けるという心配は気にしないで前方を頼む」

「さすがレイ。自信満々だね」


 深呼吸をして落ち着いたのか、いつもの軽い口調へと戻ったヴェルと隊列を入れ替えて態勢を整える。


「で、エレーナ様。向かうのはどの方向にします?」


 アーラの問いに、数秒程考え周囲を見回すエレーナだったがすぐに肩を竦める。


「地図が無い以上はどう進むにしても結局は勘頼りでしかない。ならば、そうだな。レイ、冒険者としての勘で進む方向を選んでくれ」

「は? 俺がですか?」

「うむ。どのみち誰も指針となるような方向を提示は出来ないのだ。ならば冒険者であるレイの勘に頼った方がマシというものだろう」


 突然そう指示されたレイだったが、さすがに勘で道を決めろと言われても困るのか周囲を見渡す。


「……そうですね。この階を今日中に突破出来るかどうかは難しそうなので、いざという時の野営用の根拠地となる場所を探しながら進むというのはどうでしょう?」

「根拠地? となると……川か?」

「はい。ただ、川……と言うか、水場だとモンスター達が水を飲みにやってくる危険性もあるのでその辺の兼ね合いが難しいと思いますが」

「だろうな。だがこの地下4階で一夜を明かすというのなら水場を確保するというのは色々な意味で大事だろう」

「そうですね。一応水も容器に入れて持ってきてはいますが、節約するに越したことはないですし」

「うむ、ならばまずは川なり湖なりの水場を求めて移動するにしても……どっちに行けばいいのか分からないのは変わらないか」


 苦笑を浮かべたエレーナだったが、レイは笑みを浮かべたままセトの背を撫でる。


「セト、水の匂いや流れている音を感じ取れるか?」

「グルゥ」


 レイの言葉に任せろと自信満々に鳴くセト。それを見たエレーナ達はグリフォンの五感に感心した視線を送る。

 その中でもレイが一番驚いたのは、キュステまでもが感心したような視線を送っていたことだろう。


(まぁ、いざとなればセトに飛んで貰って上空から川なり湖なりを探すという方法もあるんだが……)


 そんな風に思っていたレイだったが、幸いセトは水の匂いか音のどちらかを感じ取ったらしく左側の方へと視線を向けて高く鳴く。


「ご覧の通り、どうやら左側の方に水辺があるらしいです。そっちに向かうということでいいですか?」

「ああ。私としては問題無い。キュステ、ヴェル、アーラ。左へと向かうぞ」


 エレーナのその指示に頷き、一行は左の方へと向かって進み始める。

 幸い、森とは言っても歩くのに邪魔になるような木々は殆ど無く、特に道を拓くというようなことをせずとも進めるというのは一行にとって幸運だっただろう。






「グルルルゥ」


 セトが警戒の唸り声を上げたのは森の中を進み始めて1時間程経った頃だった。

 突然背後でセトが唸ったのに驚いたのだろう。先頭を歩いていたアーラとヴェルが反射的に背後を振り向く。


「……どうした?」


 こちらは落ち着いた様子で尋ねてくるエレーナにセトがしきりに周囲の様子を気にしているのに気が付いたレイが答える。


「周囲の様子を気にしているようですね。恐らくモンスターかと」

「周囲を? どこか一方向ではないんだな?」

「そうですね、一方向ではないようです」

「となると、群れで行動する何らかのモンスターが私達を包囲していると見るべきか」


 エレーナの言葉にその場にいた皆が思わず眉を顰める。

 ただでさえ包囲されているというのは自分達に不利だというのに、戦場となるべき場所が身を隠すのに困らない森の中なのだ。どう考えても襲撃される自分達が不利だというのは明らかだった。


「エレーナ様、いっそこっちから仕掛けませんか?」

「そうしたい所だが、敵の姿が見えないようではどうにもならないだろう?」


 提案を即座に却下されたアーラだったが、すこし考えて何かを思いついたようにレイの方を見る。


「レイ殿の炎の魔法で森ごと焼き払うというのは?」

「却下だ」

「……何故ですか?」


 今度は炎の魔法を期待したレイに却下されるアーラ。

 その様子に、ヴェルが呆れたように口を開く。


「森を燃やすのはいいんだけどさ、そうしたら俺達まで黒こげだぜ? いや、その前に煙に巻かれるのが先か」

「うっ」

「あのさぁ。少しくらいは考えてから発言しような」

「五月蠅いわね。ちょっとしたミスくらいしてもしょうがないでしょ」

「そうは言うけど、そのちょっとしたミスがアーラの場合は多すぎるって言ってるんだよ」

「おい、敵に包囲されてるというのに緊張感が足りないぞ」


 魔槍を構え、いつでも襲撃に対応出来るような態勢を取りながらキュステが注意する。

 だがアーラにしてもヴェルにしてもさすがと言うべきか、お互いにじゃれ合いを続けながらもアーラは剣を構えており、ヴェルも同様に矢を弓に番えていつでも放てるようにしていた。

 エレーナもまた同様に連接剣を構えており、レイはデスサイズを。セトはどこから襲い掛かられても瞬時に反応出来るように身を沈めて周囲を伺っている。

 そして……


「グルルルルルゥッ!」


 セトが雄叫びを上げたその瞬間、文字通りに四方八方からその敵は現れる。

 見た目は猿に近いだろう。だが鋭い牙が口から伸びており、その皮膚は流水に覆われている。大きさ的には小さいもので60cm、大きいものでも1mあるかどうかという所だ。ただし、レイ達を包囲するようにして現れたその数はざっと20匹。


「水に覆われた猿!? ウォーターベアの猿版で、確かウォーターモンキーとかいうのがモンスター辞典に載ってたが……それか?」


 呟いたレイの言葉に反応したのはエレーナだった。


「レイッ、このモンスターの情報を!」


 ウォーターモンキーを威圧するようにデスサイズを振るい、警戒するように距離を取らせた所で本に書かれていた内容を思い出して口を開く。


「水系統の魔法を使ってくるモンスターで、ランクDのモンスターです。ただし個体として考えた場合ですが。能力としては水で覆われているその毛皮は主に火系統の魔法や物理攻撃の衝撃を受け流します。そのために風系統か地系統が有効らしいです。物理攻撃をするのなら衝撃の伝わりやすい棍棒、ハンマー、斧といった武器、あるいは毛皮を覆っている水を斬り裂くような鋭い攻撃や突きの類も有効かと」

「一番の威力を誇るレイの魔法が使えないというのは痛いな。……そうなると魔法で有効なのは私の風の魔法のみか。後はそれぞれの武器でならなんとかと言った所か。いや、そう言えばレイ。お前も風の魔法を多少だが使えていたな?」

「はい。とは言っても、俺に使える風の魔法はカマキリの時に見せた風の刃しかありませんが」

「いや、それでも無いよりはいい。それを中心に……来るぞっ!」


 エレーナとレイが話しているのを見ていたウォーターモンキー達だったが獲物を前に興奮を抑えきれなかったのだろう。木の枝の上からその牙を剥き出しにして飛び掛かってくる。そして援護役なのか、その背後ではウォーターベアが使っていたものよりはかなり小さいが水球を撃ち出してくる個体もいる。


「飛斬!」


 こちらへと直接襲い掛かってきたウォーターモンキーへとデスサイズのスキルである飛斬を放つ。飛ぶ斬撃はレイが刃を振るった軌跡を描き、まず最初にレイへと襲い掛かろうとしていた2匹の胴体をそのまま切断し、同時にその斬撃は後方にあった樹木へと大きな傷を残して消え去る。


「キキキィッ!」


 突然自分達の仲間が空中で胴体を真っ二つに切断され、内臓を散らかしながら地面へと落ちたのに気が付いたのだろう。警戒の叫びを上げるウォーターモンキー。だがそれは既に遅かった。エレーナから放たれた風の刃はその威力こそレイの飛斬に比べればかなり小さいが、その代わりに一度に10を超える数が放たれる。この風の刃に斬り裂かれたウォーターモンキーは恐らくレイに殺された個体よりも不運だっただろう。何故なら痛みも何も感じずに死んだ先の2匹に比べ、エレーナの攻撃を受けたウォーターモンキーは身体中を風の刃で斬り裂かれて手や足の指、あるいは耳といった部分を切断され、腕や足は威力不足の為に切断はされなかったものの半ばまで斬り裂かれるというダメージを受けたのだから。


「キキキィッ! キキキキキィ!」


 身体中から血を流して地面を転がり回っている数匹のウォーターモンキーへとアーラが剣を振り下ろし、キュステがその魔槍で貫く。

 毛皮を覆っている水に関してもアーラの剛力によって放たれた一撃は防ぎきれる筈もなくその首や胴体を断たれ、あるいは水を操るキュステの魔槍により穂先が触れた瞬間に皮膚を覆っていた水が弾き飛ばされて魔槍の穂先が胴体を貫く。そしてエレーナによって振るわれた連接剣が水など無いかのように胴体へと突き刺さっていた。


「グルルルルルゥッ!」


 あるいはそんな水など関係無いとばかりにセトによって振るわれた鷲爪の一撃は、ウォーターモンキーの皮膚を覆っている水ごとその胴体を薙ぎ払う。そして剛力の腕輪を装備しているセトの一撃は胴体へと当たり、敵を吹き飛ばすのではなくその場で胴体を砕いてウォーターモンキーの内臓を周囲の木々へとへばりつかせるのだった。

 瞬く間に仲間数匹が血の海に沈められて危機感を持ったのだろう。先程飛びかかってきていたウォーターモンキー達は咄嗟に近くの木の枝へと掴まりレイ達と距離を取る。


「諦めたか?」

「いや、違うだろうな」


 キュステの言葉を否定したのはヴェルだ。その視線は木の上から自分達を包囲するかのように取り囲んで自分達の様子を見ているウォーターモンキーたちを見据えていつでも矢を放てるように弓を構えている。


「だが、奴等の力では私達をどうこう出来ないというのは今のやり取りで思い知ったのではないか?」

「そんなに賢いモンスターだったら良かったんだろうがな。……見ろ、奴等の目を。あれが諦めたように見えるか?」


 ヴェルに言われ、ウォーターモンキーの様子を観察するキュステ。確かにその目には仲間を殺された敵意や自分達を獲物と見ているような食欲に満ちた色はあったが、畏怖や恐怖といった感情は見受けられなかった。


「所詮はモンスター風情。自分達と相手との力量も見抜けないとはな」


 キュステが軽蔑したようにそう呟いた瞬間だった。


「ガアアアアアァァァァァァァッッ!」


 周辺一帯へと獰猛な雄叫びが響き渡ったのは。

 そしてその雄叫びを聞いたウォーターモンキー達はたった今まで戦っていたレイ達に見向きもせずに躊躇無く背を向けて森の中へとその姿を消す。

 それはまるで統率の取れた兵士のような撤退風景だった。


「なるほど。さすがにこれだけの群れだけあって率いるモンスターもいた訳か」


 感心したように呟くエレーナの声を聞きながら周囲を警戒していたレイだったが、突然隣にいたセトが森の奥の方にある巨木を見上げて唸り声を上げる。 

 その唸り声に反射的にデスサイズを構えたレイが見たのは、先程襲ってきたものよりもかなりの大きさを持つウォーターモンキーだった。その体長は凡そ2mといった所か。先程襲ってきたウォーターモンキーの大きさが最大でも1m程度だったことを考えればその異常な大きさは明らかだろう。


(そして恐らくさっきの雄叫びを上げたのも奴で間違い無い、か)


 その巨大なウォーターモンキーは自分に視線が集まったのに気が付いたのか、ジロリとレイやエレーナ達を一瞥した後はそのまま木々に紛れて森の奥へと姿を消す。


「あれでウォーターモンキー? あの大きさだとウォーターモンキーじゃなくてウォーターゴリラとかじゃないのか? レイ、お前の知ってるウォーターモンキーの大きさは?」

「基本的には小柄で、大きいものでも1m程度ってことだったが」

「それくらいなら先に群れで襲ってきた奴にいたな」

「ああ。となると、恐らく希少種か上位種って所だと思うが……残念ながら俺の見た本ではその辺は何も書いていなかったな」

「そうか。……こちらの戦闘力が高くて危険と見るや否や撤退の合図を出す程の知能を持つモンスターだ。あいつと戦うのはあまり気が進まないな」


 ポツリとエレーナの呟いた声が周囲に響き、それぞれが心の中で頷くのだった。

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