第67話

 領主の館でエレーナ達と顔合わせをした翌日の早朝、レイはドラゴンローブとスレイプニルの靴といういつもの格好で街の大通りを歩いていた。

 その隣にはこちらもいつものようにセトの姿があるのだが、どこか残念そうに肩を落としながらレイの隣を歩いている。

 何しろ朝6時の鐘が鳴る前に正門に集合ということになっている為に、いつもなら大通りの脇に出ている食べ物の露店がまだ殆ど開いていないのだ。開いている露店にしても朝早くから活動する者達用に売られているスープの類がメインで、歩きながら食べるというのはちょっと無理な代物だ。勿論探せばサンドイッチのような軽食を扱っている所もあるのだろうが、残念ながらレイとセトの通り道にその手の店は存在していなかった。


「グルゥ……」


 近くの露店で夜勤明けと思われる兵士達が具だくさんのスープを美味そうに食べているのを見て、羨ましそうに喉を鳴らすセト。

 レイはその様子に苦笑してセトの頭を撫でる。


「一応お前の分も宿で弁当を用意して貰ってるからな、エレーナ達と合流してダンジョンに向かって出発したら朝食の時間になるだろうさ」

「グルルゥ」

「まぁ、そうは言ってもセトの弁当なんて一食分程度だからな……一応今まで狩ったモンスターの肉とかはミスティリングに入ってるから暫くは食事に困ることはないだろうが、出来ればダンジョンに向かってる途中でセトの食事用に何匹か狩っておきたい所だ」


 そんな風に話しながら歩いていると、いつものように正門前に到着する。

 だが今日レイの対応をしたのは珍しいことに警備隊の隊長であるランガではなく一般の兵士だった。


「おはようございます。ギルドカードと従魔の首飾りを」

「ああ。いつもはランガが対応してくれるんだが、今日はどうしたんだ?」


 セトの首から従魔の首飾りを外し、ギルドカードと共に手渡しながら尋ねる。

 兵士はそれを受け取りながら苦笑を浮かべる。


「確かにランガ隊長は大抵ここに詰めてますが、だからと言って毎日休み無しに一日中詰めてる訳じゃないんですよ。隊長は休日ですので僕が担当させてもらいますね」

「なるほど、てっきりランガは俺の担当という形になってるとばかり思っていたが……まぁ、いないんじゃしょうがないか」

「ええ。その……正直、レイ君が初めて来た時はグリフォンであるセトに凄く驚いて怖がっていたんですが、さすがにこう長い間街にいるのを見ていれば慣れると言うか、構いたくなると言うか……」


 チラリ、とセトの方へと視線を向ける兵士。


「グルゥ?」


 それを感じたのか、小首を傾げてそのクリクリとした目で兵士へと視線を返す。


「……こうも無邪気な様子だと遠巻きにしている僕の方が何か苛めている気になってしまって……それと僕には年の離れた弟がいるんですが、その弟も街中でセトに遊んで貰ったって話を嬉しそうにするんですよ。そうなったらさすがに……」


 周囲を見て、レイの他には誰もいないのを確認してから懐に入っていた干し肉を取り出してセトへと差し出す兵士。


「今まで怖がってごめんな。はい、仲直りの印だ」

「グルルルルゥ」


 小さく喉を鳴らしながら干し肉を咥えて口の中に収めるセト。

 その様子を微笑ましそうに見ていた兵士だったが、何を思ったかその笑みは苦笑へと変化する。


「けど、セトにはこうして慣れましたけど……これはこれでちょっと怖いんですよね。もしセトじゃないグリフォンと出会った時に即座に対応出来るかどうか。今の調子で近付いていった所をガブリ、なんて風になったりしそうで」

「……確かにそう考えると慣れすぎるのは良くないか。だが、そもそもグリフォン程にランクの高いモンスターはそうそう人のいる場所に出て来たりはしないだろう?」

「確かにそうですが、その万が一があり得るのが辺境なんですよ。……はい、どうぞ。ギルドカードの確認しました。お気を付けて」


 ギルドカードを返して貰い、セトが機嫌よさげに喉の奥で鳴いて兵士と別れて正門の外へと出る。

 するとそこには既に昨日見た馬車が存在していた。


「まだ多少時間よりも早いが……良く来てくれたな、レイ」


 そしてレイを出迎えるのは、こちらもセトと同様に上機嫌なエレーナの姿だ。

 朝日に照らされるその美貌にレイも一瞬息を呑むが、すぐに気を取り直す。


「おはようございます、エレーナ様。先に来ているとは思ってませんでした。では、早速ダンジョンに向かいますか?」

「いや、ちょっと待ってくれ。ヴェルが何か用事があるらしくて多少遅れている」


(ヴェル、確かこの部隊の斥候と言うか盗賊役の男だったか。ダンジョンに関する調べ物か何かか? まぁ、ダンジョンに盗賊は必須なんだしその関係で遅れているのなら文句を言う訳にもいかないな)


「分かりました。ではもう暫く待ちましょう」

「うむ。……それでだな、昨日から気になっていたんだがそのグリフォンを撫でても構わないか?」

「グルゥ?」


 突然自分に興味を向けられたセトは小首を傾げながらエレーナへと視線を向ける。


「エレーナ様! 幾ら何でも危険すぎます。テイムされているとは言ってもモンスターはモンスターなんですよ? エレーナ様の身に何かあったらどうするんですか」


 そんなエレーナへとアーラが注意をし、レイの存在を無視していたキュステもまた口を開く。


「アーラの言う通りです。モンスターはモンスター。いくらテイムされているとは言っても迂闊に触るのは危険すぎます」


 苦言を呈する2人に対し、エレーナは何でも無いかのようにセトの頭を撫でながら口を開く。


「だがな、このグリフォンもダンジョンに一緒に潜るんだろう? なら交流を持っておくのは決して悪い話じゃないと思うがな」

「グルルルゥ」


 撫で方が上手いのか、上機嫌に喉を鳴らすセト。


「ほう、こうして見ると大空の死神と言われるグリフォンも随分と可愛いものだな」


 その様子を眺めていたレイは、今朝宿を出る時にセト用にとラナから手渡されたサンドイッチをミスティリングから取り出す。


「エレーナ様、これをどうぞ」

「おい、そんな粗末な物をエレーナ様に食べさせようとは本気か!?」


 レイの手にあるサンドイッチを見て、怒るというよりは呆れたように溜息を吐くキュステ。

 その隣にいるアーラはどこか困惑したような眼差しをレイへと向けている。


「勘違いするな。これはセト用のサンドイッチだ」


 と2人に断ってから改めてエレーナへとサンドイッチを差し出すレイ。


「よければ餌付けしてみますか?」

「ほう。モンスターに対する餌付けというのは今までやったことがないだけに興味深い。ほら、セト。お前の食事だぞ」

「グルルルゥ」


 エレーナによって差し出されたサンドイッチを咥え、そのまま口の中に収めるセト。そして再びレイへと伸ばされるエレーナの手。その手は前日にも感じた通り、とても戦士のものには見えなかった。


「ん? 私の手を見つめてどうした?」

「いえ、俺の攻撃を弾く程の腕をお持ちの割には随分と綺麗な手だと思って」

「……おい、貴様。いい加減にしろよ。エレーナ様に対して先程から気安いぞ」


 そう言いながら持っていた魔槍の切っ先をレイへと向けるキュステ。

 だが、それを止めたのはエレーナだった。


「よい。昨日から何度も言っているが、この者とはダンジョンで暫く行動を共にするのだ。気安く接することで能力が発揮出来るのならそれで十分であろう。……ただし、一応言っておくが私を口説くつもりなら最低でも私より強くなってから挑んで……」


 レイに向かってそう声を掛け、すぐに自分の手を見るエレーナ。

 そう、自分は昨日この男の一撃を弾くのがやっとだったのではないか。それはつまり……


「……いや、何でも無い。それよりもこのグリフォン、セトと言ったか? これ程人懐こいというのはテイムされているモンスターにしても珍しいな」

「ええ。おかげで街の住民や子供達からの人気も高くて、街を歩くだけで皆が餌付けをして来る始末です」

「ふふっ。まぁ、この愛らしさでは分からないでもない」


 それから数回、エレーナはレイからセト用のサンドイッチを受け取ってはセトへと与えるのだった。


「グルルルルゥ」


 ご機嫌で鳴くセトに、エレーナもまた笑顔を浮かべる。

 そんなエレーナに再び見惚れそうになったレイだったが、すぐに気を取り直す。


「エレーナ様、どうせならヴェルが戻って来るまでに荷物の方をアイテムボックスに収納しておきたいのですが」

「ん? あぁ、そう言えばそうだったな。確かにどうせなら暇な今のうちに収納しておいた方がいいだろう。アーラ!」

「分かりました。馬車の中へ案内すればいいのですね?」

「うむ。必要な荷物は全て馬車の中に入れておいた筈だからな」

「はい、その辺は問題ありません」

「では任せた。私はもう暫くここでセトと戯れているからな」

「はい。……レイ殿、付いて来て下さい」

「馬車の中にと言ったって……」


 そんな2人のやり取りを聞きながら不思議そうな顔をするレイだったが、アーラは特に説明もせずに先へと進んでいくのでその後を追うのだった。

 そして馬車の前へと辿り着くと無造作に馬車の扉を開けて中へと入る。その後に続いて馬車の中へと入ったレイは珍しいことに唖然とした表情でその中を見回す。


「これは……」


 外から見た限りでは6人程度が乗る普通の車体に見えたのだが、その中は想像を超えた物だった。

 レイの感覚で言えば、30畳を越える程の大きさの空間。そしてその中には見るからに高級そうな家具が揃っており、同時に簡単な調理が可能なキッチンまで備え付けられている。


「驚きましたか? ケレベル公爵がお嬢様の為に用意した物です。光金貨50枚以上を支払って魔導都市オゾスでも最高峰の錬金術師達数十人が年単位で作成したマジックアイテムです。稀少さという意味では一品物ですのでレイ殿の持っているアイテムボックスよりも上になりますね」


 魔導都市オゾス。それは大陸中央付近にある都市国家である。大陸でも有数の魔法使い育成学校を擁している都市で、オゾスに所属している魔法使い達の戦力を背景に周辺の国々から独立を保っている。また、錬金術師達が集まる関係上良質なマジックアイテムを輸出することでも知られていた。


「いや、確かにこれは凄いな。空間魔法を使って車体内部の空間を拡張して固定している訳か。この大きさの空間を固定するというのは相当高度な技術だろうに、さらに車体そのものにも隠蔽効果を付与してマジックアイテムであると見破られにくくしている訳か。それに備え付けられている調理台にしてもマジックアイテムを使用してるな」

「そうなります。何しろエレーナ様は姫将軍として戦場を渡り歩くだけではなく、時にはモンスター退治をすることもありますのでいつでも疲れを癒せるようにとケレベル公爵が手配したものです。……さて、荷物に関してはこちらへ」


 驚くレイを満足そうに眺め、馬車の内部でも隅の方へと案内する。そこにはテントや食料、水、調理器具、ポーションや状態異常回復薬等が山となって置かれている一角だった。


「確かにこれを皆で分担して持っていくのは大変そうだな」

「ええ、ですのでレイ殿にお任せすることになりました」


 さすがに公爵令嬢一行が用意した物であると言うべきか、そこにある物資の数々はどれもが高い品質を誇る代物だった。


「さすが、と言うべきだろうな」


 感心した様子の言葉が聞こえたのか、アーラは当然だという風に頷いてみせる。


「当然です。私達だけではなくエレーナ様が使うのですから。それより時間の関係もあります。早い所収納して貰ってもいいでしょうか?」


 アーラの言葉に頷き、ポーションへと手を伸ばした所でふと何かに気が付いたように動きを止める。


「もしかして、この車体をそのまま収納してダンジョンの中に持っていった方が良くないか?」


 そんな当然とも言えるレイの質問だったがアーラは首を横に振る。


「この馬車はウォーホースを繋いでいる部分までも含めてのマジックアイテムなので、車体だけを外して持っていく訳には行きません。……アイテムボックスというのは生物を収納することが出来ないと聞いているのですが、レイ殿の物は違うのですか?」

「いや、さすがに生物の収納は出来ないな。……だが、一応隠蔽の効果が付与されているとは言ってもダンジョンの近くにある場所にこれを放り出していくのは危険じゃないか?」


 ダンジョンの付近には人が集まるので、簡素な街……否、村のようなものが出来上がってはいる。夜になると襲撃してくることもあるモンスター達を撃退すべく少なくない数の冒険者達がそこに駐在しているのだ。ダンジョンに挑む冒険者達はそこで休み、装備を整え、あるいはダンジョンの中で手に入れた素材や鉱石といったものを目的として買い取りに来た商人へと売り払う。同時に、ダンジョンまでの足でもある馬車や騎獣といったものを預かる厩舎や駐車場のような場所もある。しかし、当然冒険者の中には楽に金を稼ぐ為には犯罪に手を出すような者もいる為に高価なマジックアイテムでもあるこの馬車が狙われるのではないかというレイの指摘に、アーラは笑みを浮かべる。

 ……もっとも、その笑みはどちらかというとニヤリとでも表現すべき代物ではあったが。


「先程も言いましたが、この馬車は魔導都市オゾスに所属する魔法使い達が総力を結集して作ったと言ってもいい代物です。そのマジックアイテムが泥棒を相手に何の対策もしていないと思いますか?」

「……その言葉で大体予想は出来たよ」


 詳細な効果はともかく、この馬車へと手を出した者が碌な目に遭わないだろうというのはレイにも容易に想像出来た。


「さて、話はこの辺で。そろそろヴェルも戻って来る頃合いですし荷物の収納を急いで下さい」


 馬車の自慢をして多少は気を許したのか、ほんの僅かではあるが人当たりが柔らかくなったアーラと共にその荷物をミスティリングへと収納していくのだった。そしてそれが終了するとヴェルも戻ってきておりそのままダンジョンへと出発することになる。

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