第36話
月明かりと燃えている集落が地上を照らす中、レイとセトはその上空に存在して地上を眺めていた。
相変わらず集落の東で戦闘が続いてはいるが、そこにいるオークの数はさすがに数を減らしていた。そして雷神の斧へと襲い掛かっているオーク達の背後にも集落の各所から侵入した他のパーティの数組がようやく到着しており、オーク達の背後から襲い掛かって雷神の斧と挟み撃ちの様相を呈している。
「たった1組で数組のパーティと同等の戦力で挟み撃ち、か。確かにランクAのパーティと言われるだけはあるな」
「グルゥ」
夜襲を開始してから既に数時間は経っているというのに、未だに雷神の斧が押さえている東側からは派手な戦闘音が聞こえて来る。
さすがにミンも魔力の残りが少なくなってきているのか魔法の放たれる間隔が長くなってきてはいるが、それでも尚途切れることなく火の玉や氷の矢、降り注ぐ雷や巻き起こる突風といった魔法が放たれているのが見える。
「オークの数が大分減ってきているのに、何故オークを率いている個体は出てこない?」
レイとセトだけでオークを10匹以上倒している。他のパーティが倒した数は分からないが、それでもかなりの数を倒しているのは間違い無いだろう。もちろん討伐隊の中で最もオークの討伐数が多いのは夜襲開始時から集落の東で延々とオークと戦い続けている雷神の斧、その中でもエルクなのだろうが。
実際、現在集落の東に集まっているオークの数は上空からざっと見た限りでは既に50匹を割っているように見える。それなのにまだオーク達を率いている個体が出てこないというのはどう考えても異常だった。
その様子に疑問を覚え、集落の上空をセトに飛んで貰いながら地上の様子を見ていると、戦力が集中している東ではなく西の方で夜の闇に紛れて移動をしている集団が目に入ってきた。
普通の人間なら夜の闇に紛れて移動しているその姿を見つけるのは無理だっただろう。あるいは、夜目の利く種族なら話は別だったかもしれないが。
月光や集落を燃やしている炎で大分薄れてきた夜の闇だが、それでも尚場所を選べばその身を隠しながら移動することは可能だ。だが、討伐隊の面々が各所から侵入しているというのにその集団が目に入ってきたのはまるで集落から外へと向かうように移動していたからだ。そして決定的だったのは、その集団の前方に数名のオーク討伐隊に参加している冒険者達の姿が見えていたことだろう。
基本的に、今回の仕事では全てのパーティが集落の8ヶ所に分散して東の雷神の斧以外は殆ど同時に侵攻を開始している。そんな中で、西から外へと出るように移動する集団というのは上空にいるレイから見ても不自然極まりない。
討伐隊にどんどんと数を減らされ続けているオーク、最大の激戦区になっている東とは反対の方向へと夜の闇に隠れながら移動する集団。西から侵入した冒険者達とは別行動をしている集団。それらがレイの頭の中で1つになったその瞬間、レイは獰猛な笑みを浮かべながら地上へと鋭い視線を向けるのだった。
「なるほど、確かにもうこのオークの集落は駄目だろう。オークの数は加速度的に減っていってるし、集落自体もそう遠くないうちに燃え尽きる。だからと言って上に立つ者がそれを見捨てて逃げるというのはちょっといただけないな。セト!」
「グルルゥッ!」
レイの声に、セトは雄叫びを上げつつ地上へと鋭く降下していく。目指すのはオークの集落から逃げようとしている集団……ではなく、その前方にいる西から侵入した冒険者達だ。
集落の燃える熱気により、正真正銘の熱帯夜とでも表現出来るような空気を斬り裂きながら地上へと降り立つセト。
「うわぁっ!」
当然、そんなセトが突然目の前に現れたのを見た冒険者達は驚きの声を上げつつもパッと散らばって各々の武器を構え……そこにいたのが討伐隊で顔なじみになった異色のランクG冒険者であるレイと、グリフォンのセトであると知り武器を下ろす。
「ちょっと、あんまり驚かせないでよね」
そう声を掛けて来たのは、20代中盤程の女戦士……否、女剣士だ。その手には鋭く光る剣を持っており、動きを阻害しない程度のレザーアーマーを身につけている。その隣で杖を構えているのは40代程の中年の男で、ローブを身に纏っている。そしてその背後で安堵の息を吐きながら弓を下ろしているのはまだ10代、それこそレイよりも少し年上といった外見のショートヘアーの少女だ。こちらもまた動きを阻害しない程度のレザーアーマーを身につけている。
リーダーである女剣士と、中年の魔法使いがそれぞれランクC、弓を構えている少女がランクDのパーティランクCの灼熱の風だ。
「あ、セトちゃん元気してた?」
女剣士であるミレイヌがセトの頭を撫でる。それを見て溜息を吐きながら魔法使いの男、スルニンがレイへと声を掛けてくる。
「それで、どうしてここへ? 確か貴方達は遊撃を担当だったと思いますが。ご覧の通り今の私達は集落の中央へと向かっている途中で、ここで戦闘は行われていませんけど」
「ま、ここに辿り着くまで数回の戦闘はあったけどね」
スルニンの言葉に、弓使いの女のエクリルが茶化すように口を出す。
そんな3人の様子を見たレイはセトの背から降りて周囲を見回した。
「安心しろ……と言うのもおかしな話だが、この先からこっちに向かって来ているオークの集団がいる」
「ありゃま。てっきりオーク共は東の方に集まってると思ってたんだけど。まさかこっちに向かって来るとはね」
ミレイヌがセトの背を撫でながら口を開く。
普段なら喉を鳴らして喜ぶ場面なのだが、さすがに近くまで敵が迫っているとあってセトは鋭く闇を見据えるのみだった。
「だろうな。実際、上から見た限りだと殆どのオークが東に向かって雷神の斧とぶつかっているし、他のパーティの面々は作戦通りにその背後から襲い掛かっている」
「じゃあ、何でこっちにオークが?」
「分からないか? オークも頑張ってはいるが、夜襲、雷神の斧と他のパーティの挟み撃ち。ついでに言えば俺とセトも何匹かの上位種を狩っている。つまりは……」
そこまで言って言葉を区切る。だが、レイの言いたいことをすぐに理解したスルニンが厳しい視線をセトが向けているのと同じ方へと向ける。
「このオーク達を率いている個体が、勝ち目が無いと悟って逃げ出したと?」
「え!? だってオーク達を率いているってことは、いわばボスでしょ? なのに部下や仲間達を見捨てて逃げるっていうの?」
エクリルの驚いたような声が周囲に響くと同時に、レイは持っていたデスサイズを鋭く一閃する。
キンッという音と共に切断された矢が真っ二つになって地面へと落ちる。
「っ!? 敵襲!」
それを見た瞬間、ミレイヌが鋭く叫びスルニンとエクリルも即座に戦闘態勢を取る。剣を持ったミレイヌが前衛へ。弓使いのエクリルと魔法使いのスルニンがミレイヌの後方へと。ミレイヌの言葉1つで滑らかに陣形を整えるその姿に、この陣形が灼熱の風にとって必勝のものなのだとレイにも理解出来た。
そしてそんな様子を内心で感嘆しながら眺めつつも、レイとセトもまたいつものように戦闘態勢を取る。
レイはデスサイズを構えていつでも斬撃や魔法を放てるように。セトはいつでも飛び立ち、上空からレイの援護が出来るように。
「……来たぞ」
レイ達が戦闘態勢を整えたのと殆ど同時に、闇の中からオーク達が姿を現す。
通常のオークが5匹、弓を持ったオークアーチャーが1匹、杖を持ったオークメイジが1匹。他のオークより一回り大きく、鎧を着ているオークジェネラルが1匹。
「うわ、通常のオークだけじゃなくて上位種が3匹も……こりゃ確かにレイとセトちゃんが援軍に来てくれて助かったわね」
うっすらと額に冷や汗を滲ませながらミレイヌが呟く。もし自分達だけでこの集団とまともにぶつかっていたらまず勝つことが出来なかったと判断していたからだ。どんなに上手く戦闘を進めたとしても灼熱の風は数名の死者を出していただろう。下手をしたら全滅だ。
だが、ここにはモンスターランクAのグリフォンであるセトの姿がある。また、実際に戦闘している姿を見たことはないが、レイがランクDパーティである鷹の爪を1人で倒したと言われているのは知っていた。
しかし現れた9匹のオークを見てもレイはまだ闇の奥を見据えている。その様子を疑問に思ったミレイヌがレイの視線を追うと、まるで闇からヌルリと這いだしてきたかのように1つの影が姿を現す。
その姿は他のオークより一回り大きいオークジェネラルよりもさらに大きく、3mを越えていた。また、見た目にも豪華な鎧を身につけておりその手には魔法剣と思われるグレートソードが握られている。そして何よりもその威厳、あるいは迫力、気迫。そういったものが明らかに他のオーク達とは違っていた。
そんなオークの姿を見たミレイヌは、半ば気圧されそうになりながらも自分達のパーティの知恵袋であるスルニンへと声を掛ける。
「スルニン、あのオーク知ってる? 私の知ってるオークの中にはああいうのはいないんだけど……どうにも嫌な予感しかしなくてさ」
「馬鹿なっ!?」
ミレイヌに声を掛けられ、そのオークへと視線を向けたスルニンは思わず叫ぶ。
それは普段冷静沈着で丁寧な言葉遣いをしているスルニンしか知らないエクリルにとっては初めて見る姿だった。だが、スルニンとそれなりに長い年月パーティを組んできたミレイヌは、幸か不幸かそういうスルニンを今まで幾度か見たことがある。例えばゴブリン退治の依頼を受けてケルピーという水棲の馬のモンスターと出会った時。例えばトレント退治の依頼を受けてより上位のモンスターであるアルラウネクイーンと出会ったりした時だ。つまり予定していたモンスターとは違う、より強力なモンスターと出会った時。
「スルニン、教えて。あのオークは……何?」
胸に広がる嫌な予感を必死に宥めつつ、オーク達から視線を外さずにスルニンへと尋ねるミレイヌ。
それに答えたスルニンの声はどこか掠れたものだった。
「オーク達の王、オークを統べる者、即ちオークキング……ランクBモンスター、です」
「っ!? ……なるほど。スルニンがそうなるのも当然、か」
スルニンの説明に鋭く息を呑むミレイヌ。ランクBモンスター、それはランクCである自分と1つしかランクが違わない存在だ。だがSランクとAランクの間に越えがたい壁があるように、BランクとCランクの間にも似たような壁がある。それはDランクとEランクの壁を越えてきただけに身に染みて理解していた。ランクを上げるのに試験があるというのは、伊達ではないのだと。
「困ったわね……まさか雷神の斧がいる東じゃなくて西にいる私達の方に向かって来るなんて」
焦る心を抑え込む為に、わざと気楽な口調を装うミレイヌ。おかげでランクBモンスターという存在を前に震えていたエクリルも何とか落ち着きを取り戻しつつあった。
そんな中、ミレイヌの隣でデスサイズを構えていたレイが口を開く。
「怯える必要は無い。何しろ、さっきも言ったようにこいつ等は俺達オーク討伐隊に勝てないと見て逃げ出した敗残兵でしかないんだからな」
その言葉に滲んでいるのは紛れも無い嘲り。ミレイヌ達と睨み合っているオーク達も、言葉は理解していなくてもその言葉に込められている感情は理解したのだろう。見る間に殺気立っていく。
「ちょっと、レイ! あんまり挑発しないでよ。私達だけでどうにかなると思ってるの!? 今は何とか時間を稼いで援軍を来るのを待つしかないんだから」
「そうです。残念ですが今の私達の戦力ではあのオーク達に勝てるかどうか……貴方のグリフォンにしても、幾らランクAモンスターとは言っても結局は多勢に無勢。グリフォンが生き残れても、私達が生き残れないのでは何の意味もありません」
ミレイヌの言葉に続いて、スルニンもまた戦闘を避けて時間稼ぎに徹するべきだと告げてくる。
だが、レイはそんな2人の言葉を聞き流しつつ敵の戦力を見定めている。
(オークキング、あれは俺が何とかするとして問題は他の上位種か。アーチャー、メイジ、ジェネラルがそれぞれ1匹ずつ。……しょうがない、か)
内心で溜息を吐き、ミレイヌへと視線を向ける。
「ミレイヌ、1つ提案がある」
「何?」
「ここを切り抜ける為に、俺とセトは他の奴等には秘密にしている切り札を使ってもいい。ただし、そうなると当然お前達はその切り札を目にすることになるが、それを絶対に他人へと漏らさないと約束してくれ」
「……嫌だって言ったら?」
「その場合は俺とセトはさっさとこの場を去らせて貰うさ。お前達3人であのオーク達をどうにかするんだな」
あっさりと見捨てると言い切るレイ。
その表情はどこまでも自然であり、自分が否と言った場合は躊躇無くそれを実行するのだとミレイヌに理解させるには十分なものだった。
「ミレイヌ」
小さく呟いたのはエクリル。オークキングを見た時よりも落ち着いてきたとは言っても、さすがに格上の存在を相手にする恐怖を完全に消し去ることは出来ないらしい。それにエクリルが落ち着いている理由の1つに、圧倒的な存在感を見せているオークキングよりも上位の存在であるグリフォンが味方として存在してくれているというのがある。もしもミレイヌがレイの提案を断って、レイがセトと共にこの場を去ったら。そう思うといてもたってもいられなくなり、自然とミレイヌへと声を掛けさせるのだった。
当然、パーティリーダーであるミレイヌはそれをすぐさま感じ取り小さく溜息を吐く。
「分かったわよ。レイとセトの奥の手に関しては絶対に誰にも話さないと約束する。これでいい?」
「ああ。ただし言っておくが、この場で口だけの約束をしておけばいいや、なんて考えは無しだぞ? このオークキングとの戦いが終わったら誓約の魔法を使わせて貰う。それを受け入れるか?」
「誓約の魔法?」
聞き覚えのない魔法にミレイヌがスルニンに目を向けるが、スルニンもまたその魔法の存在を知らなかったので黙って小さく首を振るしかなかった。
「どうする?」
返事を促すレイ。それに対するミレイヌは聞き慣れない魔法に多少不安になりながらも既に腹を決めていた。何しろこの場で選択可能な選択肢は、レイの言葉に従い誓約の魔法とやらを受け入れてこの場を生き残るか、あるいはそれを拒否して自分達だけでオークキングを含む集団と戦うかの2つに1つだ。そして後者を選んだ場合は戦闘で死ぬならまだマシな方で、下手をしたら……いや、間違い無く自分とエクリルはオークの母体としての一生を過ごすことになってしまうだろう。それならまだ得体の知れない魔法を掛けられたとしてもこの場を生き延びる方がいい。
「分かったわ。レイの秘密は守るし、その誓約の魔法とやらも受け入れる」
「よし。セト、もういいぞ」
「グルゥ」
レイの声に小さく鳴くセト。レイが声を掛けるまでランクAモンスターであるグリフォンとしてオーク達を牽制していたのだった。
オーク達にしても、目の前にいるグリフォンが並の相手でないというのは本能的に感じているらしく動くに動けない状況となっていたのだ。
こうして、灼熱の風と共にレイとセトのオークの集落での最後の戦いが始まる。
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