第35話

 アルがその身を捕らえられた半透明の紅いドーム。その中ではまだ灼熱の炎が荒れ狂ってはいたが、そのドームの外には熱の一切を通してはいなかった。これは自らの魔力により周囲へと延焼するのを防ぐ為にレイが作りだした魔法であり、ドームの中で燃えさかる炎はドームの外に一切の影響を及ばさないという代物だ。


「……あんた、一体……」


 半透明の紅いドームの中で、一瞬にして燃やし尽くされたアルを思い出したのだろう。セリルが思わず、といった様子で呟く。

 それに対するレイの返答は口元に浮かべる微かな笑みのみだった。


「さて、俺はお前達が言ったようにギルドに登録したばかりのランクGの冒険者であるのは間違い無いな」


 セリルの半ば一人言だった呟きにそう返しながら、指をパチンッと鳴らす。すると次の瞬間にはドームの中で燃えさかっていた灼熱の炎はまるで幻だったかのように瞬時にその炎が消え去った。そして炎が全て消え去った次の瞬間、ドームそのものもまた消え去るのだった。

 後に残ったのは黒く焦げた地面と、アルが装備していた半ば溶けかけたバスタードソードのみ。アルの身体自身は装備していたレザーアーマーも含めて全て燃やし尽くされ、炭すらもその場に残ってはいなかった。

 せめてもの救いは、ドームの中で荒れ狂った灼熱の炎がアルに死の恐怖や痛みといったものを感じさせず、一瞬にして焼き殺したことだろう。アル自身は恐らく何が何だか分からないままに、痛みもなく一瞬でその命を絶たれたのだから。


「ふ、ふざ……ふざけるんじゃないよ! ランクGの冒険者如きが人を一瞬で焼き殺して、しかも周囲には一切の影響を与えないなんて強力な魔法を使える訳がないじゃないか!」


 アルの末路を目にし、セリルはようやく屋根の上から自分に冷たい視線を送っている男がただのGランク冒険者では無いことを理解する。

 その代償として己の仲間3人が亡くなり、夜闇の星は既にセリル1人となってしまっていたが。


「……1つ勘違いがあるようだから言っておこう。確かに俺はギルドに登録したばかりのランクG冒険者だ。それは間違いない。だが、だからと言って俺がギルドに登録する前に身につけた魔法や技術がギルドに登録した瞬間に消える訳じゃない。お前の間違いは、俺が戦闘や魔法に関してギルドに登録したばかりの素人と同じだと思い込んでいたことだな。俺に関しての情報は色々と流れていた筈だが、所詮はギルドに登録したばかりの新人と本気にしていなかったのか?」


 セリルにしてもランクDパーティである鷹の爪を1人で倒したり、グリフォンというランクAモンスターを目の前の男が従えているというのは知っていた。それでも尚、自分なら何とか出来ると根拠のない自信を持っていたのだ。そしてその致命的な間違いはセリル以外の夜闇の星のメンバー全ての死という結果をもたらすことになった。


「くそっ、じゃあお前は何だっていうんだい!」


 奥歯を噛み締めながら鋭くレイを睨みつけ、吐き捨てるように叫ぶセリル。しかしレイはその言葉を無視してトンッと軽く足場にしていた屋根を蹴り地面へと飛び降りる。

 地面に着地した時に、殆ど音を立てないその様は確かにランクGの冒険者とはとても言えないものだった。


「さてな。俺はこれから死ぬ相手へ冥土の土産を渡す程に優しくは無いんでな」


 持っていたデスサイズをヒュンヒュンと振り回しながらも、その視線はセリルから外さない。


(俺の魔法の腕を知った以上は、次に俺が何らかの魔法を使おうとすれば迷わず逃げ出すだろう。出来ればさっきの一撃でアルとかいう男と一緒に片付けておきたかった所だが……まぁ、腐ってもランクC冒険者か)


 獲物を狙う視線でセリルを見ながらジリジリと間合いを詰めていくレイ。

 セリルはレイが徐々に間合いを詰めてくるのを承知していながらも、レイの実力を見てしまった以上は背を見せてその場を逃げる訳にもいかずにレイが近づいて来た分だけ自分もまた、ジリジリと下がっていく。

 だが、当然どこまでもそうやって逃げ続ける訳にもいかず、やがてセリルの背はオークの住居と思われる建物にぶつかることになる。

 それを見たレイは笑みを浮かべながら口を開く。


「さて、そろそろ時間稼ぎは十分だろう? こっちとしても夜襲に参加している他のパーティを援護しないといけなくてな。そろそろ決めさせて欲しいんだが……構わないな?」


 振り回していたデスサイズをピタリと止め、先端をセリルの方へと突きつけて尋ねる。


「……確かに今までの様子を見る限りだとあたしはあんたに勝つのは難しいんだろうさ。けどね、だからってこっちだって黙ってやられる訳にはいかないんだよ! こうなったら意地でもここを切り抜けてやる!」


 このまま時間稼ぎをしたとしてもやがて他の冒険者パーティが来ると考えたのか、覚悟を決めたのかように叫び、左手に持っていた盾をレイの顔目掛けて投げつける。


「目眩ましのつもりか?」


 つまらなそうに呟き、魔力を纏わせたデスサイズを一閃するレイ。魔力を込められたことにより鋭利さを増したデスサイズは、殆ど何の抵抗もなくセリルによって投げつけられた盾を2つに斬り裂くのだった。

 だが、自分が投げた盾が通用しないというのはムルガスやスニィの最期を見ていたセリルにしても承知の上での行動である。それでもその行動を実行したのは、一瞬でもいいからレイの目を眩ませたかった為。そして一撃でいいからレイへとダメージを与えたかった為だ。

 盾で目眩ましをした瞬間に逃げ出せば、運が良ければそのまま逃げ切れたかもしれない。だが、レイの身体能力を知ってしまった今ではそれは難しいと判断し、自分を追撃できないような傷を与えるのを目的とした、まさにセリルの運命を賭けた一撃だった。


「はあああぁぁぁぁっっ!」


 雄叫びを上げつつ、狙うのは胴。頭部は的が小さく、腕を狙ったとしても一撃で両腕を落とせる訳ではない以上は残った方の腕で攻撃される可能性が高い。そうなると残るのは上手く行けば致命傷を負わせられる胴体か、逃げた自分を追うのが難しくなる足。そしてセリルが選んだのは胴体だった。上手く行けば内臓にダメージを与えられるかもしれないという理由もあったが、最大の理由はその的の大きさだ。レイの動きを考えた場合は足を狙ったとしても回避される可能性が高いと判断したのだ。ならば身体の中心部であり、もっとも攻撃を回避されにくい胴体を、という訳だ。

 その、まさに窮鼠猫を噛むとでも言うような乾坤一擲の一撃は、確かにレイにとっても予想外の速度で放たれた一撃だ。しかもその攻撃方法はセリルが最も得意とする突き。

 盾をデスサイズで斬り裂いた時には、既にセリルの突きはレイの胴体へと突き刺さる直前であり……


「惜しかったな」


 だが、セリルに取っては全身全霊を込めた一撃であっても、レイに取っては咄嗟に対応出来る程度の一撃でしかなかった。

 盾を袈裟懸けに斬り裂いたデスサイズの柄を使い、自らの腹……というよりも鳩尾を狙って繰り出された剣の刀身を跳ね上げる。

 セリルの全身全霊の一撃と、レイが咄嗟に放った一撃。普通ならどう考えてもセリルの一撃が勝つのだが、この場合は純粋なまでに双方の身体能力の差が如実に表れることになるのだった。

 キンッ! という鋭い音を立て、セリルの刀身が半ばで叩き折られて空中をクルクルと回転しながら飛んで行き、地面へと突き刺さる。

 そして刀身の半分以上を折られたセリルの突きは当然レイへと届くことはなかった。


「ば、馬鹿な……あたしの全力の一撃だよ!? それをあんなあっさり……」

「……残念だったな。元々の身体能力が違ったらしい」


 静かに呟き、長剣を叩き折った状態のままのデスサイズを左下から右上。いわゆる逆袈裟に斬り上げる。

 レイの攻撃する時の一瞬の気配を感じ取ったのだろう。自分の長剣を呆然と見つめていたセリルは咄嗟に後方へと跳び退るが、それはほんの少しだけ遅かった。斜めに斬り上げられたデスサイズの刃は、セリルを逆袈裟に斬り上げていたのだ。それでも身体を2つに切断されずに済んだのは、その反射的な回避行動のおかげだろう。


「ぐぅっ!」


 苦痛の呻き声を上げながら、地面へと片膝を付くセリル。左腰から右肩にかけて深く斬り裂かれた為に、幾ら手で傷口を押さえても全てを押さえきることは出来ない。ボタボタと地面に血が流れ出るのを目にしつつも、レイはデスサイズを構えてセリルへと最後の一撃を加えるべく近付いていく。


「や……られて……たまるかぁっ!」


 呻きながらも、足下にある土……否、血が零れ落ちて泥となったそれを掴み取り力を振り絞ってレイの顔面へと向けて撒き散らす。

 だが、レイはそれを躱すでもなく、あるいはローブで防ぐでもなく、ただデスサイズで空中を一閃する。

 それだけで轟、という音が周囲へと響き渡る。同時に、血で出来た泥もまた周囲へと散るのだった。


「悪あがきを……いや、そうか」


 自分に血の泥を投げつけたセリルへと何かを言おうとしたが、セリルの狙いが何だったのかというのはその姿を見ればすぐに分かった。腰に着けられている袋から、夜襲が始まる前にボッブスから配布されたポーションを取り出して自らの傷口へとぶち撒けたのだ。

 デスサイズの一撃により皮膚と同時にレザーアーマーも斬り裂かれていたのだが、ポーションの効果で見る見るその傷は治っていくのがレイの目にも確認できた。


「はっ、女の素肌を見ながら興奮も何もしないとはね」


 傷口が治った為に微かに見える双丘を手で隠しつつ、憎々しげに呟くセリル。だが、すぐに自らの素肌を隠していた手を元に戻し、半裸に近い己の格好を見せつける。


「ねぇ、どうだい? 私を見逃す代わりにこの身体を好きにしてもいいって言ったら、その取引に乗ってくれるかい?」


 媚びるような目でレイへと視線を送るセリル。元々その顔立ちは整っているだけに、半裸の姿もあってその辺を歩いている女を知らない男なら飛びつきそうな程の色気を放っていた。


「……俺はお前の仲間3人を殺したんだが?」


 その言葉に目が在ると踏んだのだろう。セリルは小さく首を振る。


「あいつらだって危険を承知で冒険者なんて職業をやっていたのさ。ここで死んだとしても、それは結局あの3人の器はそこまでだったってことさ」

「そうか」


 セリルの言葉に小さく呟くレイ。そんなレイへとまるでしな垂れかかるかのように体重を掛けて自らの半ば露わになった胸を押しつけようとするが……


「浮かばれないな、あいつらも」


 レイがさっと身を躱した為に、その身体に寄り掛かろうとしたセリルは足をもつれさせてそのまま地面へと転ぶのだった。


「ちょっ、何をするん……だ……い」


 地面に倒れこんだまま、勢いよくレイの顔を睨みつけようとしたセリル。だが、その目の前にあったのはローブを纏ったレイの姿では無く、どこまでも凶悪なデスサイズの刃。


「ねぇっ、なんでさ。あたしの身体と引き替えに見逃してくれるって言ったじゃないか!」

「確かにそう提案はされたが、俺はそれを了承した覚えは無いな」


 呟きつつ、レイの脳裏には目の前にいる女とパーティを組んでいたアルとスニィの姿が思い浮かんでいた。

 仲間を信じて囮にしつつ、弓を射た女。

 その女を殺され、自分よりも圧倒的に強いと理解したにも関わらず噛みついてきた男。

 どちらもレイにとってはそれ程強い相手という訳でも無かった。何せギルムの街に着いて早々に圧勝した鷹の爪と同レベルの者達なのだから、それは当然だろう。

 だが、それでもその姿勢にはまだ見るべき所があった。しかし……

 チラ、と懇願の目で自分を見上げているセリルへと視線を向ける。そこにあるのは、確かに円熟した女の美しいと表現してもいい顔だろう。だが、レイにとってはその内部に詰め込まれている醜い性根が透けて見えるようで、それこそオークの顔と大差ない価値しか見いだせなかった。


「俺が抱くにしても、お前のような女は御免だな。それこそ金を貰っても抱く価値が無い」

「なっ!」


 多少年を食ったとは言え、己の美貌にはそれなりに自信を持っていたセリルだ。それだけに金を貰っても自分を抱きたくはないと言われて急激に頭に血が昇る。


「あんたねぇっ! あたしは本来ならあんたのような新入りのGランク如きが相手に出来るような女じゃないんだよ! それを……」

「もういい、黙れ」


 これ以上の無意味な命乞いや容姿自慢を聞く価値も無いと判断したレイは、無造作にデスサイズを持ち上げる。


「ひっ!」


 小さな悲鳴を上げつつセリルが最後に見たのは、まさに断罪の刃の如く己へと振り下ろされようとしている巨大な刃だった。






「辺境で冒険者の集まる街と言っても、結局は玉石混淆か」


 首から頭部を切断され、血を吹き出しているセリルの死体を見下ろして呟く。

 その表情には人を殺した罪悪感や恐怖感といったものは存在しておらず、ただその死体を見て不快そうに眉を顰めるだけだった。


「グルルゥ」


 そんなレイへと、いつの間にか暗闇から姿を現したセトが慰めるようにその頭をレイへと擦りつける。


「ああ、そうだな。冒険者には雷神の斧のような奴等もいるんだから決して捨てたものじゃないってのは分かってるよ」


 擦りつけてくる頭をコリコリと掻きながら、気を取り直すように小さく首を振る。


「さて、セト。そろそろ俺達も本業に戻るとするか。まだオークを率いている存在は現れていないんだろ?」

「グルゥ」


 喉を鳴らしてレイの質問を肯定するセトを一瞥し、既に慣れたようにその背へと跨がる。


「よし、じゃあまずは他のパーティの援護に周りながらオークメイジとオークジェネラルをもう1匹ずつ探すとしよう。オークアーチャーは既に6匹分片付けてあるからもういらないんだが……まぁ、いたら狩るってことで」

「グルルルルゥッ!」


 周囲へと聞こえるように高く鳴き、そのまま数歩の助走で夜空へと羽ばたいていく。

 雲が晴れ、月明かりが降り注ぐ夜空を1人と1匹は駈け上がるように昇っていくのだった。

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