八 大穴



「僕はフードに猫の耳がついたマントにしようって言ったんだけど、ルルピルがそれじゃダメって言うんだ。シラちゃんもお土産はそれが良かったよね? 黒猫マント」

 紙に包まれた薬草の束を不満そうに見ながら鷲族の青年が言った。


「いらぬ」

「……やっぱり銀刺繍が必要?」

「猫の耳が不要だ」

「えっ?」


 馬鹿なやり取りをしていると、長の兄だという赤毛の青年が「ほら、やっぱりね。薬草にして良かったじゃない」と言った。その時、賢者が「報酬だ」と言ってジャラジャラ音がする木箱を持って現れる。


「好きなものを好きなだけ」


 掛けられていた布を持ち上げると、簡単に釘で打ち付けて作ったような白木の箱にぎっしり、ぴかぴか光る色とりどりの宝石が詰め込まれていた。妖精二人が「わあっ!」と声を上げ、楽しそうに箱の中を覗き込む。


「本当に好きなだけ?」

「ああ」


 賢者が投げやりに頷くと、ファロルが「じゃあ僕三つ! 僕と奥さんと、息子の分!」と言った。

「最近やっと、何でもかんでも口に入れなくなったからね。キラキラもあげられるようになったんだ。最近フィルルは透明が好きだから、水晶があるといいなあ」


「幼児の分ならば、念のため誤飲の危険がない大きさが良かろう」

 賢者が言って、隣室からまた別の箱を取ってくると、拳大の水晶の塊をひょいとファロルに手渡した。


「研磨した方が良いかね?」

「ううん、こういうでこぼこした形の方が面白くていいと思う。うわぁ、ありがとう!」

「僕もそちらでいいですか? 原石の方が好きなんです」

 赤毛の青年がそわそわしながら言い、賢者が頷くと、彼は箱の中から特別結晶の形が綺麗な紫水晶をひとつ選んで「これにします」とはにかんだ。

「うむ」

 賢者が頷き、ついでといった様子で澄んだ灰色の結晶をひとつシラの手に握らせ、箱を片付け始めた。


「……水晶ひとつだとかなり安価ですが、良いのですか?」

 ルルピルというらしい青年に尋ねると、彼は一瞬不思議そうな顔をしてからにっこりして頷いた。

「うん。綺麗なものはずっと手元で大切にするから、僕が一番綺麗だと思ったものが一番価値の高いものだよ」


 その答えを聞いて、金銭に換算して報酬に見合うのかと考えていたシラは恥じ入った。小さく「仰る通りです」と呟くと、ファロルがシラの背中にそっと触れて「君は誠実なひとなんだね」と優しく言った。


「ほら、君の瞳の色の石だよ」

 そしてシラの手の中の灰色の石を見てそんなことを言うので、どうして知っているのだろうと目隠しをした小柄な人を見下ろす。


「この目隠しはね、魔力の光が見えないようにするためのものなんだ。僕達『目』の一族はどこまでも遠くまで生命の光を透かし見ることができるけど、ずっとそんなもの見ていたら目が疲れるでしょう?」

 だからこの呪布を巻いている間は君の本来の瞳の色が見えているんだ、とファロルは言った。

「でもねえ、もしかするとフィルルはこれを使っても黒く見えるかもしれない。あの子はたぶん、ちょっと目が良すぎて……すぐに命の光の揺らぎを感じ取ってしまうから、とても怖がりなんだ」

 そんなところも子猫みたいで可愛いんだけど、と息子の自慢が始まったところで、ルルピルが「はいはい、可愛いね」とあっさり話を遮って顔を上げた。


「そろそろ参りましょう。今夜は森で野営になりますから、日が暮れる前に目星をつけてある場所まで着いておきたい」

 その一声で全員が準備を始め、それから数分もしないうちに、シラ達はクッションだらけの馬車に乗り込んでガタゴトと揺られていた。塔から国境までの距離は、月の塔までのおよそ三倍だ。途中の森で一泊、国境の町イエルは神殿の影響を受けない中立の街なので、そこでは擬態をかけた上で宿に宿泊するそうだ。


「野営……」


 焚火で食事を作って、馬車の中で皆と並んで寝るなんて。しかもそれが行きと帰りの二泊分もある。考えているとどんどん気が重くなりそうだったので、シラは頭を振って気持ちを切り替えると、課題の魔法陣について思考を巡らせ始めた。ヴェルトルートじゅうの空に星を等間隔でなく、地上の空と同じ配置で光らせるには、一体どうしたものだろう。まず星図の通りに小さな陣を描いて、それを拡大して、しかも季節の移り変わりに合わせてゆっくり描き変わるような──


 ふと我に返ると、目の前で緑の瞳がこちらをじっと見つめていた。馬車は止まっていて、賢者が鞄からパンとチーズを取り出している。どうやら昼食休憩にするようだ。


「ふふ、可愛い」

 ファロルが言った。何を言っているのだろうと考えて、彼の視線が自分の顔と頭の上を交互に見ていることに気づく。いつの間にか羽織っていた黒いマントを慌てて引き剥ぐと、フードの上に同じ布で作られた三角形の耳が縫い付けられていた。


「一応持ってきておいたんだ。似合って良かった」

「やめろ、似合うものか」


 顔をしかめて脱いだマントを畳んでいると、ファロルは「気難しい子だなあ」と楽しげに言った。シラが同年代の少年達と比べて気難しいのは確かだが、それとこれとはまた別問題だと思う。


 外の岩に腰掛けて簡単な昼食を済ませると、すぐにまた馬車に乗り込み、森の中の街道を進んで国境を目指した。月の塔を通り過ぎてしばらくすると、馬車は空の果て、岩壁の方へと向かってゆく。ヴェルトルートは巨大な三つの部屋をもつ洞窟国家で、賢者の塔から月の塔に行くのに一回、月の塔から国境へ行くのにもう一回、細い岩穴の通路を抜けて隣の空間へと行かねばならないのだ。


 まだ日は高いし、今日は「空の間」へ入ったところで野営だろうかとシラは考えていたが、しかし予想に反して馬車は「明けのみち」の一本へ入る前に速度を緩め始めた。


「シラちゃんは初めてなんでしょう? なら、向こうへ出るのは断然朝がいいから」

 ファロルが言って、手早く目隠しを外すと鋭い目で周囲をぐるりと一周見渡した。

「うん、追ってくる魔力はないよ」

「よし」

 ルルピルが頷いて御者台からこちらを振り返り「出ていいですよ、マントはそこの箱から出して下さい」と言う。


「うむ」

 旅人風の革のズボンに鈍い灰色の上着を着た賢者が頷いて、木箱から青いマントを取り出して羽織った。彼がローブ以外の服を着ているのも未だ見慣れないが、晴れた空のような鮮やかで明るい青色が長い銀髪に意外と映えて、どうにもむず痒い気持ちになる。


「ほら」

 似合うのか似合わないのかよくわからない衣装の賢者が、シラへ畳まれた黒いマントを差し出した。

「……これは嫌です」

「では、こちらを着るかね?」

 賢者が言った。

「耳がついていますが、良いのですか?」

 シラが尋ねると、賢者は自分の着ている青いマントのフードをひょいと被った。

「こちらにもあるぞ」

 兎の耳だろうか、ぺたんと垂れた長い耳の生えている師を見てシラが顔を引きつらせていると、馬車の外からファロルが「お二人とも、早く降りて食事の準備手伝ってくださいよ」と言った。


「……あの人、何なんですか」

「妖精混じり」


 珍妙なマントに思うところなど何もなさそうな賢者はしかし、シラの言いたいことは理解しているらしく少しからかうような目をして言った。彼は青い兎のフードを被ったまま戸を開けて出て行ってしまったので、シラは仕方なくマントを羽織らずに馬車を降りた。慣れないながらも焚き火でシチューを作り、皆で火を囲んで食べる頃には日も落ちて、四人でぎゅうぎゅう詰めになって馬車で眠った。いや、夜の間は一睡もできず、夜明け前になってからようやくうとうととし始めた。


「──シラ、起きなさい」


 そして、賢者に声をかけられて目を覚ました。馬車が動いている。どうやら皆が起き出してからもひとり眠りこけていたらしい。


「もうじき横穴を出る。『大穴』が見えるぞ」

「大穴……」


 岩天井の空に開いた、地上に繋がる巨大な穴である。もぞもぞと起き上がって窓ににじり寄ると、朝日にしては奇妙に明るい光が見える。ほんの少ししか眠っていないと思っていたが、昼前まで寝過ごしてしまったのだろうか。


「……うわ」


 いや、違った。人工天の薄い雲に隠れた淡い太陽は、地上からまだ少しのところに留まっている。空に開いた大きな大きな岩の穴から、それは差し込んでいた。


「……地上と、時差はありませんでしたよね」

 呟くと、賢者が「眩しいだろう、本物は」と言った。

「……はい」


 横穴の出口は高台にあって、苔むした暗いヴェルトルートの森が一望できた。あちこちに石筍が塔のようにそびえ、大きな青い湖がいくつも見える独特の風景のなかに、まるで神の国へ繋がる道筋のように光の柱が立っている。白く澄んだ、清らかな光だ。穴を見上げれば空が青く──水の青でも宝石の青でもない、明るい色なのにどこまでも深さを感じるような不思議な色に輝いている。


「もう少し中へ」

 賢者が言った。知らず走る馬車の窓から大きく身を乗り出していたことに気づき、シラは急いで上半身を引っ込めた。


「どうかね」

「……人工天は、夜空よりも朝から夕にかけての方がずっと美しいと言われています。だから、地上とそう変わらない光を再現できているのかと思っていました」

「理論上は、同じ色合いのはずなのだがね。やはり人の成せるわざには限界があるのか、光量の差というだけでは説明のつかぬ美があるな」

「夜空は」

「君は夜空の方が気に入るだろうな」

 賢者が口の端だけで微笑みながら言った。早く夜にならないかとそわそわするシラに、師は無情にも「もう少し寝ておきなさい、酷い隈だ」と言う。


「このような光景を前にして……とても眠れそうもありません」

「ふむ、ならば協力して差し上げよう」


 賢者がそう呟くなり、シラの目の前に手のひらをかざしてさっと振った。途端にズンと全身を深い眠気が襲い、シラはふらりとクッションに倒れて眠りについた。





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