第7話 宴の終わり

「一体どういうことなんだ!」


 私は、ついしてしまったはしたない口付けの後、頬が熱くなるのを抑えきれずについ下を向いてしまいました。

 ヴィルヘルム様のお顔がどうなっているのか分かりません。ですけど、きっと私がどれだけヴィルヘルム様に恋焦がれているかは伝わったかと思います。嘘をついてしまったのは申し訳ないのですが、きっとヴィルヘルム様はどれほどの言葉を並べても納得して下さらないと思いましたので。

 しかし――そんな私の余韻を潰すのは、そんなヒステリックな声でした。


「……レイフォード、下がれと、そう申したはずだが」


「父上! な、何故、キャロルの愚行は許すのですか! 俺とメアリーについては反対していたというのに、何故貞淑を守るべきであるキャロルが、ヴィルヘルムに対してあのような行為を!」


「お前は、自分が何を言っているのか分かっているのか……」


 はぁ、と大きく溜息を吐きながら天を仰がれる国王陛下。

 当然ながらヒステリックな声の主は私の元婚約者レイフォード殿下です。どうやら、先程から私がヴィルヘルム様に恋慕の想いを伝えていることが、この殿下には納得いかない模様ですね。

 先に私を捨てたのは、殿下ですのに。


「いいえ、納得がいきません父上! キャロルの言葉からすれば、この女は幼い頃からヴィルヘルムを慕っていたとのこと! ならば、俺という婚約者がいながら不義を行っていたようなものでしょう!」


 ぎっ、とレイフォード殿下が私を睨みつけます。

 でも何故でしょう。何一つ怖くありません。


「キャロル! 貴様には失望した! まさか俺という婚約者がいながらにして、ヴィルヘルムとそのように通じていたとはな!」


「殿下が何をお考えなのかは分かりませんが、私がヴィルヘルム様をお慕いしているのは事実です。しかし、今日までそれをヴィルヘルム様に明かしたことはありません」


 事実です。今日この日まで、私はこの想いを抱えながら生きていく覚悟を決めていたのですから。

 殿下に婚約を破棄されるまで、殿下をお支えしていくつもりだったのです。

 ですが、殿下にそんなことは関係ないのでしょう。


「ふん! 言い訳までもが鬱陶しい女だな貴様は!」


「陛下」


「レイフォード……お前は、そこまで馬鹿なのか……」


 父上がただ陛下の名をお呼びしただけだというのに、陛下は泣きそうな顔で殿下を見ていました。

 どう考えても殿下の言葉は言いがかりに過ぎません。どうして殿下は、こんな言葉で周りが納得すると思ったのでしょうか。それに加えて、私への罵倒がどんどん増えています。

 多分私は、婚約者だった頃から殿下に嫌われていたのでしょうね。


「父上! どうかこの女に処罰を!」


「本日の夜会は、お開きとする。キャロル嬢とヴィルヘルムの件は、少々性急であろう。今宵のうちに決めねばならぬ、というわけではあるまい」


「父上っ!」


「黙れレイフォード! 今、余は貴様のような息子を持ったことが心の底から腹立たしいわ!」


 殿下の度重なる言葉に、ついに陛下が強く一喝しました。

 さすがに、このように怒鳴りつけられるとは思わなかったのでしょう。殿下がびくっ、と震えて驚いています。

 まさか、叱られたことが一度もないのでしょうか。それですと、陛下の教育方針の方が問題になりそうですけど。


「れ、レイフォード様……」


「メアリー……すまない」


「い、いいのです。私は、殿下のお側にさえいられれば……」


「メアリー……」


 そして殿下とメアリー嬢は、勝手に自分たちの世界で何かを繰り広げています。正直、もう見るに堪えません。

 おほん、と小さく陛下が咳払いをして。


「ヴィルヘルムよ」


「……は」


「余は、キャロル嬢と貴公の婚約について、反対をするつもりはない。むしろ、我が息子が為した勝手を償うためには、むしろ貴公との婚約を推奨する。だが、キャロル嬢とてヴィルヘルムを困らせるつもりはないだろう。最終的な結論は、貴公に一任する」


「……」


 陛下の言葉に、ヴィルヘルム様は頭を下げたままで動きません。

 少し、私も言い過ぎたのでしょうか。七歳の頃から今までずっと心に秘めていた想いが溢れて、もう自分でも止まらなくなってしまったのです。

 今になって、恥ずかしくなってきました。


「キャロル嬢よ」


「はい」


「ヴィルヘルムに、浮いた噂の一つもないことは知っているな」


 陛下の言葉に、私は頷きます。

 そんなことは当然知っています。若い頃からずっとお一人で、妻を娶らなかったとか。ヴィルヘルム様自身が伯爵家の三男だった、という家柄もあり、婚姻を無理強いされなかった、というのも理由の一つだと聞いています。

 それに加えて騎士団長という立場にあり、他国との戦争でも起こればすぐに戦場に向かわねばならない身の上です。戦死した後、家族を悲しませるくらいなら、とお一人でいることを選んだとか。

 そんなヴィルヘルム様だからこそ、私はお慕いしているのですけど。


「色々と聞いておろう。いつ戦場で散ってもおかしくない身として、残す家族を作りたくない、とか聞こえの良いことを言っておるが、その実はただの奥手だ。そうでなければ、キャロル嬢の言葉にこれほど狼狽しはしまい」


「へ、陛下……!」


 陛下の言葉に、ヴィルヘルム様が顔を真っ赤にしています。

 レイフォード殿下を怒鳴りつけ、そのせいで静まった夜会の中では、非常に響く声。衆人の前でそのように言われ、ヴィルヘルム様は今どのようなお気持ちなのでしょうか。


「こやつの見た目は、女にもてるものではない。厳つい顔に髭、熊のような体、加えて声も野太く、寡黙がゆえに近寄りがたい。およそ、人生で女性というものに関わってこないままで老齢を迎えた好例だ」


 まぁ。

 では私以外に、ヴィルヘルム様をお慕いしている方はおられなかったのでしょうか。

 それは嬉しいことですが、逆に不思議でもあります。これほどまでに素晴らしいお方が、何故それほどまでに女性から慕われないのでしょう。


「余は楽しみにしておる。キャロル嬢よ……そなたならば、ヴィルヘルムと共に侍ることができるやもしれぬ」


「ありがとうございます、陛下」


「では、解散とする。今宵、大儀であった!」


 陛下がそう、夜会の終了を宣言すると共に。

 私とヴィルヘルム様の距離が急速に縮まった夜は、終わりを告げました。








「……いや、素晴らしいぞ、キャロル」


「はい、父上」


「ヴィルヘルム殿を家中に招くことができれば、公爵家の力はより強くなろう。キャロルも、あのような老人に愛を囁くなど、恥ずかしい真似をさせてしまったな」


 くくく、と悪役じみたお顔を浮かべている父上が、そう私の言葉を評価してくれます。私はただ純粋に心の中にあるものを吐き出しただけなのですけれど。

 父上には、せめて知っていてもらいたいのですが。


「当代の陛下は素晴らしい人物だが、次代のレイフォード殿下の代になれば……宮廷は荒れるだろう。そこで必要なのは、磐石な領地と強大な軍事力だ。我がアンブラウス公爵家には、陛下より与えられた広大な領地がある。ならば必要なのは軍事力……いざとなれば、王国に反旗を翻すことになるやもしれぬ現状において、ヴィルヘルム・アイブリンガー騎士団長を家中に迎えられることは大きい。為した子は、間違いなくヴィルヘルム殿の後継として扱われるだろう」


「父上」


「騎士団長であるヴィルヘルム殿がこちらにつけば、騎士団もこちらに従わせることができる。それに加えて、領地の私兵にも騎士団並の訓練を施すことができる。素晴らしいぞ。まさかあの一瞬で、移り変わる情勢の最後を読み取りヴィルヘルム殿を指名するとは思わなかった。キャロルよ、お前は実に素晴らしい娘だ」


「父上」


 大きく勘違いされています。

 私はあくまで十六歳の女です。父上のように、深慮遠謀溢れる貴族社会で生きておりません。私がそんな一瞬で全てを理解できるはずがないなんて、分かりそうなものですのに。

 少なからず、父上にも自分の子に対する贔屓はあるのでしょうね。


「まず、申し上げておきたいのですが」


「だが、問題は年齢的にもヴィルヘルム殿が子を為せるか……いざとなれば、子作りだけでも他の者に……む、何だ?」


「いえ、父上。私は……」


 父上は、私が夜会においてとった行動全てを演技だと思っています。

 私が政治の情勢を見たうえで、ヴィルヘルム様との婚約を申し出た、と思っているのでしょう。多分、そう思っているのは父上だけです。


「私は、本当にヴィルヘルム様をお慕いしております」


「……キャロル、ここには私しかいない。冗談は」


「本当です。私は、ヴィルヘルム様がアンブラウス公爵家に槍の穂先を向けるならば、轡を並べて戦う覚悟があります。私は……キャロルは、幼い頃よりずっと、ヴィルヘルム様をお慕いしておりました」


 そんな私の宣言に。

 父上は――それまでの自信に溢れた表情のままで、ぽかんと口を開いていました。

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