第43話43.命名の試練 1


 フェイロンは不機嫌な様子で、執務室の椅子にいた。膝にはアンゲリーナが乗っている。リュウホが改めて北辰宮へ来るまでの間は、危険だからとフェイロンの側に置かれているのだ。フェイロンは認めたくなかった、リュウホはアンゲリーナを守るのに最適な人材だった。

 フェイロンの後ろにはユーエンが立っている。


 アンゲリーナはハラハラとしていた。初めてユーエンを見たのは、土砂崩れの起こることを伝えた執務室で、彼がユーエンだとは知らなかった。

 その後、改めて紹介され、驚いた。


 だって、クーデターの主犯者なんだもん。


 顔は知らなかったが、名前は知っていた。ループして下町で暮らしていた頃、フェイロンに変わって皇帝になったのはユーエンだったからである。


 しかも、父様の右腕……。兄様もジュンシーに裏切られ、可哀想になってくる。


 チラリとユーエンを見る。ユーエンはアンゲリーナを見て、小さく笑った。


 悪い人には見えない。どうして父様を裏切ったんだろう……。まぁ、父様は酷い人だから、裏切りたくなるようなことをしたんだろうな。


 勝手に納得するアンゲリーナである。


 正面には道士たちがいた。道士はジンロン帝国で最も信仰を集める、天帝教の教えを説く者だ。帝国内にある宗教施設「廟」で、様々な神事を行っている。


 道士の後には、すまし顔のミオンが控えている。

 皆、膝にいるアンゲリーナを見て不愉快そうにしている。

 土蔵での噂話をアンゲリーナは思い出した。


 父様が私を可愛がるの、嫌な人がいるのよね。


 アンゲリーナは、膝からおりようとする。

 しかし、フェイロンは下ろそうとしない。


 父様、空気読んで!!


 道士は顔をしかめたまま、陳情した。


「教会としては、五歳の試練を受けずに、皇女とは認められません」


 命名の試練は、紫微城内にあるジンロン帝国最古の廟『天帝廟』の地下で、道士が執り行うことになっていた。

 皇族と認められるのは、教会の介入が不可欠だった。しかし、それらを飛び越して、アンゲリーナを皇女と認めたことに、道士達は不満だった。

 皇帝が教会側をないがしろにしているように思え、危機を感じていたのだ。


 実際、フェイロンは教会側を敬ってはいなかった。ただ、民衆の信仰を集める道士を敵に回すのは面倒だと、干渉をしてこなかったのだ。


 フェイロンは面倒だと思った。


 このまま、天帝教を潰してしまおうか。


 不穏な思いが過った瞬間、アンゲリーナが声を上げた。


「試練を受けます。そうすれば皆さん納得できるでしょう」


 アンゲリーナは言った。三歳児とは思えないほど落ち着いた厳かな物言い。

 

 命名の試練は、いくつかの問題をこなすことで、皇族の適性があるか調べるものだ。普通の五歳児には難しいが、皇族ならば覚えていなければならない問題が出される。

 それまでの教育が確かなものか、またきちんと身についているのか調べるのだ。


 ミオンは笑った。アンゲリーナは必ず試練をこなせない、皇女の試練を知っているのは、道士たちをのぞけばミオンだけだからだ。そして、それを教えるつもりは毛頭ない。

 皇帝や皇太子は、皇子であり、皇女の試練の手順を知らない。ループ前のマルファは皇子の手順を教えてしまい、アンゲリーナは皇女になれなかったのだ。


「皇帝陛下、お願いいたします」


 アンゲリーナはフェイロンに頭を下げた。

 フェイロンは信じていた。アンゲリーナには不思議な力がある。きっとやり遂げるに違いない。


「わかった。受けてみるが良い」

「しんじてくれる?」

「私の娘だ。やり遂げるだろう」


 認められなければ、天帝教ごと潰してしまえばいい。


 フェイロンは心の中でそう思い、不穏に笑う。

 膝の上にいたアンゲリーナは、その不気味な空気にゾッとした。




 そして試練の当日である。アンゲリーナは透明の五つの球がついた数珠を渡された。ループ前と同じだ。そのときは試練を終えるとその球がすべて真っ黒になっていた。試練に失敗した証しだった。


 天帝廟の一階には壁に四神が描かれている。天井には北の空の星々が描かれている。そして中央には地下へ向かうらせん階段があり、通常は豪華な蓋で閉じられ、周囲には人が入れないようになっている。


 しかし、今日は道士がその蓋を開け待っていた。


 アンゲリーナは、天帝廟の地下にむかってらせん階段を下る。ここからたった一人で試練を超えなければならない。

 ジンロン帝国の伝統的な白い装束に身を包み、首には葛籠箪笥の残した木札をかけていた。

 らせん階段を下りきると、薄暗い中、当然のごとく金龍の像が立っている。

 金龍に礼をする。


「アンゲリーナ、なぜここへ来た。私のあたえた逆鱗では不満か」

「いいえ。でも、教会の方々は納得されないようです」

「私の声が聞こえぬ道士など、道士ではなかろうに」


 嘲笑するように金龍は笑う。


「まぁ、でも、私も興味はある。お前がどこまでできるか見てやろう」


 金龍はそういうとスルリとアンゲリーナに巻き付いた。


「手助けはせぬぞ?」


 挑発するように金龍が言って、アンゲリーナは頷いた。


「私も勉強をしてきました。大丈夫です」


 金龍は満足げに喉を鳴らして笑った。


 アンゲリーナは一歩踏み出す。


 金龍の奥は壁となっていて、既に左右に道が分かれている。どちらの道を選ぶか、第一の試練だ。

 

 今回は葛籠箪笥の本を読んでおいて良かった。


 アンゲリーナの手もとに持っていた有職故実の本は、鳥にならずに部屋に残されていたのだ。

 それには、ジンロン帝国の古いしきたりが詳しく記されている。

 五歳の試練は、大人から見れば難しいものではなかった。神殿の地下にある通路を順番に巡り、東西南北にある四神に対応する石を捧げるというものだ。しかし、通路は暗く、階段や水路が作られていて、五歳の子どもが歩くには恐ろしい。

 恐怖心を抑えすべきことができるのか、試されるのだ。


 龍は北を背にして南側を向いている。そして、龍の左が東にあたり皇子の進む道。私は右の道を進めばいいのね。


 アンゲリーナは以前とは逆の右の廊下を選んだ。

 右の道を進んでいくと左手に白虎(びゃっこ)の彫刻が施された壁があった。四神に数えられる霊獣の一つだ。薄暗い通路の中に、リアルな白虎が牙を剥いている。正面はまだ通路が続いている。第二の試練だ。怖ければ引き返し、途中で棄権することもできる。当然皇女とは認められない。


 アンゲリーナは足下に転がる石の中から、白い石を拾い白虎の口に入れた。


 リュウホ、元気かな?


 アンゲリーナは思わず白虎の頭を撫でた。白虎が蠢き、ゴウと吠える。すると。壁はほこらとなって、その奥に白虎が佇んでいた。

 アンゲリーナは息を呑んだ。片方の道は薄暗い洞穴に白虎が眠っている。もう一つの道は、ただの通路である。


 ええ!? 本で読んでいた内容と違う!


 アンゲリーナはどちらを選ぶか悩み、金龍を見た。金龍はニヤニヤと笑っている。


 きっと、試練とは別に試されているんだわ。……だったら、虎穴に入らずんば虎児を得ず!


 アンゲリーナは、白虎のいる道を選んだ。落ち葉が足下でカサリと音を立てた。サクサクと落ち葉を踏みしめ歩く。

 金龍は何も言わない。

 日々、リュウホと暮らしてきたアンゲリーナにしてみれば、トラをあまり怖く感じない。堂々と白虎の前までいき立ち止まった。


「とおしていただいてもいいですか?」


 アンゲリーナと問いかけに、白虎は閉じていた瞼を開け、アンゲリーナをマジマジと見た。


「汝の名は」

「アンゲリーナです」


 おびえもせず答えるアンゲリーナに白虎は目を細めた。


「通れ」


 白虎の許しを得て、アンゲリーナは前を横切った。

 そしてふと振り返る。

 モフモフを見たことで、勝手に手がワキワキしてしまうのだ。


 さ、さわりたい。ずっとリュウホにナデナデしてない。


 試練中に不謹慎、だとだと思いつつ、チラリと白虎を見れば白虎もじっとこちらを見ている。しかも機嫌が良さそうだ。経験上あの様子は、ナデナデしても良い猫だ。


「どうした?」


 白虎が尋ねる。

 アンゲリーナは意を決した。


「あの、ナデナデさせていただいて……良いでしょうか?」  


 金龍はブフォと笑った。

 アンゲリーナが驚いて金龍を見れば、金龍は目をそらす。

 白虎は目を細めてアンゲリーナを見た。今までここへ来た者たちは、泣きながら、恐る恐る、逃げるようにしてすり抜けていった。アンゲリーナの振る舞いは珍しく、面白いと思ったのだ。


「自信があるなら撫でてみるが良い。今回は特別に許す」

「はい!!」


 アンゲリーナは白虎に駆け寄った。ナデナデならリュウホによく褒められる。自信があるのだ。

 アンゲリーナはまず手首にはめていた数珠を外して、足首に付け直した。毛に絡んだら可哀想だからだ。


「お背中ナデナデしましゅ」


 少しの緊張で噛みつつも、手のひら全体で背中をゆっくりと撫でる。


「小さい手だな」


 白虎の声。背中を撫でるにはアンゲリーナの手は小さすぎて物足りないのだろう。


「お顔の方もさわっていいでしゅか?」

「ああ」


 アンゲリーナは白虎許可を得て、耳の周りを撫でる。そうして額を撫で、ひげのあたりをモフモフと撫でた。


「そなた、炎虎の匂いがするな」

「友達です」

「炎虎が友達か」


 白虎はゴロゴロと喉を鳴らし、気持ちよさそうに大きくあくびをする。大きな真っ赤な口がアンゲリーナを食べてしまいそうだ。

 アンゲリーナは白虎の首に抱きついた。ゴロゴロとした喉の音が、アンゲリーナの直接身体を震わせた。


 緊張がほぐれていく……。モフモフ最高。


 アンゲリーナはホッとする。

 白虎はアンゲリーナをベロリと舐めた。


「良いナデナデであった。次の試練は朱雀(すざく)だ」


 白虎が顔を向けた方を見ると、洞窟の壁が赤く色ついている場所があった。

 アンゲリーナは礼を言うと、赤い壁に向かって歩き出した。




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