第31話31.炎虎の事情


 真っ暗な夜道を駆ける、オレンジ色の虎。

 ここは紫微城下の東側、後宮『華蓋』である。便宜上、後宮と呼ばれている『華蓋』だが、現在は側室はいない。

 以前から後宮には、ジンロン帝国の属国もしくは近隣国の人質が住んでいた。その中でも美しい姫などは、皇族から召し上げられることもあったが、それも今では過去のことである。


 ジンロン帝国では、現在の皇帝フェイロンに代替わりしてから、皇后の他に妃を取らなくなった。そのため、今の後宮は、側室ではなく人質の暮らす場所となっている。

 学校も店もあり、人質たちは自由に暮らしている。もちろん、始めの頃は暗殺を目論むような者たちもいた。しかし、フェイロンはそれをことごとく返り討ちにし、関係者は一族郎党すべて無慈悲に処断した。


 刃向かわなければ快適な人質生活において、リスクを冒し暗殺を目論む者はいなくなった。大人しく過ごしていれば、帝国の最先端の学問や文化を学べるのである。優秀な者はそのまま官僚として召し上げられる。また、人質の任期が終わり、国に帰れば重宝され、今では帝国で学ばせたい者を人質という名目で送ってくるようになっていた。

 ジンロン帝国にしてもそれは願ってもいないことだった。各国の頭脳が中央に集まり、それらと縁を結ぶことができるのである。


 オレンジ色の虎は、華蓋の南にあるとある屋敷に入っていった。

 ナンラン国の王女の住む屋敷である。ナンラン国はジンロン帝国の属国である。王女は従属の証として送られてきた。いわゆる人質である。


「あら、リュウホ、おかえりなさい」


 赤い髪を高く結い上げた王女が微笑んだ。

 オレンジの虎はグッと伸びをする。すると、虎は赤い髪の少年に変わった。

 赤い瞳、金のピアスはそのままで、リュウホだとわかる。日に焼けた肌、伸びやかで健康的な体躯、六歳ぐらいのやんちゃな男の子だ。


 リュウホは新月の夜だけ人に戻る。

 ナンラン国の王族ルオ一族は、その始祖が伝説の炎虎だと言われていて、稀に炎虎の血が濃いリュウホのような者が生まれる。炎虎の血が濃い子どもは、日の光の下で虎の姿になってしまうことがある。

 リュウホは炎虎の血が濃すぎ、月の光でさえも虎になってしまうのだ。月の光の届かない新月の夜だけ、人の姿になれるのだ。不便でもあるが、それ以上に身体が丈夫で身体能力も高いため、ナンラン王国では炎虎の血が濃ければ濃いほど王者の資質と尊ばれる。

 しだいに、虎型と人型であることをコントロールできるようになるというのだが、リュウホにはまだ難しかった。


 そして、炎虎の血が濃い者は成人までに、人になるか炎虎になるか、自分で決めなければならない。

 成獣となり炎虎になれば、毛皮は鋼のように硬くなり、ケガや病にかかることもなく、人の五倍も長く生きられるようになる。炎を自在に操り、天翔ける聖獣炎虎となるのだ。

 成人し人になれば、ナンラン国の王族として、炎虎の代理者として国を率いる者となる。炎虎ほどではないが、強固な身体と炎の魔力は人並みより強い。


 炎虎が森を焼き、そこに肥沃な大地ナンラン国を開いたのだと伝説はいう。そんな炎虎にリュウホは憧れていた。


「俺、今、キリルのところにいる」

 

 リュウホがぶっきらぼうに言えば、姉シュアは笑った。


「キリル皇太子殿下でしょ?」

「あんなやつ、キリルで十分。自分の妹もほったらかしで」

「あら、私も耳が痛いわ。弟がまさか私の荷物に隠れて帝都までやってくるなんて。早く送り返した方がいいかしら?」

「俺はいいの! 俺はねーちゃんを守りに来たの!」

「でも、お姫様のところに行ったきりよね」


 シュアが悪戯っぽく言えば、うぐ、とリュウホは言葉に詰まる。


「だって、ねーちゃんが人質になるっていって、それじゃ俺が守ってやるっておもって、だけど、ねーちゃんは困ってないもん。アイツは守ってやんなきゃ」

「はいはい、わかってるわよ、リュウホ。お姫様にはうちの侍女も助けてもらったもの。あなたもしっかりお姫様を守るのよ」


 リュウホは六つ年上の姉がジンロン帝国へ人質として送られると聞き、居ても立っても居られずにその荷物の中に忍び込んで来たのだ。しかし、来てみれば人質といっても、姉の生活は何不自由なかった。

 リュウホは華蓋の生活に早々に飽きてしまい、紫微城内を探検している内にトラバサミに掛かったのだ。


 シュアもリュウホを見つけたとき、国に返そうとはした。しかし、炎虎の血の強いリュウホを本気で止められるとは思わなかった。ナンラン国では炎虎は制御してはならないと言われる。自由に生かす、その後始末は王族が命を張って引き受ける。

 そのせいもあり、リュウホは甘えん坊でわがままに育っていた。

 シュアはそれも問題だと思い、帝都でいろいろな経験を積ませるのも一つの手だと思った。母国にはリュウホを帝都で預かると連絡し、手元に置くことにしたのだ。

 

 そのせいで人型を保てないのかしらね。


 シュアは思う。シュアも子どもの頃は何度か虎型になったものだったが、今では虎になることはない。

 リュウホほどずっと虎の姿でいるものは一族でも珍しいのだ。


 リュウホは新月の夜になるとシュアの元へ帰ってきて、人として魔法や剣術の訓練をしていくのだ。


 少しは勉強もして欲しいけれど。


 シュアは思いつつ口には出さない。リュウホはまだ六歳で、勉強がきっかけで人になるのを嫌がってしまうかもしれないからだ。

 


 一息ついたリュウホにショアはラッシーを差し出した。


「ラッシー飲む?」

「飲む」


 ゴクゴクと喉を鳴らしてラッシーを飲む。ナンラン国の食べ物は皇宮では出ないからありがたい。


「ねぇ、ねーちゃん、俺どうしたら人型になれると思う?」


 リュウホがシュアを見た。


「人になりたくなったの? 虎の方がいいって言ってなかった?」

「虎のほうが強くて格好いいからな! でも、なんか、人のほうがいいかもしれないかも」


 リュウホはゴニョゴニョと答えた。


「そう。どうして人になりたいかわからないとダメよ?」

「ええ~? うーん、人になれば、アイツを俺も抱っこできる。俺、王子だしな! 変なこというやつ蹴散らしてやるんだ! あ、でも舐めたらダメか。ん? 虎の方がいいか。守ってやるなら強い方がいい」

「リュウホはお姫様を抱っこしたいの?」

「うん! キリルばっかずるい、いやーな顔して俺のこと見下すんだ。あと、高い高い、好きなんだって!」


 リュウホの答えにシュアは笑う。


「よーく考えなさい。もし人になりたいのなら、人になりたいと強く強く願うの。始めは日光の影響を受けない夜にしたらいいわ」

「わかった! ねーちゃんはどうやった?」

「私はリュウホほど血が濃くなかったから、昼間でもたまに虎になるだけだったわよ」

「そうなの?」

「でも、そうねぇ、虎だとドレスが着られないじゃない? 私それが嫌だったのよ」

「そんなもんかー」


 シュアは答えて、「初恋の人に虎の姿を見られたくなかった」という本当の理由はだまっていた。


「リュウホ、お姫様に自分のことは話したの?」


 シュアの問いに、リュウホはグッと口を噤んだ。


「言ってないのね?」

「だって、アイツ、俺が炎虎だって知って、格好いいって言ったんだ」

「まぁ良かったじゃない」


 シュアが笑えば、リュウホはカッとした。


「良くない!! アイツ、炎虎のリュウホが大好きなんだ! 人じゃない……」


 しょんぼりとうなだれるリュウホの頭を、シュアはよしよしと撫でた。


 リュウホは私と逆なのね。人の自分に自信がないんだわ。これは人型になるのは難しいかもしれないわね。


 シュアはリュウホに金貨を持たせた。


「もう一度お手紙を書きましょうか? 私からリュウホのことを伝えてもいいのよ?」


 シュアの申し出に、リュウホは頭を振った。炎虎の秘密は、ナンラン国でも王族しか知らないのだ。ジンロン帝国では、炎虎の伝説を知ってはいても、それが実在することすら半信半疑だろう。まして、王族だとは思うまい。


「いい。アイツにはいつか自分で伝える」

「そう、ではキリル皇太子殿下にリュウホのものはこちらで買ってとお手紙をつけておくわね」

「うん、ありがと」


 リュウホは手紙を受け取ると、月のない夜道へ駆けていった。

 アレの待つ北辰宮が今はリュウホの帰る場所だった。




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