第30話30.ミオンみたび 2
ミオンは思わず真顔になった。
もう少し動揺したり、ミオンに対して相談をすると思っていたのだ。そうなれば、相談に答える形で、アレを処分できると思っていた。
しかし、キリルはミオンの判断を仰がなかった。かといって、引き下がるミオンではない。
「しかし、キリル殿下、アレは天使ではございません」
ミオンはアレを指さした。アレはビクリと体をこわばらせた。
キリルはミオンをいぶかしげに見る。
「殿下は初めてご覧になったのでご存じなかったのでしょう。私は後宮を取り仕切っているのでわかります。アレは天使ではなく皇帝陛下が忌み嫌う『アレ』でございますわ」
ミオンは優しく諭すようにキリルに囁いた。
アレは俯いて、唇をかみしめる。言葉の刃がアレを傷つけた。
「ご存じなかったのであればしかたがありません。殿下に罪はございません。今ならまだ間に合います。皇帝陛下には伝えずにあるべき場所に返しておきましょう」
アレを物のように言うミオンにキリルは不快になる。
天使の様子がおかしかったから調べてみたら、ミオンが虐待していた目撃証言があった。信じられなかったけれど、今の様子を見れば信じるしかない。
「ミオン、私の望みに食い下がるのは初めてだね」
キリルはミオンを見た。キリルは皇太子だ。白を黒と言えば黒。今までそうやって通ってきた。ミオンはそれを是としたし、それをただされたことはなかった。
「私は殿下のためを思って申し上げております。皇帝陛下に知られたら殿下がお咎めを受けるやもしれません。お怒りに触れれば殿下の命も危ぶまれると」
ミオンはまるでキリルを心配するかのように、悲しげにおびえた顔をした。
心配している風であり、その実は脅しである。
ミオンはアレに向かってツカツカと歩いて行った。アレの前までやってくると、身体をかがめてアレの耳元に囁いた。
「よくも自分が『天使』などと恥ずかしげもなく言えたものね」
キリルには聞こえないよう小声での明らかな嘲笑にアレは身体が固まった。
(よるな!!)
リュウホがガウと吠える。オレンジの毛が炎のようにさかだった。
「きゃあ! やはり虎ではないの? 猫と謀って皇宮に連れこむなんて、なんて恐ろしい嘘をつくのかしら! 殿下にきちんと謝罪なさい」
ミオンの言葉にキリルはいらだった。
「ミオン!」
「キリル殿下。これはアレのためです。いけないことはいけないと教えなければアレのためになりません。もちろん私も心が痛みます。本来なら乳母がきちんとしつけていればこうはならなかったのですが、しかたがありませんわ」
ミオンは呆れたようにため息をついてみせる。
アレはミオンの言葉に心が暗く濁っていった。
「アレのため」、ミオンはいつもそう言ってた。私もそれをずっと信じていた。でも今ならわかる。ミオンの「だれかのため」は、ミオンのためでしかない。
「さぁ、アレ、自分で本当の名前を告げ、殿下に謝りましょうね? 『私は天使ではありません、アレです。嘘をついてすみませんでした』と」
できの悪い子どもに言い聞かせるようにミオンはアレに諭した。
「ミオン!! いいかげんにしないか!」
(コイツ、マジで性格悪い!)
グルグルとリュウホは唸る。
アレはリュウホを抱きしめながら、キッとミオンをにらみ返した。
「わたしは、てんしじゃない、けど、アレでもないわ!」
「なにを、」
金龍に名を尋ねられたときに決めたのだ。自分で自分をアレだと思わない。
それに、兄様もジュンシーも、侍女もみんな『アレ』と呼ばない。だから、私はもうアレじゃない!
「私はアレじゃない!!」
「反省もできないなんて、なんていけない子なの!」
「いいかげんにせよ、ミオン。たかだか私が客人を入れただけで、父がたったひとりの皇子を殺すとは冗談にもほどがある。しかし、私のしたことが罪ならば、私が父から裁きを受けるまでだ」
キリルがきっぱりと断言し、ミオンは息を呑んだ。
「キリル殿下、私はただただ心配で」
ミオンは震える声で答える。泣き出しそうな顔を作り情に訴えかけようとしたのだ。
「女官長に命ず。天使は私の客人として丁寧にもてなせ」
キリルの堂々たる姿に、ミオンもアレもあっけにとられた。
にいたま、かっこいい……!
アレは、キラキラとしたまなざしでキリルを仰ぎ見る。
(俺だって!)
リュウホはムカムカとしながら、尻尾をタシリと打ち付けた。
ミオンは頭を下げ、キリルには見えないように唇を噛む。そうしてゆっくりと顔を上げたときには、もういつもの穏やかな顔に戻っていた。
「……それでは、客人としておもてなしさせていただきます」
ミオンはそう言うと、艶やかな赤い裾をなびかせて優雅に去って行った。
殿下が私にここまで反抗したのは初めてだわ。これもすべてアレのせい! 覚えていなさい。
ミオンは沸々と湧き上がる怒りを、どうにか腹の底に抑え込んだ。
ミオンが去ったあと、キリルはアレに向き合った。
「ねぇ、天使、ミオンはいつもあんなふうなの?」
キリルにまっすぐな目を向けられてアレは戸惑った。
本当のことを言って信じてくれるかな? 逆に私を嫌いになるかも。
戸惑い言葉を選ぶアレを見て、キリルはすべてを察した。
ミオンが現れただけで、天使は怖がったじゃないか。やはり調べたことは本当だったんだ。
「答えなくていいよ。私は天使の味方だからね」
キリルはギュッとアレを抱きしめた。
(俺が! 一番の! 味方! なんだからな!!)
リュウホはキリルにどっかりとのしかかる。
アレはキリルを抱きしめ返し、リュウホの背中を撫でた。
「うん」
嬉しくて、胸がいっぱいで、それだけ答えるのが精一杯だった。
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