第4話4.これでループは三回目 2


「姫様、お目覚めですか?」


 茶色い髪を綺麗に結い上げた優しげな女性が土蔵の中に入ってきた。

 彼女の懐かしい声に胸がぎゅっと締め付けられる。五歳までアレの面倒を見てくれていた乳母マルファの声だったからだ。ふくよかな体に柔らかな声、茶色の髪はしっかりと結われている。

 アレが生まれた時に、助命を請うてくれたのもマルファである。マルファは長く皇后の侍女として仕えてきた女性だった。皇后の故郷、辺境のユール国から一緒に皇宮に上がった唯一の侍女だ。乳母としてアレの面倒を見てほしいと、皇后から命じられていたのだ。アレの唇は震えた。


「マルファ……」


 生きている。彼女はまだここにいる。そのことが嬉しくて、手を伸ばせばマルファは柔らかく微笑んでアレを抱き上げた。豊かな乳房の間にアレの顔が埋まった。


「怖い夢でも見ましたか? 姫様」


 トントンと背中をたたき、慰めるように続ける。


「一日遅れですが、姫様の三歳の誕生日をしましょうね。おめでとうございます」


 そして昨日が三歳の誕生日だってと知って、アレはこわばった。


 マルファに抱かれて、扉を見れば、白いひげの年老いた騎士と、まだ年若い見習い騎士、下働きのメイドなど、今日はいつもより多くの召し使いたちがいる。

 いつもならマルファ以外は、交代制で騎士が一人、メイドがふたりつくばかりだ。

 今日はアレの誕生日を祝うため、朝から集まってくれたのだ。


 アレの誕生日を祝ってくれたのはマルファたちだけだった。姫の誕生日は、皇后の亡くなった日であり皇宮は喪に服す。

 皇后を愛した皇帝は、三年の喪に服した。その間、アレは誕生日を祝うことは許されなかった。しかし昨日、三年の喪が明けたため、こうやって祝いの席を用意してくれたのだろう。


 マルファは記憶と違わない優しげな顔でアレに微笑みかけた。アレに優しかったマルファは、アレが五歳の時に処刑され二度と会えなくなってしまったのだ。


 皇家のしきたりでは、五歳の誕生日に皇族になるか判断されるのだ。

 正式な皇族と認められたもののみが、皇族の名字「シン・レイ」を名乗ることが許され、皇宮に住むことが許される。

 認められなかった者は、母方の名字を名乗り、母方の一族として臣下に下るのだ。

 しかし、アレには名字どころか、名すらつけられなかった。自刃させられた祖母の短剣を賜ることになったのだ。殺すことはしないが、死にたければ勝手に死ね、という意味だと悟ったマルファはあまりに無慈悲だと抗議をし、不敬だと処刑された。

 マルファは辺境育ちの純朴な侍女で、後宮内の駆け引きなど考えたこともなかったのだ。


 皇后は、先の皇帝に殺された一族の生き残りで身寄りはなく、アレは皇宮以外に住むところがなかった。流石に五歳の女の子を捨てるのは外聞が悪かったのだろう。アレは引き続き、皇宮の忘れられた土蔵の中で飼い殺されることになったのだ。


 五歳の誕生日を境に、今までアレの面倒を見ていたものたちは、一人のメイドを残し解雇された。必要最低限の者たちが必要最低限の面倒を見るようになった。残されたメイドはアレの管理を任され、アレを虐待するようになった。

 新しく来た者たちは、皇女と認められない娘を姫といえるのか、殺さず生かさずでいい、早く死んでくれれば良いのにと、アレに聞こえることを気にせずに口にした。アレの世話係は左遷、懲罰の意味があったからだ。

 それまでも、皇女とは思えないような生活をしていたが、アレにとって五歳からの生活は一段と厳しいものになったのだった。


「さあ姫様、準備をいたしましょう」


 アレをマルファは鏡の前に座らせる。


 鳥の巣のようになってしまったフワフワの髪をマルファは優しく丁寧に梳いてくれる。


「今日はこれを用意しました!」


 マルファは白いワンピースを取り出した。今までは皇后の喪に服すため、アレは粗末な服しか着ることを許されなかった。晴れて三年の喪が明けた今日、ワンピースをマルファが用意してくれたのだ。母の生まれ故郷ユール国で着られていたというワンピースは、フワフワとしたレースでスカートを膨らませたもので、とても可愛らしい。


 辺境の国ユール国とジンロン帝国では文化がまるで違っていた。

 女性の服装も、身ごろを合わせ帯で結んだ着物の上に長いスカートを履くジンロン帝国に対して、ユール国は一続きのワンピースの下にレースのスカートを履くき膨らませるスタイルだった。


 マルファはユール国出身で、喪が明けたからと、皇后が幼い頃に着ていたようなドレスを作ってくれたのだ。

 素材は良く真新しいが、派手な装飾はなかった。綺麗に洗濯がされアイロンもかけてある。ピンクの糸での刺繍はマルファの手によるものだ。

 アレの養育予算は最低限にされていた。また白い布しか使うことは許されていなかった。

 マルファは皇帝の不興を買わないよう、目立たぬよう細心の注意を払いつつ、できる限りのことをしていてくれたのだ。

 

 マルファがいなくなってからは、そのなけなしの予算ですら横領され、服は質素なものになった。素材は悪くなり、買い換えの頻度も下がった。アイロンはもちろん洗濯もされなくなってしまった。食事だけ届けられ、放置されるようになったのだ。無学で比較する相手もいなかったアレは、そのまま受け入れみすぼらしくなり、さらに見下されるようになるのだ。


 それがおかしいと気がつくのは、クーデターから逃れた二回目の人生で下町生活をするようになってからだ。身を整えることを覚え、学ぶことを覚え、アレはようやく人らしくなれた。そして下町の人たちや酒場の娘ミンミンと関わることで、親子の情のあり方を知ったのだ。愛されていないと感じてはいたが、それを突きつけられた。

 そんな大切な時間をくれた下町すらも、クーデターの余波で荒れ、アレが働いていた酒場でも魔族が暴れるようになった。そうして病気と暴力が蔓延するようになってしまった。

 今までの王政にも不満はあっただろうが、それなりの暮らしを保障していたのだ。クーデターさえなければと、思わずにいられない。


 下働きのメイドが、テーブルの上に朝食を用意している。小さなケーキもある。マルファが作ってくれたのだろう。ユール国のケーキは今では作れる者が限られている。

 交代でやってくる警備の騎士やメイドなども、誕生日を祝うために集まっていた。

 皇女とは思えないささやかな誕生日。しかも、生まれて初めての誕生日だ。アレは嬉しかった。今ならこれがどれだけありがたいことかわかる。


 でも、だめ。今から、あの人が来る。魔族と通じていた人が。


 アレは思い出して唇を噛んだ。

 幼い頃に強烈に刻まれた記憶の日。それが今日なのだ。


 幼い頃からアレをイジメ続けてきた女官長が、ここへやってきて、ささやかなお祝いを不敬と断じた。喪が明けるのは、葬儀が終わた日から三年だ。なくなった日から数えて三年ではなかった。しかし、田舎そだちのマルファはそれを知らず、お祝いを開いてしまう。

 そして、この出来事をみた女官長は周囲に吹聴し、アレは母の死を祝う生まれつきの魔物、侍女たちも同じ魔物だ、という悪意の噂を立てられるようになるのだ。

 アレは前の人生でこの話を聞いて悲しかった。母の死を利用されことも、侍女たちが悪く言われことも悲しい。

 

 そもそもマルファも目立たないように早朝にお祝いを開いたのに、女官長が来るだなんて、おかしいのよ。きっと罠にはめられたんだわ。


 アレはマルファを見て笑った。


「ありがとう。でも、よごしたらやだから、あとにすりゅ」


 三歳児……滑舌悪いわ。

 思わず噛んでしまい気恥ずかしいアレだ。

 するとメイドの一人がニコニコと笑って言った。


「でも姫様、折角だから早く着たくないですか? 汚しても洗えば良いですよ! 寝間着で食事なんて良くないです!」


 アレはジッとメイドを見た。前の人生で、アレを虐待していたメイドである。


 今はまだそんなそぶりはなかったから、ずっと信じていたのに。きっと、この子が女官長に情報を流していたんだわ。


「でも、あらったら、かわくまできれないよ?」

 

 アレが小首をかしげれば、マルファが笑った。


「今日くらい寝間着でも良いでしょう。では、お食事を先にしましょうか。みんなも一緒に!」


 マルファに促され全員でテーブルに着く。

 ささやかな食事と小さなケーキが人数分並んだ。アレはケーキを手に取った。


 そのとき、ゆっくりとドアが開かれた。


 そして冒頭のシーンに戻る。


 諸悪の元凶、ミオンが現れたのだ。


 振られ、殺され、ループしたばかりだったアレはミオンに対峙した。


 今回ならまだ間に合う。マルファの処刑を阻止して、その後は自立してここから逃げるのよ!! そのためならなんだってやるわ!!


 アレは決意を決めた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る