第7話。うめ、おかか、しゃけ

「正しさって何だと思う?」


「それはまた唐突に始まった会長の一種の持病とも言える――」


「君。心の声が丸聞こえだよ」


「始まったって感じがするだろ?」


「いかにもって感じはするけれどね」


「ふっ」


「ふふっ」


 二人して何がおかしいのかもよく分からずに小さく苦笑してみせる。


「まぁ、何だ。正しさなんてものは人それぞれだろ」


「なら君の正しさというものをまずは聞かせてもらおうかな?」


「それは何だ。等価交換? 聞きたいのならまず自らの正しさを聞かせてもらおうじゃないか」


「それが君の言う正しさかい?」


「それを言うのならまず正しさを正さないといけなくなるぞ?」


「正しさを正そうとするとまた正しさを正さないといけなくなると思うのだけれど」


「なら結局のところ千差万別、人それぞれでいいんじゃないか?」


「なら尚のこと君の持つ君だけの正しさというものを是非見てみたいものだけれどね」


「正しさは見るものなのか」


「正しさは見せるものさ」


「なんかちょっとかっこいいな」


「かっこいいといえば今噂の田中くんだね」


「いや誰だそれは」


 田中。ありふれた苗字過ぎてまるで見当がつかない。


「君、今苗字だと思っただろう」


「違うのか?」


「違わないけれど」


 会長は小さな水筒を傾けては手元に微かな湯気を立ち昇らせる。


「……何だ。決めつけはよくないとか、そういうことか」


「うん? まぁ、そうかな? ただ一つ言えるのはその田中くんという男子がどうやら私に対して好意を寄せているらしいということさ」


「また妙なのに目をつけたな」


「そうかい?」


 会長はニヤニヤとこちらの反応を窺っている。


「まぁ、君のいう妙という例えは誉め言葉として受け取っておくとして。実は佐伯さんという女子からもその田中くんという男子に対して、いわゆる恋愛相談というものを持ち掛けられていたりするんだよね」


「つまり?」


「これが世に言う三角関係というやつさ」


 サンカク! 会長はこちらの胸元にピースサインを突き刺すことで無理やりその形を完成させる。


「……それで?」


「君ならどうするかと思ってね」


「なるほどな。それで正しさってわけか」


「答えがありそうで実際はあるのだろうけれど、現実的には辿りつけなさそうだろう?」


「言いえて妙だな」


「妙か。正に現状にぴったりの言葉だね」


「まぁ……そうだな。お前がどうしたいのか知らんが、別に各々がやりたいようにやればいいんじゃないか? 例えそこに何かしらの意図や誰かしらの思惑が含まれているとしても、結局のところ最後の最後には自分で決めて自分でやることには変わりないんだからな」


「つまり?」


「人間ホントにやりたくないことはやらないもんさ」


「なるほど。君らしい答えを聞けて私はとても満足しているよ」


「そりゃ何より」


 会長はどこかいつもより朗らかな笑みをその口元に携えている。


「何かいいことでもあったのか?」


「ふふっ。流石に長いこと一緒にいるだけはあるみたいだね」


「それは誤解だけどな」


「短い期間でも私たちは分かり合えたわけだ」


「物は言いようを地で行くのな、お前は」


「君ほどではないさ」


「そりゃ光栄なこった」


 会長が最後のプチトマトをその口に収めては弁当箱を閉じる。


「ご馳走様」


 手を合わせてはいつもより早い完食を迎える会長。


「いつもだが礼儀正しいな」


「君もするだろう?」


「挨拶は人として基本だからな」


「朝の挨拶は未だに嫌がるくせに?」


「それとこれとは別の話だな、うん」


「挨拶不要の仲。一歩進展といったところかな?」


「何が進展したのかは知らないが何も進んでないと思うぞ」


「でも停滞もしていないだろう?」


「錨を下ろし忘れて流されてるだけだけどな」


「私としては君に舵取りを任せてしまってもいいと思っているのだけれど」


「何の目的もなくただ漂うってのも意外と悪くないもんだぞ」


「悪くないんだ?」


「訂正――は出来なさそうだな」


「うん」


 何をどう捉えたのかは知らないが、何故か嬉しそうな会長。見計らったかのように胸元で震え出した携帯をこちらの代わりに取り上げてはアラームを止める。


「人間、本当にやりたくないことはやらないもの、か」


 会長はこちらの言葉を引用しては携帯を持ったまますくっと立ち上がる。


「今の君を今の君が見たらなんていうだろうね?」


「それは……何とも言えないだろうな」


 両目を細めては現実から目を逸らすように、遅れてこちらも立ち上がることで会長と横並びになる。


「田中くんにはそれとなく君の存在をにおわせておくよ」


「柔軟剤の入れすぎには注意しろよ」


「こう見えてマークシートは得意なんだよね」


「数字で見える洗濯なんてあらやだ奥様方に人気が出そうね」


「反対に佐伯さんとは補習が待っていそうだけれど」


「お前が補習なら俺は落第だな」


「そうかい?」


 会長はこちらの手を取っては携帯をその上へと乗せる。


「君の手は温かいね」


「実は変温動物なんだ」


「知ってる」


 会長はニコリと笑い、当たり前のようにこちらの手を掴んでは引いていく。


「俺は迷子の子供か何かか」


 一応帰路は帰路なのでほとんど抵抗もしていないのだが、放っておいたらそのままどこかのサービスカウンターまで連れていかれそうな勢いだ。いや、会長なら難なく迷子のお知らせまでこなして見せるだろう。


「えっ?」


「そんな違うの? みたいな顔されても困るのはこっちのほうだけどな」


「まぁまぁ、とりあえず教室までこうしていけば何か分かるかもしれないよ?」


「そりゃまぁそうだろうな。あの会長がまさか、ってな」


「逆さ。あの椅子がまさか、ってね」


「俺はいつから学校の備品になったんだ」


「学校だなんて。とんでもない。君はいつだって私の備品だよ」


「嬉しくないけどな」


「またまた」


 二人しては足を止めては、真顔のまま視線のみで攻防を繰り広げる。


「……行くか」


「そうだね」


 昼休みの終わりを告げるチャイムを前に、手っ取り早くこちらから手を離そうとしては、不意に会長との距離が物理的に短くなる。


「おい」


 こちらから手を離そうとして引いた手前、それはある意味で引き寄せたとも言えなくもないのだが……。一ミリも握っていない手でどう引き寄せたというのだろうか。


 仮に引き寄せたともなればそれはもう合気道の領域だろう。でなければお互いに磁石か何かなのか、もしくはどちらかが夏場の自販機でどちらかがそれに群がる蛾か何かなのか。


 大穴で蚊という線もあるが、もしこのサイズの蚊に今刺されているのであればそれはもう諦めるほかない。


「鼻息が荒くなっているよ?」


「皮膚呼吸を阻害されてるからな」


「ふふっ」


 満足げな笑みを浮かべる会長。こちらの手をほんの少しだけ先導するように引いては速度に乗り切る前にするりと抜け落ちるように手を離す。


 一人颯爽と駆ける様は相変わらず陸上部顔負けで、こちらが一歩進む間に二歩三歩と更に前へと進んでは数秒と待たずにその後ろ姿は見えなくなった。


「いつもギリギリだな」


 授業開始のチャイムを背に、あえて言われるまでなくギリギリで飛び込んだ教室。肩で息をしながら自身の席へと腰を下ろせば、気のせいではなくまたいつかのように横から聞こえてくる声。


「また忘れたのか」


「悪いかよ」


「いや?」


 横付けされた二つの机に出した覚えもないのに準備された教科書類。人の机を勝手に漁るのはどうかと思うが、膝の上に座られることを思えばどうということはない。


「ありがとよ」


 遅れて入室してきた担当教師を前に、正面を向いたままそれとなく告げる。対するように間の抜けたような声が隣から聞こえてきた気がしたが、それは担当教師の号令によってかき消された。

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