42 どきどき
直音さんが入院している病院は勤め先よりも少し規模の小さいところだった。それでも割と新しく出来た病院だからか、建物は文句なしに綺麗で照明もほんわかと柔らかく感じる。
エヤは病院に入ると場をわきまえたのかぴたっと大人しくなってミケの隣をゆっくりと歩き始めた。
ちらりと見やると、エヤはミケの手をぎゅっと掴んで慎重な面持ちをしているように見えた。
慣れない場所だから緊張しているのか。
緊張なんて単語とは無縁そうな彼女の意外な一面に驚きつつも、風見先生に教えてもらった情報を頼りに受付へと立ち寄る。尋ねてみると、直音さんが入院しているのは確かなようだ。
すでに風見先生から連絡が入っていたのか、名前を言うとスムーズに病室を教えてくれた。
ここを簡単に突破したからと言って直音さんが俺たちがここにいることを知っているわけではない。
まだ若干の不安を残しながら、俺は二人を連れてエレベーターに乗り込んだ。
彼女の病室は五階。廊下を歩いていくと、足音と共に心臓が音を立てているのが聞こえてくる。
「んふふふ。ノトチャン、久しぶりに会えるだすっ」
「エヤ、さわぐの禁止だからね」
「わかってるだすよミケ」
直音さんが入院先を秘密にしていたことは二人に伝えていない。ただお見舞いに行こうと言っただけだ。あまり事態を深刻に受け止めて欲しくなかったからだ。いや、実際はそんな軽いものでもないんだけど。でも、なんだか二人に不安な思いはさせたくなくて。
教えてもらった番号が近づいてくる。もうよく分からないごった煮の感情が心臓をひたすらに急かす。エヤはさっきよりも緊張が解けてきたみたいでいつもの調子を取り戻しつつあった。ミケも相変わらず落ち着いているし。二人が傍にいることがこんなにも心強いとは。
昼間だからか病室の扉は開かれたままになっていて、前を通り過ぎるとそれぞれの生活音が聞こえてきた。
日曜ということもあってか見舞客も多く、看護士さんと朗らかに会話をしている様子を何度か目にした。
直音さんがいる部屋も例外ではない。入る時に他の患者さんのお見舞いに来ている家族とすれ違い、互いに軽く会釈をする。エヤとミケも俺の真似をして軽くお辞儀をしていた。
五人部屋の病室で、直音さんがいるのは入って左側の奥。ちょうど窓の隣で、大部屋としては特等の場所だった。
部屋は満室のようだが、出かけているのか無人になっているベッドが開きかけのカーテンの向こうに見えた。
あとはパステルカラーのイエローのカーテンが閉まっている状態で、中からは話し声や寝息が聞こえてきた。
直音さんのカーテンからは何も聞こえてこない。
この向こうに彼女がいる。
そう思うと、どう声をかけていいのか今更ながら悩んでしまいそうだった。
だけどそんな時も、考えるよりも先に行動した方がいいと二人が身をもって教えてくれる。
「ノトチャン! お見舞いに来ただすー!」
エヤがカーテンの前で元気よく挨拶をする。ミケも「来たよ」と声を続けた。
二人の声が聞こえたのか、カーテンの中からは驚嘆の声と慌てて起き上がるような音が聞こえてきた。
「直音さん。突然すみません。風見先生に聞いて……」
やっぱり勝手に来たことが少し後ろめたくなってカーテンを開ける前に控えめに理由を伝えようとすると、目の前のイエローが滑らかに右へ流れていった。
「樫野さん……!?」
広がった視界に現れたのは病院の薄いブルーの寝巻を着ている直音さんだった。
直音さんはベッドから立ち上がっていて、カーテンから顔を出したまま俺を見上げて目を大きく開く。
「ノトチャン! 会いたかっただす!」
エヤが両手を上げて軽くジャンプをする。ミケもぺこりと頭を下げた。
「ふ、二人まで……わざわざ、お見舞いに……?」
「はい。すみません。事前に伝えるべきでしたけど、どうしても……」
「…………いいえ。ありがとうございます。……こちらこそすみません。黙っていて……」
さっきまで横になっていたのか、直音さんの髪の毛は静電気で後ろの方がふんわりと浮き上がっている。
彼女は申し訳なさそうに目を伏せて言葉を濁す。
突然来たのはこっちなのに、彼女はやはり自分が入院を隠していたことに引け目を感じているようだ。
「直音さん、座りましょうか。……あ、っていうか、お邪魔、しても大丈夫……?」
「はい……もちろんです……っ!」
直音さんは慌てて窓際に畳んだまま置いてある来客用の椅子を見やり、ベッドを経由して手を伸ばそうとする。
袖から見えた彼女の腕には点滴用の針が刺さったまま管がテープで固定されていた。今は何もしていないようだけど、まだ外すことはできないのだろう。
「大丈夫ですよ直音さん。俺がやりますので」
「でも……」
「だめです。勝手に来たのは俺たちの方なので、これくらいやらせてください」
「…………はい」
直音さんは渋々頷いてベッドの上に座り込む。カーテンを閉め、ベッドをなぞるようにして窓際に回る。エヤとミケは椅子がないのでベッドの端に座り、直音さんが掛け布団を足に掛けるのをさり気なく手伝った。
窓の前に座ると、暖房がかかっているはずなのに空気がひんやりと髪を撫でる気がした。雪はまだ止みそうにもなくて、それも当然かと妙に納得する
「ノトチャン、これ差し入れだす」
「えっ……いいの……? ありがとう二人とも……!」
窓の外から目を離すと、エヤとミケが買ったばかりのドリンクを直音さんに渡しているところだった。
「樫野さん、ありがとうございます」
「いいえ。はは。でも少し、冷めちゃいましたよね」
「ふふ。いいんです。十分温かいです」
直音さんは両手でドリンクのカップを包み込んで頬を緩める。
久しぶりに見た彼女の笑顔。
飽きずに脳内で繰り返されてきたその表情は、やっぱり実物に勝てるはずもなくて。
「それは、良かったです」
情けなく崩れていく筋肉に逆らうようにして眉に力を入れてみた。でもまぁ、効果はないだろうな。
「ねぇねぇノトチャン! ずーっとここにいると、きっと飽きちゃうだすよね」
「ふふ。そうかもねぇ……。でも二人の顔を見たら、退屈なんてすっかりどこかに行っちゃったよ」
「退屈、逃げた?」
「うん。二人が退治してくれたみたいだね」
「やっただすなミケ。エヤたち快挙だす!」
「うん。ゲームじゃなくても退治できた」
二人はこぶしをこつんとぶつけ合ってニヤニヤと笑う。
「エヤね、トランプ持ってきたんだすよ。ノトチャン、一緒にやろうだす」
「今日もわれ負けないよ」
「嬉しいなぁ。ふふ、一緒にやってもいいかな? 一回くらいミケちゃんに勝ってみたいんだ」
「もちろんだす! ノトチャンがいる方がゲームも楽しいだすっ」
「手加減はしないからね、ノト」
エヤは鞄に入れていたトランプを取り出し、ベッドの上にばさーっと出してから混ぜ合ってカードを切る。
「カシノもやるだす?」
「えっ。仲間に入れてくれないの?」
様子を見守っていた俺と目が合ったエヤ。
いや、やらないっていう選択肢はない。
俺も仲間に入れて欲しくて、コートを脱いで椅子をベッドに近づけた。
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