36 スター
週末になり、俺はまだ互いの顔を真っ直ぐに見ることが出来ない二人と手を繋いでたぬきの塾へと向かった。
足取りは軽くなかった。でも二人はたぬきの塾のことは好きなのだろう。嫌だ、なんてことは言わなかった。
「至さーん!」
門に着くと同時に、袢纏を着た大志さんが元気よく迎えてくれる。そしてその隣に見慣れた女性もいた。
「心寧? どうしてここにいるんだ?」
「大志さんに教えてもらったんだ。今日という日は欠かせないからねっ」
「はぁ?」
意味が分からないと気の抜けた声を出すと、心寧は上半身を屈めてエヤとミケに声をかける。
二人はしょんぼりと下を向いていたが、心寧が挨拶をするとしっかりと応えた。
「じゃあ二人とも、皆ももう待ってるから入ろうか」
大志さんが笑いかけると、二人は手を解いて彼の後に続く。
心寧は三人をじーっと観察した後で、まだ中に入ろうとしない俺を振り返る。
「お兄ちゃん。二人、何かあったの?」
「……天使と悪魔の複雑な事情だ」
「ふーん……」
心寧は靴を脱いでいる二人を見ながら身体を傾けた。
「それは難題だねぇ」
「ああ。俺にもどうしようもできないよ」
「まぁそもそもお兄ちゃんは乙女心すら知らないしねぇ」
「天使と悪魔に関係あんの?」
「乙女の心は複雑なんですよー? 至さんー?」
「こらからかうな……」
心寧は俺のことを茶化すようにニヤリと笑い、振り子のように左右に揺れながら俺の前に立ちはだかった。
それを縫うように避けて玄関へと向かう。
「そうそう。初橋さんとはその後どうなの?」
「えぇ?」
「特定の誰かと何度もお出かけするなんて、いつぶり?」
「…………余計なお世話だ」
靴を脱ぎながら、心寧はくすくすと笑う。
心寧なりの優しさなんだろうけど、その悪気のなさがかえって後ろめたくなる。
いっそのこと、もっと心遣いも何もあったもんじゃない態度を取られた方が気が楽かもしれない。
「私も今度お話してみたいなー」
心寧の弾むような声を受け止めきれず、彼女の誠意はボールのように後方へと飛んでいった。
「で、今日は一体何があるんだ?」
話題を変えようと、大部屋に向かう背中に問いかける。
「知らないの? 今日は表彰会だよ。この一年で頑張った子たちを表彰するの」
「……なにそれ?」
「もー。お兄ちゃんはほんっとうに情報下手なんだから」
「悪い……」
心寧は大部屋に入る前にずいっと人差し指をこちらに突き出して今日の催しの解説をする。
「たぬきの塾は、色んな子たちが通っているでしょ? だから、一年の区切りは十二月なのね。それで、一月になった時に、去年を振り返って、課外活動とか勉強への取り組みなんかを総合的に見て、皆のリーダーになれるような子を表彰するの。競争とか、そういうのじゃなくて。子どもたち皆で話し合って決めるんですよ」
「…………へぇ。お疲れ様会みたいな?」
「ちょっと違う……」
心寧は笑いを堪えつつも眉尻を下げて微かに首を横に振った。
大部屋に入ると、すでに三十人くらいの子どもたちが座っていて、わいわいと楽しそうに話している。
保護者たちも今日はたくさん来ていて、なんだか授業参観に来ている気分になった。
俺と心寧が部屋に入ったのを確認して、子どもたちの前に立っていた大志さんが爽やかな笑みを浮かべる。
「それではー! 今年もたぬきの表彰式をはじめまーす!」
大志さんの保育士さんのような優しい声に、子どもたちは一斉に手を挙げて返事をした。
「保護者の皆さんもお集まりいただきありがとうございます。去年もみんな、全員が勉強も、遊びも一生懸命頑張っていました! 誰しもが輝いている一年だったと思います!」
自然に話しているだけなのに、大志さんは盛り上げるのが上手い。子どもたちは彼の声にたちまち笑顔になり、一気にほんわかとした空気が流れていく。
「そして今回も、皆にはスターを決めてもらいましたね。皆の意見、素晴らしかったです! これからも、周りの人の良いところや、自分がされて嬉しかったこと。そんなことを探すのを忘れないでくださいね」
「はーーい!」
「それじゃあ、早速、皆の意見をもとに選出されたスターを発表したいと思います!」
どこからともなくドラムロールが聞こえてくる。
端っこを見ると、そこで受付の大学生の子がスマホから音源を出していた。俺と目が合うと、大学生は得意げにウィンクをしてきた。ここにいると、大志さんに似てくるのかな。
大志さんに視線を戻すと、彼は封筒から取り出したカードに目を落とし、アカデミー賞発表のプレゼンターのような凛々しい表情をする。
ドラムロールが止むと、大志さんはすぅっと息を吸い込む。
「今回のスターは、エヤちゃん! 樫野さんちのエヤちゃんです!」
「…………え」
皆の視線が一斉にエヤの方へと向かう。反射的に声が漏れた俺は咄嗟に口を抑えた。
「エヤ……だすか…………?」
みんなで話し合うとはいえ、結果はその場では分からないのだろう。
エヤは何が起きたのか分からず、ぽかんとしたまま大志さんの笑顔を見上げる。
「うわぁっ! エヤちゃん、おめでとう!」
「おめでとーエヤ!」
泉美さんや一木兄弟が声を上げると、皆は盛大な拍手をエヤに送った。
「さぁエヤちゃん、前へどうぞ」
「……はいだす」
エヤはまだ状況が飲み込めないままに拍手に促されて皆の前へ出る。
大志さんはエヤの前にしゃがみこむと、にこっと笑って「おめでとう」と伝えた。
「それでは、メダル授与!」
大志さんの掛け声に、大学生がそそくさと駆けて行く。
いつの間にか手にしていた立派な紙で造られたメダルと可愛らしい花束を大学生が大志さんに差し出すと、彼はそれを受け取りエヤの方を向く。
「エヤちゃん。いつも明るく笑っていてくれてありがとう。お友だちの相談に乗ったり、率先して意見を言ってくれたり、皆、君にたくさん勇気を貰いました。そして何より、エヤちゃん自身が、勉強も、課外活動も積極的に取り組んでいましたね。ありがとうエヤちゃん。俺もたくさんのことを学びました」
「タイシサン……」
大志さんはメダルをエヤの首にかけ、花束を渡す。
すると皆はまたエヤに大きな拍手を送る。エヤは受け取ったメダルと花束をじっと見つめ、座っている子どもたちのことを見渡す。
「さぁ、エヤちゃんからも一言お願いします」
「……うん。……皆、ありがとうだす……」
エヤはボリュームを抑えた声で一言目を話した。そしてスッと顔を上げ、真っ直ぐにミケの方を見やる。
「皆のおかげで、エヤ、とっても楽しく過ごせました。エヤが笑えたのは、皆のおかげだす。スターが貰えて、とっても嬉しいだす! ……でも」
エヤはメダルを首から外し、スッと前に差し出した。
「エヤががんばれたのは、そこにいるミケがいたからだす。エヤとミケは、二人で一つだす。……だから……だから! このスターは、ミケとエヤ、二人で分けたいと思うだす!」
エヤの言葉に、視線がミケの方へと集中する。ミケは目を丸くして、驚いたまま瞬きをした。
「どんな時も、ミケがいるからがんばれるだす。ミケ、いつもありがとうだす。意見が合わないこともたくさんあるだす。でもエヤはミケのそんなところも大好きだす。ミケの思うこと、それも全部、エヤにとって宝物だす……!」
「エヤ…………」
ミケは放心された声で呟き、真っ直ぐにエヤを見たまま固まってしまった。
「うんうん。なるほどね。エヤちゃん、ありがとう。みんな! ミケちゃんにも大きな拍手を!」
大志さんはもう一度拍手を促すと、歓声の中ミケの方へと歩いていき、手を差し出した。
「ミケちゃん。君も前へどうぞ」
「え…………」
「ミケちゃんのことも、皆はよく見ていたよ。自分にはない考えを持っていて、冷静で、すごく刺激になるし、憧れるってさ」
「…………ほんと?」
「うん。俺、嘘だけはつかないんだ」
ミケは大志さんの手を取り立ち上がった。ミケが前に出ると、エヤは少しはにかみながら半分にした花束を渡す。
「ミケ、これはミケのものだす」
そう言ってエヤは花束に意識を向けているミケの首にメダルをかけた。
「エヤ…………」
「んふふふ。ミケ、ごめんなさいだす。エヤ、ミケと話せないの、さみしいだすよ」
「…………うん。われも。……ごめんね、エヤ」
喝采の中、彼女たちがそう話しているのを俺は見逃さなかった。
仲直りのハグをする二人に向かって、その日そこに集まった人たちは皆、惜しみない拍手を送り続けた。
エヤたちの表彰が終わると、大志さんは次のプログラムへと進行していく。
手を繋いで子どもたちのもとへと戻るエヤとミケを見て俺はじんわりと心が安堵で和らいでいくのが分かった。表情の変化をしっかりと見ていた心寧が肘で俺のことを小突き、くすくすと笑ってくる。
「お兄ちゃん……」
「なんだよ」
「泣いてる?」
「……わけないだろ」
心寧から顔を逸らし、彼女の笑い声が聞こえないふりをして頭を振って鼻をすすった。
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