15 意外らしい
目覚まし時計に起こされる朝。すっかり体内時計の帳尻もあってきたみたいで、不快に思うことも少なくなってきた。
支度にも慣れたせいか、二人分の弁当を作ることも今は苦じゃない。二人が眠そうな目をしながら挨拶をしてくる頃にはもう大体作り終わっている。エヤとミケは自分の支度は自分でできる程度にはしっかりしているから俺が手伝えることもないし、その必要もなかった。逆にペースを乱すとエヤたちは焦ってしまう。
そのおかげで二人の朝の支度を待っている間に自分の支度も終わるし、効率的な動きを覚えた俺はむしろ時間を持て余すくらいだ。
だからってソファに座っているだけだと出勤直前にまた眠くなる。最近になって知った罠だ。俺はそんな罠から逃れるためにここらで手を動かすことにした。
自分で弁当を作る。そんなタスクを一つ増やしたのだ。
エヤとミケの弁当に比べたらサイズも大きいし、入れる具材も多いから全く同じとはいかないけど、要領は大して変わらない。本当は勉強でもなんでもしてればいいし、弁当を作るなんてことするつもりもなかったけど、ある日に魔がさした俺は自分用に弁当箱を買ってしまった。スーパーで安かったからついカゴに入れてしまったのだ。安売りには弱い自覚はある。でも買ったからには使わないと。
無駄に自分に言い訳をしつつ、俺は新しいタスクもしっかりと終わらせた。
いつも通り仕事に向かった後は、昼休みを迎えるまで弁当を持ってきたことを忘れるくらい朝の新たな挑戦のことが頭から抜け落ちていた。俺にとってはそれくらい、弁当を作ることが身体に馴染んでしまっていたようだ。自分用が一つ増えようと違和感などもはやなくなっている。
そのことについて何の疑問もないし、当然のことだと認識していた。
そう、鞄から弁当を取り出した俺を見た藍原さんが目を丸くして動きを止めるまでは。
藍原さんはいつも通りおにぎりを手に持ったまま、じーっと俺の手元にある弁当箱を凝視してほんやりとした独り言のような声を出す。
「なんそれ……?」
エヤとは違ったイントネーション。藍原さんは西の方の出身で、いつもは出ないけどたまにそんな喋りがふと出てくることがある。
「樫野くんがつくったん?」
瞬きも少なめにそのまま俺の方へとすーっと視線を上げる藍原さん。俺は彼女の反応に、弁当を持ってきたことがそんなに変なことだったのかと不自然に固まる。ほら、他にもそういう人はいるわけだし。
でも、よくよく振り返ってみると確かにこれまで昼は買い出しで済ませていた俺が突然お手製の弁当を持参してきたなんて驚かれてもおかしくはない。しかも藍原さんにしてみればゲーム片手に昼ご飯を食べているような人間というのが俺のこれまでの印象だろう。それは正しいし、彼女の反応はまったく失礼でもないな。
俺だって春海が突然お手製弁当を持ってきたら同じような反応をするだろうし、藍原さんがおにぎりじゃなくてパンを食べていたら思わず尋ねるだろう。どうしたの、と。
「あー……はい。最近、朝早く目が覚めるんですよ」
藍原さんの疑問に答えるため、俺は弁当の蓋を開け、誤魔化すように笑いながらそう答えた。
「で、ゲームばっかしてたら駄目だなーって思って、ちょっと丁寧な暮らしをしてみました」
俺の微かに笑みを作る口元からは、ははは、と弱すぎる笑い声が漏れる。お願いだ藍原さん。これ以上は詮索しないでくれ。
藍原さんは俺の弁当箱の中を見た後で、ほぉー、と感心した声を上げた。
「美味しそう……! 私、そんなんできんよ!」
おにぎりを抱えたまま藍原さんはそう言って軽く目を輝かせて笑う。
「樫野くん、ゲームしとるばっかりじゃないんだね!」
「ははは……はい」
藍原さんの俺に対するイメージが少し気になったけど、悪気がなさそうに優しく言うものだから、俺もそれ以上は言及できなかった。
「あ! 春海くん春海くん!」
するとちょうど後ろを通りかかった春海に対して藍原さんが手を振って声をかける。
「これ樫野くんが作ってきたんだって! すごいよね」
「え? 先輩、正気っすか?」
春海は昼ご飯を買いに行こうとしていたのか、片手には財布を持っていた。大きな抑揚のない冷静な声で驚きを述べた後で、春海はぬっと弁当を覗き込んでくる。
「割としっかりしてるじゃないですか。樫野さん、今度俺にも作ってきてくださいよ」
「なんでだよ。嫌だよ」
「そんな冷たいこと言わないでくださいよ。俺、節約したいんですよね。食費」
「しかもタダメシのつもりかよ……」
「まぁまぁ先輩。検討してみてください」
「嫌だ」
はぁ、とため息を吐くと、春海は残念です、とだけ呟いて俺の肩を叩いて去って行った。
本気でタダで弁当を作ってもらう気だったのかあいつは。
春海の背中を見送った藍原さんは、くすっと笑いながらまた俺の方を向いた。
「でも本当、すごく美味しそうなお弁当だと思う。春海くんの気持ちもわかるな」
「やめてくださいよ、藍原さんまで」
「ふふふっ。冗談冗談! ところで樫野くん、料理って割としてるの?」
「え?」
ぎくり、とまた無駄に動きが止まる。何故か頭の中にはエヤとミケの姿がよぎっていく。いや、二人が来る前から自炊してなかったわけじゃないし……。なんでこんな気まずさに包まれるんだ。料理に二人は関係ない。
「親戚の叔母さんが結構調理器具とか譲ってくれたんですよ。だから折角だからと思って、買うよりは自炊が多いです」
「そうなんじゃ! すごい。私も見習わないと……!」
「ははは。でも無理やりやって嫌いになるよりは、自分のペースでいいんじゃないですかね。料理も」
「樫野くんは優しいなぁ。肩の荷がすこーし下りたかもっ」
藍原さんはそう言っておにぎりを頬張る。
「マイペースにがんばりまーす」
幸せそうにおにぎりを噛みしめる藍原さん。
その表情を見ていると、こちらまでお腹が空いてきた。俺は以前貰ったまま使わなくて残っていた割り箸を手に取り、手を合わせて弁当に小さく頭を下げた。
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