12 君に続け
イベントが開催される会場の最寄り駅。待ち合わせ時間ちょうどに駅のホームに降り立った。開始時間から一時間が経った頃だ。とはいえチケットさえあれば入退場自由のイベント。一時間が経っていようと、まだこれからイベントに行く人がたくさんいるみたいでホームは混雑している。
改札口に下りる階段がわんさか人で溢れていて、牛歩で前に進むしかない。ぎゅうぎゅうと先を急ぐ人の圧に押されながら大人しく順番を待った。
ちらりとスマホを見ると、七分前に受信した初橋さんからのメッセージが画面に浮かび上がる。彼女はもう改札前にいるみたいだ。きっと改札の前も混雑しているに違いない。そんな中で待たせてしまっていることに少し罪悪感を抱いた。早く階段を下りたいけど、思うように足は前に進まなかった。
自分の番が来るまでの間、どうしても思考は暇になる。その隙間を縫って、勝手に脳は適当なことを考え始める。朝早くからエヤたちの面倒を見に家に来てくれた心寧のことを思い出し、今、あいつらが何をしているのかふと考えてしまった。
出かける前に、エヤとミケはイベントに向かう俺を元気よく見送り、扉を閉めるまで一生懸命に手を振ってくれていた。エヤにどこに行くのと聞かれたが、俺に答える権利はなかった。心寧がニヤニヤと笑いながらデートだよ。なんて言うからだ。いや違う。デートじゃなくて、これは遊びに来ただけだ。そう、友だちと。……友だち? それも違うな。まだ知り合い、か。あるいはゲーム仲間。イベントに誘われてからは一緒に何度かゲームをプレイした。ミケに邪魔されることもあったが、俺自身ゲームをすること自体がなんだか懐かしくて、この一週間は新鮮な気持ちで遊ぶことが出来た。
彼女は今、ランク上げに夢中なようで俺もそれに付き合ってモンスター討伐を協力するようになった。
村作りばっかりに力を入れていた俺よりも彼女の操るキャラクターは強くて、一緒に遊ぶようになってからは俺のランクもめきめきと上がっていった。
それも、ミケもゲームをプレイしているおかげもあるんだろうけど……。
それにしても二人はちゃんと心寧の言うことを聞いてくれているだろうか。心寧ももう二人の虜だし必要以上に甘やかしかねないな。でも普段たぬきの塾でも迷惑をかけることはしていないみたいだし、多分大丈夫だろう。
家の様子を気にしているうちに、やっと目の前には階段が見えてきた。
滝のように流れていった人の波がようやく落ち着くと、改札を出ることができた。途中に見えたトイレの列も凄かったし、思ったよりもイベントの参加人数は多そうだ。久しぶりに暴力にも似た人ごみにまみれた俺は会場の混雑を思い自身の気力に自信がなくなってくる。しかし今日は一人じゃないし、俺としても迷惑をかけるわけにもいかない。エヤたちの心配をしている場合ではない。こっちも鞭を打ってでもしっかりしないと。
「こんにちは。遅くなってすみません」
改札を出て左の壁際にいた初橋さんを見つけた俺はそう言って軽く頭を下げる。
重なり合う群衆の中で埋もれそうになっていた彼女は、俺を見上げてほっとしたように表情を緩めた。
「全然です! 時間通りじゃないですかっ」
彼女は首をぶんぶんと横に振って、最後にニコッと笑う。
「無事に合流できてよかったです!」
「ははっ。確かにそうですね」
彼女が辺りを見回して眉尻を下げたので、俺もつられて同じ顔をする。次の電車が到着したのか、改札の向こうからはまたどっと人が押し寄せてくるのが見えた。ざわざわとした喧騒が止む気配はなく、意識して大きな声を出さないと目の前にいる人にだって声が届かない。
「それじゃあ行きましょうか」
だから早めにこの場を去りたくてそう提案する。初橋さんはこくりと頷き、俺たちは会場に向かう人の川に合流した。
「あの、樫野さん。今日は本当にありがとうございます。急なお誘いだったのに」
「いいえ。自分じゃ行こうかなって気にならなかったと思うので、むしろ誘ってくれてありがとうございます」
雨臣さんへのいい土産話にもなりそうだし。確かお子さんがイベントに来るって言ったよな。
「ふふふ。なら、良かったです。私、このイベントには一度参加してみたいなぁって思っていたので……。一人でも行くつもりだったんですけど……。でも、せっかくだからって……」
「初橋さんのお誘いを受けられて光栄です」
「ふふふふ」
初橋さんがまた肩身を狭そうにするので、俺はつい調子のいいことを口走る。
「ゲームはどれくらいやってるんですか?」
「えっと、私はリリースして少ししてからだから……二年くらい、です」
「へぇ。じゃあ先輩ですね。俺は一年くらいなんです」
「そうなんですね!」
「去年はハマりすぎちゃって、職場の先輩に呆れられちゃいました」
「あははは。でも気持ちはわかります。ハマっちゃいますよね」
「はい。課金のルールを守ってるのだけが救いかな」
俺が自虐気味に笑うと、それを見た初橋さんはくす、くす、と笑った。駅で待っていた時に僅かに彼女の表情に落ちていた不安が消えたような気がして、俺はなんとなく安心する。
「あ、樫野さんは病院で働いているんですよね。私は、食品メーカーで働いているんです」
「食品メーカーですか。じゃあ俺もお世話になっていそうですね」
「ふふ。あ、でもお菓子がメインなんですけどね」
「お菓子……」
俺はあんまり食べないけど、エヤもミケも藍原さんも大好きな食べ物だ。ある意味でお世話になっている。
「いいですね。お菓子、息抜きには欠かせないものじゃないですか」
嘘じゃない。俺だってまったく食べないわけじゃないし。
今日は偽ってばかりのこの頃とは違い、自分のことに関しては取り繕わないと決めた。
初橋さんは俺の言葉に同意するように誇らしげに頷く。
「そうだ。今日はどこを見たいとかあります?」
近づいてきた会場の屋根を捉え、このイベントに行きたかったと言っていた彼女に希望を尋ねる。事前に調べた感じ、俺は雰囲気が見れればそれで問題なさそうだ。強いて言えばミケに何かお土産でも買おうかというところ。ここは彼女の意向に合わせたい。
「えっと……ちょっと見たいところがあります。メモしてきました」
初橋さんはそう言って鞄からスマホを取り出しメモアプリを開く。
「お昼にある企画ステージが気になっているんです。キャラクターデザインとか世界観のディレクションをされた方のトークがあるんです。えっと……勝手なんですけど、一応、デジタル整理券も取ってあります。あの、興味がなかったら、大丈夫なんですけど……」
「興味ありますよ。すごく楽しみです。ありがとうございます。整理券取るの大変じゃなかったですか?」
「ふふふ。あんまり繋がらなくて焦りました。やっぱり人気みたいですね」
「言ってくれれば協力したのに」
整理券はイベントの三日前に発行が始まった。その時、ちょうどゲームのフリースペースでサーバーが貧弱だ、とか、ユーザーたちが文句言っていたことを思い出した。彼女もそこに参戦していたとは。おこぼれに預かるみたいでなんだか申し訳ない。
初橋さんはなんでもなさそうに笑っているけど。
「そうしたら、トークショーの後に少し体感エリアも行きたいです。ゲームの世界観を味わいながら迷路が楽しめるそうですよ」
「へぇ。迷路か、脱出できるか不安だけど、なんだかワクワクしますね」
「はいっ。とても楽しそうですっ! 早くゴールできたら記念品が貰えるそうですよ」
「初橋さんは地図とか読むの得意ですか?」
「いいえ。どちらかというと方向音痴なんですけど……」
「はは。じゃあ二人で頑張らないとですね」
「がんばりましょう!」
初橋さんはスマホをしまい、小さくガッツポーズをして気合いを入れた。
そうこうしているうちに目の前には会場が広がる。やっぱり人が多い。駅よりも広いからそこまで気にならないけども。思った通り年齢層もバラバラ。老若男女が同じ場所を目指している。ここにいる人たちの共通点と言えば、皆、表情が柔らかなことだろうか。きっとイベントが楽しみなのだ。俺としてもいつもネット上で遊んでいるゲームはこんなにファンが多いのだと目の当たりにするのは感慨深かった。
会場に入った俺たちは、まず本格的に混む前にと昼ご飯を食べることにした。
会場内では夏祭りの屋台みたいに飲食スペースが設けられていて、今はまだそこまで混雑していない。
ゲームをイメージしたコラボメニューだらけで、値段も普通より少し高い。だけど折角なのだからと財布のことを気にせずに買ってしまうのは運営にまんまと踊らされているに違いない。
いいよ。今日くらいは踊ってやる。運営の用意した罠にしっかりと引っ掛かりながら、俺は青色のバンズをしたバーガーを食べた。
初橋さんはモンスターをモチーフにしたたこ焼きの写真を嬉しそうに撮ると、勿体ないと言いながら名残惜しそうに手を付ける。
一緒に注文していたスムージーも街中ではあまり見ない虹のような色をしていて、見ているだけだと少し毒々しかった。でも初橋さんは美味しそうに飲んでいたから、きっと味は良いのだろう。
昼ご飯を食べた後は、トークショーまでの間に物販エリアへと向かう。やっぱりミケにお土産を買った方がいいかもしれない。ゲームに夢中になっていたミケの姿を思い出し、ふと目に入ったマスコット人形を手に取る。
ミケが初めてゲームを触った時に瞬殺したモンスターの小さなマスコット人形だ。
「樫野さん、気になるものがありましたか?」
マスコット人形を手にしたままぼうっとしていた俺に、初橋さんが首を傾げて声をかけてきた。
「あ、可愛いマスコット。……樫野さん、こういうの好きなんですか?」
「えっ」
マスコット人形をじーっと見てきょとんとした声を出す初橋さんに、俺はハッとして思わずマスコット人形を落としそうになった。
「可愛いですよねぇ。職場に飾ってたら、癒されそう」
初橋さんは朗らかに笑って目の前に並んだマスコット人形たちを見渡す。
「あー、うん。確かに、そういうのいいですよね」
彼女のそんな優しいヒントに、どうしてか俺は動揺してしまってマスコット人形を元あった場所へと戻す。何故かは分からないけど、なんだか気まずくなったのだ。彼女はこのマスコット人形を使う、というか保有するのは俺自身だと思っているだろう。でも実際は違う。ミケのことを考えて手に取ったのだ。
そんな些細な勘違いが後ろめたくて、申し訳なくて、俺は初橋さんの顔が見れなくなった。
どうしてだ。
今日はここまで彼女に嘘偽りなどを語ることがなかったからだろうか。
知り合ったばかりの彼女に対して秘密を抱えることがなぜこんなに心苦しいのだろう。
真実を知ったところで、彼女にとってはどうでもいいことかもしれないのに。
「うーん。見てると欲しくなっちゃうなぁ。マスコット、私一つ買おうかな……」
隣に並ぶ初橋さんは顎に指を添えて真剣に悩み始める。
「樫野さん、どう思います? これとか、パソコンの横にあったら和みますかね?」
初橋さんは恐竜をモチーフにしたモンスターのマスコット人形を手に取り、ニコッと笑って俺に見せてくれた。
「うん。いいと思います。ゆるキャラみたいで」
「ふふふふ。ゆるいですかねぇ?」
よく分からない心情に戸惑いすぎたのか、俺は変なことを口走ったみたいだ。でも初橋さんは気にせずにくすくすと笑う。
その後も初橋さんはマスコット人形をいくつか手に取ってどれを買おうか検討を続けた。真面目な表情をしてマスコット人形を選抜する彼女の様子が、背後に流れる陽気なゲーム音楽と少しミスマッチだった。ちぐはぐなそんな光景が微笑ましく見えて、乱れかけていた俺の心情はゆっくりと元に戻っていく。
初橋さんが真剣にマスコット人形と睨み合っているところを見ていると、ゲームをしている時のミケの表情が頭に浮かんだ。
やっぱり、ミケにお土産を買って帰ろう。
ようやく決断した俺は、もう一度店内を見渡してみる。マスコット人形は無難だけど、実用的ではない。ミケたちはぬいぐるみを抱っこして寝たりするわけでもないし。鞄にはすでにお守りという防犯ベルもついているからいざという時のためにあんまりがちゃがちゃさせたくはない。
かといってマグカップとか、文房具とか、そういうのはもう持ってるしなぁ……。洋服は大きいし、置物はちょっと置く場所がない。邪魔にならなくて実用的なもの。それも消耗品じゃないやつ。
色々なものが視界を流れていく中、ふと焦点がある物に定まった。
「そっか…………」
それがある場所に向かい、目に入った物をそっと見下ろす。
ミケはいつも髪を二つに結んでいる。こだわりがあるみたいで絶対に自分でしか結ぶことはない。エヤにすらやらせてあげないらしい。小さな指にヘアゴムを絡ませて、鏡の前で毎日格闘している姿を思い出した。
手に取ったのは、ゲームに出てくるアイテムがチャームとして施されたヘアゴム。ミケは真っ黒なシンプルなヘアゴムしか使っていないけど、これなら気が向いたときに使う気になるかも。
実用的なのに邪魔にもならない。でも記念になる優れものだ。
「……これにするか」
ヘアゴムを手に取り、つい独り言がこぼれた。すると。
「樫野さん、私、お会計してきますね」
背後から初橋さんの声が聞こえてぎくりと肩を上げる。
「ん? ……ヘアゴム?」
振り返ると、初橋さんは自然な流れで俺の手元にある物を見つけた。
「あー……これは……」
誤魔化せない。マスコット人形はともかく、結ぶほど長い髪でもない俺がヘアゴムを使うわけがない。いや他にも使い道はあるんだろうけど、思いつかない時点で俺には必要ないものだろう。
きょとんとしている初橋さんは、ヘアゴムを見てぱちぱちと瞬きをしている。
そりゃそうだよな。変だよね、俺がこれ買ってたら。
「親戚の、子どもが……今、遊びに来てて……」
逃げ道をなくした俺は何回か近所の人に繰り返した台詞を絞り出した声に乗せる。
「えっ!? そうなんですか? へぇ! その子もゲーム知ってるんですか?」
「うん……。好きみたいなんですよ……」
「そうしたら、いいお土産になりますね!」
初橋さんは俺の嘘に対して手を合わせて瞳を輝かせた。弾むような声で肯定してくれるから余計に心が痛む。
嘘から逃れることは今の俺には難しい。それを明らかに実感した瞬間だった。
しょうがないなんて言葉で片づけたくはないけど、もうそれしか自分を納得させられない。
嘘をつくのはしんどいけど、こうなったらもう流れに従ってやる。
「女の子なんですけど……初橋さん、どういうのがいいと思いますか?」
俺は気を取り直して彼女の意見を聞いてみることにした。確実に彼女の方がセンスがあるし。
「そうですねぇ……どういう子ですか? これも可愛いですけど、ちょっと奇をてらい過ぎかな……?」
初橋さんは身を乗り出してマスコット人形を選ぶ時と同じくらい真剣な眼差しでヘアゴムを見渡す。
「うーん。こっちの色もいいなぁ。可愛すぎるのは嫌ですかね? この方が大人っぽいかな?」
ヘアゴムに集中しだした初橋さんの手元を見ると、先ほどの選抜を勝ち抜いたマスコット人形が大事そうに抱えられていた。見覚えのあるモンスターのマスコット人形は、どこか誇らしげな表情に見える。
「あ! 樫野さん、これはどうですかっ?」
初橋さんはぴょこっと身体を弾ませてミントグリーンと紫のヘアゴムがセットになったものを手に取る。
「可愛らしすぎなくて、でもファンシーで、落ち着きもある色ですよ。チャームもレアアイテムですし」
「ありがとうございます初橋さん。これにしますね」
フラワーアイテムがモチーフとなったヘアゴムを受け取ると、初橋さんは嬉しそうに微笑んだ。
「喜んでもらえるといいですね」
「……はい。きっと喜んでくれます」
手の平に乗ったヘアゴムを見た後で初橋さんの表情を見る。
うん。これは自信がある。彼女の選んでくれたこのアイテム。ミケにはぴったりだろう。
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