頑張らなきゃいけない
私が先輩を好きになったのはいつ頃からだったかな? 多分、早いうちから好きになっていたんだと思う。
初めの印象は、単純に和葉くんのお友達。それ以上でもそれ以下でもなく、初めて出会った時に「あ、変な格好見られちゃったなー」ってぐらいにしか思わなかったぐらいで、本当にただの他人で知人の知り合い。
だけど、何回も先輩と遊んでいくうちに他人から友達に変わっていった。
一緒にいて楽しいし面白い。馬鹿なところも好印象で、一緒になって和葉くんをからかうことで『同じ考えをする者』として理解してしまった。
顔は……正直整っているとは言えない。けど、私的には好みドンピシャ。
まぁ、だからといって好きになるかどうかは別───だってそうじゃない? 最終的に人を好きになるには外見よりも中身。一緒にいて安心するか、その人と先の関係になりたいかを望めるかどうかだもん。
……結局、好きになっちゃったけどね。それは仕方ないもん、先輩が魅力的な人だったんだから。
その魅力に気がついちゃったのは、多分先輩の家に行くようになってから。
明確なきっかけはなかったけど、先輩が作家として頑張っている姿を見始めてから───先輩の目が気になり始めてからなんだと思う。
パソコンに向かう時にする目。時折頭を悩ませ、キーボードに乗る手が動かないことなんて多々あったけど、その瞳はひどく鋭くて……私が先輩の家でラノベを読んでいてもお構いなしに、パソコンを睨みつける。
もちろん、突然押しかけたこともあったので、先輩が執筆の最中であれば「構ってよ!」なんて思うこともなかった。その代わり、私は和葉くんのお家と同じように勝手に居座って本を読むだけ。
結局、暇つぶしで来ることが多かったから。
けど、暇つぶしが徐々に先輩の目を見に来るように変わっていった。それは絶対に、目が気になり始めてしまったから。
そしていつの日か───先輩が向けている目を私に向けてほしいってそう思っちゃったの。
そう思っちゃったら、後は自然と落ちていくだけだった。
水が溜まった水槽にまん丸な大石を落とした時のように、先輩が持つ大きな魅力に沈んじゃった。
あぁ、好きだなぁって。この人の隣に立ちたいなぁって。
先輩の頑張る姿を横で見て、時に支えて、あの目を私に向けてほしいって。
だから、明確なきっかけと瞬間なんてない。いつの間にか、先輩が好きになってしまったの。
───そして、この思いは成就し……先輩の隣に立てた。
明確な『付き合う』という行為によって名実共に先輩の隣に立つことができたんだ。
だけど……実際は、全然名実共にじゃなかった。
先輩を本当の意味で支えることができるのは、先輩が頑張っていることを深く理解している者だけ。
それを、突きつけられちゃった───あの日、先輩達の会話を聞いてから。
そして、先輩は今月末までに企画書を提出しなければいけなくて……次は、ないらしい。
そんな状況なのに、私は簡単に『付き合ってから』のラブコメを教えるなんて言っちゃった。
もちろん冗談や遊び半分じゃないけど、ほとんど知見もなく読み始めた人間が本業の人間に教えることなんて、よく考えれば何もない。
今まで私が思い付きで言った『付き合ってからしてみたかったこと』も、先輩は賛同してくれたけど実になっていない可能性しかない。
だから、私は手伝いをやめて先輩が一人で考える時間を増やしてあげないといけない。だって、時間がないんだもん。先輩が願望を叶えるためにはその方が絶対にいい。
けど───それだと、私がいる意味って何? 何もできないような人間が、本当の意味で先輩の隣に立つことはできる?
……そんなわけない。何もできないなら、隣に立っているなんて言えない。
あの人達の方が───先輩の同期さんの方が、絶対に立てる。
でも、それは嫌だ。先輩の隣に立つのは私がいい。私じゃないと嫌だ。先輩の隣に立つ女の子として、これからの人生を生きていたい。
だから───
「私は……先輩の役に立つんだ」
立たなきゃいけない。立ってこそ、私の存在意義がはっきりと先輩に刻まれる。
だから私は頑張らなきゃいけない───先輩の役に立つために。
「…………」
紙を捲る音だけが夕日の射し込む室内に響く。
先輩と一緒に帰るはずだった放課後は、こうして今日も一人急いで先に帰り、本を何度も捲る。
机に向かい、捲っているのは表紙に可愛い女の子のイラストが描かれているライトノベル。
今まで漫画ばかり読んでいた私にとっては、目に広がる活字の羅列に目を背けたくなってしまう。
内容は面白いと思う。ただ単純に、活字を読むという習慣がなかったから辛いというだけ。
少し、先輩は凄いなぁって思ってしまう。よく、大量の文字を読んで大量の文字を書けるよね……私とは大違いだ。
「んー……これ、使えるかも?」
気になった部分はノートに書き連ねていく。
先輩の役に立ちそうな部分があれば漏らさず書いていって、また読み始める。
溜めていたお小遣いを使い、読んでいるのはライトノベルの中のラブコメというジャンルの作品ばかり。
今、先輩が書こうとしているジャンル。
先輩がどこに悩んでいるのか分からないけど、こうして最近の流行りや傾向を調べれば、少しは先輩の役に立てるはず。
少なくとも、私が突拍子に思いついたことよりかは役に立つはずなんだ。
先輩が企画書を提出しなければいけない期日は月末。作成時間を考えたら、後一日、二日で私が調べたことを渡してあげたい。
「クリスマスには間に合わせたいなぁ……」
クリスマスまで後少し。去年は友達とパーティーをして遊んだけど、今年は先輩とデートできるし、結構前から約束してるんだ。
先輩もクリスマスデートは楽しみにしていると思うし、その時までには企画書も落ち着かせてあげたい。
だったら、私が頑張らないと……頑張って、先輩の役に立たないと……。
「睦月〜、入るわよ〜」
ガチャり、と。私の部屋の扉が開かれる。
現れたのは、エプロンを身につけた私のお母さんだ。
「どうしたの、お母さん?」
「どうしたって、お夕飯ができてるから呼んだのよ?」
チラリと壁にかかっている時計を見る。
時刻は十九時過ぎ。確かに、いつもならとっくに食べている時間だった。
「珍しいね、お母さんっていつも面倒くさいからL〇NEで呼ぶのに」
「連絡したのに、睦月が降りて来ないからでしょ〜?」
「あ、ごめんね……」
気づかなかったや。多分、ずっとライトノベルを読んでたからかなぁ……?
「……頑張るのはいいけど、ほどほどにしなきゃダメよ?」
お母さんが椅子に座る近づいてきて、両手を私の頬に染める。
「頑張るは、女の子にとって大敵。休むことも必要」
「でも……頑張らなきゃいけないし」
「こんなに隈を作ってまで頑張ることなの? 最近は、ずっと夜遅くまで起きてるみたいだし……」
お母さんの心配している目が私の瞳を覗き込んでくる。
……最近はずっとそうだ。お母さんも、和葉くんも、友達も、先輩も、皆して私にこんな瞳を向けてくる。
「大丈夫だから、ね? お母さんってば、心配しすぎだよ! 私だって年頃の女の子なんだから、頑張らなきゃいけないことだって一つや二つあるもんだよ!」
だから、私はいつものように《・・・・・・・》明るく振る舞う。
その心配な瞳を私に向けてほしくないために。
そんな瞳を向けられちゃうと……申し訳なさと、同情されているという惨めさが込み上げてきちゃうから。
「……そう。あまり頑張りすぎて、弥生くんに迷惑かけないようにね? 弥生くん、すっごくいい子なんだから」
「分かってるよ、お母さん」
お母さんに言われなくても、先輩が凄くいい人っていうのは私自身が一番よく知ってる。
もう、二度と会えないだろう……素敵な人なんだから。
「だったら、降りてきなさい。流石にお夕飯を抜いてまで頑張るのはダメよ?」
そう言って、お母さんは私の部屋から出ていった。
私はお母さんの背中を見送った後───そっと息を吐いた。
(皆して心配性だなぁ……)
頑張るって、そんなにいけないこと? 心配させちゃうようなこと?
今は先輩のためでも、私ぐらいの年齢の子だったらテスト勉強とか部活とかで頑張ってたりするのにね。
(本当に……心配するようなことじゃないのに……)
私はそんなことを思いながら、夕飯を食べるために椅子から立ち上がる。
その瞬間───
「あ……れ……?」
急に足に力が入らなくなってしまった。
頭もクラクラするし、走った後でもないのに心なしか呼吸も荒くなっている。
お母さんがいなくなって、本を読むことをやめた瞬間に襲いかかってきた。
緊張の糸が切れた時に───正しく、このことを指すのかもしれない。
「私、風邪引いちゃったの……?」
ダメだ、今だけは風邪を引いちゃダメだ。
クリスマスのデートもあるし、まだ先輩の役に立てるぐらいのことも調べきってない。
それは大量に積まれた本の山を見れば分かる。私はまだ、読みきれていない。
「まだ……私は頑張れるの……!」
顔に笑みを作り、いつもの愛想を取り戻す。
力が入らない足に無理やり力を込め、どうにか部屋の扉を開けて一階へと降ようと階段へと向かう。
酷いことに、視界が歪んで見える。どうして今なの? 頭の中に疑問が浮かび上がって泣きそうになってくる。
でも、作った笑顔は戻さない。辛そうにしたら、またお母さんが心配しちゃうもん。
(ちょっとだけ……先輩に会いたいなぁ)
辛いからか、脳裏に浮かんでくる言葉は先輩への想いだった。
辛い時こそ側にいてほしい。けど、こんな姿は見せたくない。
矛盾している言葉のせめぎ合いが、一歩ずつ階段を降りる私の頭を支配していく。
そして───
「あ……」
ズルり、と。踏み出した一歩が足場を失った。
訪れる浮遊感。それが『足を踏み外した』と理解するまで、いつも以上に時間がかかってしまう。
だけど、前のめりになって地面が近づいてくる私には『踏み外した』という危機感よりも別のことが頭を埋め尽くす。
(先輩……)
受け身は取れるかな? 痛いのは嫌だな。先輩に会いたかったな。
なんて楽観した言葉が浮かんでくる時点で、私の体は限界なんだとこの時初めて理解した。
ゆっくりと、ゆっくりと地面がいよいよ近づいてきた時───
「おっと、あっぶねぇ……」
不意に、硬いような柔らかいような……そんな感触が私を包み込んだ。
聞こえてきた声は、耳にすんなりと入ってくるもの。今一番、望んでいた声だった。
私は重たい頭を上げる。
視界に入ったのは、見慣れた学生服と細くガッシリとした腕。そして───
「せん、ぱい……?」
「おう、危機一髪だったな」
優しく笑いかける、先輩の姿だった。
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