先輩の会話

 和葉くんの頭の手当てをした後、私達は気づかれないように店内へと入った。

 まさか来店を知らせるベルがあるとは思わず、焦りながら急いでコーヒーを注文し、席についたのはよかった。


 何やら先輩達が少ししんみりとしていたような気がしたけど……大丈夫、反応してなかったから気づかれていないはず。

 ただ───


「ここからじゃ何も聞こえない……ッ!」


 急いで座ったから先輩達の席から離れた場所に座ってしまった。

 ここではコソコソと顔色を窺うことしかできないし、一番重要な会話が聞こえない。

 まぁ、近くに座っても気づかれてしまう可能性もあるわけだから、これが最善策なのかもしれないけど……!


 移動したら気づかれちゃうかもだからね!


「落ち着いて、睦月。カップが割れそうな勢いだから落ち着こう」


 対面に座る和葉くんが、小さな声で宥めてきた。

 どうやら、気が付かぬ間に注文したコーヒーのカップを強く握りしめていたようだ。


「ご、ごめん……」


「まったく……弥生が絡むと我を失うよね、睦月は」


「仕方ないじゃん……大好きなんだもん」


 これが先輩以外の誰かだったら「好きにして」って言うよ。

 だけど、相手が先輩だったら───ムキになっちゃうのも仕方ない。

 どうして私が勇気を振り絞って告白したと思ってるの? 本気で好きだからに決まってる。


「あ、何か楽しそうな雰囲気に変わったね」


 和葉くんの言葉に、私は体を屈めて先輩の方を見る。

 そこにはしんみりとした先程とは違い、楽しそうな表情が皆に浮かんでいた。

 その姿を見て……私は急に胸が苦しくなった。


「そんな顔しないでよ、睦月」


 苦しいと感じていると、そっと頭に温かい感触が置かれた。

 優しくて、少し慣れているような撫で方。先輩のぎこちないものとは違う。


「……私に触っていいのは先輩だけだよ」


「なら、後で謝っておかなきゃね」


 悪びれる様子もなく笑う和葉くん。

 それは私の心情を見透かしていて、安心させようとしている笑顔だった。

 ……本当に、幼なじみってズルい。


「私もさ、別に邪魔する気はないよ」


「知ってる」


「けど……あんな笑顔は、私じゃあげられないのから苦しいんだ」


 分かってる。あの人達は私が隣に立てない場所に立っていて、先輩の境遇を一番理解している人達だ。

 先輩の悩みを、喜びを、悲しみを本当の意味で理解して、言葉だけじゃない重みを知っている。


 そんなことぐらい、ここに来る前から理解していたはず……なのに、実際に笑う先輩達を見て、改めて叩きつけられたような気分に陥った。

 浮気とか、先輩のことが好きかなんて───今だけは、考えたくなかった。

 どうして、私はあそこにいられないんだろう? いつも向けてくれる、与えてあげられる笑顔の中には、あの笑顔は存在しない。


 それが悔しくて、もどかしくて……苦しく感じちゃう。


「でも、睦月は睦月だからこそあげられない笑顔を弥生に与えていると思うよ? それだけは、友達として分かってる」


「……うん」


「簡単に言っちゃうかもしれないけど、睦月はあの人達になれないように、あの人達も睦月にはなれない。掴み取った立場は誰にも譲ることなんかできなくて辿り着くこともできない───だから、睦月は睦月なりに弥生を笑顔にさせてあげればいいよ」


 和葉くんの優しい声が胸に刺さる。

 分かってる、それぐらい和葉くんに言われなくても理解してる。

 でも、それでも……悔しいっていう嫉妬だけはどうしても抑えられない。


 ただ泥棒狐を見つけるだけだったのに、私がいる立場を揺るがされた気がする。

 もし……このまま、私が本当の意味で先輩の役に立たなかったら……? 先輩の隣に立てなかったら……?

 私は、あの二人のどちらかに先輩の隣を取られてしまうんじゃないだろうか?


『俺は今月末に企画書を出す! それでダメだったら、俺に次はない!』


 先輩の声がようやく聞こえた。

 きっと大声を出したからだろう。だから、その後の会話がまた聞こえなくなった。

 だけど───


(……え? 先輩って、次は企画書を書けないの?)


 確かに、何回も何回もダメだったら突き放されてもおかしくない。

 先輩はもう何回も企画書を出している。もしかしたら、次出す企画書が最後というのは間違っていないかも。

 先輩がしているのは、学校の授業とか優しいものではなく、社会のビジネスをしているのだから。


 もし間違っていなければ、先輩は前に企画書を出した段階で言われているはず。

 ……そう、気がついた瞬間に───私の血の気が一気に引いてしまった。


(それなのに、私は……ッ!)


『付き合ってから』のラブコメが分からないから教える───そう意気込んでいた自分を殴りたい。

 これが先輩の最後の企画書であれば、その真剣さは言わずも理解できる。

 あんなに毎日毎日頑張っている姿を見て……分からないはずがない。

 それが最後っていう時に、私はどの口で「教える」なんて言ったの? 先輩の気も知らないで、どうして素人が手伝おうって言えたの?


 あの人達ならライトノベルのことは深く分かっている───だけど、私はそっちのお話を何も知らない一般人なんだ。

 そんな人間の手伝いなんて、先輩からしてみればただのお節介に決まってる。

 だけど、先輩は優しいから……きっと、私を邪険にしなかったんだ。


(このままじゃ、私が先輩の邪魔をしてしまう……!)


「だ、大丈夫……睦月?」


 涙が出てきそうになる。そんな私を見かねた和葉くんが心配をしてくれる。

 それでも、私は己の浅はかさを悔やんでしまう。

 本当なら、ここで手を引かなきゃいけない。少しでも、先輩の時間を増やすためにも。


 けど……それだったら、いつまで経ってもあの人達のところには行けない。

 行けないと分かっていても……近づきたい。

 だったら、私がしなくちゃいけないのは───


「……和葉くん、帰ろ」


「え……? む、睦月……?」


 私は立ち上がり、コーヒーをカウンターに置いて急ぎ足で喫茶店を出た。

 和葉くんも私の様子に驚きながらも急いで後を追ってくれる。

 ……和葉くんには申し訳ないことをしたなぁ。勝手に連れ回して勝手に帰るって言われて、心配をかけちゃった。


 でも、でもね……?


「私は、やらなくちゃいけないことがあるから……!」


 瞳に涙が浮かんでいるのが分かる。

 だけど、私の足取りは止まらなかった。

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