陰で泣くとか無理なので
中田カナ
第1話
近道するためいつものように学院の庭園を通り抜けようとテラスの近くを通りかかった時、聞きおぼえのある声がして足を止める。
物陰からテラスの方を見ると、私の婚約者である王太子殿下と側近候補でもあるご学友達が歓談中だった。
「殿下もあんな無愛想な婚約者では大変そうですねぇ」
「常に学年主席を維持して頭脳明晰なのは認めますが、どうも女性らしさに欠けるというかなんというか」
「今年入学してきた妹君はあんなに可愛らしいのだから、いっそ婚約者を変更するのもありではないですか?」
私について言いたい放題なご学友達。殿下は後ろ姿なのでこちらから表情はわからない。
さて、残念ながらこういう場面でそっと走り去って陰で泣くとかいうのは趣味じゃない。
ざざっとテラスの前に走り出て仁王立ち。
「今の話、すべて聞かせていただきましたわ!」
唖然とするご学友達。
「愛想もなければ胸もない女で悪うございましたわねっ!」
そしてほんの一瞬全員をにらみつけてから、すぐに笑顔に切り替えて殿下に目を向ける。
「殿下、こんな淑女らしからぬ女ではご不満なようですので、どうか殿下の方から婚約解消をおっしゃってくださいませ。本来ならこちらから辞退すべきなのでしょうが、いかんせん私達の婚約は王命ですので殿下からおっしゃっていただければ話が早いかと存じます」
「待ってくれ!僕は何も言っていないが、すまなかった!あと、胸がないとは誰も言っていなかったぞ!」
殿下が立ち上がって駆け寄ろうとするが、庭園の柵がそれを阻む。
「でも殿下は止めも否定もしませんでしたでしょう?胸の件に関しましては皆様の心の声が聞こえましたのかしら?ああ、それから妹をご所望でしたら帰宅してすぐにでも私から家族に申し伝えておきますので、どうぞご安心くださいませ。上流階級の婚約は家同士のつながりでもありますから、姉と妹が入れ替わるくらいたいした問題ではありませんわ」
「違う!僕は貴女の妹を望んでなどいない!」
ご学友達は私と殿下のやりとりに口を挟むことも出来ず、ただひたすら青ざめている。
その様子を見て、これ以上の対話は不要と考えて私は話を切り上げることにする。
「さて、ご歓談の邪魔をしてしまい、大変申し訳ございませんでした。どうぞお続けくださいませ。それでは皆様ごきげんよう」
私は淑女の礼をとってから庭園の奥へと走り去った。
翌日は休日だったのだが、午後になって王太子殿下が訪ねてきた。
開かれたドアから殿下が自室にいる私に声をかける。
「貴女は何をしているのだろうか?」
「あら、ご覧になってわかりませんか?荷造りをしておりますの」
侍女と共に旅行かばんや移動用の衣装ケースにあれこれ詰め込んでいる。
「いったいどこへ行こうというのかな?」
「しばらく領地へ帰ろうと思いまして」
「婚約解消など絶対にしないからな!…昨日は本当にすまなかった。どうか許してほしい」
王太子殿下が廊下で私に深々と頭を下げた。
「殿下、どうか頭を上げてくださいませ」
メイドがお茶の準備を整えてくれたので、荷造りはいったんやめてサロンに移動する。
「で、あの後どうなりましたの?」
紅茶を口にしながら向かいのソファーに座る殿下に尋ねた。
「あの場にいた学友達はすぐに叱りつけた。私の幼馴染でもある最愛の貴女ともしも破談になったらいったいどうしてくれるのだ、と」
「…そうでしたか」
いや、最愛とか言われましても、なんと答えていいものやら。
「で、貴女の父君が王宮に怒鳴り込んできて、学友達の親も呼び出しをくらった」
「いくら父が国王陛下と幼馴染とはいえ、いきなり押しかけるのはよくありませんわね。後ほど父に言っておきますわ」
まぁ、父も私の意図を完全に理解してくれた上での行動でしたけどね。
「話し合いの末、彼らは全員側近候補からはずれることになった。新たな側近候補は現在選出中だが、身分は問わず実力重視になるので今までに比べれば期待できるはずだ」
「なるほど、よくわかりましたわ」
説明を終えた王太子殿下が改めて私に頭を下げる。
「様々なしがらみで断れなかった側近候補達を切るため、不快な思いをすることを承知の上で貴女が動いてくれたことに心から感謝する。あのままではどうしようかと本当に困っていたんだ」
「あら、何のことでしょうか?私は自分の陰口を叩かれていたことが気に入らなかっただけですわ。そうそう、あの場での淑女らしからぬ行動、改めてこの場にてお詫び申し上げます」
私が頭を下げると殿下が微笑んだ。
「では、そういうことにしておこうか」
なんだ、やはり気づかれていましたか。
身分にあぐらをかいた側近候補達の痛い言動に殿下が頭を抱えていたのはだいぶ前からのことだった。
あの時間に私が通ることは殿下はよくご存知のはずなので、うまいこと話を誘導してくれていたのだろう。
それにまだ婚約の発表はしていないけれど、私の妹にはすでに相思相愛のお相手がいる。そもそも橋渡し役となったのは殿下なのだから、婚約者の乗り換えなんてありえない話で、これだけでお芝居なのはバレバレだわね。
「で、さっきの荷造りは何なのかな?間違っても婚約解消などしないから、もしも傷心旅行とかいうのなら中止してもらうことになるんだが」
私はにっこり笑って答える。
「ふふふ、領地の方で従姉の結婚式がありますのよ。従姉は服飾関係の仕事をしておりまして、ウェディングドレスもご自分でデザインして作られたと聞いておりますので、今からとても楽しみなのですわ」
向かい側に座っていた殿下が立ち上がって私の隣に座って肩を抱く。
「そういうことなら王太子妃教育の息抜きも兼ねて存分に楽しんでくるといいよ。もし従姉殿のドレスが気に入ったのなら、貴女の分の製作も依頼してきていいからね」
ああ、もう、この人はなんでそんなことまでわかってしまうのかしら。
そして殿下は私の髪を一房手にして口づける。
「でも忘れないでおくれ。貴女を世界一の花嫁にするのは私の役目だからね」
陰で泣くとか無理なので 中田カナ @camo36152
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