遠のくゴールテープ

時津彼方

本編

 気が付くと僕は、真っ暗な夜道にいた。いや、正確に言うと、道沿いに明かりがともり、道だけが照らされていて、道の他は何も見えない場所に、僕はいた。


 とりあえず走ってみる。

 すると、曲がり角を曲がったところでゴールテープが見えた。小さいころから足が遅く、ゴールテープを切ったことがない自分は、何とかしてそれを腹にまとわりつけたいと思った。


 よし、ゴールだ。

 一着のマラソン選手がゴールする姿に重ねて、自分も手を挙げた刹那。

 お腹は空を切った。


 それに気が付き、止まろうとする足を動かし始める。

 そうか。あのゴールテープは幻覚だったのか。

 でも、この先にゴールテープがある予感がする。

 僕はまた走り出す。


 たったった、と、スニーカーで走っているはずなのに、コツコツコツ、と、ブーツの音が聞こえる。それは紛れもなく自分の足音だった。その音が反響し、少し耳が痛くなる。


 あ、ゴールテープがある。

 でもまた幻覚かもしれない。

 僕はゴールテープがないものだと思いながら、そこを通過する。


 やはり、お腹に布が当たる感覚がない。

 もしかしたら、このまま幻覚のゴールテープしか現れないのかもしれない。

 でも、僕はこの先に、ゴールテープがある予感がする。

 僕はまた走り出す。


 暗闇の匂いを感じた。本来は空気や空間に匂いはない。何かの匂いが伝播して感じることはあるけれど、それ自体に匂いはないはずだ。ただ、今は、湿った匂いが鼻腔をかすめた。


 またゴールテープだ。

 幻覚という確信を持って、俺はそれを切る。

 

 周囲の形骸的な状況が呑み込めてきたため、この場所の意義について考える余裕が出てきた。とはいえ出てくる疑問は、夢かうつつか、といったものしかない。夢にしては感覚や思考がはっきりしすぎているし、現にしては都合がよく不可思議だ。

 そもそもここに来る前、僕はどこにいたのだろう。家で寝ていただろうか。もしかしたら体育祭で走っていたのかもしれない。はたまた、教室で授業をうけていた可能性もある。

 というか、今はいつだ。暗闇でも意識がはっきりしているから夜とも限らないし、心地よい気温だからといって春夏秋冬を決められるわけでもない。


 僕はそもそも誰だ。空間の正確な把握ができないためか、自分の存在を見失いかけている。僕は男であって、父母の顔は……思い出せない。兄の顔は……そもそもいなかったか。


 ゴールテープがある。

 僕はその中継地点を通過する。


 ただ一つ確信していることはこの先に本物のゴールテープがあるということ。そして唯一はっきりと自覚している感情は、そのゴールテープを切りたいという欲求だ。


 中継地点を遠くに見つける。僕はどうしてあれを切りたいと思ったのだろう。刹那、本能の僕はそう考えることをやめようと訴えてきた。確かにそうだ。僕の中にある唯一の感情だ。疲れも感じないまま長い間走った自分の中にある、唯一の欲求。


 直角の曲がり角を見つけ、少しスピードを落とす。このような調節ができるから、きっと現だろう。いや、都合よく動かせているから夢なのか。


 曲がったところで僕は少しひるんだ。

 目の前にゴールテープが、まるでハードルのようにたくさん、一直線に並んでいた。そういえば、このゴールテープは誰の支えもなく浮いている。それは誰が。


 そこまで思った瞬間に、僕は誰かに押された。


***


 僕はたくさん並んだゴールテープを、道の外の暗闇から眺めていた。


 いったいこれは何だったんだろうか。


 僕は後ろにかすかな感触を感じる。


 それをつかむと、それはまさしく、求めていた本物のゴールテープだった。


 すると、僕の体がとけ始めた。


 唯一の欲求がなくなったからだろうか。


 いったいこの世界が何だったのか、俺には何もわからない。


 ここは本当に私のゴールだったのだろうか。


 暗闇に体が呑み込まれる。


 同時に、ゴールテープが燃えていく。


 それが燃えつきると同時に、自分は消えた。

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遠のくゴールテープ 時津彼方 @g2-kurupan

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