都合の良いことを言ってるのは百も承知の上だが、今だけはゴールは何処までも遠い場所であって欲しい

富升針清

第1話

 私は人よりゆっくり歩く。

 歩く速度が遅いと、周りからよく言われた。

 自分ではわからない。目の前に広がるのは、当たり前の情景が当たり前の速さで流れていくだけ。そこに遅いも早いもない。あるのは、綺麗、楽しい、面白い。

 でも、周りから言われる度に気にしてた。

 最初は気にして、駆け足で歩いてた。だけど、いつもは疲れちゃう。

 それは私には合わなかった。

 私に早く歩くよりも、誰かと話しながら歩くよりも、ゆっくり流れる様に移り変わっていく景色を見るのが好きだった。

 歩くのが遅くても、どれだけ時間がかかっても、私はこの2本の足で何処までも歩いて行けた。

 近くにも遠くにも。不自由は、それなにりだけど。

 でも、自分の足で歩いて行けた。

 だから、文句はなかった。

 私が私の足で、行きたい所に行けるならいいじゃないか。

 そう思って毎日を歩いていた。


 いつかのハイキングで、クラスで一番早く走れる男の子と歩くペアに決まってしまった。

 周りの子達は、男の子を大層慰めた。

 私みたいな子とペアになってしまって可哀想。

 あの子が休めばいいのにね。

 置いて行けばいいんじゃない?

 散々な事を聞こえる声で沢山言われた。

 悲しくて悔しい気持ちもあるけども、意地みたいな気持ちも沢山あった。

 けど、それでも私は景色を見るのが好きだったから。

 負けるものかと言う気持ちで私はバスに乗り込んだ。

 ハイキングコースは一時間半の山道を歩くものだった。

 天辺についたらお弁当。

 でも、私はきっと時間以内に着けないことを知っていた。

 ペアになった男の子はバスの中でも終始無言だった。

 私みたいな奴と一緒に歩くなんて嫌だろうな。

 少しばかり可哀想な気持ちも芽生えてきたが、私の意地はそんな物では揺り動かない。

 置いていってくれても構わないと思いながら、スタート地点に着く。

 歩き出すと、私達は瞬く間に皆んなに抜かれていった。

 でも、そんな事は気にならない程の絶景を私を楽しんでいた。

 眩いばかりの緑は、キラキラと煌めき、黄金色に輝く太陽の光を浴びてまるで何処ぞの神様かと疑いたくなるぐらいに私の心を躍らせた。

 楽しかった。

 純粋に、ただただ楽しかった。

 三十分ぐらい過ぎた辺りだろうか。

 ここで漸くペアの相手を思い出す。

 彼は先に行っただろうか?

 周りを見渡すと、小豆色のジャージが自分の後ろに見える。

 驚いた事に、彼はまだ私の後をついて来ていた。

 先に行く事もなく、文句を言う事もなく。

 これには流石の私の意地も居心地が悪くなったのか、シオシオと恐縮し始めた。


「先に行っていいよ」


 これが、彼と初めて交わした言葉だった。

 私の言葉に彼は目を丸くする。

 驚いているんだ。他人事の様にそう思うと、彼は首を振る。


「いいよ。俺の事気にしないで」


 彼は笑うわけでも起こるわけでもなく。

 淡々とした口調で。

 今度は私が驚いた。


「でも、遅くなっちゃうよ? 私、歩くの遅いから」


 そちらの方が私も随分と気が軽くなる。

 しかし、彼の答えはノーだった。


「遅いなら、早い方が合わせればいいだけだから。気にしないで」


 彼にも、彼の意地があるのだろうか?

 これ以上の会話は私の方から辞退した。

 私達は気を取り直して歩き始める。

 美しい緑。楽しい緑。面白い緑。どれを楽しんでも、視界の何処かで小豆色のジャージが揺れる。

 ゆっくりと歩く私に文句を何一つ言わないまま、彼は歩いてくれていた。

 歩き出して二時間が経過したぐらいだろうか。

 まだ、天辺にはやや遠い。


「お弁当、食べない?」


 そう提案したのは彼からだった。


「天辺、まだだよ?」


 君の足なら、三十分もかからない。今から急いでいけば間に合うのでは?

 そう提案したが、彼は首を横に振る。


「いいよ。ここで、食べない?」


 ハイキングコースの途中に設置されていたベンチを指差して彼が言う。

 流石に私はこれ以上彼を付き合わせてはいけない気がした。

 矢張り、先に行くべきだと諭そうと思えば、代わりに私が諭された。


「まだまだ時間はかかるでしょ? いいじゃん。もう、みんな食べてる時間だよ」

「でも……」

「このままだとご飯食べる時間なくなっちゃうよ」

「……」


 渋々、私はベンチに座って彼とお弁当を食べる事になる。


「ごめんね、歩くの遅くて」


 申し訳なさから、謝罪の言葉が込み上がる。


「いいよ。気にしないで」


 最初に聞いた言葉を彼を繰り返した。

 そして。


「こんなにゆっくり歩いた事なかったから、楽しいよ。葉っぱって色々あるんだね」


 そう、彼が笑った。


「そうなの! 色々な種類の葉っぱがあってね? それで……」


 私と同じことを思ってくれる嬉しさに、私は夢中で話し続けた。

 お弁当を食べ終わる頃には、すっかりと私は彼との会話を楽しめるようになっていた。

 再び歩き出しても、話す口は止まらなかった。

 これはこんな名前の木なんだよ。

 この花はね、こんな由来があるんだよ。

 必死になって話す私の言葉を、彼は丁寧に聞いてくれた。

 スタートから三時間。そろそろ自由時間も終わりになる頃、漸く私達の目にはゴールの天辺が見えてきた。


「楽しかったね」


 彼は笑った。


「うん」


 私は頷く。

 歩くのは好きだ。

 景色を見ながらゆっくりと歩くのが好きだった。

 だけど、今は。


「どうしたの?」


 彼が笑う。

 名前も覚えていない、彼が。

 ゆっくりと、景色を見ながら歩くのが好きだったのに。

 今は、ゆっくりと彼と二人で話しながら歩くのがなによりも楽しかったと思う自分がいた。

 もう、ゴールは目の前。

 だけど、ゴールなんてしたくない。

 まだまだ、彼と歩いていたい。

 わざとじゃないゆっくりが、わざとゆっくりになっていく。

 けど。


「うんん。なんでもないよ」


 どんなにゆっくりでも、この足は目的地までついてしまうのだ。

 まだ着かないゴールが、もう少し遠くなってほしいと願いながら。



おわり

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